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スーパー爺ちゃんにスーパー婆ちゃん

午前中、ワタクシもカミサンもお世話になった方の家にちょっと贈り物をと思って行ったのだが、家の玄関に「ここは不在にしています。娘宅に連絡下さい」の貼り紙があり、高齢のご夫婦共に入院でもされたのか施設にでも入られた様子。

ではと、我が家の上流に住むナカムラさんのお宅に伺う。玄関先でナカムラさんの奥様が軽トラの荷台に乗ってポリタンからホームタンクへ給油中。「ウ〜ム!」。「手伝いましょう」と声を掛けるも「もう終わったから大丈夫」とひらりと荷台から降りる。相変わらずお元気である。かつて同様な場面に行き合い、「オクズミさんなんて若いんだし軽トラを持っているならこの給油ポンプを買って、自分で灯油なんて運ばなきゃ駄目よ!」と言われて以来、ワタクシもそれを守っているのである。「さあ、さあお入りになって」と家に上がらせてもらう。「オクズミさんですよ!分かる?」と奥様が声を掛けると「やあ、久しぶり」とご主人がニコニコとベッドから起きてくる。
今年は1〜2回訪ねたのだが、いつも午後だったのでご主人は昼寝中で、お会いするのは随分と久しぶりである。口の悪い?奥様は「もうオツムが呆けているんだから」と言うが、まるっきり呆けてなんかおらず、ニコニコと会話に加わる。お互いの近況報告などしあう。ご主人はもう7〜8年前だかに帯状疱疹となって、その痛みから眠れずに体調を崩されているのだが、ちっとも呆けてなんかいない。ご主人はもう直ぐ91歳との事。91歳なら元気もいいところである。
以前「僕はもう趣味はやり尽くしたし・・・」と言っていた事があるが、ラジコン飛行機(ドイツから実機の図面を取り寄せて何分の一かのラジコン機を作って飛ばしたり)、人を乗せて走る蒸気機関車を作ったり、鉄砲も釣りもJAZZピアノも弾くスーパー爺ちゃんだったのである。
奥様は84歳というが、広い庭の草刈り(なんと草刈機を使ってである)から軽トラでの薪原木運び、軽トラでの灯油運搬と、ナミのご老体ではないし、絵も描くし、お茶も続けているのである。こちらはスーパー婆ちゃんと言うより、まるで魔女であられる。
子供達も随分と可愛がってもらったのだが、「ダイスケ君は元気?モエコちゃんはオーストラリアで元気にしている?」などと名前まで覚えている。ワタクシなんぞ友人の子供の名前がなかなか覚えられないのだが・・・

しばらくご無沙汰してしまったので、何となく「呆けてしまっていたら嫌だな」などと思っていたが、元気元気な事に驚くと共に、「自分なんてとてもじゃないけれど、あんな元気な歳の取り方は無理だな」と思ってしまうのであった。

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朝のルーティン

今朝はこの冬一番の冷え込み。外は霜で真っ白。マイナス9℃位に下がった様子。

ワタクシの朝のルーティンは玄関に行き新聞を取る。ファンヒーターをつけ、次に薪ストーブに火を入れる。寝る前に太めの薪を1本入れてあるから火種は残っているので、ちょっと細めの乾いた薪を入れれば直ぐに燃え上がる。パジャマを普段着に着替え、昨日の残りのコーヒーが残っていれば、1杯分をチンして、それを飲みながら換気扇の下で禁断のケムリを吸うのだが、起き抜けは1本はいらず、半本程度で十分。昨日のコーヒーが残っていない場合は1日分としてドリップコーヒーを4〜5杯分入れる。
コーヒーを飲みながらカミサンが起きてきて朝食の準備が出来るまでの1時間程度、新聞を読むのが朝の至福な時間なのであるが、どうも最近は休刊日が多い。いそいそと玄関に新聞を取りに行ってもポストには何も入っていない。「アチャー、休刊日」である。最近は昔に比べると休刊日が増えたようである。朝、暗いうちから各家に新聞を車で配達してくれている配達員の事を考えれば頭が下がるし、休刊日があって当然なのだが、この失望感というかは結構大きい。

最近は新聞を取らずにネット・ニュースを見るらしいが、どうもワタクシのような昭和世代は「紙」じゃなければダメなのである。
これは入院中も同様で、昔は病室に新聞屋さんが届けてくれたものであるが、最近は部外者が病室に立ち入る事が問題となったのであろう、新聞販売機が設置されるようになった。であるから入院中は朝4時位には目覚めるので、5時までじっと我慢してナースステーションに「おはようございます」と声をかけ、時には車椅子や松葉杖で1階まで降り、新聞とコーヒーを買って病室に戻ってじっくりと隅から隅まで読んでいたのであるが、先日「新聞販売機撤去のお知らせ」?みたいな貼り紙を見たような記憶が・・・こうなると売店が開く8時半まで我慢しなければならない。

住み難くなってきたようである。

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薪割り再開

昨日から薪割り再開。
先日運んできた本郷高校山岳部の山小屋から貰った楢の原木を割り始める。
楢の木は玉切りしたのを割り台の丸太に載せるのが重いが、斧で「スコーン!」と割れるので気持ち良い。
但し割った薪も当然重いので、ひょいと片手で掴んでは両手親指の職業病だか加齢だかから来る腱鞘炎?がギャっと痛む。
それでも1時間で3〜4本の玉切を薪にすることが出来る。

1日1時間づつ割れば、運んだ原木全てを数週間か1ヶ月で割ることが出来るとタヌキの皮算用。ナニ、直ぐに土は凍り付き、
雪で覆われるのであるから全くの皮算用ではあるが・・・

割った薪を早く乾かす為に井桁に組む。      右側の薪山が今日割ったもの

薪割りは体力測定のようなもの。まだまだいけそうである。

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別れ

昨日は従姉妹の葬儀に参列。

11月24日夜22時過ぎに従兄弟から電話が家電に入る。「姉が今日急死した」との知らせであった。丁度スマホのアップデート中であったので繋がらずに家電の方に掛けてくれたのだろう。
オクズミは親戚が少なく、従兄弟と言えるのはオヤジの弟の長女と長男の二人である。その長女が夕方、足が痛いというので救急車で病院に向かったのだが、既に動脈乖離が進んでいて発症から2時間後に息を引き取った由。あまりに急な事に呆然とする。
カミサンは仕事で抜けられず、大阪の姉は孫にうつされたマイコプラズマは治ったものの、まだ肺が真っ白とのことで失礼させていただく。

昨日27日に鎌倉の斎場で11時から家族葬と連絡を受け、朝5時25分発の高速バスで新宿に向かう。昨夜からの大雨は上がり星空で、妙に生暖かいがまだ真っ暗。
途中中央道の府中IC辺りから渋滞が続き、8時5分新宿到着が1時間以上遅れて9時20分頃となる。直ぐに鎌倉行きの電車をスマホを使って調べ、戸塚乗り換えで間に合いそうな電車に乗り、15分前くらいに斎場に着く。家を出てから5時間以上掛かっている。

家族葬とあって20名ほどが集まり、無宗教での葬儀であった。
お亡くなりになった従姉妹とは6年前に叔母の葬儀の時に30数年ぶりに会って以来で、その時「次にオクズミが集まるのは僕の葬式の時になるだろう」と言った覚えはあるが、まさか彼女が70歳で先に逝くとは思いもしなかったのである。
言葉が出ない。

火葬場は失礼し、鎌倉駅で昼食をかき込み、14時25分発の高速バスに乗る。
途中、晴れ渡った夕暮れに雲が激しく動き、真っ白になった富士山もうっすらと望める。
思わず涙が流れる。

6年前に会った時には「ちょっと血圧が高めで薬を飲んでいるけれど、元気」との事に「降圧剤は僕も10年以上飲んで身体に悪いことばかりやっているけれど、僕もまあ元気にしている・・・」
そんな彼女が僕より若くしてとは・・・

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身近にある危険

昨日の事。カミサンと茅野の病院に行った帰り、銀行に寄る。銀行隣の駐車場に車を停め、ATMへ行こうと駐車場脇から銀行へ行く途中、財布の中からカードを取り出しつつひょっと顔を上げたら目の前の地面に三角コーンが。「アレ?なんだろう?」と、ひょいと頭を上げたら「ゴーン!」とものすごいショック。そのまま尻餅をつく。???どうも頭を強打したようである。側を通ったオジーサンが「大丈夫ですか?」と手を差し出してくれたのだが、「大丈夫です」と自分で立ち上がる。見ると駐車場2階へと続く鉄の階段を支える鉄骨に頭を強打したらしい。左手小指も少し切り出血。頭を触ってみたら、頭頂部に大きなコブ。その駐車場が銀行所有のものかも分からず、とりあえずATM操作を終えて車に戻り、カミサンに見てもらったら頭頂部が大きく腫れ上がっている由。小指にバンドエイドを巻き、コブをティシューで拭くと僅かな血のみ。カミサン心配するが「大丈夫」とそのまま運転してスーパーへ買い物に行き、トイレの鏡で見ると頭頂部から角でも飛び出しそうな大きなコブとなっていた。痛い!スーパーで無料の氷をビニール袋に入れて人目を憚りながら時々冷やしつつ買い物を済ませ、次のスーパーへ頭の氷嚢を左手で押さえつつ運転。カミサンが運転をかわろうかと言ってはくれるが、カミサンの運転よりは・・・?次のスーパーでもちょっと買い物をし、昼食をとりにレストランへ。角の席に座ってそそくさと昼食をとり帰宅。帰ってから新ためてコブの観察。頭頂部がポカリと飛び出し、少し黒ずんでいる。氷嚢を乗せ、タオルを乗せ、帽子で固定しつつソファーに座る。
痛みは殆どない。ただ時間と共に首が痛くなってくる。ムチ打ちとなったようだ。
夜、冷やし続けたおかげでコブが幾分小さくなったようだ。吐き気などは無いので大丈夫と思うが暫くは注意が必要なようだ。

今朝は寒い。おまけに雨が降り出した。マイナス3.5℃。いよいよ冬である。

今日はカワダさんと蕎麦打ちを習いに「おっこと亭」に行くことになっている。コブは昨夜よりまた少し小さくなってはいるが、頭頂部がまだ出っ張っている。コブより鞭打ちとなった首の両側面が痛い。帽子でコブを隠しておっこと亭へ。小淵沢では雪が降り、畑が白くなったとの事。

蕎麦打ち体験所に行ったら、講師のオバチャンが「まあ、先生!」と言っている。カミサンのコーラスに最近までいた人。「サキュウさんもいますよ!」とサキュウさんも挨拶に出て来るし、もう一人のコーラスのオバチャンも挨拶に出てくれる。
早速蕎麦打ち体験。カワダさんは小淵沢に住んでから蕎麦打ちに凝っているが、教えてもらうのは初めて。カミサンは以前はよく打っていたが最近はトントご無沙汰。ワタクシは蕎麦を捏ねる役はよくやったが、伸ばしたり切ったりはカミサンがやっていたのでほぼ初体験。
熱湯でのお湯回しや、捏ね方、伸ばし方はなかなか難しい。手で揉むのは350回程とのこと。また伸ばした後の畳み方など勉強になる。
1時間ほどの講習で打ち終わり、その蕎麦を茹でて店で食べさせてくれたが、なかなかに美味い。サキュウさんから天麩羅の差し入れももらい、3人ともお腹いっぱい。
なかなか良い体験であった。

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