樹木希林さん逝去

昨夜はニュース速報で樹木希林さんがお亡くなりになったことを知る。享年75歳。
先日、娘婿の本木氏が「一時危篤状態に」と公表した時から「ひょっとすると」とは思っていたが急なことであった。
全身ガンを患っていたのに、無理な治療をせずにいただけあって、所謂ガン顔にならずに亡くなったことは希林さんらしい死であったと、流石だと思った。

この仕事を始めて、まだ駆け出しの頃だった。色々と樹木希林さんにお世話になった。

 

「ワタクシの照明のコンセプトは海の中から見た太陽。部屋を明るくするだけではなく、天井や壁をガラスの泡の影で演出したい」と希林さんに伝えたら「家中の照明器具を一切任せるから自由に作って。但し、ガラスの1ピースにUCHIDAと入れて欲しい」。
初めての大きな仕事を、出会ってたった5分か10分でいただいたのであった。

注文を受けて数ヶ月、製作中に上京して希林邸に寄った時「まだ、出来ないの?あんまり遅いとピップ・エレキバンのCMに出て貰うから!ピップ貼って仕事も捗るってね!」。それを聞いたマネージャーが、ワタクシのオフクロが悪性リンパ腫で容態があまり良くないと希林さんに伝えたものだからビックリして「いいの!仕事は遅れてもいいの!今日は見舞いに行くの?病院何処?さあ、乗って!乗って!」と愛車のシトロエン2CVをそれこそ掃除のオバさんのような格好のまま器用に運転して西麻布から虎ノ門病院まで送ってくれたことがあった。
う〜ん、今思えばCMに出させて貰ったら良かった!?

希林さんが家の外の道路でえらく汚い仏壇を直していた。「丁度いいところに来た。これ直すの手伝って。拾って来たんだけど、心さえ入れれば入れ物は何でもいいの。誰か欲しい人にあげるの」と二人で直した。

ご飯食べましょと、ご馳走になる。玄米ご飯に野菜の煮物にサンマの焼き物に味噌汁をサッと作ってくれる。サンマを綺麗に食べたのを見て「オクズミさんはちゃんとしている。お嫁さんを紹介してあげる!」。
後日、マネージャーのイトウさんを通して「希林がご馳走したいと言っている」とのこと。「喜んで」と応えたら「それがねぇ〜、見合い話なの。オクズミさんには合わないと思うけど・・・う〜ん、やっぱり断った方がいいよ・・・」とのこと。でも見合いなんて初めて。おまけに希林さんの紹介。オモシロソウ!上京していそいそと行ったら鍋をご馳走してくれた。で、お相手はなんと宗教の人。ワタクシ学生時代『政治哲学』とか『国家と宗教』みたいなことやっていたし、若かったし、飲んで議論に。でもって、当然それ以上の話はナシ!

京都での初個展が決まり、希林さんに案内状の紹介文を頼んだら快く書いて下さった上、わざわざオープニング・パーティーに京都まで来て下さり、スピーチまでしてくれた。
ただその後、京都のギャラリーとワタクシを結びつけてくれた、京都に行く度に泊めてくれた大変恩のある料理屋さん(希林さん・マネージャーもお客さんだった)が、あまりにギャラリーのご主人や希林さんがワタクシを可愛がって下さったので嫉妬して(希林さん弁)、その料理屋さんと仲違いすることとなった。
これには後日談があり、個展も終わり、東京で希林さんにご挨拶に伺った時に、丁度京都の料理屋さんから希林さんのマネージャにワタクシの悪口電話があり、側で聞いていた希林さんが「まぁ、みっともない!嫉妬したのね!◯◯人は怖いねぇ〜!貴方はこれから作家として世に出て行くわけで、色々と陰口を叩く人も出てくるだろうけれど一切気にしちゃ駄目。表現者は作品で勝負していればいいの!」と言ってくれた。

照明器具の取り付けも終わり、後日プロのカメラマンが撮影してくれることとなり、夜、伺った。希林さんはこの日仕事で不在。小学1〜2年生の娘の也哉子さんとお手伝いさんだけだったのだが「オカーサンいなくて寂しいね」と言ったら、也哉子さんが自分の背丈くらいの希林さんのパネルを引きずってきて「寂しくないもん」と、ニッと笑いながらパネルから顔を覗かせたのが何ともいじらしかった。

照明器具の下に希林さん寝転んで「照明器具を揺らして」と言う。揺らしたら「本当に海の中から太陽を見ているみたい!」「オカーサンのお腹の中かしら」。

「人はね、なるべく物を持たずに生きた方が楽なの」。今、ワタクシは正反対の生活となっているのであるが。

ここ最近、希林さんが自宅での取材に何回か応じていて、照明器具も写ったりしていた。アナウンサーが「この照明器具素晴らしい」とかなんとか言って、希林さんが「ガラス作家に作ってもらって」とか答えていたのだが、それを見た視聴者がワタクシのブログに行き着いたようで、メールで4〜5件の問い合わせがきた。ワタクシの照明器具の代表作であるから嬉しいといえば嬉しいのであるが、値段を正直に知らせるとパタッと来なくなる。う〜ん、ワタクシのは単純な形の上に無色泡ガラス、そのくせ台湾製の色気違いみたいな照明器具の何倍もするのだから・・・
材料を仕入れ、ガラス・カットして、ルーターを掛けて、テープを巻いて、半田付けして、半田を着色して、磨いて、配線して、取り付けに都まで行って、と考えたら台湾製の何倍にもなるんだけどなぁ〜!で、ここ30年は殆ど照明器具を作っていないのです!

今朝のワイドショーはどこも希林さんが亡くなられた話。ある局でタ◯ダテツヤ氏が如何に希林さんが凄かったかみたいな話をしていて思い出した。件の見合いの時、相手の女性が「金ぱち先生」だかの話を始めた。それを聞いた希林さん「あのねぇ〜、タ◯ダテツヤという人は◯カなの。自分を勘違いしているのに気付かない人なの」と言っていたのを思い出して嗤ってしまった。

色々とあの頃のことを思い出す。

ありがとうございました。

気ぃ遣いだった希林さん、アッチの世界でもきっと忙しくしていることだろう。

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チラシ

長引いた夏風邪もようやく治ったと思ったら、親戚の結婚式のために上京していたカミサンが帰るなり風邪ひき。息子からワタクシ、そしてカミサンへとなかなかに強烈な風邪である。
そのムスコは風邪も治り、先日ピアノのユウセイくんとのデュオ・ライブを中野でやったのだが、満員になったとか。

先日動物病院のタニザワくんから電話がくる。「オイ、あのブルドッグのステンド評判だぞ!誰が作ったのか?とか幾らくらいで頼めるか?とか、うるさくて仕方ない。ついてはチラシを作って送れ!」とのこと。
へぇ〜!そんなこともあるのかと半信半疑であるが、ま、患者でなく患犬・患猫の飼い主から仕事の一つか二つ、いやいや欲張って三つか四つも注文が来たらと取らぬ狸の皮算用。早速チラシを作ることにするが、考えてみたら仕事のチラシなんぞをこの40年もの間に作ったことは全くない。個展は何回かやったが全てギャラリーの企画展として、ギャラリーが案内状やポスターを作ってくれた。
よくもまあ口コミだけで40年と、自分ながらに感心?するというか・・・

う〜ん、色々デザインするが自分を宣伝するというのは難しい。で、結局なるべくシンプルなものにすることにして、Photoshopを使ってあれやこれや写真の配置を考えるが、動物病院に置くのであるからブルドッグは外せないし、もっと細かい作品・無色の作品としてカガミダイ、それに抽象的デザインも作っていることをアピールしなきゃと、南青山のバーの作品(今は新小岩のクリニックに納まっているのだが)の3枚を配置することにする。後は連絡先等で・・・と。
で、印刷であるが印刷屋でとも考えたのだが、そこまで立派なチラシじゃないし・・・自宅のプリンターで。でもコピー用紙じゃ薄すぎるしとAMAZONでちょっと良い紙を探してと・・・

本日発送を終える。

たぬき・タヌキ・狸と・・・

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台風21号に北海道では大地震

台風21号では25時間の停電というワタクシとしては初めての経験をしたが、日頃の情報過多の日々から考えるとスマホでしか情報が入らないというのはなかなかに不便であった。当然WiFiがない環境でおまけに通信障害が起きなかなかNetにも繋がらなくなった。ラジオは登山用のポケットラジオを持っているのだが、元々電波状態の良くないこの地域であるからニュースをうまく聞けない。まあ、我が家には大した被害も無かったのだから座して停電が復旧するのを待つしかないのであるが、情報過多の日々からすると何となく不安になるものである。

昨夜やっとTVがついて娑婆の、それも関西地方の台風被害を見てビックリしたのであるが、今朝はもっとビックリした。3時過ぎにスマホニュースの着信音で北海道で震度6の地震を知る。ただそのまま寝て、5時半に起き出してTVをつけてヘリから、山というより丘の斜面があちこち崩落して人家を押し流している映像を見て恐怖した。緑色だった斜面がそれこそ辺り一面地滑り・崩落によって茶色に変わっている。まだはっきりしたことは分からぬが、所によっては震度7以上だった可能性があるという。原発は今のところ非常電源が稼働しているとのことであるが・・・

現在300万世帯余が停電とのことであるが、これから冬に向かう時期、寒さの訪れが早い北海道はどうなるのであろう。

まったくノーテンキにオリンピックなんぞと言っているが、猛暑に台風、地震に噴火に(それだけじゃなくこの国の有り様も)と「美しい国 日本」は沈みつつあるとしか思えないのである。

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台風21号・停電

昨日16時からの停電、18時間経ってもまだ復旧しない。そこら中で倒木。文明生活も脆いものである。

昨日は6ヶ月ぶりのガンが再発していないかのエコーや内視鏡検査があったのだが、風呂に入れなかったし、中部電力のHPを見ても23時頃復旧見込みとは出ていてもあんまり信用出来そうもない。今夜もどうなるか分からないので日帰り温泉に行った後、暗くならないうちに夕食をとる。
ナマズのゴンベイは昨夕から浄水器もエアーポンプのブクブクも止まりハアハアとエラを凄い勢いで動かしている。仕方ない、ゴンベイの為ならとチューブを咥えてと思ったが、それもシンドイ。で、自転車の空気入れにエアーポンプのビニールチューブを繋いでいる最中にパッと電気が点く。やれやれ25時間ぶりに電気が来た。

その直後大阪の姉から電話。「今やっと停電が直った」とのこと。銀行もスーパーも停電で臨時休業だし信号も消えて大混乱だった由。
やっと情報を得られるとTVをつけたらそれこそ姉のいる豊中市が映り、屋根が飛んでいく様や車が転がっている様を見てびっくりする。

これが猛暑日だったり真冬だったらと、この異常気象がこれから増えることを考えると恐ろしくなる。

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風邪をひく

東の都から戻って以来、どうも調子が悪く、何もやる気が起こらない。ムスコの部屋で慣れぬクーラーの元で寝たからだろうと思っていたら、28日夜になってから急に喉が痛くなってくる。そういえばムスコが「先日うちに泊まっていった奴から風邪をうつされた。喉にくる風邪みたい。トーサンも気をつけて」と言っていた。どうも強烈なのをにうつされたようだ。
久しぶりの本格的に風邪である。熱を風邪薬で抑えたせいか、暑いのか寒いのかよく分からなくなる。おまけに腰も痛くなる。
困ったことである。が、まあ、この国の政治やスポーツ界に比べりゃ大したことはないのであるが・・・

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