ラジオはエロい?

ちょっと細かいデザインをやっているのだが、描いても描いても納得出来ずにイライラの毎日。五十肩と腰痛と膝痛がいっぺんにきた。五十肩と腰痛は雪かきのセイと辛気くさいデザインのセイ。膝痛は雪道でのウォーキングで使った安売りのちょっと大きめのスノーブーツのセイ。昔の左足首骨折のセイで左足首が内股気味なのであるが、このちょっと大きめのスノーブーツ(このワンサイズ下では履いたり脱いだりがきつかったので)を履くと如何にも内股となってしまうので、意識的にガニ股で歩くようにしていたら膝にきたのである。
もう20年近く前、やはり足首を痛めてリハビリに通った時に担当してくれた山女でうら若き女性理学療法士が「この足首でどうやってアイゼンで登ったりスキーを出来るの?」と不思議がっていた。

それでも少しは暖かくなってきてのウォーキングは気持ちいい。膝をだましだまし歩いている。

昨日ムスコから電話。「この間、職場でラジオを聞いていて笑っちゃった」とのこと。「丁度アイスダンスをやっていたんだけど、それがさぁ、解説が凄くて笑っちゃった。二人が抱き合い、背中に手を廻して・・・アッ、今、膝の上に乗せました・・・二人が見つめ合って・・・etc etc」。う〜む、ポルノ小説としか思えない!

オリンピックの種目がどんどん増えているが、採点競技には興味がわかない。スノーボードのハーフパイプ、凄いとは思うが興味ない。フィギュアなんて体操同様、端から見ない。やっぱり速さや得点を競うのが面白い。スキーやホッケー、ジャンプやアイススケートがやっぱり面白い。シンキクサイと思うしワタクシが若かったとしても絶対やらなかったと思うが、カーリングも結構見てしまう。勿論女子の方が面白いが・・・

こういう話題、故ヨシユキさんが生きていたら盛り上がったのであるが・・・

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追悼

今朝は5時に起きて雪かきの支度で区の有線放送を待つ。5時半に「各常会、帳場の雪かきをお願いします」の放送で真っ暗な外へ。20cmあるかないか程度。隣のフミアキ君と700〜800m弱離れた集合場所までスコップを担いで下るが、県道は既に除雪してありツルツルで滑る。帳場は小学校への500〜600mの歩道だが既にタカシ君やヒサナガさん、ヨシヒロ君がトラクターで搔いてくれてあった。有り難い。チョコチョコッと搔いてお終い。点呼を取って解散。またスコップを担いで家まで今度は登る。それでも1時間弱かかる。帰ってからは除雪機で家へのアプローチと町道の除雪、それとタケトシさん家の駐車場。1時間程。朝食を摂ってから車2台をどかして駐車場の除雪と裏庭の除雪に1時間程。

 

年末に早坂暁氏が亡くなった。「ダウンタウン・ヒーローズ」や「夢千代日記」は何度も読んだ。向田邦子・つかこうへい・・・ワタクシの好きな脚本家がいなくなった。

西部邁氏の自死には驚いたが、如何にも彼らしい死に様であったと思う。亡くなった翌日、西の都の藍染作家、フクモトさんから電話。ショックを受けたとのこと。3年程前に亡くなった青木昌彦氏(姫岡玲治)と親しかっただけに驚いたようだ。

先日は野中務氏も亡くなった。これで自民には気骨のある政治家は完全にいなくなった。残るはネトウヨばかりか。

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寒っ!

都では48年ぶりの寒さとか言っているが、こちらも久々に寒い。
昨日は晴れたり曇ったりで雪は降らなかったのであるが、地吹雪が酷く、ちょっと町の銀行に行こうと長い下りを走ったのだが時々ホワイトアウト。地吹雪で飛ばされた枝が車にビシビシと当たった。

今朝7時の気温がマイナス17.5度。9時がマイナス12度。ちなみにアトリエは7時で0.5度。リビングは薪ストーブのおかげで23〜25度を保っているのだが。

40年前に標高1000mを少し欠ける土地に手作りの家を建てて住んでいた頃はマイナス15〜18度が普通で、時々マイナス20度以下になっていたのであるから暖かくなったのであるが、そのぶん年をとったのか寒く感じる。おまけに当時は1階が最初12坪、増築してからでも18坪の小さな家であったからストーブ1台でヌクヌクであった。灯油もリッター30円程度で安かったように覚えている。現在はアトリエだけで16坪あるし、3面が大きなガラス窓だし天井も高いのでアトリエに限って言えば甚だ暖房効率が悪いのである。
20度まで上がるのを毎日ひたすら待つしかないのである。

午後早目にウォーキング。舗装道路にはほぼ雪がないが、砂利道には10cm程のサラサラの雪が残っている。スニーカーで歩ける程度。山にも雪が少ない。東の溜池に昨日の地吹雪で飛ばされた枝が散乱していた。

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もう8年

昨日は5時に起きて外を見るが15〜16cmと大して積もっていない。集落の「出払い雪かき」の有線放送もない。6時半頃から除雪機でアプローチや駐車スペース、町道まで除雪。テレビのニュースでは都心の大雪(23cm)騒動ばかり。南岸低気圧が少々東寄りを通過したのでこちらより都の方が降ったのだろう。

昼、草津の本白根山が噴火して噴石により死傷者が出たことを知る。地震や噴火が相次いでいる。活動期に入ったのだろうか。日本沈没が迫っている?

午後は半年ぶりの膀胱鏡検査。検査後の診察で「今回も再発はありませんでした」とドクトル・フルヤ。これで2回目の手術からまる8年再発していない。抗がん剤が効いたようだが、半年おきの膀胱鏡検査は一生続きそう。

夜、リーさんから電話。「オクズミさぁ〜ん、ワタシ手紙読んで泣きそうになった。そうじゃないの、あの二次会で向かいに座った人から傷つくようなことを言われて・・・」とのこと。「イヤ、どんな事情があろうと失礼なことをしたのは僕で・・・本当に恥ずかしい。ゴメンナサイ」。「私は右翼や学生から言われても傷つかない。けれどリベラルなはずの人から言われて非常に嫌だった」と。そんな会話があったことも知らずに上の空だったことをまた恥じる。4月から1年間式大学で教えることになっているリーさんとはその前に一度飲む約束。

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東の都

18日夜になって急に19日のこちらでの用件がキャンセルとなったので、19日の午前中のバスで急遽東の都へ。
14時55分からの成蹊大学法学部教授の亀嶋さんの最終講義「マックス・ウェーバーと〈20世紀〉の政治」を聴講する。教職員、学生、OBなど500名程で満員となる。1時間半の講義でウェーバーの「政治の世界の暴力性」「合理化」「近代資本主義」「合理化と政治」「宗教」「職業としての政治」等々の要点を分かりやすくまとめられた素晴らしい講義に盛大な拍手が送られた。カメジマさんは3つ上。ワタクシは彼がドクターの頃からの飲み友達なのだが、「さすがカメさん」であった。
講義の後、ホールでパーティー。ゼミで一緒だったタカハシ女史と30年ぶりで話す。パーティーの最中、山仲間から「鹿島槍に単独で入った友人が最終下山時間近くなっても下りて来ない」との連絡。「そちらの2000年の山岳部学生の鹿島槍での事故の概要を知らせて欲しい」とのことで、簡単に説明。ただ最終下山時刻にはまだ時間が残されていたし、直接知らない人の話しでもあり、ワタクシはそのままパーティーに参加し続け、次の二次会にも参加。時々メールにて連絡を受けるも、最終下山時刻が近づき、嫌な不安感が募り、ついついメールに気を取られてリーさんに注意を受けるも全く「心ここに非ず」で気付かず。三次会に向かう途中で「無事自力下山。軽い凍傷」との連絡にホッとすると同時に、リーさんに恥ずかしく、気が滅入る。

20日。ムスコの部屋で6時に起きだす。リーさんに謝罪の手紙を書く。
高円寺をぶらつき、午後バイトが早く終わったムスメと1時間程会った後、いつもの銭湯。夜、手術を終え無事退院した友人と奥様・お嬢様と王子で会い、美味しいイタリアンでご馳走となり、その上そのイタリアンの窓にステンドの仕事をもらう。

21日。ムスコと朝8時過ぎの銭湯。
ムスメも来て早めの昼食を摂り、13時過ぎのバスに乗り、夕方に帰ってくる。

22日。さすがに肉体的にも精神的にも疲れ、明日の降雪に備えての除雪機の整備だけ。

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