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美味い店見っけ!

やはりこの怒涛の1ヶ月が終わり、だいぶバテた。眠くて仕方ないし、都のアスファルトや駅階段を慣れぬ革靴で歩いたせいか膝まで痛む。それにしても都の生活というのは「歩く」を基本としているようで、田舎人のようなヤワな足では保たぬのである。13日に取り付けしたのだが、なんとこの日の歩行距離は14.000歩。

帰って土の上を紅葉を見ながらスニーカーで歩くのが一番である。

帰ってきた翌15日はもうバテバテで日帰り温泉に行く前に、過日のJAZZライブにシュウジさんが誘って一緒に来てくれたノムラくんがやっているという茅野のピザ屋さんにカミサンと行く。ノムラくんのオヤジさんはシュウジさんと同じくエプソンに勤めていて、ワタクシが40数年前に富士見に住みつくべく手作りの家をテントを張って作っていた頃に知り合ったのである。
最初、シュウジさんと知り合って、雨で家作りができない日や、懐が寂しい時にシュウジ夫婦の住んでいた社員住宅に「食べさせ、かつ飲ませて」もらいに行き、その時シュウジさんの上の階に住んでいたノムラさんのオヤジさんとも何回か飲んだことがあるのである。
その後シュウジさんとノムラさんは共同で土地を買い、現在の家を建てたのである。

というような人のムスコであるタカシくんがピザ屋をやっていると聞いてはいたのであるが、場所が分からずにいたのだが、先日のライブの時に名刺をもらい、訪ねたのである。

茅野だか原村の工業団地の下に洒落たお店があり、ノムラくんと可愛らしい奥様でやっている。早速ランチ・セットのピザとカミサンはパスタを頼んだのであるが、最初に運ばれた新鮮なサラダの美味しいこと。ドレッシングが美味いし、チキンの燻製ハムと小さなカップに入ったスープも「ウム!美味い!」。石窯で焼いたピザは生地がモチモチしているし、パスタもモチモチして美味い!こりゃ大当たりである。ワタクシは60年近く前に学生時代に初めて『ピザ』を食べて感激、イタリア行った時も毎食のように食べたのであるが、こちらに住むようになってから美味いピザに有り付けなく、今年になってから伊那に行く途中にあるピザ屋を見つけて「ここは美味いがチト遠い」と思っていた矢先である。カミサンも大喜びしているし、頼んだデザートも美味しいと感激している。
こんな美味い店が15分の処にあるとは!

ノムラくんは諏訪青陵高校出身でムスコの先輩にあたるらしいし、トランペットを吹いていたとのこと。朴訥な好青年である。今度は夜、飲みがてら行ってみようと思う。

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疲れたぁ〜!

林栄一氏と清水くるみ氏のduoライブから早1ヶ月。まあ忙しかった。

この間に村の共同作業である出払い作業が2日あり、また11月3日にはヨシユキさんの納骨前のお別れ会があり、夕方からは『リヒト』でのミドさんの同級生のピアノと歌のコンサートがあり、またこの間にはムスメがバンドのツアーにスタッフ兼パフォーマーとしてニュージーランドとオーストラリアに行き(途中メルボルンでの乗り継ぎで荷物を失う)、屋根屋さんは2ヶ月掛かってやっと屋根葺きを終わり、と結構色々あったのだが、ワタクシはたまに禁断の煙を買いに町に降りる以外は家に閉じこもって『土踏まず』の生活をしながら仕事を続け、一昨日やっと東の都での取り付けを終えたのである。

11月12日、久しぶりに東の都に(本当は10月には3回も車で行っているのだが、滞在は3回合わせても10時間もおらず)上る。今回はステンド3枚の納入であるが、車嫌いのワタクシとしてはバテていたこともあり湯島や神田周辺を走る気力・体力がない。そこで2X1の板材とベニアと発泡スチロールでステンド3枚がぴったり収まる箱を作り、取っ手も肩掛けバンドも取り付けて、バスでの上京とする。新宿のコイン・ロッカーにステンドを入れた木箱と取り付け用副資材を預けてから高円寺のムスコの部屋へ。直ぐにいつもの銭湯『上越泉』に行くが何と臨時休業の貼り紙にガックリ!他の銭湯まで歩く気力なくムスコの部屋でシャワーを浴びてからムスメと待ち合わせた阿佐ヶ谷へ。「肉でも寿司でも何でも」と言ったら「帰国してから散々食べた」とのことで、居酒屋に入り乾杯。ニュージーやメルボルンでムスメのイラストは好評だったようで、次回来る時にはビルの壁に描けるように用意しておいてもいいとの話だった由。別れ際に、なんでも「⚪︎⚪︎⚪︎のハンバーガーは私タダなの」とムスコとワタクシの分を買ってくれる。
帰ろうと阿佐ヶ谷駅に行き、はっと思い出して吉祥寺のスナック「もずの木」に電話したら、ムスメさんが「9時頃にはオカーサンも来る」とのことだったので吉祥寺へ。その内にママさんも来る。一昨年に大きな手術を受けたのだが元気そう。このお店にはもう40年以上通っているのである。昔話などして12時前にムスコの部屋に帰る。前後してライブに出ていたムスコも帰って来る。

11月13日。さて今日は取り付けの日である。13時に湯島に。建具屋が苦労しながらステンドを入れる木枠を取り付けてくれるが、建具屋、1枚の木枠に間違って穴を空けてしまう。交換は工務店に任せて『梅』と『桜』と『牡丹』のステンド3枚を取り付ける。建築家のナカガワ先生「上品になった」と喜んでくれる。ただワタクシとしてはどうも植物は苦手で・・・3時半頃には取り付けも終わり、次の現場(同じ施主でケーキ屋とバーが入るビル)を見に行く。6月には基礎工事中だったのだが、既にビルは完成していて内装工事が始まるところであった。ステンドを入れる場所の壁面を確認して別れる。
さて8時半からステンドを入れた中国料理屋『伊万里』で施主のイタバシ君がご馳走してくれることになっているが、イナカ者は時間を潰す術を知らない。御徒町駅前の吉徳にて「鯖のへしこ」を見つけて購入。副資材を入れたカバンを置きにムスコの部屋まで戻る。部屋に入ったら微かにサックスの音。ムスコが防音室の中で吹いていた。ライブに出るムスコと別れ、直ぐに今日こそはと『上越泉』に。オバチャンがいつもの笑顔で迎えてくれる。ヤレヤレと湯船に浸かっていると小学校2〜3年の悪ガキがワタクシの顔に向かってお湯をバシャバシャとかける。「コラ!」と言ってもや止めずに隣にいたジーサンにも掛ける。その瞬間、そのジーサン素早く悪ガキの髪の毛を掴むやいなやお湯に頭を沈める。ガキがバタバタしても離さない。と思ったら同じ湯船にいた悪ガキの親が「そりゃぁ〜・・・」と止めようとするもジーサン親を睨みながら離さない。「テメー、それでも親か!」と一喝。髪を引き上げられたガキは真っ赤な顔になっていたが次の瞬間ワァッと泣き出す。ジーサン「分かったか!」。悪ガキとその親は慌てて退散。都のジーサン、なかなかヤル!
少し疲れも取れたので再度湯島へ。
ナカガワ先生とお弟子さんの女性、新しく出すケーキ屋のパテシエ、イタバシ君と事務長などが集まり高級中国料理というかフランス料理というか創作料理というかのコース料理をシャンパンやワインで。
どの料理も上品で美味いのであるが、いかんせんイナカ物には量が少な過ぎる?何本ワインが空いたやら。
皆が帰った後、イタバシ君と再度飲み直し。
ムスコの部屋に入るなりバタンキューであった。

11月14日。バイトに行くムスコを送り出してから二度寝したが9時に起き出す。今日の都は快晴で暑い。ちょっと散歩とブラブラと高円寺を歩いていたら10時前にカメことマエジマさんから電話。「ジュウジョーが亡くなって先日葬式だった」と言う。ジュージョーさんはカメやヨシユキさんと舞台照明をやっていた仲間で、2度程カメと我が家に来たことがある木更津の海苔漁師である。びっくりする。カメが久しぶりに会いたいとのことで急ぎムスコの部屋に戻り、カバンを取って浜田山へ。カメが駅まで迎えに来てくれるが、昨年だかに会った時よりビッコ(足が不自由と書かねばイカンらしいが・・・)が酷くなっている。脊柱管狭窄で痛みはないらしいが・・・ジュウジョウさんのことなど話しながら昼食。「この年になると次々に友人が亡くなる」とちょっと寂しそう。

午後のバスで帰って来る。
都は疲れる。スマホの歩数計を見たら12日は8300歩、13日13300歩、14日7500歩。土踏まずの日々からは信じられないような歩数である。でも体重計に乗ったらちっとも痩せておらずにガッカリ。

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また東の都へ!

21日、急用で夕方からカミサンが東の都のムスメの処へ行かねばならぬという。台風19号後の復旧が遅れ、まだJRの特急あずさは運休しているし、鈍行を乗り継いででは時間が掛かる。丁度中央道の通行止めが解除されたので送って行くしかない。

16時過ぎに出て中央道大月へ。雨が酷い。結構混雑している。途中、19号の爪痕を探すが雨は土砂降り、暗くて見えず。小仏トンネルでいつもの渋滞少々。あとは順調に流れていたが、府中から新宿方面まで渋滞との掲示が出て、高井戸まで90分とある。まさか90分は掛からずとも渋滞は必死である。調布で下りようかと迷いながら走っていて、ポカをやり府中で下りてしまう。どジッタ!下道で車を止めてナビで調べたら、抜け道を使えばかなり早くムスメの処まで行けそうである。幸い車はやけに少ない。ナビに従って走り、19時過ぎに阿佐ヶ谷のムスメの処に到着。府中で下りてたのが怪我の功名であった。
ワタクシはムスコの住む高円寺へ。先日の林栄一・清水くるみのDuoライブの録音をCDに焼くようにムスコに頼んであったのだが、丁度終わった処であった。演奏曲名も全て書きだしておいてくれた。疲れていたのではす向かいの中華料理でビールで乾杯。その後はいつものコースで銭湯『上越泉』へ。

22日。夜半から土砂降り。カミサンは午後1時からレッスンを入れているので何が何でも午前中に帰らねばならないという。中央道は仮復旧であり、いつまた通行止めとなるか分からない。7時前にムスメの処に行く。ムスメは23日からニュージーランド・オーストラリアへのバンドのツアーにスタッフ兼パフォーマーとして同行することになっているのだが、体調優れず調子悪そうである。気力でガンバレと言い残してカミサンと走り出す。調布ICまでは下道を通り、この裏が清水くるみさんの家などと言いながら中央道へ入るも土砂降りは続いている。相模原から上野原あたりでは上り線脇に所々で土砂崩れで抉れた斜面に土嚢などを積んである。この大雨ではいつ何処でまた土砂崩れが起きてもおかしくない。大月まで来てやっとほっとする。
10時半頃に家に着く。

14日午前1時から始まった東の都参りはこれで3往復である。14日は大月〜東名経由で都での滞在時間1時間を含み、ほぼ12時間で1往復。15日から16日は都での滞在時間11時間で大月から20号経由で1往復。そして21〜22日は都での滞在時間はやはり11時間で1往復。計1300Km走った。車の運転嫌いにしてはよく走ったものである。
それにしても今回の3往復はナビに助けられた。凄いぞナビ!
ああ疲れた!

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ヒデとエンカイ

一昨日はまだ少々身体がギシギシしていたが終日半田付け。夕方やっと『梅』が終わる。ダイヤモンド・ソーを使いまくりで、ちょっと所謂ステンドとは違うのであるが・・・

一昨日夕方からはヒデとアヤちゃんを招いてのエンカイ。先日の台風19号時に避難(エンカイ?)させてもらったお礼もあるし、日頃から世話になっているお礼でもあり、こちらもJAZZライブ後の興奮を収めるには丁度良い時期である。
カミサンは18日から上京予定だったが、JR・高速バス共に運休だったので丁度良い。気張って料理を作っていた。

ヒデとアヤちゃん夫婦は共に役場職員。ヒデはワタクシが漁協の専務理事時に、役場の農業委員会の次長として漁協を担当していたのだが、なんせ椅子に座っているのが嫌いな男。漁協の養魚池の草刈りや放流などの作業には役場職員が付き合ういわれはないのだが、いつも率先して作業に出てくれた。勿論上司とは上手くいかないのだが、そんなことは屁とも思わない、とにかく明るく義理と人情に厚い男であった。役場職員としても人望があり、最後は局長やっていて、数年前に定年退職したのだが、他の多くの定年退職組が嘱託として役場関係に残る中、キッパリと役場を辞め、やはり元役場職員だった従兄弟と組んで野菜の直売所を経営している。ここのトマトは絶品である。
ワタクシとは同じ集落であるが、集落の理事や副組合長をやり、来年あたりは組合長をやるのだろう。6年に一度の『御柱』では呼び方は知らぬが、所謂、大将である。背も高く、がっしりとした身体であり、ワタクシ同様ハゲであるから目立ち、TVの御柱放送では目立つ。
とにかく人望がある。ワタクシより3つか4つ下であるが、何時も気遣ってくれる。

そうそう、もう30年ほど前か、彼が家を新築した際には「オクズミさん、おらん家にステンド・グラスを入れてくれ」と頼まれた。彼の爺様は『裸石』という号を持つ日本画家であり、ヒデも体に似合わぬ美術好きでもある。
工事中の家を見せてもらい「ここに入れたい!」とトイレの小用と大用の2箇所の窓を選んだのだが「エッ、トイレ?」。「うんにゃ、毎日使うところなんだからここがイイ!。いかにもステンドとして自己主張するのは嫌だ。ひっそり、でもニンマリする場所がいい。」とトイレ2箇所に決め「デザインに関しては一切任せて欲しい」と言ったら「自由にやって!」と了解してくれた。当時、それまで作っていた作品とはちょっと違い、透明系の手焼きガラスと藍色一色のシンプルなデザインをやってみたく、以後数々作る同系統のデザインの最初の作品となった。代金は請求書より随分と多く振り込んでくれた。

アヤちゃんはすらっとした美人。役場の教育関係担当が長い。ハキハキしていて、話していて気持ち良い人である。物に動じない良い意味でのフテブテしさがあり、頼り甲斐がある。ヒデと町で遅くまで飲んで何度迎えに来てもらったことやらである。話していてカミサンとお互い年下と思っていたのが同い年ということが分かる。

久しぶりに楽しいエンカイとなる。
昔はよく町まで下って飲み屋でエンカイや飲み会をしたが、段々町まで下るのが億劫となってきた。まあ歳を取ったということであろう。

昨日は親方(ワタクシが漁協の専務理事時代の組合長)が「今年はマスを食ったかね?辛味大根いるかね?」と電話をくれて、持って来てくれる。
親方は爺様の代から続いた町の印刷屋を今年で廃業した。時代が変わり、役場の印刷物も自前が増え、また年賀状や名刺もパソコンで作れる時代、思い切って廃業した。御年85歳であるがここ10年ほどちっとも歳を取らない。頭は全くボケない。酒は相変わらず毎晩欠かさずに飲む。
お孫さんの結婚式が12日に鎌倉であり、13日はあの不通だらけの道を鎌倉から箱根新道経由で帰って来たという。タフである。

地元の人で何でも話せて信頼しているのが、親方とヒデである。

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田舎でJAZZライブ すったもんだの記 Vol.6

本日は18日。日付感覚がまだおかしい。

ここまで色々あった。
嫌な思いもした。でも来てくれた人がみんな喜んでくれて、やって良かった。

昨夜になって思い出し、慌てて線香を上げたのだが、10月13日は69歳でアッチの世界に行ったオフクロの誕生日であり、10月14日は命日だった。
オフクロのお陰で上手くいったのかな?アリガトウである。

昨日は午後になって漸く身体も動くようになり仕事再開。来月2週目に納入とあって焦らねば。

今回のライブの後、我が家に戻ってから林栄一氏と飲みながら話したのであるが、彼でも生活は大変だという。世界でも唯一無二と言われる音色を持つ彼でさえ・・・である。中学からサックスを始め、高校時代には大学ノート数十冊に音楽関係の覚書を書いていたという、日本のJAZZ界では誰よりも勉強したと言われる彼でさえ、である。

義兄は74歳になり、生化学?だかの客員研究員であるが、この度研究室が引っ越しとなったという。広い処に移るのかと思っていたら、国からの研究費がどんどん削られてしまい、今までは家賃を払って借りていた研究室の家賃が払えなくなり、大学のタダだが狭い研究室に移るのだという。それでも義兄はまだ年金を貰っているからマシだという。ドクター出の若い研究員の給料も出なくなり、たまたま彼は薬剤師の資格を持っているから昼間は薬局で働き、夜は研究室で無給で研究を続けるという。

この国はなんなのだろう。文化にも基礎研究にも金を出さず、搾り取った『アガリ』をもって文化国家だのノーベル賞だのと騒いでいる。
目先のカネにしか目が向かない政治なんて政治じゃない。

もうこの間の政治や文化や最近の表現の自由問題に関してはブログに書いているだけで血圧が上がるので書かずにいるが、ホンモノが報われない国である。

ま、国民も国民であり、ちょっと音楽を齧っただけでプロになったと思っている輩や、研究者としてはムノウなくせに出世ばかり考える輩ばかりであるから・・・

今回林さんや清水さんと話していて感じたのは『プロ』、それも本物の『プロ』ということである。前にも書いたが、以前、ライブ日程が決まり、清水さんから「全身全霊をかけて演奏させて頂く・・・」というメールを頂いた時、またライブ前日にJRも中央道も不通となり、長時間のドライブになってしまうと林栄一さんに伝えたところ、「大丈夫、行くよ〜ぅ」と二つ返事を頂いた時、本物のプロだと思った。慣れぬ早起きの上、狭い車で5〜6時間も座りっぱなしで身体中バキバキだったであろうに、着いた会場ではそんなことミジンも感じさせぬ演奏をする、お二人は正にプロである。

またお二人に接して感じるのは『感性』豊かなことである。景色や食べ物、人、それらに対する眼差しが素敵なのである。
たまたまカミサンが元プロ合唱団の歌い手であり、そっち関係の人と接する機会が多いのであるが、時々思うのである。「この人、本当に人前で歌っていいの?」「この人、本当に人前でピアノ弾いていいの?」と。ワタクシなんぞはオンチもいいところであるが、それでもやっぱり聴いていて「アレッ?」と思うことがある。ガサツなというか感性乏しい人がいるのである。そういう人に限って自信満々だったりするのであるから困るのである。

ま、先ほどはミドさんも無事東京に着いたとのメールがあり、これでひとまず今回のJAZZライブは終了である。

メデタシ・メデタシ!

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