役場のオネーサンに感謝

先月だったか、日本年金機構から年金請求の申請書なるものが送られてきたことを書いたが、近所の『真正高齢者』の忠告に従って、新たに年金用口座を作り、昨日町役場に申請書を持って行く。書類を一見した窓口のオネーサン云く「これは厚生年金の申請書ですね?年金事務所に行っていただかないと・・・」と言う。「うんにゃ、国民年金の申請書です」とキッパリ伝えたら「あの〜、厚生年金は受け取っていないでしょう?」。「うんにゃ、ホレこの通り」と年金証書を見せたら「あ、それは企業年金連合会老齢年金証書です。以前お勤めになっていた会社が掛けておいてくれたものですね。そうではなくて厚生年金の方です」と言う。ハッと気付く。
ワタクシ、そういえば5年前にも緑色の封筒が送られてきて、年金の申請に一度岡谷の年金事務所に行かねばと思っていたのだがついつい・・・ところその内に「なにやらの申請書」みたいな物が送られてきて、それには口座番号を記入して送ったら、「アータは本来60歳から支給されるべき年金を・・・で、3年間分も一緒に支給します・・・」みたいな文章があって、口座にちゃんと入金していたので、日本年金機構も散々叩かれたのでちっとはサービスも良くなったと・・・勘違い!

役場のオネーサン、「年金事務所に確かめてみます」と早速年金事務所に電話をして、色々確かめてくれ、「あのう、厚生年金には時効があるのですがまだ大丈夫だそうです。でも手続きに時間がかかるので出来れば今日にでも岡谷の年金事務所まで行った方がいいでしょう。ついては何々を用意して」と持参すべき書類などをメモしてくれる。で、隣の窓口で住民票などをもらい一旦帰宅して昼食を摂ってから岡谷に向かう。

岡谷の年金事務所のオネーサンに「恥ずかしながら企業年金と勘違いして・・・まだ厚生年金の手続きを・・・」と伝えるとテキパキと対応してくれ、プリンターからはワタクシが貰える国民年金や厚生年金に関する金額が載った紙が出てくる。そんで「アータには5年前からの分をまとめてお支払いします」てなことを教えてくれる。ヤレヤレ間に合ったようである。
ついでに本来はまだ申請しなくとも良いらしい『正当国民年金』の手続きもやってくれる。で、その時「年金の繰り下げ」についての説明も受けるが長生きしそうもないのでしっかりと65歳から貰う(否、取り返すかな)ことにする。

ワタクシ、会社たるものに草鞋を脱いだのは2年10ヶ月。おまけに出社したのは自慢じゃないけど10ヶ月程度。そのくせ残りの2年間、給料もボーナスも貰うという(その間は入院したり、山小屋の居候をしたり、最初の手作りの家を建てたりしていた)優良社員、否、トンデモ社員だったのであるからして、企業年金やら厚生年金なんて概念はそれこそまるっきり頭にはなく、『正当国民保険一本やり』だけだと思っていたのである。とは言え、草鞋を脱いだのは2年10ヶ月、『企業年金』にしろ『厚生年金』にしろ金額は月ではなく年に数万円という額なのであるが・・・

それにしても危ないところであった。

役場のオネーサンが「直ぐに行った方が」と言ってくれなかったら微々たる金額にしろ、死ぬまで貰える(取り返す?)ものが時効になっていたところである。
感謝・感謝である。

これからは忙しくても書類はきちんと読まねば、と!

でもなぁ、これって時効になった人、きっといっぱいいるわけだし、失われた年金問題はちっとも解決しちゃいないわけだし・・・40年掛けても生活出来る額じゃないし・・・

 

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電動給油ポンプ

すっかりブログからご無沙汰であった。どうしていたかというと半分死んでいた、あるいは半分冬眠していたのである。
どうも疲れが抜けなくなっているし、目はすぐに疲れるし、鼻の調子も悪いし、思うようなデザインが描けないし、おまけに齢65を前にして寒さにも弱くなったし・・・
TVをつければ『ドラえもん花札』やアホ首相にアホ法務大臣やアホ防衛大臣にウンザリ。昨日は昼のTV映画で『ジャッカルの日』をやっていた・・・これ以上書くと「共謀罪」にされるし・・・
それでも昨日の2ヶ月に一度の内科ではHbA1cが昨年末より下がっていてドクトル・タニウチより「正月を越してこの寒い時期にしては随分と頑張ったようで」とお褒めの言葉をいただいたのである。
半分死んでいたか冬眠していたのであるが、毎日とは言わないが結構歩いてはいたのである。

エムケー精工 スピーダー BP-121R

数日前、大雪になりそうだとの予想にボイラーとアトリエのストーブ用の灯油を買いにポリタン12個を軽トラに積んでJAスタンドへ。

帰って荷台のポリタンから150リッターほどホームタンクに移し終えたところでポンプが回らなくなる。安全装置が働いたのかと暫く冷ますが動かない。もう1回200リッター買いに行くつもりであったが、冬眠中であるからポリタン12個を持ち上げる気力はない。

ジムニーにてホームセンターへ行くも売り切れとのこと。帰って先ずはネットで探し、一番安いところに注文する。一番安いところで¥3.550+送料。そんなにしたっけ?そういえばブログに書いた覚えがある。調べたらブログを始めて2〜3日目にあったが、当時で¥2.980。千円も上がったと思ったらもう6年前である。
6年もブログを書いていたのかぁ〜、と、ちょっと感慨に耽る。
このポンプ、6年も働いたのかぁ〜、と、こちらに関しては感激。

それからポンプを可能な限り分解。特におかしな処はない。100Vを12Vに落とす電源アダプターもテスターで調べても異常はない。ではとアマチュア無線用の安定化電源から直接モーターに12Vを繋いでみたら回る。何のことはない、ちゃちなスライド式スイッチの接点不良であった。早速残りの50リットルを移し替え、積みっぱなしのポリタン12個、200リットルも買いに行き、移し替える。
注文したポンプ、キャンセルしようかとも思ったが、6年も使っているのだからいつ何時壊れるか分からないのでキャンセルせず。

それにしても灯油の配達料は高すぎる。1リットルにつき10円。400リットルで4000円。近所のお年寄りがいつも怒っている。

4〜5年前に4万円で買った軽トラと¥2.980のポンプ、我が家の稼ぎ頭かもしれない。

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冬の都へ

20日(金。)カミサンがワタクシより1日早く都へと上る。バス停へと送って行った帰りに高速バス乗客用の駐車場を覗いたら工事中で、いつもの台数の半分しか駐車出来なくなっている。おまけに空いているスペースは2台分しかない。自分の車を駐めて30分歩いて帰る。帰ってから色々とすることがある。先ずは水周りの凍結防止策である。ボイラーの水抜きやトイレの水抜きをすれば良いのだが、これは結構面倒臭い作業であるし、帰ってから夕方や夜に復旧させるのも大変である。そこで床暖を使うことにする。一系統はリビング用、もう一系統は旧親父の部屋と風呂・トイレであるから、こちらの系統にon/off繰り返し使えるタイマーを挟んでテストする。何かに使えると思って10年ほど前にホームセンターで買っておいた安物タイマーである。昼間も床暖を入れっ放しはモッタイナイので夕方から朝まで2時間入れては1時間offにしてまた2時間onにして・・・というように設定して実験してみるが結構正確に動く。
またトイレはもし床暖タイマーが上手く働かなかった時のことを考え、便座ヒーターを常にonの状態にする。また風呂には水を張り、凍結防止にボイラーが自動燃焼し水を循環させるようにする。

21日(土)。昨日夕方から雪がチラチラしていたので雪かきの出払いがあるかもと5時に起きるが5〜6cm積もっているだけである。テレビは『ドラえもん花札』の就任式。胸糞悪くなる。
9時過ぎのバスに間に合うように隣のフミアキくんに送ってもらう。阿佐ヶ谷で娘と落ち合い、昼食。彼女のアパートのボイラーが時々凍るというので持参した保温材を巻きつける。都でも保温材をきちんと巻いていないと凍るようである。ムスメと別れてから幾つかの所用を済ませ、ムスコとの待ち合わせに時間があったので高円寺の喫茶店に入り、煙部屋に入ろうとしたらガラスの引き戸の向こう側で無礼者がうずくまっていて入れない。強引に入り込んだら、買った何十着もの古着が入った大袋を床の上で引っ掻き回している。おまけに悪いことに空いている席は無礼者の隣しかない。コーヒーを載せたお盆をテーブルの上に置いてやれやれと座った途端に無礼者が立ち上がり、ワタクシのコーヒーをひっくり返す。「君、コーヒーを買ってこい」と言うと「何すかぁ〜」とのたまう。「君がぶつかってこぼしたんだろう!」というと知らんぷりをする。全く礼儀を知らぬ奴である。「オイ、表に出るか、さっさと買ってくるか、どっちかにしろ!」と言うと渋々コーヒーを買ってくる。で、やっとコーヒーを啜りながら煙を吸い込んでいたのであるが、無礼者は相変わらず床に古着を広げている。煙部屋から出ようとしている女性客がいても知らんぷりである。女性客は困ったような顔をしてこちらを見る。仕方ないので座ったまま、無礼者の腰を蹴飛ばし「邪魔!」と言うと「何すんすかぁ〜」である。「邪魔だろ!いい加減にしないなら表に出ろ!」と言うとシブシブ席に座るが古着の入った大袋2つは床に置いたままである。女性客、古着の袋を踏んずけて退室。無礼者はワタクシの横の席でガタガタと貧乏ゆすり。睨み付けると目を背ける。仕方ないので蹴飛ばすと大袋を二つ背負ってやっと帰ろうとするがコーヒー・カップも灰皿も片付けようとしない。「片付けろ!」と言うとそれでも袋を下ろしてし片付けて出て行った。どう見ても30代か40少々である。人間が狂っている。全く親の顔を見たいものである。

すっかり嫌な気分となり、ムスコといつもの『上越銭』へ。「あっ、オトーサンいらしたんですか。寒いからゆっくり温まってくださいね」と番台のおばさんがいつものようにニコニコ顏で迎えてくれて嫌な気分も吹き飛びホンノリした気分となる。風呂上がりにムスコのアパートの直ぐ近くに出来たモツ焼き屋に入る。どれも美味しい。ガンガンと飲み喰う。〆はラーメンとこれも近くに出来た小綺麗なラーメン屋に入る。ムスコはラーメンを頼むが、ワタクシは『クエ 刺身』や『土佐清水サバ 刺身』に目がいく。『〆張鶴』で刺身をつまむ。と、隣に座っていた人が店のオヤジさんと「この焼酎、よく手に入りましたね」とか「旨すぎる」と言っている。「それでは僕も」とその焼酎のロックを頼んだのであるが、これが旨い!えっ、と思うほど旨いのである。隣の人がニコニコ顏で「これ神津島の焼酎なんだけど旨いでしょ」と笑っている。ワタクシは酒場で見知らぬ人とそれほど話す方ではないのであるが、このオクヤマさんと意気投合する。オクヤマさん、八丈島から高円寺に住むムスメさんに会いに来たととのことで、奥様とムスメさんも後からいらっしゃる。ムスコは酔いつぶれて先にご帰還。オクヤマさんに八丈島のことなど(八丈島は人口8000人なのに造り酒屋が4軒もあり、飲み屋だらけの天国とのこと)を嬉しそうに話してくれる。久しぶりに旨い焼酎に出会い二人であっという間に1本以上飲んでしまった。オクヤマさんと主人のアカマツさんに鹿肉を送る約束をして12時の閉店と同時に別れる。

22日(日)。爆睡して気持ちよく目覚める。今日は11時に、国立の、とある物件をさる方に頼まれて一緒に見に行く約束がある。11時にさる方とカミサンと会い、軽い昼食後ブラブラと一橋大方向に並木道を歩く。ポカポカと春のような陽気で気持ち良い。並木道には紅梅や白梅が既に咲いているし、菜の花まで咲いている。20数分で目的の物件へ。3Kの物件であるが、リフォームしてあり、畳も青々。東南の角で日当たりも良い。古い団地であるが、その分、棟と棟の間に、今だったらもう一棟建てるだろうという位のゆとりある贅沢な配置。おまけに国立だけあって大木並木が至るところにある。公園や小学校もすぐ近くにあり、世帯年代層も様々なことがうかがえる。すっかり気に入る。さる方も最初はちょっと狭いのではと迷った様子だが、改造もかなり許されそうであり、何より日当たりや周囲の環境、買い物にも便利な上、気心が通じ合う友人が近くに住んでいるというマイナス要素が殆ど見つからないことに、今日契約することにする。
またブラブラと春のような陽気の元、国立に戻り、中央線で阿佐ヶ谷まで戻り、これから契約に向かうさる方と別れる。ムスメと待ち合わせる間に生ビールを一杯。ムスメもやって来て、「もの凄く美人のインド人がやっているカレー屋がある」とのことで、カレー屋へ。う〜む、美人であるし、注文の取り方にしても気遣いのできる人である。ワインを飲みながらカレーやナン、手羽元を食す。お腹一杯。ムスメの所に泊まるカミサンと別れてムスコの部屋へ。ライブに行くと言っていたムスコがまだいて、部屋でサックスを練習していた様子。一緒に『上越銭』へ。よく歩いた疲れを銭湯で癒す。20時頃、ライブに出かけるムスコと別れ、昨日のラーメン屋へ。う〜ん、と考え、今日は『かさごの刺身』と昨夜知った『盛若』のロック。今日は軽く1〜2杯と思ったけれど4〜5杯引っ掛ける。旨い!
ムスコの部屋に帰ってiPhoneからさる方にメールを送ろうとしたが、途中で飛んで行ってしまう。こんな小さな画面から酔っ払って文字を打つのはイケナイことと知る。
夜中の2時だか3時にライブから帰ったムスコも知らずに爆睡。

23日(月)。今日はムスコもムスメもバイトが休みだという。11時にカミサン・ムスメが高円寺に来る。ちょっと早いがいつもとは別の中華料理店へ。小綺麗な店で、旨いし安い上に、焼きそばやサラダ、豚足煮や搾菜、杏仁豆腐、ご飯、スープは食べ放題。美味しくてついつい食べ過ぎ。高円寺商店街をぶらついてからカミサンと新宿から高速バス。帰った家は冷え切っている。ボイラーやトイレは無事。薪ストーブにファンヒーターに床暖で急いで部屋を暖める。
都では大した事をしたわけでもなく呑んだくれていただけなのだが、昨年からの疲れや『どんど焼き』の疲れが残っているのだろう、ヘトヘトとなる。

24日(火)。今朝は7時前に爽快な気分で目覚める。外はマイナス15℃。冷えている。

今夜は8月末頃の集落登山の為の会議。昨年は登山3週間程前になって公民館主事から招集がかかり「幾ら何でもこんなことをやっていたら事故を起こす」とネジ込んだのが効きすぎたか。ま、早いに越したことはないが・・・今週土曜は世話人の引き継ぎ会議。日曜日は漁協の役員会と新年会。それらが終わらないと落ち着かない

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准高齢者

先日、かの「日本年金機構」から緑色の封書が届き、中には「年金請求書」が入っていた。やれやれ4月からやっと『年金』!

先日の『お飾り』の時「オクズミさんは今幾つ?」と聞かれ「もう直ぐ65!年金世代!」と答えると、近所の73歳で今のところ『高齢者』から「あのねぇ〜、年取って車の運転も出来なくなったら町にしかない銀行に下ろしに行けないよぉ〜。年金は歩いて行ける郵便局か農協の口座にしておかなきゃイカンよぉ〜」とのアドバイスを受け「なるほどなぁ〜」と思ったところである。「それになぁ〜、口座は引き落としなんかがある今ある口座を使っちゃダメ。新たに年金用口座を作らんといつの間にか減ってて2ヶ月に一度の喜びもないでょぉ〜」との貴重かつ適切なアドバイスを受けたばかりである。

ところが内閣府に続き日本老年学会とかいう、ちょっとイカガワシイ学会からも高齢者の定義を75歳以上にすべしという提言がなされた。で、現在『前期高齢者』とされていた65歳から74歳までを、高齢者への準備期間として新たに『准高齢者』という区分にし、75歳以上を高齢者と定義するということらしい。要するに『前期』から『准』への変更である。『前期高齢者』は一応高齢者の端っくれとしてでも『高齢者』と認めていたが、『准高齢者』はまだアンタは準備期間だから高齢者を名乗ってはイカンよ!ということか。それにしても何の準備?

「呼称」だけなら全く余計なお世話であるが、『100年安心』年金制度のアクヨウを狙ってのこととしか思えない。年金をWHOの高齢者定義でもある「65歳から高齢者」に対して支給するというのが今までの建前・定義だとすると、この定義変更からは晴れて「高齢者」となる75歳から支給するという目論見かと勘繰りたくなる。

日本人の平均寿命が82だの85だの言っているが、75歳からやっと高齢者として認められるとして残りの期間は・・・どうせお節介なこの国のこと、80歳から先はいっそ準備期間としての『准棺桶世代』とでも呼んだら如何。
ウン?ということは50歳なんてまだ青年、30歳は少年、中学生は赤ん坊、赤ん坊なんてまだ精子か???

そもそも国民年金なんてものは企業の『保険商品』と考えた場合、リスクが多すぎて誰も買わない国家的詐欺商品である。100年安心なんて狂牛病みたいな顔をした厚生大臣がちょっと前に言っていたように覚えているのだけれど・・・どうせ本人は「いやぁ〜、そういう希望をですねぇ〜、制度として・・・」とか言い訳するのだろうけれど・・・

お〜い、ムスコよ!「払わにゃ貰えぬが、払ったって貰えないかもしれんぞ。賭け、賭け。75歳まで働け働け、払い続けろ。そんで病気にもならずに早くアッチの世界に行ってくれ!」である。きっと博才のカケラもないムスコは・・・悲しい国である。

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やっと終わる

昨日は『どんど焼き』本番。強い寒波で寒い。朝のうちにLPガスボンベと業務用のコンロ2台を借りて来る。午後2時から世話役のカミサン7人は改善センターで豚汁と甘酒作り。男衆は屋台のテント建て。ワタクシは会計であるから来年の会計役と厄投げ用の品(カップ麺・マシュマロ・うまか棒・ポテトチップスetc)や振る舞い酒の買い出し。昔は厄投げ用の品々も沢山集まったし、500円玉のおひねりが飛んだこともあったが、やっぱりこのケイザイ状況、あまり集まらなくなっているのでおかしな事ではあるが組でお金を出して沢山投げるようになっているのである。
夕方、豚汁や甘酒も仕上がり、午後6時半集合として一旦解散。
軽く夕食を食べてから集合。屋台のテントに大鍋2杯の豚汁と1杯の甘酒を運ぶ。

7時頃から三々五々人が集まってくる。サイワイなことに雪が降らずに済んだが寒い。おまけに子供達の間でインフルエンザが流行しているようで、例年に比べ人出も少ない。子供達のどんど焼きに最初に火を入れ、枝に刺した繭玉(米粉で作った色とりどりの餅)を焼いて無病息災を願う。その後厄投げ。カップ麺やスナック菓子などが空を舞う。厄投げが終わってから大人の大きなどんど焼きに火を入れる。ワタクシは振る舞い酒の瓶と紙コップを持ってついで回るが、ヒサハル氏に捕まって寒いので火にあたりながら一升瓶を抱えて二人宴会。ヒサハル氏は同い年。5〜6年前に役場を早期退職して昨年度のタツザワ区の副区長をやっていたなかなかハンサムではあるが呑兵衛。反町長派であり、環境問題に対しての最後の砦となる漁協をえらく応援してくれている。
寒さからか人の帰りも早く、9時過ぎには世話役と消防団(消防屯所の隣)のみとなり、女衆には帰ってもらい、残った豚汁を若い消防団員に無理やり食べさせる。
重機を使って燃え残った芯柱を倒して燃やすも生木であるからそうそう燃えない。
マイナス10数度の中、いくら火の側とはいえ寒いなんてもんじゃない。消防団からは出来るだけオキビ程度まで燃やしてと言われているが木を突っつきまわしてもなかなか灰とはならない。結局世話役7人、もう寒くて無言のまま01時過ぎまで火の番。帰って風呂から上がったのは2時過ぎであった。

本日は吹雪。世話役が9時に集まり1時間程テントの片付けやどんど焼きの芯木を止めるのに使った番線を熾火の中から拾い出し作業。

やれやれ、2年続いた世話役も、あとは会計作業を少々やればやっと終わりである。
それにしても元々は子供主体の行事。何もここまでと思う。子供の行事にクレーンまで使うか?豚汁の振る舞いにしても元々は物好きなオッサンがポケットマネーで始めたこと。近くの集落では当日の午前中にそれぞれの家から持ち寄った竹だの青木をちょちょっと組んで、しめ飾りなどを結わえ付けて完成。後は夜に火を付けて繭玉焼いておしまい。それが本来だろがと言いたくなる。

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