東の都へ

久しぶりに東の都に行ってきた。相変わらず暑く、混んでいる。

25日、ステンド2枚を北千住に納めた後、高円寺でムスコと会う。ここのところ高熱を出しでダウン、点滴を受けたりしていたがもう快復している様子。田舎では食べられずに夢にまで見たモツ焼きを食べに行き、生ビールで乾杯。旨い。何で諏訪平ではモツ焼きが食えないんだ!生ビールの次はホッピー。いい気持ち。回転寿司に寄って腹を満たした後、銭湯へ。ムスコのベッドを占領して爆睡。

26日、午前中、隅田川沿いの高層老人ホームに入っている大叔母を見舞いに行く。94才になる大叔母は身体はまだまだ達者のようだが、2分前に話した家族のことなどはもう忘れて「ところで息子や娘は幾つになったの?」と何度も聞かれる。たしか今年の春に訪ねた時は5分位すると忘れていたから、ちっと進んだかな。帰りは駅まで歩いても大したことなさそうなので、プラプラとかつての山谷を歩く。『泪橋』までに行く間に缶酎ハイを飲みながら歩いているオッチャンや昼宴会のオッチャンに声をかけられる。「一緒に飲んでけ。」って、まだ昼前だからと遠慮する。「あんた幾つや」と聞かれて「カンレキ過ぎた」と答えたら「ほな、年上か。失敬しました」と敬礼される。敬礼されるほどエラクないのであるが、ピンク色のシャツにジーンズでプラプラしていたから同類と見ていただいたようだ。背広族に声をかけられるよりは勲章と思っている。
地下鉄で秋葉原へ。久しぶりの秋葉原を散歩。小学生の頃はラジオ少年だったのでボストンバッグを提げて部品街をよく歩いたものだが、今はオタクと外国人ばかりである。
次は中野に行き、中野ブロードウェーを散歩。ここも変わった。フィギアを売る店とコミック本を売る店がやたら多い。やはりオタクと外国人オタクの聖地と化していた。バイト帰りのムスコと銭湯に行った後、またしても昨日とは別の直ぐ近くのモツ焼き屋へ。いい加減気持ち良くなり、一旦部屋で1時間半ほど爆睡。その後何となく腹が減り?「何が食べたい?」と聞くと「焼き肉!」とのこと。モツ焼き食べた後に焼き肉とはカンレキオヤジにはちょっとキツイが、快復後の身体が欲するようで付き合う。こうなったら昔の癖、ラーメンまで食して帰るが、変な時間に爆睡したのでよく眠れず。

今日は結構涼しい。ムスコの眼鏡のレンズが傷だらけというので吉祥寺の眼鏡屋へ。あれこれ散々掛けて見せるが、どれも似合わない。結局、ちっとは賢そうに見えるかも、という一点で選ぶが彼奴には帽子も眼鏡も似合わぬ。きっとカミサンのせいだ。

13時20分発の高速バスで帰るが、何でも明日から始まる国体で使う調布のサッカースタジアムが高速道路に近いからと、警察の道路点検で渋滞。全く迷惑なことである。東の都でオリンピックなんぞやったら都中が大渋滞必死である。おかげで35分も遅れて富士見到着。迎えを頼んだカミサンはピアノ教室のレッスン時間となり、仕方ない、家に帰るには登りだが、軽トラの車検が終わったとの連絡があった車屋は下りだからと30分下って軽トラを回収して帰宅。よく歩き、疲れた3日間であった。

夜、西の都のJAZZ 喫茶『YAMATOYA』のご主人の熊代さんから電話をいただく。72才になられたばかり。お元気そう。「段々体もきつくなってきたので花脊の陶芸工房を閉めることにした」とのこと。夜遅くまで京都市内でJAZZ喫茶をやった後、花脊まで1時間半もかけて帰り、昼間陶芸をやり、また夕方から市内に戻る生活を「二つの生活がそれぞれ丁度良い刺激や息抜きになって」とおっしゃっていたが、その情熱は凄いものといつも感心していた。いつもムスコやムスメを可愛がって下さり、奥様の東洋子さんは昨冬の我が家への旅が楽しかったとおっしゃって下さる。また遊びに来て下さい。

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