色々ありヘコむ

23日にカミサンの母上が亡くなる。87歳、老衰死。夜、カミサン上京。
24日、二転三転した後、29日に火葬葬式を川崎で行うとの連絡が来る。
カミサンは明日はコーラスの練習があるとかで今夜戻るとのこと。

姉からの電話でヤマシタさんが亡くなったことを知る。彼女は姉の同級生で中学や高校の頃によく実家に泊まりに来ていた。その後大学で生物学を専攻、当時、東工大の講師をしていた動物行動学者の日高敏隆先生に可愛がられていて、最初はどういう経緯であったか学生だったワタクシも吉祥寺で一緒に飲むようになりワタクシも可愛がってもらった。その後日高先生は京大に移られ、確かヤマシタさんは北海道に行ったように思う。

疎遠になっていたが、ワタクシが35歳の時に京都で個展を開いた時に料理屋で日高先生と10年ぶりに再会、「日高先生!オクズミです!」と言ったら「おー!覚えてるゾ!」「飲め!飲め!」「ヤマシタに電話しよう!」「もしもし、山下、今京都でオクズミと飲んでるぞ!」と大騒ぎした。奥様はイラストレーターの後藤喜久子さんで一緒に個展にも来て下さり、またワタクシの大叔父が日本人のルーツ研究者の埴原和郎で、当時京都の国際日本文化研究センターにいたものだから「なぁんだ〜、お前埴原の親戚か、お茶屋遊び知ってるか?今度埴原と3人で行こう!」。その後埴原の叔父貴も個展に来て「おう、日高を知ってるんだってな!日高が今度3人でお茶屋遊びしようと言ってたゾ」と言ってくれたのだが各々の日程合わずにオジャンとなった。(残念ながらお茶屋遊びはオジャンとなったが、叔父貴から「綺麗どころを行かせるゾ!」と電話があり、個展会場にお茶屋の女将や芸妓さんが団体でやって来たのにはちょっと参った)

ヤマシタさんはアザラシの研究者と結婚し小田原に住んでいたようだが、7〜8年前にご主人をガンで亡くした後、東京に戻っていたらしい・・・
ニギヤカな楽しい人であった。日高先生との丁々発止が忘れられない。30年前に京都からの電話で話したのが最後となってしまった。
日高先生も埴原の叔父貴もヤマシタさんも樹木希林さんもアッチに逝ってしまった。
寂しいなぁ〜。

ムスコのバイト仲間の少年がバイト中に倒れ、脳梗塞で入院中とのことで、見舞いに行ったムスコを認識はしているらしいが、上手く話せないとのこと。根は真面目な子で、まだ19歳の定時制高校生だったという。8時間バイトした後に高校に通い、また家庭の様々なストレスを背負っていたという。何とか後遺症が残らずに治って欲しいと切に思う。

なんだか色々と続きヘコむ。

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