お別れ

この間、仕事や薪割、悲しい知らせや、ほっとする知らせ、考えねばならなかったり、判断しなければならなかったりと全く忙しかった。

一昨日はゼミの後輩の葬儀が韮崎の教会で執り行われて参列。元々心臓疾患を患って治療中だったのだが、昨年胆管ガンが見つかった時点では既に転移が始まっていたとのこと。最近の医療というのはあまりに細分化され、身体全体、精神状態を含めた『人』として医者が診なくなっていると強く感じる。オフクロは当時では全く治療法が無いとされていた悪性リンパ腫となり、手探り状態での抗がん剤の組み合わせ治療により11年という当時の最長不倒記録を作ったのであったが、その主治医であった医師はいつも「聴診器一つで身体全体が分かる」「最近はデータに依存し過ぎる」とおっしゃって、丁寧に全身に聴診器を当て、オフクロの話しをゆっくり時間を掛けて聞いていた。最近の医者は風邪の時以外聴診器などまず当てずにデータばかりである。総合医療というか、精神状態を含めての『人の体』全体を診る医療が問われているのではないかと思う。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

成仏してくれ

昨日の朝のダリ散歩、鹿がどうしているのかと対岸の護岸沿いの藪のイバラに体のあちこち引っかかれながら上流に歩くが見えない。一カ所ビッコの鹿でも護岸を登れそうな場所があるのでそこから脱出したのだろうとほっとする。

夕方のダリ散歩。家の脇の橋を渡っていたら下で物音。覗いたら例の鹿がいる。 IMG_2355(変換後)
もう動く気配もない。悲しげにこちらを見る。

このままでは餓死するしかないが、もう夕方である。もう一晩様子を見ることにする。

今朝の散歩でミヨコさんに行き会う。「まだ鹿が橋の下にいるんだけど・・・」と二人で覗くが見えない。そのうち10mほど離れたやはり河川敷の藪がモゾモゾ動く。右前足だけではなく、後ろ足も痛めた様子でノソノソと藪を這いだして堰堤の上を対岸に渡り始めるが途中でスリップして2mほどの堰堤から転落する。ミヨコさんはもう見ていられないと顔を背ける。やっと対岸に渡った鹿は堰堤下の草むらに座り込んでしまった。役場で対処出来ないのなら、もう猟友会に頼むしかなさそうであるが、あの目をみてしまうとなかなか電話する勇気が出ない。

それでもこのままでは苦しませるだけである。猟師のマサルさんに電話する。事情を話すと「可哀相でもそりゃもう自然界では生きていけずに苦しませるだけだ。誰か行かせる」とのこと。暫くして幾年か前の正月元旦にマサルさんと一緒に鹿肉を届けてくれた(正月の鹿は足が沢山生えていてなぁ〜、と言って山ほどの肉を届けてくれた)ヤマシタさんともう一人の猟友会の人が来てくれる。鹿は猟友会のオレンジ色のチョッキを見て必死に逃げるが、川の中ほどで立ち止まったところでライフルで引導を渡される。成仏してくれ。

ワタクシも協力してロープを掛けた70Kgほどの鹿を3人で護岸の上まで引き上げ、猟友会の人のトラックに載せる。右前足も後ろ足も骨折している様子。蹄も長く伸びていて、もう随分前に前足を痛め歩けなくなったのだろうとのこと。「この鹿の肉はもう固く黒くなって食べられないので埋めてしまうが、猟期が始まったら新しい鹿肉を届けるので、それを食べてしっかり鹿達の供養をしてやって欲しい」と言われる。

ヤマシタさんは獣害駆除といっても目を合わすとためらうことがあるという。だけど県内には10万頭位はいて、そのほとんどが雌であることから、年間4〜5万頭駆除しなければ作物被害は増え続けると言われているが、とてもじゃないとのこと。

熊に関しては八ヶ岳に一体何頭位いるのかも分からず、檻を仕掛けて入るのは発信器を付けていない熊ばかりであり、熊棚の数からしても、罠に掛かった鹿を食い荒らしていることからも相当数いるのではないかとのこと。また八ヶ岳の熊は人に慣れておらず、今後人的被害の怖れがあるので気を付けて欲しいとのことであった。皆既月食の時の話をしたら、そりゃそれだけの音を立てたのなら子連れの熊でしょうとのこと。当分は暗くなってからの散歩はしない方がいいよとのことであった。

夕方散歩に出た森はすっかり木の葉も落ちて晩秋である。いよいよ鬱の季節である。IMG_2368(変換後)

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

鹿し困った?

朝のダリ散歩。老犬ダリが橋のたもとで吠える。橋の下に牡鹿がいる。IMG_2338(変換後)ダリに吠えられて上流へと逃げていくが、右前足がブラブラしている。骨折しているようだ。護岸は2.5mほどあり元気な鹿ならひとっ飛びであるが登れず、2mほどの堰堤も越えられずに河川敷にうずくまってしまう。

鹿害がひどい農村地帯である。カミサンと相談するが、役場に連絡すれば撃たれてしまうかもしれぬ。が、放って置いたら餓死するかもしれぬ。隣のムネヒコさんに相談するが、やっぱり役場に一応知らせるしかないだろうということになる。丁度、結婚を控えて茅野市にアパートを借りたムネヒコさんの長男で役場勤めのヒロユキくんが出勤前に帰ってくる。一緒に現場を見てもらうが、役場は道路上などで障害がある場合にしか出動しないことになっているとのこと。ムネヒコさんや奥さんのミヨコさんと相談して暫く様子をみることにする。鹿のあの目をみてしまうと、餌でも持っていってやりたいが、近づくと必死に逃げようとするのでそれも出来ない。さて困った。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

マヌケなお猿の篭や 再びか・・・?

昨夕、オリイさんが沢山の大根を届けてくれる。IMG_2319(変換後)オリイさんはもう80近い小柄なオバチャンであるが、カミサンが指導しているコーラス・グループでいつも元気いっぱいの方である。家庭菜園、といっても結構な広さの畑で採れた野菜や自家製の梅干し、味噌、紫蘇の実漬けをご主人運転の車で時々届けてくれる優しい人である。数日前にも沢山の白菜をいただき、漬けたばかりである。小梅の梅干しは子供の毎日の弁当の必需品であるし、紫蘇の実漬けは酒の肴に絶品、味噌はもうこの味に慣れ親しんでいて、オリイさんの味噌でないと物足りなくなっている。

ワタクシが彼女を知ったのはもう30数年前に手作りの家を建てた時である。とにかく金が無かったので、水道は本管から400mほどを自分で掘って、塩ビ管を何十本も継ぎ、本管との接続とメーターだけは業者に頼んだのだが、ガスはそうもいかない。そこで町に一軒だけあったガソリン・スタンドに頼んで、プロパンの調整器を借り、ボンベは家の中に置いて風呂釜と台所のレンジに直結して使っていた。本当はイケナイのであるが、昔の話しであるから数年間はボンベが空になったら自分の車で取りに行っていたものである。この時スタンドに勤めていたのがオリイさんであった。いつもニコニコした優しいオバチャンで「早くオヨメサンを見つけなさい」が口癖で、お茶時にはお菓子に呼ばれた。数年後、お金が貯まったのか風呂ボイラーや台所のレンジを入れ替えた時にガス配管して貰ったので、それからはオリイさんにはめったに行き会わなくなっていた。

それが10年ほど前、カミサンがコーラス指導を始めた時に、「オクズミさんって、烏帽子にいたオクズミさんの奥さん?」ということからカミサンもワタクシも可愛がって下さり、いつも美味しい物にありつけているのである。

で、頂いた沢山の大根であるが、昨年作って美味しかったので今年も沢庵を漬けることになったのである。カミサンも
年の経験から少しは人類としての進化することをワタクシは少し期待したのだが・・・IMG_2320(変換後)今年は毎夕の『マヌケなお猿の籠や』をせずに夜も干したままにするということで・・・どうなるやらであるが、1月が楽しみである。

 

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

ウンウン

ここ暫くデザインが描けずにウンウンいっていた。毎度のことではあるが、この時期はツライ。机に向かっていても描けるというものでもなく、では気分転換に別のことをやれば良いとは思うものの、そうもいかないのである。寒くなり薪も割らねばならないのだが、気が小さな?ワタクシにはその勇気もない。テレビを見る、音楽を聞く、本を読む、散歩する、飲むetcしていても頭のどこかでデザインが離れず、思い浮かんだデザインをちょこちょこっと描いては行き詰まる。アァ、時間がもったいないと思っても、毎度この時期を過ぎないと描けないのである。この時間が半分で済んだらワタクシにとって精神的にもずっと楽であろうし、我が家のケイザイももう少しは好転するのではと思うものの出来ないものは出来ないのである。困ったことである。

というようなことを書けるようになったということは、漸くデザインが見えてきて心に少しユトリができた証拠である。やれやれ長かった。IMG_2317(変換後)
IMG_2296(変換後)

IMG_2304(変換後)

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個