発電所計画

夜、漁協の専務理事から電話。「今日、町長と産業課長に呼ばれて役場に行ったら、山梨県企業局が計画する釜無川発電所の計画案が町長から示された」とのこと。その数分後、組合長から同様な電話がある。山梨県企業局がこちらに話しを持ち込むなら分かるが、町長が先頭に立って我々に話しをするというのはそもそもおかしなことである。

不幸なことに釜無川は長野県と山梨県の県境の川である。そこで山梨側がちょっかいを出して来る。生まれた電気は当然東京電力に売ることとなり、長野側には恩恵はない。但し、漁業権は我々長野県側釜無川漁業協同組合にあるのである。

20年程前、山梨県企業局から同様な計画案が持ち込まれた。釜無川上流笹野堰堤(洞ヶ沢と釜無川本流の合流点辺り)に取水口を作り、本流の水をトンネルで10km程下流まで流し、そこに発電所を作って発電するという計画であった。これによって普段釣り人が最も入る10km区間の水が殆ど無くなる、川が干されるというものであった。当時ワタクシは漁協発電所反対委員会の委員長を任され、当時の組合長と組んで徹底的な反対運動をまる8年間やった。あらゆる発電所関係の本を読み、信大の生物の先生と連絡を取り、企業局の計画案の矛盾点を探しと、自分の仕事どころではなかった。
当時の町長はどちらかと言えば発電所賛成、町議会議長は砂利屋であり企業局側に付き、最後にはさる重電メーカーを介して議員に金がばらまかれたという噂も(真実だと思うが)出たり、漁協は条件闘争に切り替えたとのデマも流されたりした中で議会にも色々な動きがあった。議会で発電所を認めるかの採決がある前日夕方、地元紙に「何が何でも一面にこの発電所問題を載せ、漁協はあくまで反対闘争を貫く」と載せて欲しいと申し入れた。社会部部長との長い交渉の末、記事の差し替えに成功し、翌日一面にデカデカと『釜無川漁協は発電所計画に断固反対する』との大見出しが出て、結局町議会も反対に回ることになった。また企業局との交渉中、計画案の矛盾点を突いたところ、企業局役人の杜撰さが暴露される結果となり、交渉途中で企業局長が部下に対して怒鳴り出すという珍事もあり、この計画は無期限凍結となったのであった。

今回、富士見町町長殿は計画に諸手を挙げての賛成派。釜無川下流域沿いの人口減少の歯止めに、に少しでも金が入るなら高度の政治的判断をもって川を売っても構わぬと組合長・専務理事・筆頭理事のワタクシの前で公言した人物である。ワタクシは「自然を金に換えるなど、最低の政治的判断。漁協は絶対に認めない。町を二分する争いを再度したければそれだけの覚悟をしてくれ」と言い返した。
元N○C電気の取締役だかなんかだが、トップ・ダウンで企業を誘致すると言って当選、現在2期目である。とにかく鼻っ柱の強い人のようである。

原発問題を抱え、エネルギーをどのように作り出していくのかが問われていることに目を瞑る気はないが、自然を金に換えることをこれ以上続けて良いものなのだろうか?

町のHPには『ふるさとの水と空気を育む町作り』『水を育む環境を守ります』『森を豊に生態系も大切にします』とあり、確か富士見町の標語は『高原の文化都市』だったように記憶するのであるが・・・

 

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宝くじを買えって?

この町には有線放送なるものがある。朝6時半、昼12時15分、夜7時30分、夜9時に町からのお知らせや、区(村)、学校・消防・交番などからのお知らせが流れる。大体に於いてあまり有用な情報は流れないが、どこそこで工事をやるので通行止めだの、台風が来ているので下校を早めるだの、どこそこが火事だの、こんな風体のお年寄りが行方不明だの、誰それが亡くなったとか、ちょっと役立つ情報も流れる。

で、今日の昼の放送を聞いていて笑った。役場総務課企画統計係からのお知らせで「サマージャンボ宝くじを25日まで売っている。6億が当たるチャンスである。売り上げは各地方へ配分さるので皆さんこの機会に宝くじを買いましょう」と大凡以上のような放送であった。う〜ん、金の無い町であるから沢山売れて補助金が沢山入ればと思ってのことであろうが、やっぱり?・?・?である。おまけに町内では宝くじの販売所はなく、茅野か諏訪の町まで出なければ買えないのだが。

宝くじは公営ギャンブルとはいわないのかもしれないが、やっぱり賭け事に近い。とすると競馬・競輪・競艇だって公営である。そのうち町の有線放送で「菊花賞がいついつあります。馬券の売り上げは地方への補助金にもなります。皆さんいっぱい馬券を買いましょう」とでも放送するのかしら?

う〜ん、手っ取り早く自治体が金を得るなら、『酒・タバコをどんどんやって、宝くじを買って、競輪・競馬に競艇にどんどん行きましょう』ですな。

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阿弥陀岳南陵無名峰

今日は立沢区公民会主催の区民登山である。昨日は午後から結構な雷雨となったので心配したが、今朝はガスってはいるが降ってはいない。雷雨が予想されるので10時半を目途に登れる処までとする。05時半に改善センターに集合し、車に分乗して舟山十字路に行く。下は保育園年長5才から上は72才まで25名である。広河原沢橋先の南陵取り付き下で1本の後、尾根までの急登を登る。先頭のワタクシの直ぐ後ろは5才の女の子、不満も言わずに頑張って登って来る。尾根に出ても真っ直ぐな急登は続く。後ろの方に付いた公民館主事からトランシーバーで「そろそろ1本を!」と時々声が掛かるが「まだまだ!」と無視して登る。途中2本ほど休んで青ナギへ。皆、歓声を上げる。

IMG_1597(変換後)ここで1本。記念撮影を済ませてから無名峰への再びの急登。10時半、無名峰の100m程手前のピークに着く。ガスっていて何も見えない。ここで昼食とする。丁度弁当を食べ終わった頃から急にガスが上がり、南陵上部と阿弥陀岳頂上、中岳、赤岳、ツルネが見え始める。ヤレヤレ良かった、である。連休の混雑を考えて阿弥陀岳南陵無名峰と決めたのだが、景色が見えないとなるとただただキツイ山となってしまうが、一番の見所でガスが上がってくれたのである。皆、広河原沢奥壁や南陵上部、赤岳に歓声をあげる。IMG_1605(変換後)IMG_1635IMG_1637(変換後)IMG_1647(変換後)
11時半、下山開始。青ナギまで戻り1本を取り、そろそろ出発しようとしていたらバリバリと雷鳴が来る。改善センターの館長から下は雷雨との連絡も入る。急いで下山するもパラパラと来るがさほどではない。キツイ下りが続く。やはり後方のトランシーバーからは「そろそろ1本」と声が掛かるが、やはり無視。途中雨具を着けるも大した降りとはならない。下りのルートを何処にするか迷う。登りに使った取り付きの急登は、もし豪雨に遭えば滑りやすくて不安である。そこで旭小屋へのルートを下ることとする。ここは少しガレ場があるが土で滑るよりはマシと考えて下る。崩壊が進んでいるが旭小屋まで一気に下り、旭小屋下の立場川との合流点で大休止。後はノンビリ林道を下り、14時40分頃には舟山十字路の車に帰りつく。その後は改善センターにて打ち上げの飲み会となる。林道に下りてから我慢して水も飲まずに待った甲斐がありビールが旨い。子供達はサッサと食べるだけ食べたら鬼ごっこを始める。子供も強いが、立沢の大人も強いものである。72才のナカザワさんは最後に挨拶に立って「毎年この登山が楽しみで、5月になると毎日40分のウォーキングを始めてこの登山に備えている。来年が楽しみ」と言っている。この区民登山では横岳を除いて八ヶ岳は全て登っている。混雑や人数、子供から大人までを対象に考えると、さて来年は一体何処に行けばよいのやら。

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登山説明会

昨夜は地元小学校の学校登山に関してのPTA説明会。5・6年生の親に登る山の概要や装備、食料等を実物を見せつつ説明する。40名程の父兄の内、男親は4〜5名、後は母親である。昔は人前で話すのは得意な方であったが、田舎生活が長くなると共に、或いは歳を取ると共に苦手となる。
熱心にこちらを見てメモを取る親、質問する親、反対にガムをクチャクチャ噛みながらの親、スマホに夢中な親と様々である。疲れる。

本日は原村のクラフト・フェアーにムスメとカミサンで行く。陶芸・ガラス・木工・皮細工等のブースが大凡100ブース程も出展していただろうか。駐車場も満杯である。ワタクシはこういったクラフト・フェアーには全く興味がない。将来工芸をやりたいというムスメの参考にと思って連れていったのだが、殆ど見るべき物もない。ムスメも一巡しただけで「もう帰ろう」と言う。

明日は村民登山で阿弥陀岳南陵の無名峰あたりまで20数名を連れての登山である。晴れてくれれば良いのだが。

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形見の梅酒

昨日の朝の話し。ふと仕事机の前に貼ってある紙を見る。オフクロとオヤジの没日を記した紙である。直ぐに忘れるので貼っておいたものだ。オフクロは1994年に亡くなったので、今年で20年である。そうか、もう20年か、などと考える。

暫くしたらカミサンがコップを持って「これ梅酒?梅ジュース?」と聞きに来る。水で割ってあったので一口飲んでもよく分からない。ピアノのレッスンに来る年輩の女性にお出ししようと思ったらしい。昼前、ピアノレッスンが終わってから、カミサンがまたアトリエに入って来る。「あれは梅酒だった。ちょっと飲んだらドキドキして。お出ししなくて良かった」とのこと。「そう言えば今見たら食品庫にまだ色々ある」とのこと。で、カミサンが埃だらけの瓶を5〜6本引っ張り出す。瓶の蓋に「『梅酒 平成元 6.17』と書いてある字はお母さんの字じゃない?」と言う。タイミングの良いことである。IMG_1580(変換後)IMG_1581(変換後)確かオヤジが東京の家を引き払ってこちらに来る時に沢山持って来て、既に何本かは飲んだ記憶があるがまだ残っていたようだ。琥珀色になっている。ちょっと試飲。とろ〜りとまろやかである。平成元年だとすると25年の古酒である。これは良い物を見つけた。他にもオフクロや義母から貰った平成3年の物などもある。当分楽しめそうだが、梅酒はカロリーが高そうなので要注意である。

午後、久しぶりにコマイ母娘さんがいらっしゃる。上の方に買った土地の伐採の様子を見に来た由。相変わらず沢山の宿題を背負って忙しそうである。

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