立沢区諸役員選挙

今朝も曇り時々雨。気温も10数℃しかなく寒い。右うなじに数日前からシコリが出来て痛いのだが、今はシコリがなくなり押すと首の筋が痛い。帯状疱疹が再発したのか、リンパ腺が腫れたのか・・・どうもまだ身体が戻らない。

朝食をかき込んで6時に改善センターに行き立沢区諸役員選挙の立会人をやる。玄関でやるので自動ドアが開くたびに外の寒さが流れ込み震える。

期日前投票もあるが、立沢区は約400世帯ある大きな集落なので各世帯1名が投票といってもなかなか大変である。投票箱は町役場から借りてきたアルミ製の国政選挙に使うやつでなかなかに本格的である。images区長1名・副区長2名・区会議員22名・公民館長1名・主事1名を選ぶのであるが、5枚の投票用紙を受付や立会人に見つめられながら入れるという作業は結構プレッシャーであるらしく、なかなか上手く投票箱の穴に入れられない人も多い。
9時近くの投票締め切り時間が近づくと受付から「どこそこ常会の誰々と誰々が来てないぞ!」との声が飛ぶ。この区諸役員選挙を棄権すると『星上げ』である。何故『星上げ』というのか知らぬが、罰則として半日〜1日改善センターの掃除などをやらされるのであるからしてなかなかに重要な儀式なのである。慌てて名簿を調べて早く来いと電話したりするのである。最後に来た人は2分遅れだったが、そこはまあ国政ではないので多めにみてあげる。

開票作業がまた大変である。なんせワタクシの担当した区会議員投票用紙には30名の名前が書いてあり、そのうちの22名以下に◯印があるものだけが有効である。まず22名以下であるかを調べ、次にその名前を読み上げて正の字を書いていく。ワタクシは名前を読み上げるのを担当したのだが、この立沢という集落はウエマツかコイケがほとんどである上に、古風な名前の人が多いのである。「作ヱ門」「興左ヱ門」「岩右ヱ門」なんて名前が結構あるのである。読み上げていると戦国時代だかに戻ったようで・・・

1時間半ほどで集計も終わるが、なんせ開票作業をやっている組世話人にはご高齢の方も多く、1名や2名の得票違いで選挙結果に影響を与えない場合は不問に処すということで終える
最終集計を待つ間、カズユキさんにケムリを1本もらって外の喫煙所で吸ったらクラクラして柱にもたれ掛かる。昨夜から吸っていないからと思ってもう一吸いしたら足がもつれて引っくり返る。誰にも見られてはいないようだ・・・しばらくベンチで休んでから何気ない顔で部屋に戻る。カズユキさんに「ありゃ何だ?」と聞いたら「アハハ、6mgはきついで!」とのこと。今時6mgとは!

学生の頃、ヒラオと滝谷で継続登攀といって、一つの岩のルートを登り終えたら直ぐに別のルートに取り付き、夜も岸壁にぶら下げたブランコに座ってビバークするということをやっていた時、タバコはかさばるので持って行かなかった。あるテラスで別パーティーと出会い、タバコをねだったら両切りピースをくれた。足を岸壁から投げ出して一吸いしたら目が回ってテラスから転げ落ちそうになってセルフビレイ(休憩する時などは必ず岩にハーケンを打ち、ロープで体を岩と結んでおくこと)で助かったことがあるが、一瞬その時の恐怖を思い出した。

やっぱり禁煙しよう!

最終集計も終わり、労賃として弁当とお菓子とビールをもらって帰宅する。アー疲れた!

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葬儀告別式

台風一過とはならずに曇り。寒い。

朝8時半にタケトシさんのお宅の前にご近所が平服で整列。故ケサコさんの出棺を見送る。
その後11時20分に今度は喪服に着替えて用意されたバスに乗り込みJA会館へ。直ぐに簡単な昼食をいただき、12時半から受付と帳場、お茶係りそれぞれの分担に分かれて仕事開始。98歳であるから会葬者もそれほど多くはない。
一緒に受付をやったシゲタネさんはつい1ヶ月ほど前に奥様を亡くされたばかりであるが、香典袋の裏に金額が書いてない人が多くて後で困った経験からか、金額の書いていない香典袋を持って来た会葬者にいきなり「幾ら入っているだ?」と聞き、会葬者がドン引いている。ヨシアキさんもちょっと困っているがシゲタネさんに言えば大きな声で反論するにきまっているから黙っている。

三人のボーサンのうち一人がなかなか到着せずに13時半からの葬儀告別式が20分以上遅れる。まったくしょうもないボーサンである。タケトシさんの家は真言宗であった。この辺では曹洞宗と真言宗が多いようである。葬儀告別式の途中で親族だけに素麺が配られ、それを一本箸で食べるというおかしな習慣がある。お別れの食事?
50分程で終わる。

その後は初七日の精進落しで、刺し身・鮨・天ぷら・煮物・鯉のうま煮・唐揚げ等と酒各種が用意されている。ご近所代表として取り仕切ったヨシアキさんの隣に座り労をねぎらう。今回のご近所はヨシアキさんとシゲタネさんは地元の人であるが、後の5軒は皆よそ者であるし、40代がほとんどであるからヨシアキさんの気苦労も大変であったと思う。「JA会館が無かったらえらいことだった」とヨシアキさん。ヨシアキさんの処も代替わりで普段の行事にはムスコのヨシジくんが来るのだが、葬儀とあっては荷が重く、ヨシアキさんが勤めたとのこと。
98歳ということで大往生であるから座もにぎやかである。
最後に配られた素麺をいただき、2時間ほどでお開きとなる。配られたパックに残った料理を詰め込み、御花をもらって帰りのバスに乗り込む。

明日は立沢区の区会議員選挙であるワタクシは立会人をしなけらばならず、朝6時半からの投票に備え6時集合とのこと。田舎は朝が早いのである。

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出遅れ

台風16号は昼現在四国から紀伊半島を北東に進んでいる様子。強く降ったり止んだり。

トイレの窓からひょっと外を覗くと庭の隅にアケビが見える。帰省中のムスメに愛をもって食べさせてやろうと雨のなか採りに出る。2個採り、他の蔓のアケビを見て回ったら、今年は豊作のようだがみんな既に落ちたりカビが生えている。昨年の初夏、ダリがアッチの世界に逝ってから庭や川向うの森に行かなくなっているので、春や秋の実りに出遅れている。ついでにジコボウも見て回るが、既に腐ったり虫の入ったものばかりである。img_5308%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89

今日ドイツから帰国予定のノリマツさんは大丈夫だろうかとカミサンと心配していたが、夕方無事帰国のメールが入り一安心。

防災情報メールがやれ大雨注意報だ、やれ警報だと鳴る。各地に被害を出さずに早く通り過ぎてほしいもの。

22時半に富士見町の大雨警報と洪水警報が解除となる。庭先の立場川を見に出るが、大した増水もしていない。

和歌山でカーネーションやミカンを作っている姪っ子からも大丈夫だったとのメールが入る。

それにしても台風や地震続きのこの国は今後どうなるやら。

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『ご近所』

巨大台風16号が接近中で前線を刺激しているのだろう相変わらず雨で時々豪雨となる。

昨日のこと、ヨシジくんのオカーサンと見慣れぬ男の人が来る。こりゃイカン、誰かが亡くなったようだと直感。案の定「タケトシさんのお母さんのケサコさんが97歳で亡くなったの。こちらの方はタケトシさんの弟さんで、タケトシさんが入院中なので喪主を務めることになったの」「オクズミさんは『ご近所』だとエリコさんから聞いたけど・・・」とのこと。前にも書いたが『ご近所』とは大体に於いては距離的な近所であるようだ。何かあった時に『ご近所』が手伝うというシキタリがあるのである。タケトシさんの家と我が家の間には『ご近所』ではない家もあるのだが、タケトシさんが重い病気で入院していた頃、奥さんのエリコさんが訪ねてきて「オクズミさんには主人のお見舞いに来ていただいたりしているし、確か引っ越してきた時にタオルを頂いているから、『ご近所』になって下さいね。」と頼まれていたのである。引っ越して来た時に誰の家に挨拶のタオルを配ったかなんて覚えてもいないし、ましてや頼まれてイヤとは言えない筋の話しなのでお受けしたのである。

で、「明日、19日の夕方6時に必ず奥さんとタケトシ宅に集まって下さい。お葬式の役割分担をします。御見舞(入院治療していたりした時に御見舞に行っていない場合は亡くなってから御見舞を持って行く)は3千円を用意して来て下さい。それから夕食とお酒が出ますので車では来ないように」「通夜は20日。葬儀告別式はJAで21日12時半受付開始」とのこと。夜、ヨシジくんのオトーサンであるヨシアキさんから電話。「明日6時集合と言ったけれどやっぱり色々作らにゃならないものもあるので男衆は3時集合に変更」との連絡。

今回のケサコさんの葬儀告別式はJAの葬祭場でやるので『ご近所』でも大したことはないのだが、葬祭場も無く、無人寺だった10数年前までは誰かが亡くなると『ご近所さん』は最低でも3日間は仕事を休んで夫婦で朝から葬式の用意をしなければならなかったのである。男衆は先ず寺の掃除をして、本堂に様々な飾り付けをし、葬儀で使う切り紙細工を作ったり、葬儀次第を書いたり、墓を掘ったりする。女衆は食器を洗い、食材の買い出し、料理に追われるのである。カミサンは天ぷらを300人前も揚げて、暫くは我が家から天ぷらが消えたこともあったのである。
その点JA葬祭場が出来てからは仕事も一日か一日半休むだけで済み、また寺掃除や料理を作ることもなくなり、ちょっとした切り紙細工だけで、後は告別式の受付やお茶番くらいになったのである。

本日は男衆は3時に集合。切り紙細工で家紋や飾りなどを作り、門前飾り周りに貼り付けるも大雨で飾りが剥がれそうなので、家の中に明日まで置くことにする。タケトシさんも入院中の病院からちょっと抜けてお母上とのお別れにみえるが、直ぐに病院に戻る。

18時に今度は夫婦で改めて伺い、お焼香をする。最近はケア施設に泊まったりでお会いすることもなかったのだが、10数年前は村の配り物などを届けると「ちょっと待ってて」といって自分で作ったジャガイモなどを沢山くれるような優しいお婆ちゃんであった。

葬儀告別式での受付・帳場・お茶番・素麺配膳(この地方では葬儀告別式の最中に遺族・親族に素麺を出す。一本箸で食べる)の役割分担を長を引き受けたヨシアキさんが決める。
後は喪主が用意してくれた酒肴で一杯やって1時間ほどで解散となる。
明日は通夜であるがこれは親族中心で我々は出席しない。
葬儀告別式の朝出棺(こちらでは葬儀告別式の前にお骨にする)するのでお見送りをして、午後から葬儀告別式であるが、台風の進路が気にかかる。

それにしても今年はお葬式が多い。

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ドジなムスメが・・・

昨日のこと。
ムスメが一年少々バイトしていた処を辞めて西の都に友達と遊びに行っていたのだが、夜8時半頃阿佐ヶ谷駅に着いたと電話がある。ところが東京駅の階段でコケて、右足の膝のお皿あたりからダラダラと血が止まらぬという。薬局に寄って化膿止め等を買うように伝える。10分後アパートから再度電話が来る。「膝の下の傷口から骨が見える」とのこと。まあよくもスーツケースを引きずって駅から歩いたものである。直ぐにタクシーで河北病院の緊急外来に行くように指示。11時半頃電話が来る。「外科医がいなくて内科医が3人も集まって縫ってくれたが、傷が深くて内側と外側両方縫った」とのこと。「明日は念のため朝イチで外科で診てもらうように言われた」とのこと。翌日(つまり今日であるが)には帰省するつもりだったとのことであるが、縫ったばかりで荷物を持って電車やバスに乗せるわけにもいかない。仕方ないワタクシが迎えに行くことにする。

で、今日であるが、首都高の調布から高井戸あたりがどうせ渋滞するので9時頃に家を出て東の都に向かう。img_5295%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89ちょうど渋滞が終わる11頃に三鷹料金所あたりを通過。殆ど渋滞もなく11時半頃に阿佐ヶ谷のムスメのアパートに着く。今朝は外科に診てもらったが、大丈夫ちゃんと縫えていたとのこと。また帰省先の病院で抜糸する場合の紹介状ももらったとのことで、昼過ぎに阿佐ヶ谷を出て、昼食後に多摩霊園に寄る。昨年、大木や笹によって石柵が壊れたので、昨秋木を倒し、今春木の切り株や笹に除草剤を注入しておいたのである。その後見に行く機会がなく、再び木が生えてきたり、笹が出てきたりしていないか大いに不安であったのだが、きれいに枯死していてほっとする。img_5296%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89この墓、正面にあるのが祖父母の墓だが、なんでも墓相学の大家にオヤジが相談して建てたとのことであるが、なんせ墓には草木を植えるべからずの墓相で、面白くもない陰気な墓である。オヤジもこの墓は気に入ってはいなかったらしく、オフクロが亡くなった時に「もっとオクズミらしい墓を考えてくれ」とのことで、ワタクシが石屋に「切り出したまんまの石にオクズミとだけ入れてくれ」といって作った墓が左側の墓石である。最初石屋は「そんなの墓じゃねえ!」とか言っていたが、作っていたらそれを見た人から同じ墓石の注文が幾つか来て「あのう、同じデザインのを作ってもいいか?デザインを使わせてもらうのでお宅のは安くするから」と言ってきたので笑ったものである。
あとはもう一度チェーンソーで木をきれいに切り、石柵を積めばメデタシである。

帰りの中央道は空いていて5時頃に帰ってくる。さすがに日帰りは疲れたが、ムスメが西の都で買ってきた百合根たっぷりの『嵯峨野森嘉の飛龍頭=ひろうす』等々の土産img_5306%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89に免じて許すことにする。
それにしてもドジなムスメである。

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