高位脛骨骨切り術 2

10月19日に抜釘手術を終え、21日に退院して今日は23日。抜釘後の縫合箇所の痛みはだいぶ引いてきた。術後は膝を曲げれば縫合箇所が引きつれて若干の痛みはあったが、それも一昨日・昨日に比べれば随分と軽くなった。抜糸すればもっと楽になるだろう。

さて高位脛骨骨切り術の続きであるが、12ヶ月目のレントゲンで「だいぶ骨もついてきているので抜釘も可能ですが、できればあと3ヶ月待っつ事をお勧めする」との事であったので待つことにする。
そして15ヶ月目、10月10日の診察で「そろそろ抜釘手術をやりましょうか」とのことで手術日の日程を打ち合わせるが、お互いの日程がうまく合わない。主治医から「急ですが来週19日は如何ですか?」と聞かれる。「19日朝入院して当日に手術。21日に退院可能です」とのことでお願いする。それからはちょっと慌ただしかった。12日にはコロナの7回目の接種が決まっていて、「1週間以内にワクチン接種をした場合は手術NG」との規定があるらしいが何とかOKをもらう。12日は近所のクリニックでワクチン接種後に病院の麻酔医との面談。昨年もこの膝の全身麻酔手術を受けていて特に問題もなかったのですんなり通る。
19日朝入院し、14時近くに手術室へ。麻酔点滴と同時にマスクをして暫くしてすっかり意識なく、16時半頃には病室に戻った。(この辺りの事は入院中のブログに書いてある)。無事に抜釘手術を終え、2泊3日で退院できた。      膝下に入っていたチタンプレートとボルト

さて1年3ヶ月ぶりに膝から金物も抜け、あとは傷と骨の再生を待つだけの身(現段階では抜釘手術直後であるから脛骨には10本ものボルト穴が開いているわけで、完治とはこの穴が骨の再生によって塞がれた時であるからまだ数ヶ月先である)となって高位脛骨骨切り術を振り返ってみての感想である。

端的に言ってこの「高位脛骨骨切り術」は若い人には向いているが、ワタクシ達老人にとっては???である。まだ自分は若いと思って受けたのであるが・・・この手術の適合年齢はは70歳程度までとなっていて、ワタクシが手術を受けたのは丁度70歳であったが、やはり回復時間がかかり過ぎると思う。では何故この手術を受けたかと言うと、「治ればどんな過酷スポーツでも可能」と言う一言に魅力を感じたのである。また体内に異物を入れると言うのにも抵抗があったのである。
ワタクシの趣味と言えば登山や山スキー(いわゆるバックカントリー・スキー)であるが、もう一つの手術法である「人工関節」は「スキーは不可」「正座不可」となっているからである。人工関節の場合は膝関節が金属関節となり、その関節の上下に出ているパイプ状の金属を膝上と膝下でカットした骨にセメント接着剤で固定しているのでひねりには弱い。スキーなどで大転倒して膝に過度の捻る力が掛かった場合、その接着部分の骨が壊れて厄介なことになるからスキー不可となっているようである。但し回復は「高位脛骨骨切り」よりずっと早く、術後3〜4週間の入院・リハビリはそう違わないのであるが、術後3ヶ月もすればある程度の登山も可能である。またワタクシの山の友人や先輩はこの「人工関節」でかなりの登山や山スキーもこなしている。

それでだいぶ迷ったのであるが、ワタクシには妙な肉体信仰があるのである。
21歳の時に谷川岳で岩登りをしていてオーバーハングした岩から空中を20m近く転落して第二頚椎の骨折を負った事がある。この時は主治医に「今、次の瞬間に半身麻痺の可能性も十分あるが、手術した場合、手術による後遺症が起こる可能性がかなりある」と言われ、「それなら手術は結構です。もし手術して後遺症が出た場合、手術した事を後悔するでしょうが、しないで後遺症が出た場合は自己の責任で登って起こした事ですから引き受けます」と自分の頚椎骨折からの再生を信じられたのである。そんなこともあり、自分の膝をチタン製の金属膝関節に置き換えるには抵抗があり、骨切りも手術とはいえ「金属製の人工関節」というのには抵抗があったのである。

で、1年3ヶ月を終え、まだ膝のボルト穴が埋まるには数ヶ月を要する今となっては若干考えも変わって来た。
現在71歳、あと10年生きるとしての1年3ヶ月はあまりに長いのである。
今回は酷かった左膝を手術したが、右膝も半月板は擦り減ってほぼ無くなっている。山登りなどを続ければいずれ近い時期に右膝も手術せねばならなくなると思われるのだが、ではどちらの術式を選ぶかと言われれば、次回は「人工関節」を選ぼうと思うのである。「正座は不可」に関しては正座なんぞしないので問題ないし「スキー不可」に関しては、「それなりの滑り方」で対応するしかないと思うようになった。それよりは残り少ない人生の1年数ヶ月が勿体無いと考えるようになったし、あちこち不調箇所が出てきて「もう若くはない」と悟った次第である。高位脛骨骨切りを行うのならやはり50代までだと思った。
タバコに関しては非喫煙者の方が若干?回復が早いのかもしれないが、この手術を受けた人達のブログを読むと1年3ヶ月というのは遅い方でもないようである(喫煙者かは分からぬが)。20代などの若い人なら1年、あるいは10ヶ月ほどで抜釘手術を受けた人もいるようだが、ワタクシより若い人でも1年3ヶ月かそれ以上の人も結構いて、1年3ヶ月というのは標準的なのかと思う。
ま、医者というのは何でもタバコのせいにする時代であるし・・・

最後に手術費用であるが、ワタクシの場合は個室に入ったが、国保の高額医療費減免認定と医療保険で個室代を含めて十分に賄えた。田舎の病院の個室は都会とは違って安いので助かった。但し2回目の手術である抜釘手術費に関しては医療保険ではカバーされておらず、高額医療費減免認定しか使えなったのは誤算であったが・・・

以上。

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高位脛骨骨切り術に関して

昨夜はよく眠れた。
今朝は6時前に起床。寒い。アトリエの北側の窓に貼り付けてある温度計であるから若干低く表示されるが、マイナス4℃近くまで下がっている。ファンヒーターを点け、朝のルーティーンでコーヒーを淹れて新聞を読む。シアワセ!

午前中にフミアキ君が「出不足料」の請求書を届けてくれる。昨日は朝8時から財産区出払い作業があったのだが、欠席したので「出不足」となり¥5,000也の出不足料が取られるのである。出払作業では「オクズミさんの足はどうなっているんだ?」「全身麻酔手術して2泊3日で出られる訳ないよ」等々の話で盛り上がっていた由。フミアキ君に抜釘したプレートやボルトを見せると「これが1年以上入っていたの?」と不思議そうであった。

さて今回の「高位脛骨骨切り術」による手術を振り返ってみると、なかなかに面倒臭いものであった。
昨年2月に痛む膝を鎮痛剤で抑えて小さな山に山スキーに行ったのだが、シールをつけての登高は多少の痛みだけで登れ、さて滑り降りようとスキーを吐いた直後に転倒し、そこからどうあがいても脚に力が入らずに起き上がれなくなったのである。「????」である。助けを借りて起き上がったものの、まるで脚に力が入らず、滑るどころじゃない。2〜3回の転倒の度に起こしてもらい、何とか登山道まで下り、そこからは若干の上りをシールで何とか車まで辿り着いたのである。前々から「いずれは手術が必要」と言われていたのだが、騙し騙ししていたのも限界と諦め、整形外科へ。「両足とも膝の内側半月板はほとんどなくなり、関節内の骨と骨が直接ぶつかっての痛みであり、人工関節か高位脛骨骨切り手術しかない」との診断であった。人工関節にすればおおよそ3ヶ月程度で普通に歩けるようになるが、過酷スポーツや正座はできないとの事。一方、骨切り術なら治ればどんな過酷スポーツも可能との事で、これは膝下の脛骨を三角形に切り取り、その部分に人工骨を嵌め込み、今までO脚だった足をX脚に角度変更し、内側の半月板に掛かっていた重心を外側半月板にかかるようにするというものである。但し骨がつくまでチタンプレートやボルトで早くて1年程度固定しておかねばならず、骨がついたらプレートやボルトを抜去するというものである。ワタクシ、自分がまだ「若い」と信じて?高位脛骨骨切りを選択する。

昨年7月7日に高位脛骨骨切り手術を受け、1ヶ月の入院・リハビリを終えて退院。手術は全身麻酔で行うし、鎮痛剤が効いているのか術後の痛みも大したことはない。車椅子か松葉杖でなら病院内を自由に行動出来る。1ヶ月間ノンビリ入院する。     写真上 手術前と後では左足の重心が変わっている

この入院1ヶ月は特に酷い痛みもなく、退院して1週間もすれば杖で不自由なく歩け、1ヶ月半もすれば杖も必要なくなったし、痛みもまるで感じず、人が見れば普通に歩いているように見えるとの事であった。但し自分では片足はO客のまま、手術した左足はX脚というか真っ直ぐだし、当然脚の長さも違ってくるので何となくギクシャクした感じだった。
退院後は3ヶ月おきにレントゲンを撮って骨のつき具合を診てもらうのだが、9ヶ月目あたりから主治医曰く「骨のつきが遅いですね。これはタバコのせいです」と言われる。??? 「じゃあ昔の人は骨折したらつかないじゃない!」。
ま、ワタクシとしてもそうヨイコトとは思ってはいないが、もう71歳である。残り少ない人生、ましてや「路上タバコ禁止」だの「社内禁煙」だのの制約が無い田舎暮らしの自由業である。カンベンシテと言うのがいつわざる心境である。

以下続く。

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退院

昨日は10時の退院前に主治医が診てくれる。「いいですね。退院です。24日に外来に来て下さい。シャワーは浴びて大丈夫です」。一応ストックを持って迎えに来てくれたカミサンと車に乗るが、まだ縫ったばかりの膝であるから、膝を曲げると少し痛む。近くのスーパーで買い物をすることにしてワタクシが運転してスーパーに寄って帰る。今日は暖かい。山もだいぶ紅葉が進んでいる。。脚はできれば暫くは床に下ろさずに寝転んでいた方が良いとの事で、午後はソファーに寝転んで昼寝。
夜はシャワーを浴びてスッキリして寝る。
ヤレヤレ、1年3ヶ月のロボット生活ともお別れである。

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手術2日目

昨日は16時過ぎ頃、手術を終えて部屋に帰って来ても、大した痛みもなかったのだが、点滴や電気コードやフットポンプや酸素マスクで身動き取れず。
手術室の看護師さんが脚に入っていたチタンプレートとボルトを届けてくれる。まあこんな物をよく埋め込んだものである。
20時ちょっと前に、昨年もお世話になった看護師さんが夕食を持って来てくれる。こんな時間でも「暖かい物は暖かく、冷たい物は冷たく」であっという間に完食。夕食後に主治医が様子見に来てくれる。「明日から歩けるけれど、なるべくトイレ程度にしておいて」「歩けば確実に腫れが酷くなり、余り酷いと退院が遅れる」との事。

夕食を食べたらする事もない。何人かに膝に入っていたチタンプレートやボルトの写真を送る。
どうも点滴や電気コードが絡まって寝にくい。
よく眠れぬまま朝となる。

熟睡出来ぬまま朝となる。
ああ、コーヒーが飲みたい!

午前中に点滴も終わり、脚のポンプも終わる。また胸に貼り付けてあった数本の電気コードも外され、やっと自由の身となる。但し余り歩かない方が良いとのことで、ベッドから数歩のトイレには歩いて、それ以外に病室から出る時は車椅子で、と決まる???
ま、車椅子は「コーヒーがなけりゃ始まらない」というワタクシのルーティンを、誰ぞ看護師が、今日の担当看護師に申し送ってくれたらしい。
それではと早速腰に財布やスマホを入れたウエストバッグを付けて病室を出るなり、担当看護師が「コーヒーですね」と笑って見送ってくれる。
1階ラウンジに降りる。ここにはドトールのコーヒー自動販売機があり、売店でコップを買う仕組みである。顔見知りオバチャンは「また入院?プレートを抜くだけなら早いね。ホットよね!」と、さっさとコップを注ぎ口に置いてくれる。

ラウンジの椅子に座りコーヒーを飲む。ウマイ!少なくとも40時間ぶりのコーヒーであった。

ただ病院のラウンジに置いてあった新聞の自動販売機が無くなっていた。これからは売店でとの事だが、ワタクシは入院中は朝5時にはロビーに降りて、新聞とミル挽きコーヒー(売店が開いていないのでドトールじゃない)を買うのを楽しみにしていたのに・・・

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手術室から帰還

14時頃に手術室に入り、16時頃に帰って来た。
手術した左膝辺りがヒリヒリしているが、特に変わりなし。喉が渇いているが、起き上がれる18時頃まで我慢である。
麻酔からはほぼ覚めている。多分・・・
ああ、コーヒーが飲みたい!

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