50年ぶり

一昨日の夕食はムスメが握った大ぶり鹿寿司と鹿ステーキをたらふく食した。DSCF7146(変換後)生肉だから大きな声ではあまりお勧めはしないが、ヒレ肉で作る鹿寿司はウマイ!

で、話し変わって、今朝はビックリした。昨夜、都に住む小学校の同級生だったアキコさんから来たメールの中に、転居先不明の同級生テツくんの情報として、「どうも諏訪に住んでいるらしい。○○の研究職で、市民オーケストラでヴィオラを弾いているらしい。知らないか?」と書いてあった。来年が小学校卒業50周年となるとのことで、クラス会の幹事であるアキコさん等が級友の転居先を調べている。諏訪に住んでいるならと色々と検索を掛けたら顔写真があり、拡大してみると確かに昔の面影がある。昔はもっとポッチャリしていたはずだが、確かに似ている。更に検索したら、何と同じ富士見町に住所がある。早速電話する。「もしもし、ワタクシ富士見町に住むオクズミといいますが、あのぉ〜、ひょっとして○○小学校にいた○○テツさんですか?」と問うと「エッ、オクズミくん!イヤァ〜懐かしい」となった。都の小学校時代3年間だけ一緒だったのだが、それから50年全く会わずに長野県のそれもたった人口1万5千人の同じ町に住んでいたとは驚きであった。聞けば彼も富士見にもう30年住んでいるという。こんなちっちゃな町であるからきっと何処かで行き会っていたはずである。カミサンに話したら「ヴィオラをやっている人なら、多分その人とは会ったことがある」と言う。案の定、町の共通の知人の話まで出る。早速メール・アドレスを交換してお互いのその後を書く。彼のメールに「早速小学校の卒業アルバムを引っ張り出してきて」というのがあり、ワタクシも引っ張り出す。いたいた、やっぱり面影が残っている。もうアッチに逝ってしまった人や、憧れた人、喧嘩ばかりした奴と、50年も経つと懐かしい顔ばかりである。寄せ書きにテツくんは「若い世代の前には長大な未来がある」と書き、ワタクシは「自己のペースでいつまでも」と書いてある。なるほど、宿題や毎日提出の日記をサボることしか考えなかったワタクシと、大企業の研究職となったテツくんの差は既にこの時代に作られたのかと妙に納得する。ともあれ近々我が家で一杯やる約束となる。

この記事は未分類に投稿されました. このパーマリンクをブックマークする。 コメントを投稿するか、トラックバックをどうぞ: トラックバック URL.

コメントする

あなたのメールは 絶対に 公開されたり共有されたりしません。 * が付いている欄は必須項目です

次の HTML タグと属性が使用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

*
*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください