クライアントが高校生時代に描いた「ベルばら調」の人物画、やっと顔の部分と背景のガラス・カットを終える。原画は白黒だけで表現されているが、せっかく色ガラスで作るのだから背景だけは少し色を使おうとヤカゲニーの藤色、目はデザーグの濃いグレーや薄い茶色のアンティーク、アイシャドウに濃い茶色などを使う。まだ顔の部分の微調整のルーター掛けと薔薇の花びら200枚ほどのカットが残っているが、なんとか形になりそうでほっとする。瞳には小さな穴を開けて白いガラスを予定している。
絵付けをせずに人物の顔をどこまで表現できるかやってみたかったのだが、なんとかなりそうである。
あと少しである。
投稿者アーカイブ: admin
やっと形に
歯医者の気分
ムスメのメルボルンでの結婚式も終わり、ホッと一息といきたいところだが、仕事に追われている。
クライアントからは「いつでも良いですよ」と言われているが、やる気になった時、ノッテいる時に一気に済ませなければ終わらない。人物の顔、それも少女漫画の世界であるから、眼の周りの表現が難しい。とてもガラス切りではカット出来ない幅数ミリ幅の半円弧などはダイヤモンド・ソーでカットするのだが、まるで歯医者である。
あぁ、外に行きたい!
で、思い出したが、かつて40年近く前にワタクシと同年輩のトクタニさんという面白く、豪快な歯医者が原村にいた。
ワタクシの親知らずが横向きに成長し、隣の歯を圧迫して痛いのなんの。頬が腫れて膨れ上がり固形物が何も食べられなくなり、彼のところに飛び込んだ。強い鎮痛剤だか抗生剤を処方され「痛みが取れたら松本歯科大にでも行って抜いてもらえ」との事であったが、当時、松本歯科大では入試不正だかで問題になっていて、とても行く気になれず「トクタニさん、頼むから何とか抜いて」と頼み込んだ。「しょうがないなぁ〜、じゃやるか!」と日時を決めたのだが「好きな音楽テープを持ってきて。なんせ痛いから気を紛らわすのに好きな音楽をかけてやるから」との事。それで当日ビートルズのテープを持って行くと「じゃ、やるか。一応松本歯科大に連絡は取ってあるから。もし動脈に傷付けたら直ぐに運んでやるから」。大音量でビートルズをかけていよいよ始まった。
麻酔を何本か注射して、まだ歯茎に埋まっている親知らずを見えるように切開したのだが「デカイな!こりゃ幾つかに砕かないと抜けねえな!」。いきなり親知らずに衝撃が来る。恐る恐る目を開けたら、親知らずにあてたノミに向かって金槌が打ち下ろされるところであった。金槌が打ち下ろされる度に、凄まじい衝撃が来る。「こりゃ多分顎の骨が亀裂骨折を起こすな」とか呟いている。Let It Beの大音響の中、「ボクサーも大変だろうな」となぜか思いながら、金槌の打撃に耐える。
数十分後「ハイ、終わり!」と粉々に砕けた親知らずを見せてくれた。
「歯茎を縫っておいたけど、まだそこんところは肉が盛り上がるまで穴が空いて状態。しばらく固形物は食べないで。数日したら歯茎に傷を入れ、肉が盛り上がるようにしてやるから」との事。
でも彼のおかげで何日かしたら歯茎も盛り上がり、痛みも無くなり至極快調になった。感謝感謝。
それから数年。国道を車で走っていたら、その先の工事の為にガードマンに止められ、「ヤァ、元気?」とそのガードマンが近寄って来る。見たらトクタニさんである。「???どしたの?」「歯医者が嫌になった。一生人の口の中なんか覗き込んでいる人生なんて嫌になった!」との事。「今晩、飲もうぜ!」。その晩だったかは忘れたけれど、ヨシユキさん宅で飲んだのだが「歯医者なんて潰しがききやしない。転職したくたって何の役にも立ちゃしない!」との事。「そんじゃぁハンコ屋になったら!」「嫌なの!もうチマチマした仕事は嫌なの!」。
で、結局その後彼は秋田に行き、広い田圃を買って米農家になったのである。ただそれから10数年、米農家としてやっていたが、急死してしまった・・・
あんな豪快な歯医者が居てくれたらなぁと思い出す。
ステンドグラスも潰しがきかないなぁと思いながら。
ムスメの結婚式
この間、仕事含めて色々あったが、取り敢えず昨日のことから。
昨日は午前中から大雪警報が出て積もりだす。まあそれ程の南岸低気圧とは思えないけれど、重い雪だろうから樹木が倒れての停電を考えて発電機用のガソリンや車のガソリンを満タンにする。それから万一を考えて銀行にも行き、現金を下ろす。
雪は気温が下がると細かくなり、上がるとボタン雪となりながら激しく降り続く。
昨日午後は、メルボルンのムスメと相方のNeed(ネッド)とskypeのビデオ電話で結婚式の打ち合わせ。
雪はガンガン降り出し、このまま夜中まで降られると相当な積雪量になるかとちょっと心配。
夕方、小淵沢のKさんから電話。「38℃近くの熱が出て、鼻水が酷い」との事。ヤバイ!彼は来週末、東京の病院で肺ガンの手術予定であるが、もしコロナなら面倒臭いことになる。抗原検査キットを明朝手に入れ調べてみるとのこと。
でも彼の近くの薬局で果たして検査キットが入手できるか?
カミサンに相談したら「声楽を習いに来ているクボタさんが厚労省認可の検査キットを何本か持っていると言っていたから聞いてみようか?」との事で電話したら快く譲って下さるとのこと。この時点で夜7時半。サイワイ、南岸低気圧のスピードが速く、雪は止んでいるがワタクシ少々飲んでいる。が、カミサンの運転で検査キットをもらいにクボタさん宅に寄り、そこから小淵沢のKさん宅までは怖い。結局カミサンを助手席に乗せてワタクシが運転してクボタさん宅へ向かうが、前に一度行ったきりだし雪で景色が違ってなかなか見つからない。雪かきをしていた人に聞き、やっと行き着く。クボタさん、用心のためと検査キットを2本譲って下さった上、熱があるならとレモンスカッシュ缶も沢山下さる。
それから小淵沢までの長野県側は除雪車が入って綺麗に掻いてあるが、路面はツルツルで30〜40Kmで走るのがやっと。どうにか山梨県側に入るがこちらの除雪はかなりいい加減だし、県道を離れたKさん宅への最後の200mの緩い登りは全く除雪されておらず、フィットの底が着いたまま強引に登る。
2重マスクで僕だけKさんの家に上がる。早速検査。鼻に綿棒を入れて5〜6回粘膜を取るらしいが、酷いクシャミの連続。ワタクシ怖いので窓を開けて外に顔を出す。結果が出るまで15分。結果、「やった!陰性!」と大喜びしている。ヤレヤレ!全く「オオカミ少年」なんだから。彼には前科があり、昨年も高熱で大騒ぎして夜に駆けつけたことがある。この時は完全にコロナと思い込んだのだが、結局は盲腸で、それも腹膜炎を起こしていて翌日夜に緊急手術したのである・・・
ま、今回は多分風邪だと思うが、明日もう一度検査するように伝える。車に戻り、持って行っていたアルコールで消毒してから運転。この時点で21時半。またノロノロ用心しながら運転して22時過ぎに家に着く。風呂に入って寝たのは0時過ぎだった。疲れた。
そして今朝(11日)は朝6時半から通学路確保の出払い雪掻き。ウィークデーは学校があるから5時半からなのだが土曜日で助かった。20〜30cm程度の積雪。スコップを背負って帳場まで1Km程下る。膝が寒さもあり痛むがコケるわけにはいかない。帳場の通学路はタカシやヨネサクさんなどがトラクターでほとんど掻いてあり、点呼を取って直ぐに解散。
帰ってから除雪機でアプローチや町道を掻いた後、我が家の駐車場や燃料タンクなどがある裏庭側を掻く。除雪機のローターに自作の雪がこびり付かないように付けた装置はそれなりの効果を発揮したようだ。全て終わったのは9時半。歩数計は8500歩で、術後の新記録であるが、さすがに膝が痛む。
11時からSkypeでムスメと最終打ち合わせをやるが、翻訳がどうしてか出て来ない。仕方ない。
一旦中断して午後1時(あちらは午後3時)から結婚式本番。
あちらは夏だし参加者も気楽な格好。こちらもセーター姿でアトリエのパソコン前にてカミサンと見守る。仕切るのは相方Needの母上。彼女はオーストラリアの有名舞台女優だった人で、国の結婚認可?の権限を持つ人とか。ムスメはシンプルなウェディング・ドレス、Needは暑いからだろうが上着抜き。母親によるムスメとNeedの馴れ初め紹介から始まり、ムスメの高校時代からの親友のアヤノさんの祝辞、日本式の三三九度をあちら式で行い、指輪は愛犬ロトが咥えてきて渡しと面白い演出に笑う。ワタクシはカミサンがワタシの雪掻き中に書いてくれた挨拶文(勿論英語で!)を読み上げ、最後に母親が結婚を認めると宣言して30分の式を終えた。Skype画面には翻訳文が出てくるがメチャクチャな翻訳で全く意味が通じないが、昨夜遅くムスメが送ってくれた、Needの母親の結婚式での言葉の翻訳文で大体の意味は理解できた。
ヤァー、さすがに疲れたけれど、日本式のどこか滑稽な結婚式でもなく、宗教も関係なく、このコロナの時期に相応しいシンプルな式で楽しめた。
激動の2日間であった。
夜、小淵沢のKさんから連絡。2回目の抗原検査の結果も陰性との事で一安心。多分風邪だろう。
テレビ電話にて
メルボルンにいるムスメが、来週オーストラリア人と結婚するのだが、その前にとWhats Appでムスメと相方、我々夫婦とテレビ電話で話す。ま、結婚する事に関しては本人同士の問題、今更親が何も言う事もないのだが、一応の儀式?である。
カミサンは英語のカンペまで用意している。
和やかな会談は30分ほどでお開きに。どうもテレビ電話というのはイタダケナイ。
最後にはペットの小型ゴールデン・リトリバーのロトも登場。かつて我が家にいたダリそっくりであった。
やれやれ疲れた?
ハードな一日
昨夜はカミサンに声楽を習いに来るクボタさんが若い頃に描いた絵を、補助線等ステンド用の最終原画にしたものを提示する日。朝からステンド用原画にガラスピースのナンバーリングをやっていたら、フユキ君から電話。「今、近くで伐採をやっているけれど、紅葉樹の細いのが沢山出たので取りに来ませんか?」との事。そりゃ嬉しい。年末にフユキ君がコヒガンザクラの太いのを3トン車で2杯運んでくれてはいるが、薪はあればあるだけ欲しいもの。
現場は家から10数分の広い県道脇。道沿いの大きくなった木を伐採している最中。腕から太腿位の太さの紅葉樹を、軽トラに積める長さに切って道沿いの斜面にずらっと立て掛けてある。「欲しいだけ持って行って」と有難いお言葉。軽トラを横付けして積むだけだが、ナラやクリやサクラの生木だけあって重い。膝を庇いながら、午前中1回、午後2回運ぶ。計約1トン分。3回目にカミサンの焼いたクッキーを差し入れるが、フユキ君「まだまだこの道沿いを切って行くので、幾らでも取りに来て」との事だが、あまり運びすぎると我が家での置き場がなくなる。
3回目を運んで来た後、我が家の裏庭に積む体力残っておらず、明日に下ろすことにする。
18時半にクボタさんが来るので早めの夕食を摂り、レッスン中に残りのナンバーリングをやるが、途中でウトウト。
レッスン後にデザイン提示し、使用予定のガラスも見てもらう。喜んでくれる。
これでいよいよガラスカットに入れる。クライアントの描いた絵をステンドにするというのは初めての経験、どこまで再現できるか楽しみであもあり、また不安でもある。
それにしても久しぶりにハードな一日。夜、ベッドに入っても身体中が軋み、なかなか寝付けなかった。