薪原木

昨夜原村のフユキ君から電話。「頼まれていた紅葉樹の子彼岸桜を伐ったけれど、要りますか?」とのこと。有難い。「急ですが明日運んでも良いですか」との事で、今日の昼前に2tダンプで運んでくれる。

フユキ君のオトーサンは故池学氏。奥鐘や甲斐駒岳の岩壁の開拓で有名だった。22年前に初冬の北鎌尾根で逝ってしまった。この年は正月にワタクシの山岳部後輩二名も雪崩で亡くし、捜索に半年を費やした年でもあった。北鎌に行く1週間くらい前にばったり西友の入り口で会い、「成蹊さん、よく頑張って捜索したね」と声を掛けらればかりであったのでショックだった。ワタクシは後輩の事故報告書作りなどで忙しく、奥様に頼まれて捜索用に東邦航空を紹介したのみで、捜索のお手伝いは何も出来なかったが、翌年秋に遺体を発見・収容することが出来た。

フユキ君には以前にも薪原木を分けて貰っていたのだが、今年8月頃に電話して「薪原木があったら分けて欲しい。ただ膝を手術したばかりなので運んで貰えると助かる」と頼んでおいたのである。ダンプでドドっと降ろしてくれる。来冬一冬分とは行かないが結構ある。「まだ1台分位なら出るからまた持って来ます」とのこと。感謝!

一緒に昼食を摂り、何で伐採の仕事を始めたのかなど話してくれる。随分と考え、調べ、勉強して伐採の仕事を始めたことを知る。僕等などが八ヶ岳山麓でガラスや陶芸や鉄や木工などを40数年前に始めた頃には、フユキ君のように事業として考えるなんて発想はまるでなく、ただ都会の生活や会社勤めに向かないと、僅かな資金で手作りの家を建てて住み着いたのとはまるで違い、しっかりと事業計画を立てて始めた事に驚くと共に、頼もしさを感じる。さすがに池学さん・律子さんの御子息である。

さて、この膝であるからそうそう薪割りも出来ないが、木に足を挟まれたり、チェーンソーで怪我しないよう気を付けて始めなければ。
取り敢えず、何時フユキ君が薪原木を運んで来てくれるか分からないので、新たな原木を地面に触れないで置けるように枕木を7〜8本を置く。枕木は昨年イッペイさんの所から貰って来た腐食に強いサワラだが、抱えて運ぶサワラの重いこと。結構膝に来る。
またダンプで降ろした際に一緒に落ちて原木の下敷きとなったコンパネを引っ張り出せるように何本か原木をチェーンソーで切る。チェーンソーを使うのは1年ぶりか。まだ何となく膝が不安定なので足場をきっちり決め、原木に足を挟まれないように注意してストーブに入る長さに切る。一度コケたが咄嗟に左膝を庇って右膝を先についたので事なきを得る。クワバラクワバラ。

さすがに疲れたので夕食を早めに食べて始めたと思ったらカミサンが「裏庭に車がいる」とのこと。慌てて飛び出したら真っ暗な中、フユキ君がダンプで原木を降ろし始めていた。「これで来冬、足りますか?」との事。「充分充分」。
合わせて4トン以上。
感謝感謝である。

これから仕事の合間(現在はカミサンに歌唱指導を受けに来ている女性が高校時代に描いたベルばら調の人物の顔の絵をステンドにと頼まれ、表現方法でウンウンいっている最中。ベルばら調はちょっとアレだけど、挑戦するには面白そうで乗っている)に少しづつ玉切り、薪割りをして鈍った身体を鍛え直さねば。

それにしてもフユキ君、有難う!

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