久しぶりに東の都へ

23日。久しぶりに東の都へ。こちらもやけに生暖かい。東の都はきっと暑いだろうと半袖で出る。車はFitで行くが燃費はやはり良い。昼過ぎに高円寺の駐車場に着く。暑い。夕方ムスコがバイトから帰って来たので一緒にいつもの銭湯に行く。途中根性のある街路樹を見つける。都会で生きるのは人間でも植物でも大変である。18時半に吉祥寺でクマサキ君と予約しておいてくれた中華料理屋で会う。クマサキ君は山岳部の10年後輩。OB会の幹事長をやってくれている。最近はOB会にも行っていないので誰彼の消息などを教えてもらう。その後24〜25歳の頃から行きつけだったスナック『もずの木』に寄る。今は娘さんが主体となってママさんが手伝っている様子。ちょっと病気したママさんも思ったより元気そう。
21時半頃にムスコの部屋に戻り爆睡。

24日。朝7時少し前に出て、阿佐ヶ谷にてムスメと数日前から都に来ているカミサンを拾って先ずは九十九里浜を目指す。首都高は連休直前のトラックで混雑している。首都高を抜けてやれやれと思っていたら千葉周辺で断続的に渋滞に遭い、九十九里浜には9時半過ぎに着く。途中で京都のギャラリー・田澤さんの奥様が亡くなられたと、藍染作家のフクモトさんからの電話で知る。急に心臓でとのこと。平成が終わる。

天気は曇り。海を見るのは久しぶり。九十九里浜は初めてだったのでちょっと天気が残念。浜辺でムスメとカミサンが貝殻拾い。その後片貝漁港に行き海の駅で買い物と昼食。バンクシーの絵を探す時間は無し。
13時に東金市のDADAさんこと故イシノさんのお宅へ。昨年11月に急逝してしまったDADAさんとは27〜28年前からの付き合い。原村で紅茶専門喫茶店をご夫婦でやっていて、ワタクシの気晴らし場所であった。一緒にフライ・フィッシングをやったり、家族ぐるみで旅行したりして、我が家の子供達も可愛がってもらっていたのであるが、義母が亡くなった直後であり色々あって告別式に伺えなかったままであった。
奥様のマサヨさんが泣きながら出迎えてくれる。お骨となってしまったDADAさんにお線香をあげさせてもらうが、遺影がコック服を着て椅子の上で正座しながら笑っている写真に思わずニンマリしてしまう。まさにDADAさんなのである。いい写真である。マサヨさんが一番最近撮った写真とのことであったが、いい写真である。彼の人柄が滲みでているような・・・
2時間ほど想い出話しをするがどんな話しをしてもマサヨさんの涙を誘ってしまう。

17時前に高円寺に戻り、居酒屋にて4月生まれのムスメとワタクシの誕生祝い。

カミサン・ムスメと別れてムスコとまたまた銭湯へ。都では銭湯と飲み屋が何より。帰りに小腹が空き、立ち蕎麦屋で蕎麦を食べてから爆睡。

25日。7時過ぎに阿佐ヶ谷のムスメの部屋に泊まっているカミサンを拾って川崎の義姉宅へ向かう。連休前のゴトウビとあって混んでいる。義母の形見分けとして貸してあったフロアー・スタンドとムスメと初めて共作したパネルを貰ってくる。
帰りに多磨霊園に寄りオヤジ・オフクロの墓参り。

ヘロヘロになって帰って来る。運転嫌いなワタクシにとっては連日の運転という過酷な3日間であった。帰って直ぐに日帰り温泉で疲れを癒す。

夜は寒くストーブをつける。

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晴れたり寒かったり

晴れれば暖かいのだが、ここのところ晴れたり曇ったりしていて朝晩は結構寒い。

13日。ミドさんから電話。「今日は香港から友人が来ていて香港の家庭料理を作ってくれる。夕食にいらして下さい」とのことでカミサンとお呼ばれする。ハシさんも来て賑やかな夕食。香港からいらしたイバさんの作る料理はどれも本格的中華でありながらとても優しい味。ササッと作っては次々にテーブルに並べてくれる。美味しい・美味しいとワインと共についつい食べ過ぎ、飲み過ぎ。

どうもあちこち不調である。
右手親指の付け根の痛み、右膝の痛み、目の疲れ、耳鳴り・・・
午後になると目が霞んでくるので、3時ころから1時間程ウォーキングしながら遠くを見るようにする。梅がやっと満開。

町議会議員選挙が始まった。11名の定員に対して12名が立候補。選挙公報が来たが数名を除き「何を訴えたいのか?何をしたいのか?」殆ど分からない。まあ争点となる問題もそうはないのだが、それにしても余りにも抽象的なことしか書いていない。経歴も年齢も書いていない候補者も多く
これでは選びようもない。血縁選挙!
中には「この人大丈夫なの?」と思わざるを得ないような人もいる。役場の課長の◯◯が「議会質問でも何言いたいのかまるでわからん人が結構いて、その人の質問に答えるのが苦痛」と言っていたが、町長も役場職員もその点ではゴクロウサンである。

これで当選したら毎月20万以上の手当かぁ〜・・・ま、我が家の家訓は『政治家と軍人になるべからず』であるから興味ないのだが・・・

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寒くて・・・

誕生祝祭降雪の除雪出役の放送は一昨日の夕方も昨日早朝も放送はなく、融けるに任せることとなりホッとする。
でも寒くて庭の雪は結構残ったまま。

昨日はAMAZONで買ったドライブレコーダーを前後に取り付ける。なにせカミサンはもう3回(信号待ちで2回、走行中に横から1回)も追突されているのでリアカメラも必要なのである。
電源はヒューズBOXから取り、配線は内装の裏側に押し込んで見えないようにする。少し走らせてみたがバッチリである。日本製にするか中国製にするか悩んだのだが、日本製の物でも結構問題があるようで、それならとAMAZONで評判の良い中国製の1万円程度の物にした。今後の耐久性はともかくこの値段でと思える写り。

夕方、ピンポンに玄関に出たらミドさんが立っている。「一日遅れのおめでとう!」とワインとハスプブルゲ家の可愛らしいチョコレートの詰め合わせを頂く。しまった、忘れていたが本日11日はミドさんの誕生日であった。「ゴメンナサイ!忘れていた!なにせ、昨日は自分の誕生日も忘れていて、ムスメからのメールで知ったくらいで・・・」。「夕食を一緒に」と誘ったのであるが、ミドさん香港とアメリカからのお客さんを別荘に置いてわざわざ届けに来てくれた由。申し訳ない!

その10分後にまたピンポン。今度はフミアキくん・タカシくんが町会議員選に出馬するセンイチくんを連れての挨拶回り。センイチくんは明るい好青年。

本日12日は朝から曇ったり雪がチラついたり。午後、ミドさんへのプレゼントを探しに諏訪の街に下りるが大した物は売っていない。ミドさんは今日から友人を連れて白馬に行っているかもしれず、日保ちのする菓子を購入。帰りにこの天気だからひょっとして白馬に行っていない可能性もあるので寄ってみるが、やはり行った様子。明日こちらに寄ってから東京ならその時に渡すし、あるいは直帰なら送ることにする。

それにしても寒い!

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さすがワタクシの誕生日である!

未明から降り始めた雪は08時現在10cm少々でまだ降り続けている。それにしても4月も、もう10日である。もう少し降り続ければ、降らなかった今冬というか今春というか、一番の積雪となりそうである。

やはり4月10日、さすがにワタクシの誕生日だけのことはあるが、17時からの雪かき出払いなんてことにならぬよう願う。

10時半。スマホから警報音。今朝から出ていた『大雪注意報』が『大雪警報』に引き上げられたとのこと。また『着雪注意報』も発令中。昨秋の台風で弱った根っこの木が春の重い雪で倒れると電線を切ってしまい、またぞろ停電の恐れがあるので要注意である。それにハウス農家にとってはこの重い雪はそれこそ大敵である。

先日の側溝の泥上げと、それに続く懇親会で畳に座っていたせいか腰をちょっと捻ると痛みがあるので雪かき出払いが不安。こんな重い雪では除雪機では飛ばないし・・・

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ここ数日のこと

6日(土)。暖かい一日。今日のウォーキングはいつものコースではなくアズマイチゲが咲く林を目指す。林の中、一面にアズマイチゲが咲き誇っている。この辺では一番早く咲き出す花である。この花が咲き出すと「春」という気がする。

林の中で「根性ケヤキ」を見つける。大きな岩の上に高さ10数メートルの欅がそびえ立っているのだが、1本の根っこは岩を抱きしめ、もう1本は岩の割れ目にまるでヘビのように潜り込んでいる。まあよく育ったものと感心する。
帰り道はニリンソウが咲く林を回るがまだ咲いていなかった。

7日(日)。春の道作り出払い作業。8時に常会が集合して農業用水の泥上げ作業。ワタクシと近所の3軒は出払い後の常会懇親会の「お燗番」=食料・調理当番だったので9時半にはあがり、農協に食料品や酒を買いに行く。30人程が出席とのことで予算は約6万円。汁物の材料と刺身、唐揚げ、巻き寿司、漬物、サラダ、饅頭、ポテチ等々とビールなどなどを買い込む。改善センターで机を並べた後、汁物(醤油味の豚汁みたいなもの)を作る。11時半に30名ほどが集まったところで連絡事項など30分程あり、その後懇親会。ワタクシとデービス由美さんが作った汁物、結構好評で一安心。2時半頃に中締めした後、呑んべいが10名程残って5時半頃まで「有るを尽くす」。お燗番であるから最後まで付き合う。

8日(月)。先日お亡くなりになった常会のシゲタネさんの告別式。盲腸の手術で入院、手術は上手くいったとのことだが、その後血栓が肺に飛び急に容態が悪化して亡くなった由。今時そんなことがと・・・!数年前には奥さんのタカコさんが風呂で亡くなったばかり。82歳になるシゲタネさんは一人で菊と米を作っていた。ワタクシが20年程前にこの集落に引っ越して来た頃の常会長さんで、挨拶にこの辺では最もポピュラーな『真澄』の一升瓶を持って挨拶に伺った時「オレ、こんな酒飲めね!」と言われて???。聞いたら「オレ、『神渡』の杜氏じゃ」とのことで大笑い。
常会の一番の古手で、ご意見番として、また知恵者だっただけに急な死に皆驚き悲しむ。
朝8時にシゲタネ氏の家の前に集まり出棺を見送る。その後11時からの告別式にカミサンとお焼香に。

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