出遅れ

台風16号は昼現在四国から紀伊半島を北東に進んでいる様子。強く降ったり止んだり。

トイレの窓からひょっと外を覗くと庭の隅にアケビが見える。帰省中のムスメに愛をもって食べさせてやろうと雨のなか採りに出る。2個採り、他の蔓のアケビを見て回ったら、今年は豊作のようだがみんな既に落ちたりカビが生えている。昨年の初夏、ダリがアッチの世界に逝ってから庭や川向うの森に行かなくなっているので、春や秋の実りに出遅れている。ついでにジコボウも見て回るが、既に腐ったり虫の入ったものばかりである。img_5308%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89

今日ドイツから帰国予定のノリマツさんは大丈夫だろうかとカミサンと心配していたが、夕方無事帰国のメールが入り一安心。

防災情報メールがやれ大雨注意報だ、やれ警報だと鳴る。各地に被害を出さずに早く通り過ぎてほしいもの。

22時半に富士見町の大雨警報と洪水警報が解除となる。庭先の立場川を見に出るが、大した増水もしていない。

和歌山でカーネーションやミカンを作っている姪っ子からも大丈夫だったとのメールが入る。

それにしても台風や地震続きのこの国は今後どうなるやら。

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『ご近所』

巨大台風16号が接近中で前線を刺激しているのだろう相変わらず雨で時々豪雨となる。

昨日のこと、ヨシジくんのオカーサンと見慣れぬ男の人が来る。こりゃイカン、誰かが亡くなったようだと直感。案の定「タケトシさんのお母さんのケサコさんが97歳で亡くなったの。こちらの方はタケトシさんの弟さんで、タケトシさんが入院中なので喪主を務めることになったの」「オクズミさんは『ご近所』だとエリコさんから聞いたけど・・・」とのこと。前にも書いたが『ご近所』とは大体に於いては距離的な近所であるようだ。何かあった時に『ご近所』が手伝うというシキタリがあるのである。タケトシさんの家と我が家の間には『ご近所』ではない家もあるのだが、タケトシさんが重い病気で入院していた頃、奥さんのエリコさんが訪ねてきて「オクズミさんには主人のお見舞いに来ていただいたりしているし、確か引っ越してきた時にタオルを頂いているから、『ご近所』になって下さいね。」と頼まれていたのである。引っ越して来た時に誰の家に挨拶のタオルを配ったかなんて覚えてもいないし、ましてや頼まれてイヤとは言えない筋の話しなのでお受けしたのである。

で、「明日、19日の夕方6時に必ず奥さんとタケトシ宅に集まって下さい。お葬式の役割分担をします。御見舞(入院治療していたりした時に御見舞に行っていない場合は亡くなってから御見舞を持って行く)は3千円を用意して来て下さい。それから夕食とお酒が出ますので車では来ないように」「通夜は20日。葬儀告別式はJAで21日12時半受付開始」とのこと。夜、ヨシジくんのオトーサンであるヨシアキさんから電話。「明日6時集合と言ったけれどやっぱり色々作らにゃならないものもあるので男衆は3時集合に変更」との連絡。

今回のケサコさんの葬儀告別式はJAの葬祭場でやるので『ご近所』でも大したことはないのだが、葬祭場も無く、無人寺だった10数年前までは誰かが亡くなると『ご近所さん』は最低でも3日間は仕事を休んで夫婦で朝から葬式の用意をしなければならなかったのである。男衆は先ず寺の掃除をして、本堂に様々な飾り付けをし、葬儀で使う切り紙細工を作ったり、葬儀次第を書いたり、墓を掘ったりする。女衆は食器を洗い、食材の買い出し、料理に追われるのである。カミサンは天ぷらを300人前も揚げて、暫くは我が家から天ぷらが消えたこともあったのである。
その点JA葬祭場が出来てからは仕事も一日か一日半休むだけで済み、また寺掃除や料理を作ることもなくなり、ちょっとした切り紙細工だけで、後は告別式の受付やお茶番くらいになったのである。

本日は男衆は3時に集合。切り紙細工で家紋や飾りなどを作り、門前飾り周りに貼り付けるも大雨で飾りが剥がれそうなので、家の中に明日まで置くことにする。タケトシさんも入院中の病院からちょっと抜けてお母上とのお別れにみえるが、直ぐに病院に戻る。

18時に今度は夫婦で改めて伺い、お焼香をする。最近はケア施設に泊まったりでお会いすることもなかったのだが、10数年前は村の配り物などを届けると「ちょっと待ってて」といって自分で作ったジャガイモなどを沢山くれるような優しいお婆ちゃんであった。

葬儀告別式での受付・帳場・お茶番・素麺配膳(この地方では葬儀告別式の最中に遺族・親族に素麺を出す。一本箸で食べる)の役割分担を長を引き受けたヨシアキさんが決める。
後は喪主が用意してくれた酒肴で一杯やって1時間ほどで解散となる。
明日は通夜であるがこれは親族中心で我々は出席しない。
葬儀告別式の朝出棺(こちらでは葬儀告別式の前にお骨にする)するのでお見送りをして、午後から葬儀告別式であるが、台風の進路が気にかかる。

それにしても今年はお葬式が多い。

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ドジなムスメが・・・

昨日のこと。
ムスメが一年少々バイトしていた処を辞めて西の都に友達と遊びに行っていたのだが、夜8時半頃阿佐ヶ谷駅に着いたと電話がある。ところが東京駅の階段でコケて、右足の膝のお皿あたりからダラダラと血が止まらぬという。薬局に寄って化膿止め等を買うように伝える。10分後アパートから再度電話が来る。「膝の下の傷口から骨が見える」とのこと。まあよくもスーツケースを引きずって駅から歩いたものである。直ぐにタクシーで河北病院の緊急外来に行くように指示。11時半頃電話が来る。「外科医がいなくて内科医が3人も集まって縫ってくれたが、傷が深くて内側と外側両方縫った」とのこと。「明日は念のため朝イチで外科で診てもらうように言われた」とのこと。翌日(つまり今日であるが)には帰省するつもりだったとのことであるが、縫ったばかりで荷物を持って電車やバスに乗せるわけにもいかない。仕方ないワタクシが迎えに行くことにする。

で、今日であるが、首都高の調布から高井戸あたりがどうせ渋滞するので9時頃に家を出て東の都に向かう。img_5295%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89ちょうど渋滞が終わる11頃に三鷹料金所あたりを通過。殆ど渋滞もなく11時半頃に阿佐ヶ谷のムスメのアパートに着く。今朝は外科に診てもらったが、大丈夫ちゃんと縫えていたとのこと。また帰省先の病院で抜糸する場合の紹介状ももらったとのことで、昼過ぎに阿佐ヶ谷を出て、昼食後に多摩霊園に寄る。昨年、大木や笹によって石柵が壊れたので、昨秋木を倒し、今春木の切り株や笹に除草剤を注入しておいたのである。その後見に行く機会がなく、再び木が生えてきたり、笹が出てきたりしていないか大いに不安であったのだが、きれいに枯死していてほっとする。img_5296%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89この墓、正面にあるのが祖父母の墓だが、なんでも墓相学の大家にオヤジが相談して建てたとのことであるが、なんせ墓には草木を植えるべからずの墓相で、面白くもない陰気な墓である。オヤジもこの墓は気に入ってはいなかったらしく、オフクロが亡くなった時に「もっとオクズミらしい墓を考えてくれ」とのことで、ワタクシが石屋に「切り出したまんまの石にオクズミとだけ入れてくれ」といって作った墓が左側の墓石である。最初石屋は「そんなの墓じゃねえ!」とか言っていたが、作っていたらそれを見た人から同じ墓石の注文が幾つか来て「あのう、同じデザインのを作ってもいいか?デザインを使わせてもらうのでお宅のは安くするから」と言ってきたので笑ったものである。
あとはもう一度チェーンソーで木をきれいに切り、石柵を積めばメデタシである。

帰りの中央道は空いていて5時頃に帰ってくる。さすがに日帰りは疲れたが、ムスメが西の都で買ってきた百合根たっぷりの『嵯峨野森嘉の飛龍頭=ひろうす』等々の土産img_5306%ef%bc%88%e5%a4%89%e6%8f%9b%e5%be%8c%ef%bc%89に免じて許すことにする。
それにしてもドジなムスメである。

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半額!

雨続き。どうもまだ身体がシャンとせずに仕事はかどらず。

昼の『公共放送?』を見ていて笑ってしまった。
なんでも今年100歳以上となるご老人は31000人以上いて、例年なら厚労省から純銀の銀盃が贈られていた由。unknownところが高齢化によってその数が増え続けていることから今年からは純銀ではなく銀メッキ製に変更したとのこと。費用は1個¥7624からちょうど半額となり、総額も昨年の2億6500万円から1億5000面円程度に下がるとのこと。

そうかぁ〜、100歳以上の価値?も下がったものである。

ま、厚労省から銀盃なんぞをもらって喜ぶ人もそうはいないとは思うのだが・・・ワタクシは逆立ちしたって100歳まで生きたいとも生きられるとも思わぬが・・・イヤ世の中は案外そうではないのかもしれぬ・・・。こういう馬鹿馬鹿しい金を使っているのだから国家というのもなかなかに大変である。

そういえば成人式なんてのもワタクシには理解できないものである。20歳になったからといって何で国だか行政からお祝いされなきゃいけないのかちっとも分からぬ。ワタクシが20歳の頃はヘルメット姿で「成人式粉砕!」というのはあったが・・・

来年はムスメの成人式である。晴れ着のDMが一時は毎日のように届いた。今でも時々届く。オーバーにいえば今までに50通は届いていると思う。ワタクシなんぞはアホノミクス=着物業者という図式しか思い至らないのであるが・・・

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トランシーバー修理

先日の学校登山時にシゲさんに貸したアマチュア無線のトランシーバーだが(勿論アマ免許は持っている)どうも出力が弱い。そもそもアンテナの基台が緩んでいる。名機?と呼ばれたアイコムのIC-3Sという430MHzシングル機であるがなにせ古い。IMG_5290(変換後)アンテナも古いBCN規格であり、短いアンテナを付けているので基台にもろにショックが掛ったのか緩んでいる。それにしても出力が弱いということはひょっとしてアンテナへの配線が外れているのかもしれない。
で、昨夜9時頃、思い立ってバラす。
ワタクシは小学校4年生頃からラジオ少年であり、中学の1年か2年生頃までは高1中2(高周波増幅1段中間周波増幅2段のスーパーラジオ)なんていうラジオや短波受信機を秋葉原で部品を買い集めては作っていたのであるが、勿論ST管やMT管と呼ばれる真空管であり、トランジスタはあまりいじってはいない年代であり、ましてやICなんていう物は全く分からない。が、どうせ大したところを修理するわけではない。
何本かのネジを外してフィルム線?を傷めないように注意して基盤を見られるように分解する。フムフム、やはりアンテナへの配線がアンテナ基盤が動いたことによって外れている。半田付け。一度組み立ててからでないと電池パックを繋げないので安定化電源をトランシーバーの外部電源INに繋いでみる。
うん?電源が入らない。バラした時にどこかのリード線が外れたのか?頭にヘッドランプ、虫眼鏡で見るが分からない。電源周りだとは思うが外れているリード線は見当たらない。テスターで当たるが分からない。ヘッドランプを点け、虫眼鏡で見ても分からない。目がショボショボするので昨夜はここまで。

今朝、もう一度虫眼鏡で見るが分からない。そこでXploviewというパソコンに繋げる拡大鏡(60倍から250倍)IMG_5292(変換後)の下に基盤を置き、電源SW周りを調べる。角度を変えてさんざん見回し、やっとコンデンサーの裏側に隠れている配線が1本外れているのを発見。基盤を動かした時に外れたようだ。但しワタクシの持っている半田ゴテでは先が太くて入らない。そこで半田ゴテの先に太い銅線を巻きつけてコテ先とし、ちょっと苦労するも何とか付ける。IMG_5286(変換後)外部電源を入れてみたら今度はちゃんと電源も入り、出力も出た。バンザイである。

アマチュア無線だが、ハンディー機3台、モービル機3台持っている。昔は携帯電話なんぞはまだ無く、ワタクシが山に行ったり釣りに行ったりしたおりの家との連絡用に買ったり貰ったりしたのである。ちなみにカミサンにもアマ免許を取らせたのであるが、出題予想問題集を丸暗記して満点であったのにはおそれいった。ま、今ではなぁ〜んにも覚えていないだろうが・・・

今は携帯があるので、山に登る時に非常用に写真右端のスタンダードのC501を持って行く。軽く、思ったよりずっと電波も飛ぶので便利である。ヤエスのFT-51は出力も大きく色々と便利な機能もある分、慣れないと使い方が面倒くさい。左端アイコムのIC-3Sは貰い物であるが操作が簡単で人に貸すにはうってつけである。但し防水性能はかなり低いというか全く無きに等しい。IMG_5293(変換後)
2000年に山岳部の後輩が鹿島槍北股本谷で雪崩にやられ、半年後に雪渓下から収容した日は豪雨であった。ベースにいたワタクシとの交信用に持たせた何台ものトランシーバーが次々と雨で故障してしまったのには本当に困った。尤もバラして基盤を乾かしたらちゃんと作動したのであるから、ちょっと濡らしたらパーになるスマホよりはましであったが。

 

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