昨日は11時半の予約で眼科へ。年末ということもあり眼科は勿論、どこの科も混雑している。先ず眼圧や視力検査・眼底検査に続き、に瞳孔を開く目薬。しばらくすると目がチカチカとして眩しくなる。診察室に呼ばれて「その後如何ですか?」と聞かれ「ちょっと書き物やパソコンをやると目の奥や頭が痛くなり、焦点が合わなくなる」と応える。眼球の拡大写真を何枚か撮る。「そうですねぇ、進行はしていないようです。痛みが目の奥や頭にあること自体は今回の目の病気=黄斑変性とは関係ないと思われます。むしろ目の酷使による疲れとドライ・アイでしょう。う〜ん、大学病院はもう1ヶ月様子を見てからでもいいでしょう。但し、ちょっとでも変化があった場合は直ぐに来て下さい。それから暫くはなるべく目を休めて下さい。」とのことで、ちょっとホッとする。ドライ・アイと眼精疲労の目薬が出る。
外に出たら眩しくてたまらない。用意してきたサングラスを掛けてゆっくり運転で帰る。
やれやれ執行猶予である。黄斑変性の治療法をnetで調べたら目ん玉に注射したりレーザーで焼いたりとなかなか恐ろしい治療が行われるようである。ま、いずれは受けねばならないのかもしれないが、暫くの猶予が与えられた感じである。
執行猶予
賀状書きも終えて
またまたカミサンがここ数日上京中なのでノンビリと思ったが、賀状を忘れていた。で、賀状書きをしていたのだが、左目の疲れが酷い。2〜3時間書くと痛みが出てもうイケナイ。先月末、眼科医からは直ぐに大学病院に行けと言われたのだが、仕事が忙しかったので「もうちょい待って欲しい」と駄々をこね、1ヶ月後(明日であるが)に再検査して、少しでも進行していたら直ぐに大学病院に行くということになっていたのであるが、どうもこれはイケナイようである。
昨日やっと賀状も出し終わり、久しぶりに親方(元漁協組合長。彼の元で十数年専務理事をやった)と飲むことにする。夕方、奥さんがいないんじゃ後で車を取りにくるのは面倒臭いだろうからと、迎えに来てくれる。もう直ぐ81歳だがこういう気遣いが出来る人なのである。
親方の家の向かいの行きつけの飲み屋に入る。いくら土曜日でも6時なのに他の客は誰もいない。この町の不景気は深刻である。漁協の話しや異常な天候の話し、アホチョウチョーの話しなどで、いつものように湯豆腐と漬物を肴にママさんも巻き込んで盛り上がる。二人で焼酎1本だけ空けてお開きとし、タクシーで帰る。
本日は疲れが出たのか8時に起きる。グダグダとカミサンがいない間、洗っていなかった食器などを洗い、久しぶりに14時頃からウォーキングに出る。我が家は北側に尾根を背負っているので今日は暖かいと思っていたのだが、ちょっと歩いたらもの凄い北風が吹いている。畑の中の真っ直ぐな道も、風にあおられて真っ直ぐに歩けない。阿弥陀が白く輝いているのをズームで撮ろうとしても風に煽られてピントが合わない。もう12月も末なのに山以外には雪がない。こういう年は2月や3月に入ってから南岸低気圧での大雪が心配である。
帰ったらカミサンから「これから帰る」のメールあり。ヤレヤレ。
疲れた
19日午後に東の都から戻り、夜は常会の忘年会。28軒の常会から家族何人でも出て良いとのことで60名近くが集まる。大した料理もなく飲むしかない。都の疲れが出て酔いも早い。最後に誰かに注がれたコップ酒2杯だか3杯が効く。
20日は朝8時から『どんど焼き』の柱建て。二日酔い。『御柱』の作業日と重なり、参加人数が少ないものの、大小2基を午前中に建て終わる。
昨21日はさすがに疲れて終日ゴロゴロする。夕方、上棟式を終えたミドさんグループが赤飯やお酒、饅頭を届けてくれる。6月には竣工予定。
本日は朝から灯油の買い出し。軽トラにポリタン12個を付けて200Lづつ2回運ぶ。以前はタンクローリーを頼んでいたのだが、上に住んでいる御年80を超えたナカムラ夫婦に「若いモンがリッター10円の運賃なんぞを払ってはイケナイ」と叱られ、以後自分で運んでいるのである。一昨年末だかは103円もした灯油が今日は60円になっている。外に設置してある200Lのホームタンク3個に補充して満タンにし、家の中のストックとして200L分を使っていない部屋に貯蔵する。1時間半で完了。運賃4000円也を稼ぐ?今年は薪のストックが少ないが、これだけの灯油があれば大雪となっても大丈夫と、少なからず心豊かな気分となる。
午前中にキッチンの換気扇と外側フードも新しいのに交換、屋根に登って煙突掃除も済ませる。
キゼワシイ年の暮れが近ずいてきたが、今日が冬至なら明日から段々と陽も長くなるのであろう。今年はあまりウツにならずに済んだようだ。
ウンニャ!
一昨日、9時頃に出て東の都に上る。阿佐ヶ谷のムスメのアパートに車を置いてから新宿に買い物に出るがお目当ての物がない。久しぶりにちょっと新宿を歩いた後、阿佐ヶ谷に戻りバイトの終わったムスメやムスコと合流して焼肉屋へ。アパートに戻り3人で銭湯へ。ここにはビックリするくらい強い電気が流れる『電気風呂』がある。前回酔っ払って入ったのだが、死ぬかと思ったほどである。おまけにその時は男湯にはワタクシ一人しかおらず、ここで感電死しても当分気づかれないだろうとちょっと恐ろしかった覚えがある。今回はムスコと入ったのだが、やはり手足がシビレて硬直する。どうもここのは電気が強すぎである。ムスコは自分のマンションに帰り、ワタクシはよく片付いたムスメのアパートで寝袋で寝る。
昨18日は朝ムスメをバイトに送り出してから、バイトを休んでステンドの取り付けを手伝ってもらうムスコを高円寺で拾ってから新小岩のクリニックへ。首都高が割合空いていて1時間ほどで着く。4㎡分4枚のステンドをムスコに手伝ってもらって2Fへ運び上げる。ところが取り付ける予定の窓の木枠が出来ていない。「ウンニャ!」である。11月中旬にはリフォーム後の引き渡しも終えてあるはず。窓枠にステンド取り付け用の押渕を仮止めしておいてと頼んであったのに・・・運良くドアの戸当たりテープを貼りに来ていた工務店のオニーチャンがいる。「コレコレシカジカで・・・」と事情を話すと、直ぐに担当の上司と連絡を取ってくれるも、今日の取り付けは無理とのこと。そうは言われても・・・上司の提案でステンドを仮固定することになり、オニーチャンがホームセンターに走って角材を買ってきてくれたので仮固定する。このクリニック・ビルには他の場所で使っていたワタクシの作品が沢山入っていて嬉しくなる。階段室に2枚。その他にもドアに2枚の作品が入っていた。
明日にはオニーチャンも立ち会ってきちんと木枠を入れてくれるとのことで、ワタクシは立ち会えないがお願いする。ヤレヤレであった。1時間ほどで4枚を仮固定し、オニーチャンにステンドの持ち方等を教えた後、近くの蕎麦屋で天ぷらそばをご馳走して宜しく頼む。
帰りは行きの竹橋経由ではなく西池袋経由の環状線で阿佐ヶ谷に戻り、車を置いてからムスメと待ち合わせて高円寺の中華料理屋へ。昨日に続き貧血気味のムスメに大量の鉄分をとレバー類を食べさす。
今朝は8時半に阿佐ヶ谷を出て多摩墓地のオヤジやオフクロの墓へ寄る。隣の墓との境目に木が茂り、石の垣根?が壊れている。昨年、墓石屋に頼んで木を切るように言っておいたのに何もしていない。春と秋の掃除代はしっかり請求してくるくせに・・・今度チェーソーを持って行って自分で切った方が良さそうである。
快晴の中、家路につく。昨日のようにビルを見ていた目には中央道の途中で富士山が見えてくると何だかホッとする。
八ヶ岳が見えてくるともう直ぐである。
祝!
やっと4枚目が終わる。もっとも2〜3日パテを乾かしてからの最終磨きと、納入の為の梱包は残っているだが。残り4枚の窓(2枚で一つのデザインであるから残り8枚で約6㎡)は来年の仕事となり、年内の組む作業はこれでお終いである。やれやれであった。
ナマズのジンベイは1週間、塩水に入れておいたら呼吸も正常に戻り、餌も食べるようになったのだが、右目の白濁が治らない。確か以前はジリキコウセイしたのだが・・・