防災ヘリ事故

長野県の防災航空隊ヘリの墜落事故は最悪の結果となってしまった。
彼等が多くの命を救ってきたということにただただ頭を垂れ、心よりの哀悼を捧げたいと思います。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

西国行き

28日。ムスコと朝7時倉敷に向かって出発。良い天気である。中央道辰野PAから恵那山トンネルを超えるあたりまで運転をムスコに任せ、名神から神戸を超えるあたりまでワタクシが運転。山陽道も倉敷手前までムスコに任せる。昨年も丁度同じ時期にカミサンと倉敷に行ったのだが、のどかな山並みにやっぱりのんびりした気分となる。4時前に倉敷のアイビースクエア・ホテルに入る。植栽のヒマラヤ杉が美しい。6時にノリマツさんと約束していたのでその前に倉敷の街を散歩。笑ったのはホテル近くの骨董品屋。ありとあらゆる物が陳列されていて・・・?。プラプラと散歩しながら馬鹿は高い処に登るで観龍寺の石段を登る。
大原美術館近くの土産物屋でムスコはガールフレンドへの土産を買っている。
6時、ノリマツさんが韓国家庭料理店に案内してくれてご馳走になる。どうも疲れた身体が味の濃い物を欲したようで、ちょっと料理選択に失敗。ノリマツさんと別れた後、もう少し飲もうとホテルの周辺を歩くが、まだ9時前というのに開いている店はない。ヒンコウホウセイな街である。駅周辺ならと思うが、戻る気力なくホテルに帰り大浴場に浸り疲れを癒し、缶ビールを飲んで爆睡。

1日。朝6時に目覚める。大浴場は6時から開いているとのことで6時の朝風呂。のんびり浸かってからホテルの朝食バイキング。今日も良い天気である。
11時にノリマツさんのマンションに防音室をいただきに伺うことになっているので、9時開館の大原美術館を観るには時間が足りない。またぶらぶら散歩。やっぱり馬鹿は阿智神社の長い石段を登り、倉敷の町並みを見下ろす。信州にはない黒瓦が美しい。
ホテルをチェックアウトして車でノリマツさんのマンションへ。解体してある防音室をミニバンの後部座席を倒して積み込む。マンションの駐車場であるからゆっくり止めておけず、挨拶もそこそこに岡山に向けて出発。ところが走り出してどうも腕がチクチクする。ムスコもチクチクすると言う。ヤバイ、防音室の圧縮したグラス・ウールの壁材から覆った布を破ってガラス繊維が出ているようだ。岡山へ向かう国道のドーナツ屋に入り手首や顔を洗う。ノリマツさんにも電話して直ぐに防音室を保管してあった部屋の掃除とシャワーを浴びるようにお知らせする。13時には岡山のホテルに到着。直ぐにシャワーを浴びて着替えてガラス繊維を洗い流してやっとチクチクが止まる。

ムスコが東京の支店でお世話になっている『服部管楽器店』までプラプラと歩く。残念ながら社長の服部さんはお留守であったが、可愛らしい店員さんが歓待してくれる。陳列してあったブッシャーのサックスを吹いたムスコが「これ良い!」と気に入った様子。ムスコは100年前のブッシャーを使っていて、彼の音色にピッタリなのがブッシャーなのであるが、なにせ古い楽器。今使っているのより良いのになかなか巡り合わないのであるが、これは結構良いと言っている。「貯金下ろしに行ってくるかな」などど言っていた時、可愛いい店員さんが「うひゃあ〜、今FAXが入ってこのブッシャー売れちゃったんです。ゴメンなさい。それにしてもこんなタイミングってあるんですね〜」とのこと。ムスコがっかり。ま、縁がなかったということ。それにしても恐ろしいタイミングであった。
またプラプラと駅の方に戻り、開いたばかりの居酒屋へ。ノリマツさんからは昨年「倉敷では絶対にお刺身食べない方がいいよ。醤油が甘くてがっかりするから」と厳命されていたのであるが、ついつい刺身や好物のイカの肝和え焼きを頼む。うひゃ〜であった。ワサビをつけても刺身が甘いのである。折角の季節の魚の鰆が甘いのである。肝焼きに至ってはもう砂糖が入っているとしか思えないほどの甘さなのである。ゲンナリしてそそくさと店を出る。そういえば昼に入った洋食屋のハンバーグも美味くなかったし、岡山県では果物以外に期待してはいけない・・・(岡山県民には失敬!)。もうこうなったらラーメン屋に入って餃子やラーメンにビールしかないと探す途中、ムスコ曰く「醤油ラーメンも甘かったりして・・・」に急にラーメン屋を探す気もなくなり、目に付いたピザ屋に入る。牡蠣やタコのアヒージョ、ピザにビールやウィスキー。これは想像以上に美味く安かった。うん、岡山美味い!?ムスコの岡山での感想は「女性がみんな綺麗で親切」とのこと。
ホテルに帰って風呂にも入らず爆睡。

2日。ホテルの朝食バイキングは日本全国どこでも同じようなものばかりで本当に美味くはない。朝風呂。

最初は昨年同様金沢一泊経由で帰ろうかと思ったが、北陸から長野にかけては雪予報。京都まわりで帰ることにする。高速が混む大阪手前までムスコが運転。ホテルにチェックインした後、ムスコの希望で三条河原町の民族楽器店へ。そういえばムスコは高校の修学旅行時、この楽器店で小遣いの全てを各国の笛に変えて帰ってきたものである。河原町通りをプラプラ散歩した後、亡きパンチョのカミサンのミキがやっているおばんざい屋の『酣』へ。パンチョはもう30年来の友人であったが、一昨年亡くなった。亡くなる1〜2ヶ月前に入院先から珍しく電話をもらったのが最後であった。焼酎のロックで献杯。ミキは元気そうでちょっとほっとする。それにしても京都の友人は次々に亡くなる。寂しいことである。
次は京都の老舗JAZZバー『YAMATOYA』さんへ。熊代さんはお元気そう。『Woodford Reserve』という旨いバーボンをいただきながらお互いの近況報告。ムスコがソニー・クリスが使っていたサックスを使っているのを覚えていてくれて、彼のレコードを掛け、沢山のCDをいただく。お店にはバリサクを吹くという京大大学院の素敵な女性バイトさんがいる。『YAMATOYA』のバイトさんはどなたも美しく素敵な女性ばかりです!
11時過ぎに店を出て、プラプラと熊野から三条河原町まで歩き〆の京都ラーメンを食してからホテルに戻り、風呂にも入らずに爆睡。

3日。朝風呂。今日も晴れ。
相変わらず全国共通のホテル朝食バイキングが三日も続くとイヤになる。阿闍梨餅本店でお土産を買って家路に。白い伊吹山が綺麗に見える。中央道までワタクシが運転後、中津川で高速を降り、下道の運転練習を兼ねて良い天気の木曽路をムスコに運転させる。さすがに行楽シーズンではない木曽路はガラガラ。権兵衛トンネルを抜けて伊那に出て16時前に帰宅。そのまま鹿の湯の温泉に行き疲れを洗い流す。

4日。今日も晴れ。車から先ず防音室を下ろし、車内に掃除機を徹底的にかける。さてはて防音室をどうしようと思案。最初ビニールハウス用のビニールで覆うことを考えるが、ビニールだと劣化したり破れそう。そこで建築に使うタイベックス・シートを思い付き設計士の橋谷田さんに相談。すぐに届けてあげると橋谷田さんがタイベックスが進化した銀色のシートを持ってきてくれる。防音室の壁面に掃除機をかけてから、一枚づつこのシートで包みテープで止める。途中、フユキくんから電話。今、上の方で伐採していて薪になりそうなのがあるから取りに来ないかとのことで急遽軽トラ一杯分の原木をもらいに行ったりで、夕方までかかってやっと防音壁の銀シート張りを終える。当面は我が家に保管することにして屋根裏部屋に収納を終えたのは夕方であった。
さすがに疲れ、夕食後はストーブの前で爆睡。

5日。今日も晴れ。ムスコは朝10時のバスにて東の都へと帰って行った。やれやれ疲れた。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

プレミアムフライデー

昨日は初のプレミアムフライデーとか。昨日の時点での参加は企業・団体の0.1%とのこと。
ま、『サンデー毎日』だか『毎日サンデー』の私等自由業にとっては全く関係ない話し。

で、昨日は明後日にムスコと車で行かねばならない倉敷に向けてムスコの運転特訓。昨年はカミサンと大阪で一泊しながら行ったのであるが、今年はムスコと二人で長駆、倉敷まで一気に行く予定なのである。数年前に免許を取って以来ほとんど運転していないムスコにカミサンの買い物がてら韮崎まで運転させる。小淵沢から高速に入り80Kmで運転させるが、空いている高速であるからそれ程恐ろしくもなく到着。但しスピードとハンドルの切り角が合っていない。買い物を終えた後、帰りは国道を運転させるがやはりスピードとハンドリングが合っていない。
ま、倉敷に行くなら空いている中央道と山陽道程度なら運転を任せられるだろう・・・か?

帰って車から降りた時、何となく薄い霧のようなものを見る。うん?ボンネットを開けても別に吹いている様子はない。冷却水もほとんど減ってはいない。ボンネットを一旦閉めたらまた薄い霧のようなもの。うんにゃ、これは吹いている。もう一度よく見たらラジエターの一番上の見えにくい場所に水滴。それが落ちた時にだけ水蒸気が上がっている。ヤバイ。直ぐに茅野の修理工場に行く。「や、こりゃラジエターを交換しておかなくちゃ長距離は危ない」とのことで月曜日の夕方までに何とか修理してくれるよう頼む。
倉敷から300Kg以上の「とあるブツ」を積んで老車に負荷をかけている途中でラジエターが吹いたりしていたらと考えると、気付いて良かった良かったである。

帰って直ぐ、ムスコの運転ですっかり凝り固まった身体を風呂で癒す。
夜、東京のムスメから電話。カミサンが「今日はニイの運転で韮崎に行った・・・」と言うと「残業で疲れた上にミナシゴになるんじゃたまらん」と曰った由。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

役場のオネーサンに感謝

先月だったか、日本年金機構から年金請求の申請書なるものが送られてきたことを書いたが、近所の『真正高齢者』の忠告に従って、新たに年金用口座を作り、昨日町役場に申請書を持って行く。書類を一見した窓口のオネーサン云く「これは厚生年金の申請書ですね?年金事務所に行っていただかないと・・・」と言う。「うんにゃ、国民年金の申請書です」とキッパリ伝えたら「あの〜、厚生年金は受け取っていないでしょう?」。「うんにゃ、ホレこの通り」と年金証書を見せたら「あ、それは企業年金連合会老齢年金証書です。以前お勤めになっていた会社が掛けておいてくれたものですね。そうではなくて厚生年金の方です」と言う。ハッと気付く。
ワタクシ、そういえば5年前にも緑色の封筒が送られてきて、年金の申請に一度岡谷の年金事務所に行かねばと思っていたのだがついつい・・・ところその内に「なにやらの申請書」みたいな物が送られてきて、それには口座番号を記入して送ったら、「アータは本来60歳から支給されるべき年金を・・・で、3年間分も一緒に支給します・・・」みたいな文章があって、口座にちゃんと入金していたので、日本年金機構も散々叩かれたのでちっとはサービスも良くなったと・・・勘違い!

役場のオネーサン、「年金事務所に確かめてみます」と早速年金事務所に電話をして、色々確かめてくれ、「あのう、厚生年金には時効があるのですがまだ大丈夫だそうです。でも手続きに時間がかかるので出来れば今日にでも岡谷の年金事務所まで行った方がいいでしょう。ついては何々を用意して」と持参すべき書類などをメモしてくれる。で、隣の窓口で住民票などをもらい一旦帰宅して昼食を摂ってから岡谷に向かう。

岡谷の年金事務所のオネーサンに「恥ずかしながら企業年金と勘違いして・・・まだ厚生年金の手続きを・・・」と伝えるとテキパキと対応してくれ、プリンターからはワタクシが貰える国民年金や厚生年金に関する金額が載った紙が出てくる。そんで「アータには5年前からの分をまとめてお支払いします」てなことを教えてくれる。ヤレヤレ間に合ったようである。
ついでに本来はまだ申請しなくとも良いらしい『正当国民年金』の手続きもやってくれる。で、その時「年金の繰り下げ」についての説明も受けるが長生きしそうもないのでしっかりと65歳から貰う(否、取り返すかな)ことにする。

ワタクシ、会社たるものに草鞋を脱いだのは2年10ヶ月。おまけに出社したのは自慢じゃないけど10ヶ月程度。そのくせ残りの2年間、給料もボーナスも貰うという(その間は入院したり、山小屋の居候をしたり、最初の手作りの家を建てたりしていた)優良社員、否、トンデモ社員だったのであるからして、企業年金やら厚生年金なんて概念はそれこそまるっきり頭にはなく、『正当国民保険一本やり』だけだと思っていたのである。とは言え、草鞋を脱いだのは2年10ヶ月、『企業年金』にしろ『厚生年金』にしろ金額は月ではなく年に数万円という額なのであるが・・・

それにしても危ないところであった。

役場のオネーサンが「直ぐに行った方が」と言ってくれなかったら微々たる金額にしろ、死ぬまで貰える(取り返す?)ものが時効になっていたところである。
感謝・感謝である。

これからは忙しくても書類はきちんと読まねば、と!

でもなぁ、これって時効になった人、きっといっぱいいるわけだし、失われた年金問題はちっとも解決しちゃいないわけだし・・・40年掛けても生活出来る額じゃないし・・・

 

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

電動給油ポンプ

すっかりブログからご無沙汰であった。どうしていたかというと半分死んでいた、あるいは半分冬眠していたのである。
どうも疲れが抜けなくなっているし、目はすぐに疲れるし、鼻の調子も悪いし、思うようなデザインが描けないし、おまけに齢65を前にして寒さにも弱くなったし・・・
TVをつければ『ドラえもん花札』やアホ首相にアホ法務大臣やアホ防衛大臣にウンザリ。昨日は昼のTV映画で『ジャッカルの日』をやっていた・・・これ以上書くと「共謀罪」にされるし・・・
それでも昨日の2ヶ月に一度の内科ではHbA1cが昨年末より下がっていてドクトル・タニウチより「正月を越してこの寒い時期にしては随分と頑張ったようで」とお褒めの言葉をいただいたのである。
半分死んでいたか冬眠していたのであるが、毎日とは言わないが結構歩いてはいたのである。

エムケー精工 スピーダー BP-121R

数日前、大雪になりそうだとの予想にボイラーとアトリエのストーブ用の灯油を買いにポリタン12個を軽トラに積んでJAスタンドへ。

帰って荷台のポリタンから150リッターほどホームタンクに移し終えたところでポンプが回らなくなる。安全装置が働いたのかと暫く冷ますが動かない。もう1回200リッター買いに行くつもりであったが、冬眠中であるからポリタン12個を持ち上げる気力はない。

ジムニーにてホームセンターへ行くも売り切れとのこと。帰って先ずはネットで探し、一番安いところに注文する。一番安いところで¥3.550+送料。そんなにしたっけ?そういえばブログに書いた覚えがある。調べたらブログを始めて2〜3日目にあったが、当時で¥2.980。千円も上がったと思ったらもう6年前である。
6年もブログを書いていたのかぁ〜、と、ちょっと感慨に耽る。
このポンプ、6年も働いたのかぁ〜、と、こちらに関しては感激。

それからポンプを可能な限り分解。特におかしな処はない。100Vを12Vに落とす電源アダプターもテスターで調べても異常はない。ではとアマチュア無線用の安定化電源から直接モーターに12Vを繋いでみたら回る。何のことはない、ちゃちなスライド式スイッチの接点不良であった。早速残りの50リットルを移し替え、積みっぱなしのポリタン12個、200リットルも買いに行き、移し替える。
注文したポンプ、キャンセルしようかとも思ったが、6年も使っているのだからいつ何時壊れるか分からないのでキャンセルせず。

それにしても灯油の配達料は高すぎる。1リットルにつき10円。400リットルで4000円。近所のお年寄りがいつも怒っている。

4〜5年前に4万円で買った軽トラと¥2.980のポンプ、我が家の稼ぎ頭かもしれない。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個