カミサン退院

一昨日は朝からカワダさん宅にて干し柿作り。庭師?のクワモトさんやカワダさんの山友達夫婦も来る。
干し柿作りは1時間ほどで終わり、カワダさんの手打ちそばをご馳走になる。
干し柿20数個をもらい、14時には帰り仕事。
夕方、ヒデが長ネギの束を届けてくれる。

昨日はカミサンの退院。その前に親方の所に寄り、佐久の白菜と大根をもらう。この時期、長ネギや白菜、大根などをあちこちから頂くがアリガタイことである。
病院に10頃に行き、カミサン退院。
白内障の手術、片目で二人部屋代や食費(大部屋希望であったが満員との事で二人部屋に変更。一晩だけオバーサンがいたが、ボケ?もあって他の部屋に移ったとの事。最初の晩だけ同室であったが、嫁の悪口から始まって彼女の一生?を全て聞かされたとの事。あと2泊は二人部屋に一人でゆっくりしたとの事)を含めて4万数千円。安い!
目は片目だけ手術したのでガチャ目で見難いが、手術した方の目は近視も無くなりよく見えるとの事。但しまだ手術後で安定していないので、スマホの文字を見るのは辛いとのこと。ワタクシの百均老眼鏡をかけるとよく見える由。

そんなによく見えるようになるならワタクシもメガネがいらなくなる白内障の手術を早く受けたいものだが、ワタクシはまだ白内障にはなっていないらしい。

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冬到来

いよいよ寒くなった。アトリエではストーブを焚き続けなければならないし、リビングでもファンヒーターではなく薪ストーブを焚いている。
阿弥陀も赤岳も冠雪して白い。

昨日からカミサンは白内障の手術で入院。町の病院で受けているのだが、この病院では日帰りどころではなく、白内障手術は3泊4日と決まっている。これはなかなか良いという意見が多いようである。日帰り手術を受けても翌日は通院しなければならなかったり、目薬を1日に何度もささねばならない事を考えると、入院していれば看護師さんがやってくれる。それにそもそも術後何日かは車の運転をしてはいけないとの事で、車でしか移動出来ない田舎町ではなかなか便利な入院である。出産以外入院したことのないカミサン、3食昼寝付きで楽しみにしている様子。

昨日はワタクシが送って、午後イチでカミサン入院。帰りにスーパーで弁当を買って帰り、すぐに仕事。ランプシェードの半田付けである。台形144ピースを使った立体の半田付けは面倒臭いし、塩化亜鉛系フラックスを大量に使うので体に悪いし手がベタベタになる。(平面の場合はそんなにフラックスを使わないで済むので楽なのだが)従って仕事後に料理を作するのが億劫になる。
夕方、今日の仕事を終え、アルコールで指先を拭き、それからクリームクレンザーのジフと爪ブラシなどでゴシゴシ洗う。顔や髪もベタベタするがこれは後で風呂に入って洗うしかない。酒を飲みながら、カミサンが作っておいてくれた肉じゃがと弁当で夕食とする。

夜、LINEでカミサンから「隣が話好き・・・嫁さんの悪口たんーと」。だから個室にしろといったのだが・・・

今朝は5時半に起きて先ずはゴミ出し。マイナス3℃。車のフロントガラスは凍っている。阿弥陀も赤岳も白くなっている。
朝食はカミサンのいない時の定番のハムとチーズとレタスのホットサンド。それから風呂を磨いてアトリエに。まだまだ続く半田付け。

10時半頃にカミサンから「無事手術終わりました」のLINE。

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秋だけど

紅葉の秋だけど結構暖かい。
各地では夏日とか?

そろそろ歩かねばと思うのだけど、イマイチ気が重い。それに今は熊が怖いし・・・

今年はあちこちで熊の被害が出ている。サイワイ近所では目撃情報を聞かないが、町の有線放送では年中熊に注意するよう放送している。
過去、ワタクシは近所で数回熊を見ている。この写真は我が家から直線距離で300〜400mの町道であるがここでワタクシは2回目撃している。Google航空写真で見ると八ヶ岳から派生する尾根の末端であり、この尾根は何本かの舗装道路が横切っているが、この写真の道路右側には栗の木があり、それを食べに現れていると思われる。
我家からなるべく人家の少ない場所に散歩に出るとすると、この道を通り八ヶ岳を望む上の広大な畑の方向に行くか、反対方向の立場川脇の「ダリ散歩道」を行くしかない。「ダリ散歩道」は立場川沿いの森の中であり、クルミや栗の木も多く、かつてカミサンがダリ散歩中に異様な獣臭を感じて慌てて帰って来たことがある。

何となく散歩しづらい季節でもある。

ムスコは一昨日から中国に行っている。ロック・バンドの深圳・広州・上海でのライブのサポートとして2月の台湾に続いての演奏旅行だそうである。
一昨日には福島で3回目の処理水だか汚染水の放出が行われ始めた、よりに寄っての時期である。時期が時期だけに注意するように伝えてはあるが・・・
ムスコからのLINEでは美味そうな中国料理や路上ミュージッシャンの二胡の演奏動画が送られてきたが、笑ったのは路上ミュージッシャンへの投げ銭も電子決済だとのこと。恐るべし中国の電子決済化である。

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診察

昨日は整形外科での診察日。チタンプレートやボルトを抜釘した後を縫ってある傷口の確認(今は縫わずにホッチキス止めだが)。傷口に貼ってあったビニールシート状のシートを剥がして消毒。もうシートも貼らなくてよいとのこと。「今日はシャワーできれいに洗って下さい。」「抜糸は金曜日にしましょう」「ただまだあまり歩かずにいて下さい」。

終わってカミサンと買い物に行き、スーパーやお菓子屋や昼食に回るが、さすがに足が怠くなる。

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高位脛骨骨切り術 2

10月19日に抜釘手術を終え、21日に退院して今日は23日。抜釘後の縫合箇所の痛みはだいぶ引いてきた。術後は膝を曲げれば縫合箇所が引きつれて若干の痛みはあったが、それも一昨日・昨日に比べれば随分と軽くなった。抜糸すればもっと楽になるだろう。

さて高位脛骨骨切り術の続きであるが、12ヶ月目のレントゲンで「だいぶ骨もついてきているので抜釘も可能ですが、できればあと3ヶ月待っつ事をお勧めする」との事であったので待つことにする。
そして15ヶ月目、10月10日の診察で「そろそろ抜釘手術をやりましょうか」とのことで手術日の日程を打ち合わせるが、お互いの日程がうまく合わない。主治医から「急ですが来週19日は如何ですか?」と聞かれる。「19日朝入院して当日に手術。21日に退院可能です」とのことでお願いする。それからはちょっと慌ただしかった。12日にはコロナの7回目の接種が決まっていて、「1週間以内にワクチン接種をした場合は手術NG」との規定があるらしいが何とかOKをもらう。12日は近所のクリニックでワクチン接種後に病院の麻酔医との面談。昨年もこの膝の全身麻酔手術を受けていて特に問題もなかったのですんなり通る。
19日朝入院し、14時近くに手術室へ。麻酔点滴と同時にマスクをして暫くしてすっかり意識なく、16時半頃には病室に戻った。(この辺りの事は入院中のブログに書いてある)。無事に抜釘手術を終え、2泊3日で退院できた。      膝下に入っていたチタンプレートとボルト

さて1年3ヶ月ぶりに膝から金物も抜け、あとは傷と骨の再生を待つだけの身(現段階では抜釘手術直後であるから脛骨には10本ものボルト穴が開いているわけで、完治とはこの穴が骨の再生によって塞がれた時であるからまだ数ヶ月先である)となって高位脛骨骨切り術を振り返ってみての感想である。

端的に言ってこの「高位脛骨骨切り術」は若い人には向いているが、ワタクシ達老人にとっては???である。まだ自分は若いと思って受けたのであるが・・・この手術の適合年齢はは70歳程度までとなっていて、ワタクシが手術を受けたのは丁度70歳であったが、やはり回復時間がかかり過ぎると思う。では何故この手術を受けたかと言うと、「治ればどんな過酷スポーツでも可能」と言う一言に魅力を感じたのである。また体内に異物を入れると言うのにも抵抗があったのである。
ワタクシの趣味と言えば登山や山スキー(いわゆるバックカントリー・スキー)であるが、もう一つの手術法である「人工関節」は「スキーは不可」「正座不可」となっているからである。人工関節の場合は膝関節が金属関節となり、その関節の上下に出ているパイプ状の金属を膝上と膝下でカットした骨にセメント接着剤で固定しているのでひねりには弱い。スキーなどで大転倒して膝に過度の捻る力が掛かった場合、その接着部分の骨が壊れて厄介なことになるからスキー不可となっているようである。但し回復は「高位脛骨骨切り」よりずっと早く、術後3〜4週間の入院・リハビリはそう違わないのであるが、術後3ヶ月もすればある程度の登山も可能である。またワタクシの山の友人や先輩はこの「人工関節」でかなりの登山や山スキーもこなしている。

それでだいぶ迷ったのであるが、ワタクシには妙な肉体信仰があるのである。
21歳の時に谷川岳で岩登りをしていてオーバーハングした岩から空中を20m近く転落して第二頚椎の骨折を負った事がある。この時は主治医に「今、次の瞬間に半身麻痺の可能性も十分あるが、手術した場合、手術による後遺症が起こる可能性がかなりある」と言われ、「それなら手術は結構です。もし手術して後遺症が出た場合、手術した事を後悔するでしょうが、しないで後遺症が出た場合は自己の責任で登って起こした事ですから引き受けます」と自分の頚椎骨折からの再生を信じられたのである。そんなこともあり、自分の膝をチタン製の金属膝関節に置き換えるには抵抗があり、骨切りも手術とはいえ「金属製の人工関節」というのには抵抗があったのである。

で、1年3ヶ月を終え、まだ膝のボルト穴が埋まるには数ヶ月を要する今となっては若干考えも変わって来た。
現在71歳、あと10年生きるとしての1年3ヶ月はあまりに長いのである。
今回は酷かった左膝を手術したが、右膝も半月板は擦り減ってほぼ無くなっている。山登りなどを続ければいずれ近い時期に右膝も手術せねばならなくなると思われるのだが、ではどちらの術式を選ぶかと言われれば、次回は「人工関節」を選ぼうと思うのである。「正座は不可」に関しては正座なんぞしないので問題ないし「スキー不可」に関しては、「それなりの滑り方」で対応するしかないと思うようになった。それよりは残り少ない人生の1年数ヶ月が勿体無いと考えるようになったし、あちこち不調箇所が出てきて「もう若くはない」と悟った次第である。高位脛骨骨切りを行うのならやはり50代までだと思った。
タバコに関しては非喫煙者の方が若干?回復が早いのかもしれないが、この手術を受けた人達のブログを読むと1年3ヶ月というのは遅い方でもないようである(喫煙者かは分からぬが)。20代などの若い人なら1年、あるいは10ヶ月ほどで抜釘手術を受けた人もいるようだが、ワタクシより若い人でも1年3ヶ月かそれ以上の人も結構いて、1年3ヶ月というのは標準的なのかと思う。
ま、医者というのは何でもタバコのせいにする時代であるし・・・

最後に手術費用であるが、ワタクシの場合は個室に入ったが、国保の高額医療費減免認定と医療保険で個室代を含めて十分に賄えた。田舎の病院の個室は都会とは違って安いので助かった。但し2回目の手術である抜釘手術費に関しては医療保険ではカバーされておらず、高額医療費減免認定しか使えなったのは誤算であったが・・・

以上。

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