猛暑に地震に雷雨

今朝も朝から暑い。子供達を送ってから仕事をしていたら、8時16分に松本を中心として震度5強の地震。ドンと突き上げるような揺れがきた。その5分後にも今度はユラユラという揺れがきた。ここら辺では震度1〜2のようだがもっと揺れたように感じた。松本市内ではガラスが割れたり塀が倒れたり瓦が落ちた。11人が怪我したようだ。電車は中央線を始めとして在来線が午前中運休となった。東京の友人が心配して次々と電話をくれるが震度1〜2だと言うと拍子抜けした様子。こちらから猛暑のお見舞いを述べる。
13時頃、今度はいきなりゴロゴロと雷が鳴ったと思ったらいきなりバケツをひっくり返したように降り出す。20分くらいもの凄い勢いで降ったかと思ったら急に止む。まるでスコールである。熱帯だか亜熱帯のようだ。猛暑に地震に雷雨、この夏が思いやられる。

夕方、ダリ散歩に出る。両側を林に囲まれた散歩道に入ると冷やっとする。

山椒の実は忙しさに採る時期を逸して実が入り過ぎてしまった。佃煮は諦めて秋まで採らずにおいて、実が赤くなった頃に採って粉山椒を作ることにしよう。

20時過ぎに息子から「2時間遅れで動いた電車に乗ったが茅野駅で止まったままで、何時動くか駅員も分からないと言っている」との連絡。茅野駅まで迎えに行く。終日ダイヤが乱れているようだ。しとしと降っていて気温も漸く20℃になり涼しい。

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与太話し

朝からかんかん照りで暑い。ならば大汗をかいて体中の毒素を出してやろうと庭の草刈を始める。今月は村の公民館の土手、漁協の釣り堀の周り(地元漁業協同組合の理事をやっている)、村の財産区、ダリの散歩道の草刈と転戦してきたが、庭はもう1ヶ月も放っていたので正に草ぼーぼーである。3時間の激闘で河原を除いてほぼ刈り上げるが、数年前から河原から我が家の庭にまで侵出しだしたアレチウリという棘のあるつる草は草刈機に絡みつくばかりで手に負えない。手で抜くしかないようだ。そんな激闘をやっていたら青大将を見つけた。奴も暑さで参っているようだ。この辺では青大将とシマヘビとヤマカガシがいるが、マムシは見ない。カメラを取りに家に入っている間にいなくなった。

ヘビで思い出した与太話がある。 学生の頃、夏の虹芝寮(谷川岳にある山岳部管理の山小屋)の裏でマムシとちょくちょく遭遇するようになった。噛まれてはかなわないので、登山口近くにあった「谷川山荘」というラーメン程度しか出さない食堂の親爺を訪ねて「小屋の裏のマムシを捕ってくれないか」と頼んだ。この親爺、ちょっと怖い顔をした小男だったが、「小屋の近くで捕っても良いのかい」と嬉しそうな顔で言う。小屋の周りのヘビは普通はネズミ除けになるから捕らないのだが、マムシは困る。翌日、麻袋と二股になった杖を持った親父が1時間の山道を登って来た。小屋の裏のガレ場に案内すると「こりゃあいい臭いだ」とニヤッと笑いながら、10匹ほどのマムシを1時間足らずで捕まえて、「帰りに寄りな」と麻袋を担いで下って行った。それから数日して山を下って「谷川山荘」に寄ると、親爺が食堂続きの居間に上げてくれた。上がってぎょっとしたのは、6畳ほどの部屋の三方に数十本のマムシ酒の一升瓶がずらっと並んでいたことだ。一方の瓶は完成したマムシ酒、もう一方は酒が入った瓶の中でまだ生きているマムシ、そして最後は先日捕まえたマムシの糞を出させる為に水が入った一升瓶の中でうごめくマムシ。「ビールでも飲めや」とマムシに囲まれた部屋で聞く親爺のマムシの話で寒くなった。食堂と居間と二間しかない家のどこで寝るのか聞くと、「ここさ。だから母ちゃんに逃げられた」と笑っている。土産に1本持って行けと言ってくれたが深く深くご辞退申し上げてそそくさと土合駅に向かった。

この話には後日談があって、その年の秋だか銀座の三越前の歩道で人だかりがしていたので覗き込むと、菅笠を被って蓑を肩から掛け、キセルを咥えた男がガードレールに寄りかかってうつむいて座っている。その前にマムシ酒が入った一升瓶が10本ほど並んでいて、横の段ボールには『マムシ酒 1万円』と汚い字で書いてある。どうも見覚えがある。それにしても菅笠と蓑とは可笑しい。「こんちは」と声を掛けると最初戸惑っていたが、ニヤッと笑うと「オメー、やけにすかしているじゃないか」と言う。「親爺さんこそ」と言うと、またニヤッと笑って小声で「華の銀座の商売道具」と笑う。「売れる?」と聞くと素っ気なく「売れね」と笑う。人だかりに見つめられながら暫く話し込み別れた。その後、卒業して谷川岳から足が遠のいたのか、或いは「谷川山荘」を廃業したのかあの親爺とは会った記憶がない。もう廃屋となった「谷川山荘」を見た記憶だけがある。

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最後の磨き

南青山のBarのステンド2枚の取り付け日が決まる。
東京に25歳までいたが、もう田舎の生活の方がずっと長く 、車ひしめく都心まで行くのかと考えるだけで本当は気が重い。しかもあのあたりは汗かかずの進化人の本拠地だ。用心しなければ。

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作品を仮のイーゼルに立て掛けて最後の磨きをかける。今の季節、我が家では何処に立て掛けても周りが緑一色なので作品も緑に染まる。
それにしてもピンボケ写真である。どうもカメラが好きになれない。亡くなった親父がカメラ好きだった反動である。

 

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事故

昨日、カミサンが田舎のベンツことジムニーで走っていて、農協の集荷場から出てきた軽トラに横っ腹に突っ込まれた。軽トラは近所の知り合いのお爺さんが運転していたのだが、幸い両者とも今のところ鞭打ちもないようだ。ベンツは運転席側のドアと前後のフェンダーが凹み、フォイールにも傷がついていた。走らせるとキュルキュルと鳴るが何とか自走できる。軽トラはバンパーが凹み、ドアの開閉がしぶくなったようだ。このベンツ、2〜3年ほど前に右折しようと止まっている時にも派手にオカマを掘られ、カミサンは酷い鞭打ちになり半年以上の通院治療、ベンツも随分と入院した。
人身事故ではないので派出所で事故証明書の手続き後、先方の保険屋が「後はお宅さんの保険屋と話し合うので」と言いつつ、「お宅さんにも法的には責任が云々」と始まる。先方が「いや、俺がうっかりして反対方向の車だけに気を取られて飛び出した云々」と言い出すと慌てて遮る。夜になって先方の保険屋から電話があり「本当は9−1だけど先方が 自分が全面的に悪いのでと言うので10−0にします」と言ってくる。どうもおかしい。案の定、その後に菓子折を持って訪ねて下さった先方は、こちらの保険を使って自分の車を直せることを知らなかった。どうも車の任意保険というのは信じられぬ。カミサンの鞭打ちの時には自車の搭乗者保険に関してシカトしようとしたり、先方の保険屋はまだカミサンが通院中なのに「そろそろ示談を」と言ってきたり。こうなったら何が何でも9−1にしなければ気が済まぬ。それにしても「お宅さん」とか「お宅」という呼び方は便利なのかもしれないが、こういう呼び方をする人は個人的に好きになれない。

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京都

色々と忙しいのだが20日から2泊で京都に行ってきた。本当は高速料金1000円が終わる19日に行きたかったが、事情があって20日となってしまった。京都までは大体350km。独身の頃はバイクや車で年中行っていたが、最近は年1〜2回しか行けなくなった。途中ちょっと降ったが京都に着いたら止んでいた。
ホテルに入って一休みしていたら、藍染め作家のシオコさんが以前からの約束の10年物のマディラ酒を届けてくれた。ありがとうございました。一緒に『ギャルリー田澤 木屋町店』を訪ねる。ご主人のタザワさんは古い洋燈の収集では日本一のコレクターであると同時にラリックなどを日本に初めて紹介した人である。24年前に私の作品を見るなり初個展を企画してくれた恩人でもある。だからやはりタザワさんの方にはちゃんと頭を向けて寝ている。お店でシャンパンを御馳走になりながらお互いの近況報告。「来年でも個展開いたら」と言って下さる。

その後、近くのBar K6で美味しく、楽しい一時を過ごす。いつまでもお元気でいて下さい。
タザワご夫婦と分かれてからシオコさんと幕末・文久から続く都の花屋『花政』のシュウサクさん経営のバーに寄る。
シオコさんは、N・Yの近代美術館を始めとする世界中の美術館が彼女の作品を買い上げる素敵な女性。「もっと仕事をせなあかん」とハッパをかけられる。シオコさんと分かれて市役所から二条城前のホテルまでプラプラと、たまの都の夜景を楽しみながら歩いて帰る。京都も暑さに強い進化人の住む街だが、今日は思ったより涼しかった。

昨21日はさすが進化人の街、朝からムシ暑い。タザワさんに何か考えてよと言われていた『ギャルリー田澤 河原町店』の丸窓を見にプラプラと歩いて行くが、汗びっしょり。お嬢さんのヨシコさんに麦茶を御馳走になって一息つく。今は建て替えたのだが、このお店で初個展を開いた思い出の場所である。
個展の オープニング・パーティーには東京から樹木希林さんが駆け付けて下さり(彼女の家の照明器具は全て作らせていただいた)、またタザワさんの広い広い交友関係から沢山のお客さん、私の友人も東京から沢山集まって下くれた。その時に買い上げて下さった照明オブジェも飾ってあった。
2階の丸窓の写真や採寸を済ませてから、プラプラと河原町通りを出町柳まで歩き用を済ます。暑い。出町柳に着く頃には頭がボーッとしていた。それからカミサンに頼まれた百万遍近くの『阿闍梨餅』を買いに行き、さすがに帰りはタクシーでホテルに戻る。シャワーを浴びてから四条烏丸のジュンク堂に本を見に行く。田舎に住んでいて困るのは大きな本屋がないことだ。必ず買う本ならamazonで買えるが、立ち読みしてからと思う本は困る。でもって都会に出ると大きな本屋に必ず寄る。だが暑さで頭がパーになっていてゆっくり本を眺める気力はなく、同い年の平井玄の「愛と憎しみの新宿」を見つけて買ったのみであった。またプラプラと歩いて上木屋町のおばんざいの店『酣』(たけなわと読む)に寄る。この店は近所の建築家ハシさんの友人であるパンチョのカミサンのミキがやっている隠れ家みたいなお店。歩いて来る途中、暑さに、パンチョがやっているメキシコ料理店『ビクーニャ』に挨拶もせずに通り過ぎていた。ミキさん相手におばんざいで生ビールと焼酎のロックを飲んでから、京都の夜の締めはやはり『YAMATOYA』に寄らねば。
『YAMATOYA』は今年創業41年を迎えた伝説のJAZZ BARである。「JAZZも好きだが、JAZZ BARが好きなんだ」とおっしゃるマスターのクマシロさんは陶芸家でもあり、毎年東京で個展を続けている。山奥の花脊の工房から冬でも通って来る。カウンター席でJAZZを聴きながら、いつも穏やかなクマシロさんと話しながら飲む酒は何とも美味いのだ。さすが京都なのである。
「そうそう、これ息子さんにプレゼント。店ではやっぱりレコードだし、これちょっと変わった新しいことやっている連中のサックスだよ」と言って10数枚のCDを探し出してくれる。以前iPodがまだ無い頃「ドライブ中に聴くCDを忘れて音楽なしで来た」と言ったら「帰り用です」と言って沢山のJAZZのCDを頂いたことがあった。いつも本当にありがとうございます。いずれ息子と行きたいJAZZ BARである。楽しい話を沢山して、バーボンを沢山飲んで、いい気持ちで0時頃にホテルに戻ったら急に酔いが廻り倒れ込むように眠る。

いつもは何処のホテルに泊まろうが、どんな大酒を飲もうが朝5時には必ず目覚めるのだが、今朝は気付いたらもう8時だった。おまけに二日酔いで気分も悪い。未進化人には都の刺激が強すぎたようだ。慌てて熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴び、コーヒーを飲んでやっとシャンとしてホテルを出る。今日も朝から暑いが、この3日間全く雨に当たらずに済んだ。やはり日頃の行いが良いからなのだ。クーラーを効かせて八ヶ岳を目指して走る。
諏訪ICの近くで八ヶ岳が見えてくるとホッとしてクーラーを切る。梅雨に入ってから八ヶ岳がほとんど見えなかったが今日は綺麗に見える。家の近くで車を停めて暫し眺める。
ヤレヤレ疲れたが楽しい京都であった。明日からはほとんど完成しているステンド2枚の磨きと梱包。今月中には東の進化人の都に納めねばならない。

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