検査

本日午後は3ヶ月に一度の『アラレモナイ』検査日。何時もは火曜日なのだが、今月はどういうわけか月曜日である。やけに混んでいる。2時間ほど待たされる。前回とは違うまたまた若い看護師(婦)さん。う〜ん!ま、カンレキオヤジであるからもう恥ずかしくもないか。内視鏡が入っている時間がいつもより長く、また写真をパチパチといつもより多く撮っている気がする。ヤバイ、再発かなと嫌な想像をする。それにいつもだと終わってからドクトル・モチズキが「ハイ、綺麗でした」と言うのだが今日は何も言わない。暫く待合室で待って今度はドクトル・フルヤの診断。「ハイ、綺麗でした」にホッとする。
終わって病院のカフェ・テリアに寄るが閉店の17時を少し回っている。入院中は毎日、通院時にもたいていは寄るので顔を覚えているオバチャンが「お疲れ様、どうぞどうぞ、エスプレッソですね」と淹れてくれる。

帰り道、西山に日が沈む。あの山の向こう側に御嶽山がある。IMG_2062(変換後)エコーラインを暫く走ると御嶽山が見える場所があるはずである。案の定噴煙を上げる御嶽が一瞬見えるが、後続車が続いていたので写真は撮らずに通過する。
今日も救助作業は有毒ガスの発生によりあまり進まず。

夜、NHKの御嶽噴火関連の番組を見る。現在の日本の活火山数は110あるが、世界中の活火山の1割にあたるという。この小さな国に世界中の1割の活火山が集中しているとはちょっと驚く。ついでに言えば原発が54基。これは世界第3位である。地震に噴火、そして原発。『神の国』とは今や恐ろしい国となったものである。

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御嶽山噴火

今日の11時52分頃に御嶽山が噴火したことを昼のNEWSで知る。午後4時現在いまだ情報が錯綜しているようだが、多くの登山者が巻き込まれている様子である。20140927-OYT1I50008-L11421_01噴火前の火山噴火警報はレベル1の平常であるから登山者は全く無警戒だったと思われる。雲仙普賢岳のようなことが起きていなければよいのだが。恐ろしいことである。
今のところ我が家から見た空は青空で、西の空に幾分白い雲が広がっているだけで降灰は見られない。

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今度は東の都へ

一昨日から西の都に続いて東の都に上る。ゴーダ様邸へのステンドの取り付けであるが、2〜3日前の予報では『雨』となっており、ステンドの取り付けには湿気が入ってマズイかなと心配していたのが『晴れ』。朝6時半頃に出て途中1回の休憩で9時半頃にほぼ完成したゴーダ様邸に到着。ゴーダさんは中学・高校のバスケット部の先輩である。中学1年の途中からレギュラーとなり、1年先輩の彼等とチームを組み結構強かった。そうそう思い出した。当時のユニフォームだが、数年先輩にデザイナーの森英恵氏の息子さんがいて、やはりバスケットをやっていた関係からデザインをお願いし、何と出来てきたのがトップレスという斬新なものであった。ちょっと気恥ずかしく下にTシャツを着たりもした覚えがある。

さて取り付けであるが、用意されていた押さえ縁が木製ではなく樹脂であり、おまけに窓枠寸法にカットされていない。幸い樹脂も切れるピラニア鋸を持参していたので切るが、木と違って刃が流れるというか甚だ切りにくい。何とか1時間半ほどかけて内・外8本の押さえ縁を切り、ステンドを嵌め込む。IMG_2022(変換後)モチーフは奥様の大好きなハワイとハワイの代表的な花『プルメリア』である。最初は葉っぱも入れていたのだが、特徴的な花に較べて葉っぱはどうも面白くない。それにクチャクチャしたデザインはどうも性に合わない。もっとスッキリしたデザインにしたい。そこで『花』と『海』と『光』を表現しようと、海に浮かぶプルメリアを大胆に表現することにした。使いたかったブルーのガラスもやっと手に入り、この夏は試し焼きも含めて20数回窯で焼き付けをしたのだが、御夫婦とも喜んで下さり、ホッとする。
浜田山駅前で美味しいお蕎麦を御馳走になった後、吉祥寺のホテルに入る。ムスコのマンションには駐車場がないので、車の時には不便である。近くの駐車場に2日も駐めるとホテル代より高くなるのである。
先日の『オニノカクラン』以来体調がイマイチのムスコが疲れた顔でやってきたので、先ずホテルの風呂に入れる。その後ちょっと買い物に出たのであるが、休日の吉祥寺は人・人・人である。いい加減疲れてホテルに戻る。夕食を御馳走してやろうと思うが、もう知っている店もあまりない。オニノカクラン以来あまり食べていないが、今日はガッチリ食べたいというので、ホテルのバイキングに連れて行く。ワタクシが生ビールを飲んでいる間にロースト・ビーフに寿司に蕎麦にカニにカレーにと食べること、食べること。ま、もう大丈夫だろう。部屋に戻るも腹一杯で二人とも苦しく、暫く休む。

そうそう、ワタクシがまだ小学校の1〜2年の頃だったと思うが、当時サンフランシスコに住んでいたドイツ人で、オヤジの叔母にあたる太ったハンナ叔母さんが来日した。叔父は既に亡くなり、アメリカ人の大金持ちと再婚したとかの新婚旅行だった気がする。帝国ホテルが日本で初めてバイキングを始めたばかりで、一家で御馳走になったのだが、見たこともない料理が山盛り並んでいてびっくりしたし、隣のテーブルの馬鹿でかい赤ら顔の外国人がムシャムシャ食べる姿に圧倒され、何だか気持ち悪くなってしまった記憶がある。おまけに当時はバナナが超が付く高級品であった時代、ワタクシはバナナばかり食べてオヤジに叱られた記憶すらあるのである。

で一休み後、今度はムスコが少し飲みたいと言い出す。送りがてら駅の近くのチェーンの大衆飲み屋に入る。メニューの値段を見て笑ってしまう。とにかく安い。ま、味は当然それ相応であるが、学生やムスコなどにとっては有り難い店のようだ。ワタクシが学生の頃にはなかった。笑ったのは以前、同じチェーン店で大食い・大酒飲みのガール・フレンドに奢ったそうだが、その店で1万円も掛かって参ったとのこと。「う〜ん、この店で2人で1万飲むのは並大抵ではない」と言ったら「いや、二人というより彼女がその大半を・・・」とのことで吹きだした。「お前なぁ、女性の大酒飲みは男より強いぞ。キヲツケロヨ!」と教えてやる。駅で別れてから爆睡。

昨22日は朝からバイキング。昨夜の残り物のような朝バイキングが美味かろうはずがない。本当にどこのホテルの朝バイキングも美味くない。もう少し考えてよね、と言いたくなる。10時半にミドさんの改装中のマンションに行き、現場を見せてもらう。1㎡くらいのパーティションであるが、ちょっと心配していた光も採れそうで、これなら面白いものが作れそうである。お嬢さんのサミーさんも来てパスタを御馳走になる。

その後所用を済ませてホテルに戻ったら、今日は早く仕事を終えたムスコから電話。高円寺に行きいつもの銭湯に。西の都行きや東の都行きですっかり重くなった腰と、右肩に五十肩のいやな予感をジェット・バスで何回もマッサージ。ムスコはオニノカクランでまた痩せて53.5Kgとのこと。小学生の頃はプクプクだったのだが・・・困ったことである。さて風呂から上がれば生ビールという東の都の至福を味わうべく、いつものモツ焼き屋へ。折角の都で「何だかなぁ」とは思うが、田舎では味わえない好物なのであるから仕方ない。生ビールの次はこれも田舎ではあまりお目に掛かれないホッピーである。JAZZ業界の様々な面白話を聞きながらグビグビと飲むも、ムスコは「俺酔った。気持ちいい」とすっかり出来上がっている。やはりまだ本調子ではない様子。「さっさと寝ろ」といって別れる。ホテルに帰ったらまだ8時だったが、こちらも疲れている。文庫本を数ページ読んだら爆睡であった。

で、今朝は4時前に目覚めてしまう。ホテルの朝はつらい。西の都で早く目覚めた時にはいつも鴨川沿いを散歩するのだが、雑踏の残り香匂う商店街を越えて井の頭公園まで行く気にはならない。どうも上手い散歩コースがない。レストランの開く7時までミドさんのところのデザインを描きながら時間を潰し、シャワーを浴びて一番にレストランに下りる。相変わらずのバイキングにうんざりしながらコーヒーを飲み、7時半過ぎに車で多磨墓地を目指す。お彼岸であるから混むかと思ったが、8時過ぎの多磨墓地は割合空いていた。蚊に刺されてデング熱ではかなわぬと用意周到持っていた防虫スプレーをかけていたら、二人のご婦人が寄ってきて「あのぅ、大変恐縮ですが防虫スプレーをお借りできないでしょうか?今、お墓を掃除しようと思ったら蚊だらけで・・・」というので「半分も残っていませんがどうぞどうぞ」と差し上げる。両親の墓参りを済ませ、府中インターに向かうが渋滞。それでも高速は空いていて11時頃には帰りつく。

やっと西の都と東の都参りが終わる。

夕方、寒くてストーブをつける。

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西の都へ親娘旅

一昨日から2泊でムスメと西の都へ上る。ちょっとした用事と、将来工芸家を目指したいというムスメに刺激を与えるにはよい機会とガッコウを休ませて連れていく。ワタクシも30〜35の頃はバイクを飛ばしてよく西の都に上り、毎日毎日寺や博物館、美術館を見て刺激を受けたものである。
都への350km、ムスメとしゃべりながらでいつもより近く感じる。先ずムスメをいつも可愛がり気遣って下さるJAZZ SPOTの『YAMATOYA 』さんにお土産のキノコや朝、庭で採ったアケビを届けてからホテルに入る。鴨川べりの『ホテルフジタ』が無くなって以来、二条城向かいの『京都国際ホテル』をいつも使っていたのだが、ここも年末には閉じるとのことで予約が取れず、烏丸御池の『○○ホテル』に入る。シングルを2部屋予約しておいたのだが空いているのかツイン2部屋にしてくれる。

昨月曜日が旗日だったおかげで振り替えの火曜日、美術館やギャラリーも休み。ギャラリー田澤にご挨拶に寄るが、奥様は箱根の展示会に行っておられて会えず。故タザワさんの写真を拝ませていただく。息子さんが美味しいコーヒーを淹れてくれる。ブラブラ歩いて四条河原町に出る。ワタクシのお目当ては『Book Off』。学生の多い西の都の『Book Off』は田舎とは本の数が違う。小説10冊ほどと写真集を買う。その後熊野神社近くの『YAMATOYA 』さんへ行く途中、仏像屋で曼荼羅などを見る。
『YAMATOYA』のカウンターにはアケビが飾ってあり、奥様のトヨコさんが早速スケッチした素敵なパステル画を見せてくれる。ご主人のクマシロさんが懐石料理屋さんを予約して下さっているとのことで、車で連れて行って下さる。美味しい懐石料理を御馳走になりながらムスメの進路についてアドバイスをいただく。お店に戻ってから暫く飲む。現在ムスコが使っているサックスは元々ソニー・ロリンズが使っていたものということから、沢山のレコード(お店に置いてあるだけで5000枚)の中からソニー・ロリンズのレコードを何枚も出して聴かせて下さる。やはりCDで聴くのとは違う。いい気持ちに酔い、10時頃にはホテルに戻り爆睡する。

昨17日はホテルから鴨川べりに出て、七条の京都国立博物館までプラプラ歩いていく。IMG_1983(変換後)途中曼珠沙華が咲き誇っている。信州では見かけない花であるが、昔から大好きな花である。IMG_1986(変換後)

京都国立博物館はもう20数年ぶりであるし、新館『平成知新館』は13日にオープンしたばかりで「京へのいざない」として国宝や重文がズラリ・ずらりである。IMG_2011(変換後)途中、今朝から鬼の霍乱で39度以上の熱が出たムスコに関しての電話がカミサンから入る。デング熱かと驚くがフラフラしながら行った病院で違うと言われたとのことでホッとする。国宝・重文に圧倒され、ドッと疲れがでる。博物館や美術館をゆっくり見るにはそれなりの体力・気力が必要である。四条河原町で昼食後、ホテルに戻ってシャワーを浴び、今度は藍染め作家のシオコさんのアトリエを訪ねる。シオコさんのアトリエはワタクシの処とは大違いでいつも綺麗である。何故藍染めを目指したのか、そこまでの様々な経緯を話してくれる。IMG_2013(変換後)世界で活躍するシオコさんの話しを聞けてムスメには大いなる刺激となったことと思う。また磁器作家のお嬢さんのフクさんも二人のお子さんを連れて顔を見せに来てくれる。おまけに素敵な湯飲みをプレゼントして下さる。ムスメがまだ2〜3才の頃、フクさんに散々遊んで貰ったのであるが、二人のお子さんのオカーサンをやりながら次々に大きな賞を取っているのだから凄い。
夜はまたしてもシオコさんが予約しておいて下さった天神近くの懐石料理屋さんで御馳走となる。昨夜も今夜もおんぶに抱っこの至福の時間である。クマシロさん、シオコさんに感謝!
ムスメをホテルまで送ってからパンチョのカミサンの店にちょっと寄り、3杯ばかり飲んで、良い気持ちでホテルまで歩く。

今朝は9時前にホテルをチェックアウト。車で国立近代美術館に行く。丁度『ホイッスラー展』をやっていてこれも絶対見逃せない。IMG_2016(変換後)IMG_2020(変換後)如何に広重など日本美術からの影響を受けたかを上手く展示してあり、また朝一番だったので空いていてゆっくりと鑑賞出来る。ただ8月末の小学校登山以来、仕事も忙しく、きちんと治していなかった腰痛が出だし、時々ベンチで休みながらの鑑賞である。

昼頃までゆっくり見てから帰路につくが、運転中も腰がだるい。多賀で昼食を摂り、体操するが腰の怠さは相変わらずの上、今度は眠気まで出てくる。ムスメは助手席で気持ち良さそうにオネンネ。コーヒーを飲んだりガムを噛んだり、ケムリを強制吸入したりして16時半頃にやっと帰りつく。都の帰りはいつも遊び疲れ、大抵二日酔いだったりするのだが、初めてのムスメとの二人旅でいつも以上に疲れた。田舎育ちのムスメ、これからは時々西の都に上って『日本の本物』を見て、学び・刺激を受けてくれ。

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アケビの時期

朝から草刈。ちょっとサボると庭中ボーボーである。昼食をはさんで午後も草刈。

庭のアケビがもう開いていた。半分ほど採る。『菜食主義者?』のダリ驚喜する。
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シャワーを浴びてから仕事。夕方マツムシソウの周囲のカット終わる。後はルターで調整と絵付けとテープ巻き。IMG_1980(変換後)

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