喉元過ぎれば・・・
昨日は故ヨシユキさん宅にショート・ピースをお供えに伺う。シゲコさんも少しは疲れも取れた様子。隣に新築中のナオちゃんの家の覆いが取れて、以後は内装工事で2月初旬には引き渡しとのこと。
今日はボイラーの配管の修理。昨冬、ボイラーから洗面所への給湯パイプのパッキングから水漏れがツララとなり、応急処置をして凌ぎ、暖かくなったらパッキングを交換しようと思っていたのだが、喉元過ぎればナントヤラで忘れていた。昨夜ひょっと思い出したので今朝から修理することにする。水道工事屋に寄って外した古いパッキングを見せて同口径のパッキングを1個買うも140円とのこと。高い!でも最近のパッキングはゴムではなくブルーの硬い素材の物に変わっていることを知る。帰りにホームセンターに寄って保温テープなどを買い求め、ついでにパッキングを見たら3個で178円。パイプのボイラー側のパッキングもどうせ劣化しているだろうと買い足す。
フレキシブル・パイプの両側の保温材を外してパッキングを交換する。両側のゴムパッキングとも劣化していた。
これでは他のパッキングも劣化していることだろうが、ボイラーは家の北側なので寒くて他の場所をやる気になれない。他のパッキング交換は来春へと・・・エイエイ、どうせワタクシはキリギリス・・・今冬は保ってくれ・・・
農業法人
昨日午後、久しぶりにウォーキングに出る。道は圧雪されて所々ツルツル。もう畑には誰もいない。
最後の登りを終えて処で新しく建てるハウスに引く電源ケーブルを自分で埋設しているマナブ君に会う。マナブ君は菊農家。全部で20棟以上のハウスで菊栽培をやっている。忙しい出荷時期には挨拶だけで済ますが、今日は久しぶりに話し込む。
「百姓ってのは忙しいだけで本当に儲からなくできていて・・・」とぼやいている。「最近は富士見に農業法人が次々に出来ているけどどうなの?」と聞くと「農業法人には国から補助がどんどん出るけれど、個人農家への補助はどんどん厳しくなって・・・」とのこと。「農業法人は次々と休耕地を借りて、ワッと何年か作って、土がダメになりゃ返してしまう。百姓が何十年もかけて作ってきた土を食い荒らして・・・個人農家はそうはいかないから・・・農協や県にいくら言っても目先のことしか考えなくなっていて・・・もう言うのにも疲れた・・・」。「よくファミレスなんかが自社の畑で作った野菜というけれど、その影ではどんどん土地が痩せていて・・・農業法人に何年か勤めてから独立し、新たに農業法人を作って補助金をもらっての繰り返し・・・」とのこと。
最近は富士見に幾つもの農業法人が入ってきている。レタスなどの収穫期にあちこちの二反三反の元休耕地に10名程が集まってあっという間に箱詰めされていくのだが、行き先は農協ではなく自社のファミレスやスーパーである。その農業法人に金を貸したり、休耕地を斡旋しているのが農協であり、百姓から見れば「自分等の為の農協のはずが!」と思うのは当たり前である。
先日忍くんも言っていたが「もう大工なんて居なくなっちゃう。住宅メーカーの家ばかり。電動ドリルと合板用のノコギリだけ・・・木組みも彫れない大工ばかり・・・」と言って嘆いていたが、農家同様のようである。
この先、日本の風景というのがどんどん貧しくなっていくのだろう。
お別れ
13日。晴れ。朝7時半に出て葉っぱチャンを迎えに霧ヶ峰農場に上る。思ったより雪が少なく9時過ぎには帰って来る。忍君も来て11時前にヨシユキさん宅へ。ヨシユキさんの弟夫婦が磐城から、シゲコさんの弟夫婦が東京からいらっしゃっていた。各々がお別れをした後、持ち寄った軽い昼食をいただく。12時納棺。高校時代は水泳部だったヨシユキさんだが軽くなってしまっていた。両切りピースや入院中に「何か軽い読み物ないかなぁ〜」と頼まれて届けたがまだ読み終わっていない奥田英朗の本、学生時代に立ち上げた演劇集団『クロネコ』の布製ポスターなどを、シゲコさんが庭の花で作った押し花や生花と共に収める。13時出棺。茅野の火葬場にて最後のお別れを各々がした後、荼毘にふす。享年70歳と11ヶ月。
17時前から富士見の八峯苑にて親族・親友20名程で会食。献杯の挨拶を頼まれるが言葉が詰まってうまく話せず。ヨシユキさんがこの15年程飲めなくなってしまっていたので、ウィスキーで献杯する。変な言い方であるが「いい葬儀」であったと思う。
21時頃、八峯苑に泊まる親族と別れ、忍君を家まで送り、我が家に泊まる葉っぱチャンと帰ってくる。
ヨシユキさんの想い出話しなどを遅くまで葉っぱチャンと語る。
14日。晴れ。葉っぱチャン、ここ何年か毎年1〜2月頃にパック旅行で海外に1週間程の旅をしているとのこと。「考えてみたらあと何年かしか動けないと思って、1年間ポツポツと貯めて行っているのよ。パック旅行なんてと思ったけれど、ちょっと足して個室にすれば案外いいものよ」とのこと。いい歳の取り方をしている。さすが葉っぱチャン。
午前中に葉っぱチャンを霧ヶ峰まで送った後、カミサンと買い物をして帰ったらどっと疲れが出る。
15日。晴れ。逝っちまったなぁ〜と思う。
毎週水曜日午後はカミサンのピアノ教室の日。ガキ共がうるさいのでヨシユキさんの家に行って馬鹿話をしていた。お互いの性格から時事問題・昔話・誰彼の話しを「斜に見て」話す。この時間が外にあまり出られない彼にとって大きな気晴らしとなっているとシゲコさんによく言われたのだが、ワタクシにとっても精神安定剤的な貴重な時間であった。考えてみればこの40年間家族を別とすれば最も時間を共有した人であった。
彼らしいいい葬儀であった。オフクロもオヤジの時も無宗教・家族葬でやった。ワタクシの時も家族葬でと言ってある。ヨシユキさんも家族と極々親しかった友人だけでの葬儀であった。ワタクシもそろそろ集まって欲しい友人の人選をしておかねば、と思う。死んでまで会いたくない奴が来られてはたまらない。そういう奴に限って「如何に自分が故人と親しかった」かをアピールしたりする・・・
いっそ、来て欲しくない奴の名簿でも作っておくか。
それから遺影も一応準備しておかねば・・・
ま、財産はないから心配ないが・・・
寂しくなったものである。
・・・!
カミサンはまだ義母宅。昨日は昼飯を食べ損なったし、疲れているので夕食には栄養をと、ステーキ肉と鯖の押し寿司とサラダに白菜たっぷりの味噌汁で夕食。夕食後ストーブの前でムスコの今回のライブの録音を思いっきりの音量でかけていたのだが、2曲目の途中から寝てしまった。風呂に入ってから寝たのだがあまり眠れず。
今朝はヨシユキさんのやはり古くからの友人の葉っぱチャンや忍君に13日の葬儀次第を伝えたり、東京の友人への連絡後、ジムニーのタイヤ交換へ。ジムニー、いよいよ古くなり、そうそう保たないと思われ、新しいスタッドレスを買うのも馬鹿らしいとメルカリで4本6000円で買った2シーズン使用のヨコハマのスタッドレスの組み換えにタイヤ屋へ。バルブも交換してというのにニイチャン「まだ大丈夫」と交換せずに組んだところ空気漏れ。また外してバルブ交換してと待たされる。
ヨシユキさん「最期には両切りピースを吸いたい」と言っていたとのことで、ピース缶を探すもコンビニでは売っていない。この辺にはタバコ屋はもうなく、懐かしいパッケージの10本入りを買いヨシユキ宅へ行き供える。若干の打ち合わせ後に帰宅。昼寝でもと思うのだが眠れず。


