誕生祝い2連チャン

昨日は午後からコマイ家の工事打ち合わせが原村の設計士ニシさん・ハシヤタさんの処である。昨夜というか一昨日の昼から続いたエンカイの酒が残っていて、さすがに体がだるい。
フランシスさん、ミドさん、サミーちゃん、サラちゃん、クンちゃん、ニシさん、ハシヤタさん、インテリア・デザイナーの女性2名とワタクシの10名が集まる。嗤ったのは11日生まれのミドさん用と10日生まれのワタクシ用の誕生日ケーキがそれぞれに用意されていて、ちゃんとロウソクまで立っていた。ニシさんハシヤタさんアリガトサン。ミドさんからワインやお菓子のプレゼントをいただき、ワタクシは花束を贈る。

打ち合わせは、申し訳ないのであるがまだ完全なデザイン画が描けておらず、使用予定のガラスとイメージ画で了解してもらう。

 

夜、テレビで、医者50人がひな壇に並んでガンなどに関しての質問に応えるバラエティー番組に姪っ子が出ているのを見る。患者からのお礼のお金を白衣のポケットに入れられたら受け取るという医者が殆どのなか、「そういうのは嫌だから、ポケットに入れられないように退院間近の患者に会う時にはポケットの無い服を着て会う」と姪っ子は応えていた。なかなか真っ当である。

 

今朝はマイナス7℃まで下り、車のフロントグラスは真っ白に凍りついていた。今冬は雪が少なかったが、ここにきて寒暖の差が激しい。
冷え込みでせっかく満開となったコブシの花が茶色くなっている。ただ、快晴の青空のもと、対岸の河原柳や名も知らぬ木の新緑が美しい。IMG_4913(変換後)

カミサンは白菜漬けや野沢菜漬け、沢庵漬けの樽を外の水道で洗っている。ゴクロウサン。
残った野沢菜で「野沢菜おやき」を作りたいからネットのレシピを印刷せよと言うが、ワタクシはどうも『おやき』が苦手である。で、『野沢菜とひき肉の味噌炒め』のレシピを印刷する。これならラーメンにかけても、チャーハンに混ぜても食べられるよと・・・

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もう、そうはメデタクモナイのだが・・・

今朝は5時過ぎに枕元の携帯にメール着信音がする。ワタクシの携帯アドレスを知っている人なんぞは殆どいないはずである。眠い目をこすりながら開いたら、アメリカ帰りのさる人からの時差ボケ『Happy Birthday』メールであった。
そうかぁ、もう64歳である。カンレキ+4である。カンレキ嬉しいな!から既に4年である。後1年以内に死ねば生命保険は数千万円出るらしいが、それ以上生きたら数百万円しか出ない安い命となるのである。そうはメデタクモナイのである。

で、今日は道普請の出払い。出払いは2時間程で終わり、昼前から常会の懇親会。御柱を引きに行かなかった身としては小さくなっているしかないと、ヨシジくんと小さくなっていることにする。「本日はワタクシの誕生日を祝ってかくも盛大な誕生パーティーを開いて下さって・・・」と御柱祭大総代に聞こえないように小さな声で言うと、周りにいた人達に結構受けたようで、ビールをジャブジャブ注がれる。
テキトーな頃合いを見計らって飲まないムネヒコさんの車に乗せてもらって帰る。

夕方からは『トラッド・ジャズ』の総会が飲み屋の『楽』にてある。これはタカシさんが中心となって運営されている富士見のジャズ好きの集まり。ワタクシはそういう集まりにあんまり興味はないのだが、いつの間にか会員にされているようだ。チヨヘイさんやハガさんなどいつもの連中と他数名が集まる。今年度は3つ位のライブを『楽』で行うことが決まる。
タカシさんが持ち込んだ30年もののシーバスで気持ち良く酔い、二次会は『メルローズ』でのカラオケ大会。チヨヘイさんの「夜明けの歌よ」の熱唱が凄かった。ワタクシはカラオケは全く興味がないので早々にカミサンに迎えに来てもらい、帰ってカミサンが用意してくれたケーキを食べる。

まあ、忙しい一日であった。

64歳かぁ・・・全く早いものである。オフクロは69歳でアッチに逝ったから、まあ後5年程度は頑張ろうとは思うが、そうそう長生きだけはしたくない。

そういえばムスメも再来週でハタチとなるので国民年金加入届が来ていた。全くメチャクチャな詐欺商法、若者に余りに重い負担となる国民年金に「入った方が良い!」とは言い難く、かといって障害を負った時のことも考えねばならない。

安い命、やはり長生きをしてはイケナイと酔った頭で考える。

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春近し

いい天気。
天気に誘われ、エイヤッとガラス切りや鉛筆を放り出して、庭を見て回る。隣の別荘のコブシが満開となった。このコブシ、全く花をつけなかったのだが、すぐ横に生えていた直径70cm程のモミの木によってワタクシのアトリエの日当たりが悪くなってきたので5年ほど前に伐らせてもらったところ、翌年から少しづつ花をつけ始め、今年は随分と「コブシの木」らしくなってきたのである。IMG_4900(変換後)IMG_4897(変換後)水辺ではセリが大分大きくなってきた。そろそろ食べごろである。IMG_4889(変換後)たらの芽は古い株がダメになると共に、新しい株が20本程出てきた。これは連休頃に採取できそうである。IMG_4893(変換後)庭先のワサビ畑は40〜50株に増えた。大分大きくなってきたが、葉ワサビ漬けに出来るようになるにはもう後1週間程かかりそうである。IMG_4901(変換後)山ウドも新芽を出し始めた。もう少しすればコゴミも出てくるだろう。いよいよ山菜シーズンが始まる。

河原に流れ着いた水仙も満開。IMG_4904(変換後)
見渡す風景はまだ茶色っぽいがもう少しすれば一面新緑となる。

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エイプリルフールでした

昨日はエイプリルフール。

ま、信じた人も多少はいたみたいだけれど、まだ暫くはこの八ヶ岳山麓におりますので・・・

でも時々考えるのである。富士見に最初の手作りの家を建てて住みだした頃の想いと、38〜39年経った今とでは随分と違ってきている。当時流行った『シンプル・ライフ』ではないが、出来るだけ『シンプル』に生きようと考えていたし、ずっと同じ地に住もうなどとは考えてもいなかった。組織に属さず、家などという持って歩けない『物』に縛られず、もっと自由に生きたいと考えていた。であるから、最初の家は借地(盆暮れの届け物が借地料だった)に、手作りの家を登記もせずに20数年住んでいた。当初はコンクリートを使えば動きにくくなると、木の杭の上に建て、風呂にしたって解体屋で貰ってきた一体成型の物をぽんと床の上に置いていた。

身軽であった。ポンと家を壊せば何時でも移動出来るはずであった・・・

その後、カミサンが現れたり、子供が出現したり、オヤジと同居することから現在の馬鹿でかい家を作ったりと色々続き、いつの間にか身軽どころかちっとやそっとでは動けなくなってきた。組織には属さない生活ではあるが、オヤジやダリがアッチの世界に逝き、子供達も曲がりなりにも独立したとはいえ、今でもクルマは3台なければならない生活、ひねれば直ぐにお湯の出る便利な生活と引き換えに一冬中不凍ヒーターは入れっ放し、何やかやと家財道具も増えた。例え家が全焼したとしても広い布基礎や風呂場のコンクリートは残る家と、色々と重いのである。

来し方行く末ではないが、ワタクシもあと10日程すれば64歳。そろそろシンプルな老人生活を考える時が来たようである。

ところで今日から7年に一度の奇祭、御柱祭である。要するに山から諏訪大社まで8本の巨木を15〜6Km引いていって建てるという素朴な祭りなのであるが、1本の重さが10トンを超え、長さも17mだかのもみの木を人力だけで引き、途中では崖から人を乗せたまま落としたり、雪解け水の流れる川を渡ったりとなかなか大変な祭りなのである。また、その準備たるや大変で、もう何ヶ月も前から『御柱奉賛会』?の人達は巨木の造作や乗り方の練習などで毎週末集まっては準備してくるのである。
で、ワタクシはといえば、昔から『祭り嫌い』であるからしてあまり興味もなく、長く住んだとはいえこの地に生まれたわけではないので『氏子』といわれてもピンともこないので、ひたすら大人しくしているのである。1本の柱を引くには1500人の『引き子』が必要とかで、それぞれの集落毎にバスを仕立てて行くのであるが、ま、この地に生まれ育っても全く興味がないという人もいるらしく、余所者であるワタクシも何となく許されているのである。

ひょっと外を見たらコブシの蕾が開きかけている。春である。IMG_4879(変換後)

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ありゃ、もう4月である

今日は4月1日である!今年も1/3が終わったことになる。

28日。夕方ミドさん、ノリマツさん来宅。2月29日にミドさんは東京から、ワタクシとカミサンは信州からノリマツさんの住む倉敷に集合したばかりであり、ノリマツさんに至っては倉敷から金沢・白馬と一緒にクルマ旅をして、3月4日に我が家に泊まったばかりである。
ミドさんからは美味しいオリーブやチーズをいただき、ノリマツさんからは倉敷の美味しいパンをいただき、また倉敷のスタジオガラス作家小谷真三氏の作ったグラス2個をいただき、豪華な夕食となる。
小谷真三氏を知ったのは35年ほど前、ワタクシがガラスを仕事にしようと思った頃である。写真集か何かで見て「ああ、日本にこんな凄い作家がいるんだ」と思い、その後どこかで実際に手に取ってみて、その手にしっくり馴染むグラスが欲しかったが、当時のワタクシの経済ではとても買えなかったのである。で、3月に倉敷に行った折に何軒かの民芸品屋を覗いたのだが、殆ど置いていなかったので随分とガッカリしていたのである。もう嬉しくてビールやワインやウィスキーを飲む。涙が出てくる。アリガトウゴザイマシタ!IMG_4877(変換後)

29日。のんびりとした朝食後、ちょっと友人として話し合うべき事柄があり、鳩首会談。午後はミドさんの現在建築中の現場見学。
夕食に食品庫に忘れられていた2013年のヌーボーを抜いたら何とも不味かった。ミドさんゴメン!

30日。朝一で眼科へ。加齢黄斑変性は進んでおらず、2ヶ月後に検査で良いとのことでホッとするも「ちょっとでも歪んで見えたり、視力が下がったと思ったら直ぐに来なさい。直ぐにですよ!」とのこと。毎度のことであるが2回瞳孔拡張剤を入れられサングラスをしていても夕方まで眩しい。
ミドさんは午前中の列車で帰京。オツカレサマ!でした。

31日。毎日良い天気が続く。ノリマツさんはフキノトウを土産にと歩いている。まだ出始めのセリも採る。午後の列車でノリマツさんは倉敷に帰る。
それにしてもこの1〜2ヶ月、大学での色々なゴタゴタに翻弄され、それを引き受けつつ、片道6時間近い汽車の旅、タフである。オツカレサマ!でした。

本日は4月1日。一昨夜来、カミサンと老後について話し合い、極々近い将来、倉敷に移住することを決める。ワタクシなんぞは信州や東北、北海道にしか興味は無く、兵庫県から西に行ったのは実は先日が初めてであったが、風景からしてノンビリしていて、人もノンビリしている倉敷という街が妙に気に入ったのである。
住むに手頃な大きさの街であり、気候も温暖だし、大きな台風も来ないという。海も近くて釣りも出来る。土地や家も割合安いという。倉敷中央病院というちょっと入院してみたいなかなか洒落た病院もある。雪かきや薪割りなんぞをしなくてもいいし、何と言っても日々の暮らしの中でクルマに頼らない生活が出来そうである。ちょっと引っ掛かるのは仕事が成り立つかということと、醤油が甘いこと、瀬戸内であるからワタクシの好きなイカが食えないこと、ちょっとゲンパツが近いこと位である。
東京のムスメは電話で「私も行きたい!」とはしゃいでいる。
キィーメタ!

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