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キセキレイは浮気者?

デッキの軒下にかなり雑な巣を作ったキセキレイのその後だが、いっ時は頻繁に通っていたが、ここ数日は時たまにしか巣に帰って来ない。???
雌が抱卵していて、餌を届けに雄が頻繁に通っていたと思っていたのだが、ここ数日は時たまにしか帰って来ない様子でる。???
ひょっとして雄は愛人宅にでも行っているのだろうか?あるいはこちらが愛人宅で本宅は別にあるのか?

それにしても巣の作り方にしてもかなり雑である。枯れ草を数本か10数本か咥えてきて、あっという間(多分半日も掛からなかった)に作ったのである。何もそんな狭い所にとも思うし、巣作りに関しては全く美意識のカケラもない。燕ほどではなくとも、もう少し丁寧に作ればとついつい説教したくなる。

果たして巣の中で雌が抱卵しているのかも分からないのであるが、時たま雄らしきキセキレイが餌を咥えて帰って来るのであるから、巣の中には愛人か本妻がいるのだろうと思うのだが・・・

デッキの下であるからカミサンも気を使って、洗濯物を干す時にも雄が来ていない時にささっと急いで干し、並べてある観葉植物の水やりにも気を使っているのだが・・・
ワタクシにしても、かつてやはりデッキの軒下にキセキレイが巣を掛け、雛がかえった後、「チチッ!チチッ!」と大騒ぎの鳴き声がしたのでデッキに出てみたら蛇が巣に迫っていた。この時には手近にあった竹箒で蛇を叩き落として救ってやった事もあり、今回もそれに備えて竹箒をデッキに用意している。
早く無事に巣立って欲しいものである。

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仕事捗らず

ここ1ヶ月以上デザインで四苦八苦している。
以前動物病院に納めた「ブルドッグ」の横に、今度は「猫」のステンドを入れるのだが、猫は難しい。同じように「毛」を纏っていても、猫の毛並みの柔らかさをガラスで表現するのは難しい。
昨日からやっと型紙作りに入る。

外は緑一色の世界となった。対岸の胡桃の木に藤が満開。
家のデッキの端にキセキレイが巣をかけた。先日来、デッキの端に巣作りを始め、親鳥が行ったり来たりしていたのだが、ついに抱卵し出したのか、あるいは生まれたのか。デッキの屋根の下であるから洗濯物にフンを落とされないか気掛かりではあるが、追い払うのも可哀想で、洗濯物を干しにデッキに出るにも親鳥が餌を探して巣から離れた隙にそっと出している。
なんせキセキレイはおっかないのである。かつてやはり屋根に巣を掛けて、そこからヒナが落ちたのを目ざとく見つけたダリがその雛鳥を咥えてしまい、それを見た親鳥は、以後ダリだけではなく我々の至近距離に飛んで来ては威嚇し、挙げ句の果てには車のサイドミラーの上に止まってはフン攻撃。車に乗る前には水で洗い流せねばならなくなった経験があるのである。
しばらくは外に出る時には頭を低くし、刺激を与えないようにするしかないようである。

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雑草の季節に米不足

一昨日のチンピラ兄ちゃん、あの後ちゃんと病院に行ったかな?
ネクタイ・スーツ姿の親分だか組長だかに後ろから蹴飛ばされ、「こちらさんに謝れ!」と怒鳴られ、国道に這いつくばったまま、ハイハイの格好で顔を上げたのだが、おでこから頬、鼻、唇、顎とアスファルトに擦り付け、血まみれの上に鼻血も出していて、もう顔じゃない。「済みませんでした」とワタクシに謝った後、ネクタイ男にドヤされながら運転席になんとか座り走り出したが、あのあとちゃんと治療したかちょっと心配になる。対向車から見たら顔中血まみれのアンチャンが運転しているわけで、ギョッとしたと思う。当面人様の前に出ることも無理だろうし、ありゃ結構痛むと思う。これに懲りてヤクザの世界から足を洗えば良いのだが・・・

昨日は朝から残してあった北側の庭と西側に草刈機を掛ける。裏庭には例年タンポポがみっちり花を咲かせる。黄色い花で埋め尽くされているのを見ると刈っては可哀想に思えて、ついつい咲き終わるまで待ってしまう。で、丸い綿毛になったところで草刈機を掛けるので、来年はもっとタンポポが増えることになってしまうのだが、ま、一生懸命咲いているのだから・・・
昼はカワダ邸にて、一昨日の田植えに集まったウシダさん、イッペイさんと共にカワダさんの手打ちそばをご馳走になり、帰ってからちょっと昼寝。
仕事遅れているのだが・・・

江藤農相だか脳症だかが「米を買ったことがない。売るほどある」と発言して、あちこちから大批判を受けているのには嗤った。あまりに正直というか、バカと言うか。
大阪の姉から電話。「米無かったら少し送ろうか」との事。前に電話で話した時に「ウチも米がなくなったので、あまり食べなかった餅米が結構あるので、餅米ばっかり食っている」と言ったのを心配しての電話だった。丁重に辞退する。
ワタクシ、米は好きであるが、毎日食わずとも麺やパスタ、パンでも満足できる。先週だったか諏訪の街のスーパーで見たら、コシヒカリだけ残っていて、5Kg 4500円だかで売っていた。カミサンが迷っていたので「面白いから暫く米なしで過ごそうよ」と言って買わなかったのである。
我が家はカミサンと二人だけ。朝はパン、昼は麺類、夜は米であるが、夜の米にしたって二人で一合炊くと余ってしまうので、0.8合とか0.7合しか炊かないのである(まあその分アルコールは飲むが・・・)。
その米にしたってカミサンのコーラスグループの方からその人の出身地の福井米を毎年何十キロも頂いてきたし、その一部をムスコに送ったりしていたのである(その方がご高齢になり今年は頂いていないのだが・・・)。またやはりコーラスの方が田んぼを貸しているので、そこの米がうちにも回って来たり、イッペイさんの田んぼの田植えや稲刈りを手伝ったお礼に頂いたりして、そうは買わないで来たのであるが・・・
ま、そんな食生活なので「米なし」を暫く楽しむつもりである。

それより軍備軍備と騒いでいるが、食料自給率が40%にも満たない国の主食の米も足りないとは・・・?

せめて江藤農水相が「私も米を食べずに頑張っている!」とでも言えば良いものを。バカである。

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田植えの前にヤクザと一悶着

今日はイッペイさんの田んぼの田植え。8時頃に家を出て茅野の田んぼへ国道20号を走っていたら、十字路の信号を無視した国産セダンが左側から目の前に飛び出して来る。生憎ワタクシ右手に禁断の煙棒を挟んで左手でハンドルを握っていた。急ブレーキを思いっきり踏み込む。右手は禁断の煙棒を持ったままハンドルを押さえたものだから親指がクラクションに触り、大きなクラクション音と共にタイヤはスリップして対向車線に飛び出し、歩道に乗り上げる寸前でなんとか止まる。日曜日の国道だからか、対向車も後続車もちょうど全くいなくて助かる。エンストした車を元の車線に戻し、飛び出してきた車も止まっていたので、少し後方に止める。こちらが下りるより先に相手の車からいかにもチンピラ風が両手をポケットに突っ込んで降りて来るなり「テメー、うるせんだよ!」と怒鳴りながら詰め寄って来る。ワタクシもカッときて「ふざけんな!信号無視して飛び出して来やがって!ドラレコに写っているから、いま警察を呼ぶぞ!」と怒鳴り返したところでハッと気づくが、軽トラにはドラレコ付けておらず、まずいとフロントグラスの前に立ちはだかる。
前の車の後部座席からネクタイにスーツ姿の中年男が降りて来る。一見サラリーマン風だが、どこかヤバそうな感じ。こりゃ一戦やらなきゃと咄嗟に腹を決めて身構えたのだが、そのネクタイ男、いきなりチンピラの後ろから腰の辺りに思いっきりの蹴りを入れる。チンピラ、いきなり後ろから蹴られて、1〜2m空を飛び、ポケットに手を入れたままだから受け身も取れないまま顔からアスファルトに落ちる。ネクタイ男、こちらにきちんと頭を下げて「申し訳ありませんでした」と謝る。そしてまだアスファルトにうつ伏せになっているチンピラに「コチラさんにきちんと謝らんか!」と怒鳴りつける。チンピラ、やっと這いつくばったまま顔をあげたけれど顔面擦りむけて血まみれ。起きあがろうとしたけれど起き上がれずハイハイした格好で「どうもスイマセンでした!」。ネクタイ男、再度ワタクシに頭を下げて「本当に申し訳ありませんでした。コイツは後でヤキを入れておきますんで」。「さっさと起きろ。急げとは言ったが、シロウトさんにご迷惑をおかけして良いとは言ってないぞ!さっさと運転しろ!」と顔面血まみれチンピラを追い立てて車に戻り、今度はチンピラ懲りたのかいたって安全運転で走り出した。サイワイ国道20号線、チンピラが運転し出す頃に少し上下線ともに交通量が増えたが、渋滞ともならずに済んだ。
馬鹿め!
それにしてもネクタイ男、親分さんだかなんだか知らんが、まあ常識を持っているヤツだったので助かったし、あの蹴り、空手でもやっていたのか見事に決まっていた。やり合わずに済み、ちょっとホッとする。

8時半過ぎには田んぼに着き、作業を始めていたイッペイさんを手伝う。もう何年か手伝っているので要領は大体分かっている。天気は高曇りでちょうど良い気温。10時前には茨城の鹿島から始発でやって来るウシダさんを拾ってカワダさんも到着。11時半には田植えも全て終わり、田植え機の洗車も終える。
イッペイさんの奥様が「野良飯」を届けてくれ、田んぼ脇で昼食。
芹を貰って1時半には家に着き、ビールを飲みながら風呂を浴びる。

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昭和・平成・令和???

ちょっと友人からの依頼で履歴書を書く事となった。履歴書なんぞは今までの人生で23歳の時に就職の為に書いて以来であるから、学歴の高校や大学の卒業年も和暦はもちろん、西暦もあやふやである。頭の中では大学入学年を昭和47年と記憶していて、それだとどうも計算が合わない。???
大学の卒業年が書いてある会員名簿を探し出して確かめてみたら、大学卒業は昭和50年3月となっていた。「和暦西暦早見表」をネットで調べてみたら、昭和50年は1975年である。大学で留年した覚えはないのでマイナス4年したら1971年入学でこれは昭和46年である。1971年は大学1年生としてちょっとした事件があって鮮明に覚えているので間違いない。

まったくぅ〜、つい最近も運転免許センターで「次の更新は令和10年です」と言われて、「それって西暦何年?」と聞き返し、「3年後?ゴールド免許なんだけど?」。
初めて高齢者になるとゴールド免許がなくなるのを知った覚えがある。

もういいかげん和暦はやめて欲しい。大体今日だって、今は令和何年を覚えておらず、頭に浮かぶのは西暦2025年である。ワタクシはクリスチャンではないが、せめて公的文章には世界的に通用する西暦を使って欲しいものである。

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