監視のお土産

我が家にはデストロイヤーことカミサンがいるものだから何でもよく壊れる。ガスコンロも3口のうち、一つがダメになった。爆発されちゃ怖いので誕生日プレゼントとしてガスコンロを交換する。
もう随分と前にコンロは屆いていたのだが、ガス屋が今日やっと取り付けにくる。コンロなんてものは火が着きゃいいものだが、最近のはやれ立ち消え防止機能だの油の温度設定だのセンサーだらけである。どうせすぐ壊れるのではと思うような機能だらけである。ガス屋のニイサンが2時間半もかかって取り付ける。

次の仕事のに使うガラスをサンプル・ガラスやメーカーの写真から拾い出す。今週中には名古屋に買いに行かねば。

夕方『監視』に出る。監視が必要なアブナイ奴等は大体永田町あたり生息しているのだが、なんせ『監視』や『密告』が義務となったのだから田舎に住んでいたって気は抜けないのである。

ブロッコリー畑で収穫中の名前の覚えられない◯◯さん夫婦に行きあう。「帰りもここ通るかね?ちっと育ちすぎだが帰りに寄って持っていけや」と言ってくれる。東の溜池を過ぎた菊畑では和志さんが「毎日よう精が出るな?何キロ歩いているんだね」と声をかけられる。先日のお返しにと「うん、なんせ監視せにゃならんから4〜5Km歩いている」と言ったら大笑いしている。◯◯さんの畑に戻るには一度下ってからまた登る。「育ちすぎて・・・そろそろ下の畑のを出荷しなきゃならない。
この畑のはトラクターでかきまわさにゃならん」と言いながら、大きなブロッコリーを7つもくれる。「ちょっと茹でてから冷凍しときゃいいし、スープにしてもいい」「次来るときゃ袋持って来い」とのこと。カミサンにも3個持たせてのんびり下って来る。

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漁協総会にムスメの就職

昨日は夕方から釜無川漁業協同組合の総会。昨年度決算と今年度予算が主だが、今回は80万円近い赤字を抱え理事会でさんざん問題となった議案ではある。小さな漁協であるから年間予算も650万円程度、その半分は釣り堀経営で賄っているが、自然相手、生き物相手であるからなかなかに難しい。
ま、総会では特に意見も出ずにシャンシャンで終わる。ヤレヤレ。

総会の後は懇親会。一人千円の酒の肴の折詰にマナの奥さん達が作ってくれた筍煮や冷奴・漬物などにビールと焼酎・日本酒。肝臓ガンの手術を受けたトシさんもカミサンの目の届かぬ場所とあって嬉しそうにビールを飲んでいる。親方(彼が組合長の時、3期専務理事を引き受けた)はもう82歳であるが相変わらずに元気。
監事をやってもらっている元副町長(アホ現町長の元、三度も議会で否決された議案の責任を取るという形で辞職=そりゃ彼だってやってられんワ。今夏の町長選に立候補した)には今後町の自然をどうやって守っていくかについて一度ゆっくり話を聞きたいとのこと。そりゃ勿論構わないのであるが、それよりアホ現町長には何が何でも町長選に出馬させて大敗させねばと・・・

懇親会後はいつものメンバー5〜6人で『水月』にて二次会。いつも鹿肉を届けてくれる猟師のマサルさんが来ている。十二指腸潰瘍をほっぽらかしにしておいたら発熱が続き、町医者で「こりゃ大変。救急車で日赤に!」と言われたのにタクシーで家に入院道具を取りに帰り、そのままタクシーで諏訪の日赤へ。日赤ではいつまで経っても救急車が到着しないと救急外来が騒いでいるのに、そんなこと知っちゃいないマサルさんであるから一般外来で2時間近く待たされてやっと診察。即刻入院。腸に大きな穴が空いていたものの、ちょっと点滴をやったらすぐに塞がったとのことで、強引に1週間で出てきたとのこと。日本酒はさすがに止めたらしく、焼酎を飲んでいる。ま、どっちかっていうと熊や猪に近い人ではあるからな・・・

親方やヒデや事務局(役場の農林課が事務局となっている)のアキヒコ、税務処理を頼んでいる税理士のミヨシなどとガンガンとタクワンを肴に飲む。どうも漁協の連中は漬物と豆腐しか頼まないのである・・・

途中カミサンから電話。「ムスメがアンティーク・ショップに決まった」とのこと。ムスメは某大学生協でバイトをやっていたのだが、そこはオバサンばかりの職場。派閥はあるし皆全く責任感がない人達ばかりで、結局レジの締めや商品の発注まで、入って1〜2ヶ月のムスメへの依存体制が出来上がってしまい、残業残業の毎日だとか。「そんなバイト先に責任を感じることはない。セッセと辞めろ」と言っていたのだが、そこで新たに見つけたのが某有名アンティーク・ショップの求人。そこは自社で傷んだ家具などもきちんと修理して売るという会社とのこと。たまたま求人があり応募し、22日に面接を受けていたのである。社長面接は1時間にわたり、自分の家具に対するイメージなどを話し、いい感触だったとのこと。ただ人気の会社で時給も良いとあって応募者が多く、昨25日の夕方6時に採用であれば電話がくることになっていたのである。親としては「いけるんじゃないか」とは思いつつも「ま、試験ってのは1点足りなきゃダメだけど、面接だけというのは相手側の相性もあるからな」と一応牽制しておいたのである。ヤレヤレである。ムスメに電話。「6時2分前に電話があった。応募者が多かったけれど落ち着いている貴女に是非きてほしい」と言われたとのこと。「ニイとこれから就職祝い」と嬉しそう。
漁協二次会でも皆が喜んでくれて祝杯となる。

5時前から焼酎とビールをガンガンやっていたので8時半頃には皆出来上がっていた。会計はヒデが取り仕切って、先月だか税務処理代代わりの接待をスッポラカシたミヨシや組合長のマナなどから万札を取り立てて、我々は一人1000円・・・?ヒデの奥さんのアヤちゃんが迎えに来てくれてアキヒコ共々送ってもらう。ふぅ〜、やっと総会も終わったし、ムスメもやりたい工芸の世界に近い仕事を見つけて、ヤレヤレの一日であった。

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地震でナマズのゴンベイは

以下は、昨日書いたのだがブログにアップするのを忘れていた。幾人もの方から「地震大丈夫ですか?」とのお見舞いを頂いていたのに申し訳ありませんでした。

今朝7時過ぎに長野県南部王滝村を中心として震度5強の地震。ちょうど朝食を終えた頃であったが、ドンという振動で「アレッ」と思っただけで揺れはあまり感じなかった。テレビの速報では富士見町は震度2とのこと。ただその後もスマホの緊急地震速報が何回か鳴る。ごく浅い処での地震だそうで、今後も強い揺れが続くとのこと。ちょっと心配である。

ナマズのゴンベイは落ち着かない。
普段だったらパイプの寝床で寝ている時間であるが、さかんに泳ぎ回っている。だから写真もピンボケであるが。
カミサンが言っていたが、先週の水曜日にピアノを習いに来ている子供達が「いつも寝ているのにナマズが泳いでいるのを初めて見た」と喜んでいたという。たしかにここ数日も昼間でも水槽の中を泳ぎ回っていたように思う。ちゃんと地震がくることを感知していたのだろうか?

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都でバテバテ

19日の夕方にカミサンが東の都から帰って来たのと交代に20日の朝早く、ワタクシが都へと向かう。
恒例の調布から初台あたりの首都高通勤ラッシュもそれほど関係なく、高円寺のムスコのマンションに9時丁度に着く。防音室などの荷物を降ろしてから、杉並区役所に転居届けを出しに行くムスコと阿佐ヶ谷に行き、ムスメの部屋の近くのコインパーキングに車を駐めてムスコの部屋に戻る。

今までムスコは1Rマンションに住んでいたのだが、部屋ではサックスを吹くことが出来ず、それではと現在の部屋から30m程の処にあるビルの2Fに引っ越したのである。近いので友人に手伝ってもらって冷蔵庫もベッドも洗濯機も手で運び終え引っ越しはほぼ終えてていた。この物件は隣がJAZZ喫茶、3FはJAZZ喫茶のオーナーがお住まいとのことで『お互い様。防音室の中で吹くならOK』となったのである。そこで3月に倉敷にムスコと貰いに行ったノリマツさんのからの防音室を今回運んで行ったわけである。
今回の物件探しで知ったのだが、『楽器可』とか『楽器応談』と書いてあっても管楽器等は防音室を置いてもまずダメ。子供のピアノやアコースティク・ギター程度なら可らしい。管楽器可ともなると普通の家賃の倍以上の完全防音設備の部屋しかないらしい。

この防音室は50mmの圧縮グラス・ウールを布で包んであるパネルをアルミの柱で組み立てる物であるが、包んである布が劣化していてガラス繊維が漏れ出していたので、建材用銀色タイベックス・シートで密封して組み立てた。であるから狭い部屋に業務用大型冷蔵庫を設置した感じとなってしまったが、中で吹いてもTVをつけているか、ステレオを掛けている程度の音で、隣のJAZZ喫茶よりはマシ程度に抑えられた。熱交換型の換気扇も付いているので、夏でも部屋のクーラーを強めに設定しておけば防音室内部の温度もある程度は下げられそうである。

夕方には組み立ても終わりいつもの銭湯『上越泉』へ。番台のオバーチャンが「あ、オトーサン。仕事でいらっしゃったの」とニコニコして迎えてくれる。水風呂とジェットバス、ミルク湯を交互に数回浴びて疲れを癒す。で、銭湯の後は待ちわびた生ビール。いつもの店と思ったらまだ開店前。テキトーに開いている店に入って飲むがハズレ。美味くない。2軒目はいつもの中華料理屋でホッピーを飲みながら食し、酔いつぶれたムスコと別れて吉祥寺へ。例のスナックで1時間半程飲んで11時過ぎにムスコの部屋で爆睡。

21日。朝から雨。朝食を食べに出た帰りにムスコが粗大ごみのちょうど良い大きさのテーブルを拾ってくる。
ワタクシはカミサンから預かってきた手作りの冷凍食品や、今までムスコが使っていた小型空気洗浄機を持ってタクシーでムスメの部屋へ。30分ほどコーヒーを沸かしてもらって話す。面白い絵を沢山描いている。バイトに向かうムスメと別れてムスコの部屋に車で向かい、防音室組み立てに使った脚立や実家に持ち帰る机や本などを積み込み駐車場を探すが、生憎の雨とあって安いコインパーキングはどこも満車。高円寺のコインパーキングは24H定額制が余りなく、下手に駐めると24時間で1万近くなるのである。部屋から15分も離れたコインパーキングをやっと見つけて駐車。大雨の中、ずぶ濡れとなって部屋に戻る。
部屋にはAUの電波調査員が来ていた。ムスコの部屋は鉄筋ビルで、3方をビルに囲まれている上、玄関ドアは鉄製、窓は網入りのためにAUの携帯が通じないのである。ワタクシのdocomoも通じにくい。で、レピーターを設置したのだが、ムスコの3Gガラケーではダメ。調査員曰く「4Gにしてもレピーターではダメかもしれないが、総務省に申請してもっと改善できる4G用室内電波塔のようなものを設置する」とのこと。遅い昼食を食べに出た帰りにAUショップに寄り、4Gスマホを買うが契約が終わるまでに2時間も要す。4Gスマホでも部屋ではまだ実用に耐えない。

シーリング・ライトの取り付けや防音室のドア周りの音漏れをスポンジなどで防ぐ作業でクタクタ。
銭湯に行く気力もなく、二人で一杯やりに飲み屋へ。この店もハズレ。今回は飲み屋開拓に失敗。バイト帰りに寄るといっていたムスメを部屋で待つが、同僚の不手際から残業となったムスメは9時半過ぎにヘロヘロとなってやってくる。中華が食べたいというムスメと3人で引っ越し祝いに、昨日とは違う店に入るが3人共疲れていてそれほど食べられず。
23時頃ムスメと駅で別れて爆睡。

22日。ムスコは伝票整理を頼まれているとかで6時にはバイトに向かう。ワタクシはムスコの前に住んでいた部屋を少々片付けてと思うが疲れていて気力が出ない。バイトが休みのムスメのところにも寄らずに多摩墓地のオヤジ・オフクロの墓参りに寄り、そのまま高速に乗るが、運転も眠くて眠くて。昼食前に帰宅。

午後、もう35年来の友人のドクトルから電話。もう5〜6年まえ彼がオグラ某というインチキ医者(ワタクシも一度会ったことがあるが、金儲けしか考えない輩であった)の偽証によって逮捕され、医師法違反教唆で起訴されるも、刑事裁判として全面無罪判決となったのであるが、その後、彼は民事裁判を起こし、国・東京都・逮捕した警察官・起訴した検事に対する国家賠償請求、並びに虚偽供述をした医者を訴えたのだがこちらは敗訴した事件に関する話し。この事件はあまりにずさんな捜査や裁判、偽証した医者の数々の違法に目をつぶったとして元裁判官なども注目している事件であるが、事の真実を訴えるべく本を出版したいとの話し。ワタクシの友人で法律に詳しく、反権力・反原発・護憲運動などをやっているジュンくんも協力してくれそうである。

夜、ムスコから電話。ネットの接続を頼んだプロバイダーの不手際から、昨日工事には来たもののまだ繋がらないとのこと。
現代というのはなかなか面倒臭い。ひと昔まえには存在してすらいなかった便利道具が、依存性に幅を利かせるだけにちょっとしたことで不便道具になってしまうのはコワイことである。

とにかく疲れる都であった。

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変わるもんだ!

今日も良い天気。梅雨は何処に行ったの?庭先の両側の川もチョボチョボしか流れていない。

郵便局の入り口で「大ちゃんのオトーサン!」と見知らぬ若者から声を掛けられる。「?・?・?」。分からない。「ユウマです!」にビックリ。ムスコの保育園からの友人。保育園・小学校・中学校を通してムスコの一番の親友だった。ガキの頃からヤンチャであったがカラッとしていて可愛い子であった。毎日のように学校帰りに遊びに来てはワタクシの親父に捕まって宿題をやらされ、騒いでは怒鳴られても
毎日のように来ていた。親父がアッチの世界に逝ってからは毎年命日に「ジイちゃんには世話になったからな」と言って花を持って来きてくれるような優しい子でもあった。
ムスコとは違う高校に行ってからは輪をかけてヤンチャとなり、暴走族まがいをやったり、警察の世話になったりで中退。仲間と肩を怒らせて歩く姿はちょっと滑稽だったが、駅前などで「オイ、ユウマ!」と声を掛けるととたんに子供時代の顔に戻り「コンチワ!お元気ですか?」と面白かった。そんなこんなの後、ユウマを殊更可愛いがりながらも病弱だったオカーサンを亡くし心機一転したのだろう、大検を受けて合格。静岡の幼児教育学校に入った。ユウマが幼稚園や保育園のセンセになるなんて、こりゃいいと我が家中で大喜び。入学前にはカミサンにピアノまで習いに通っていた。その後東京で幼稚園のセンセになったと聞いていたのだが、もう何年も会っていなかったのである。
今日会ったユウマはネクタイ姿。小太りだったのがほっそりとし、何より目付きが全く別人。キラキラとまるで子供時代のような可愛らしい目付きになっていた。「7月1日から地元の保育園に勤めることにしたんです」とニコニコしている。10分ほども立ち話した後、再会を約して別れたのであるが、農協に寄ったらまた会った。自販機でコーヒーを買って「ハイ」と渡してくれる。農協前のベンチでまた話す。幼稚園は女性中心の職場であるからそれなりの問題も多くて大変だとか、でも子供と接している時が楽しいとか、同級生の誰々は何をやっているとか、東京での暮らしは刺激的だったけれど疲れるとか・・・「何時でも遊びに来いよ」と言うと「本当に行っていいんですか?絶対に行きます!」とニコニコしている。

人って変わるもんだと嬉しくなる。

カミサンが鉢植えで育てている?アマリリスやアロエやランの花が咲く。アマリリスは毎年巨大な花を幾つも咲かせる。アロエはどんどん増えて鉢がどんどん増える。カミサンはせっせとアロエ化粧水を作っているが、日焼け後に塗ると痛みが消えるし、刺身にもなるなかなか便利な奴であるが、増えすぎ。只今引き取り手募集中である。

        アロエ

     アロエの花

        アマリリス

 ラン お袋時代からの花らしい

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