詐欺師たちのオリンピック

2020東京オリンピックの佐野氏デザインのエンブレムを使用中止としたと昨日発表があった。khUrnuzIa1lXxVc_18525
まあ色々とケチのつく東京五輪である。そもそもアベの『フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。 さらに申し上げます。他のどんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が確証されたものとなります。』との大嘘つき・詐欺招致から始まった話しである。きっとこれからもまだまだ出てくるだろう。

オリンピックを見るのは好きであるが、2020年東京五輪なんてハナッカラ反対である。「フクシマは何処へ行った!」と言いたくなる。オリンピックに掛かる費用を全額被災地復興・復旧に投入すべきと今でも思っている。

新国立競技場もゼロベース、エンブレムもゼロベース、ついでに開催もゼロベースにしたらと言いたくなる。

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学校登山中止

本日は26日の台風の影響で延期されていた地元小学校の学校登山。朝3時半に目覚めたが厚い雲。04時45分に小学校に行き、教頭・登山担当の6年生担任と協議。この時点では降雨はなく、ただ15時頃から雨との予報。実施することにして一度帰宅。朝食を摂っていたら小雨が降りだす。う〜ん・・・06時15分に登山口である富士見高原スキー場駐車場へ。小降り。児童も親に送られて続々集まってくる。教師からは「中止する場合はこのまま親に一度家に連れ帰ってもらい、その後は普段通り授業したい」とのこと。この天気は読めない。小学生の場合、靴はスニーカーであるし、雨具などもそれほど良いものは持っていない。また例えば、途中まで登って早く下山した場合、親が勤めなどに出ている家庭も多く、夕方まで迎えに来てもらえないとのこと。結局校長からの意見もあり中止と決定。児童はそのまま親の車で一度帰宅。

観光バスなどを利用して全児童が登山口に集合するならともかく、各家庭が送迎する場合はなかなか難しい。
ガイドのコイケさんには仕事を都合してもらってわざわざ諏訪から来ていただいただけに申し訳ないことをしてしまった。

帰宅して09時半ころには青空も見え始めるが13時半頃からまた小降りとなる。果たしてどっちが良かったのか・・・

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山の先輩来宅

26日に本番を迎える地元小学校の学校登山に同行することをお願いしていたガイド1名の骨折の治りがイマイチとのことで、慌てて別のガイドを探していたのだが、この学校登山を一緒に立ち上げた故コイケミツル氏の弟さんで、元茅野山岳会長のキヨノリさんが同行してくれることになる。これで本隊に2名、別行動となる特別支援学級の生徒2名にガイドをつけることが出来てヤレヤレである。毎年このガイド役の手配が大変である。土日ならともかく、ウィークデーであるし、元々ボランティアとして始めたことだけに、最近は町から賃金が出るといってもとてもガイドの正規の料金からはかけ離れているので、ガイドを本業としている人にはお願い出来ない。2400〜500mの山ではあるが、小学生70名近くに教員とボランティア父兄20名近くを連れて登るとあってはそれなりの山の経験を持った人でなければならず毎年苦労する。ワタクシももう63歳、そろそろ次の世代にお願いしたいものである。

午後、大学山岳部時代の5年先輩のヤノ氏が奥様と来宅。ヤノさんはピラミッド・ジャパンというクライミング・ウォールやホールドを輸入している会社の社長さんである。何十年ぶりである。
ワタクシが大学1年の剣岳真砂沢定着合宿時、OBであった彼のリードでチンネの左下カンテを登った時の話となる。ガスっていて取り付きを間違え、確か左下カンテ取り付きより左稜線よりから取り付いてしまったのだが、あんなに怖い思いをしたことは後にも先にも初めてであった。垂直なフェースなのだが、リードするヤノさんの山靴の底が中央バンドまでの5〜6ピッチだったか、すっかり見える。ボルトは持っておらず、ハーケンを打てるリスがなく、やっと打ったハーケンも手で引っ張れば直ぐに抜けてしまう。左下カンテにトラバース出来ずにそのまま直上する。数ピッチ登ったらコールが掛かる。「空身じゃないと越せない。俺のザックも背負って来てくれ」と、途中のハーケンにカラビナでぶら下がっていたザックを回収しようとしたら、ハーケンごと抜けた。何とか中央バンドに出た時にはホッとした。二人共ヘトヘトであった。合宿のレーションを出したら「おい、こんな物食えるか。お前の非常食出せ」と二人でワタクシの非常食を食べてしまった。バンドからはワタクシがリードで左稜線に抜けたのであるが、今登った壁に比べればお茶の子サイサイ、途中でビレーも取らずにガンガン登ってヤノさんに怒られた。チンネの頂でヤノさんから「モク切れで動けない。シケモクを拾ってきてくれ」と探しまわったことなど笑い合う。それにしてもクライミング・シューズなんてない時代だったし、ワタクシは合宿前に自分の山靴の修理が間に合わず、ワタクシよりサイズの大きい友人に借りたノルディカの馬鹿重い靴でよく登れたものである。あれ以後、一ノ倉にしろ滝谷にしろ明星にしろ、あんなに怖いルートは登ったことがない。
お互いの仕事の話しや最近の山ブームの話しなどあっと言う間に時間が経つ。大泉での友人の葬儀に行くヤノさんと再会を約束して見送る。
昔一緒に登った仲間、特にザイルを結び合い、命を託した仲間との再会は本当に楽しいものである。

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都へ

18・19日と東の都に上ってきた。
18日、朝9時過ぎのバスに乗り新宿へ。久しぶりの都はただただ蒸し暑い。14時、新小岩に初めて降り立つ。駅から数分の元割烹料理屋のビルへ。ドクトル・イタバシがクリニックとデイケアの為に購入したビルである。設計士・工務店・クリニック事務長との打ち合わせ。最近はデイケア施設も洋式ではなく日本間が取り入れられているとの説明。現在あるサッシ窓の内側に6点程の作品をとの依頼。なかなか難しいデザインとなりそう。
高円寺のムスコのマンションに荷物を置き、阿佐ヶ谷の娘のバイト先を除く。可愛い制服を着ている。17時にバイトが終わった娘と駅近くの中華料理屋であれこれ頼んで飲みながらムスメの話しを聞く。バイト先の人達が皆親切で楽しいとのこと。初めて一人で銀座に行き、北斎漫画展を見てきた話しなど。19時過ぎ、バテバテとなったムスコも合流。焼きとん屋にてまた飲んだ後ムスメの部屋に行き彼女手作りのあんみつをご馳走になる。それにしてもムスコと違って部屋を綺麗にしていることに感心する。高円寺に帰り微熱があるムスコを残して銭湯へ。これがなくちゃ都に来た気がしない。

昨日は浅草の方に住む獣医のタニザワくんのマンションへ仕事打ちわせ。タニザワくんは4月に生後6ヶ月のライゾウくんを連れて我が家に来たのだが、その折、初めてライゾウくんがハイハイをしたのでワタクシにとって何とも思い出深い赤ちゃんなのである。笑ったのは室内犬2匹と猫1匹とライゾウくんが一緒に4足歩行することである。「狼に育てられた狼少年って本当にいたとしか思えぬ」とタニザワくん。ライゾウくん用とも犬用とも思えぬおもちゃを取り合いしている図はなかなかに笑える。
タニザワくんのマンションの窓からはスカイツリーがすぐ目の前にそびえ立って見える。IMG_3974(変換後)どうもああいう人工物を見慣れない目にはあまり格好良い物とは映らない。安定感がないというか、東京タワーの方がましに見えるのは年のせいか。また南側の窓からは湾岸の方が一望出来るのだが、こちらは高いビルがずっと続く。IMG_3969(変換後)凄いものである。

昼飯を浅草に食いに行こうということになり、ライゾウくんと奥さんと4人で出掛ける。数分も歩いたら吾妻橋である。何とも異様な風景である。IMG_3983(変換後)最近読んだ山本一力の小説に吾妻橋あたりが出て来ていたので何とも・・・お上りさんに徹して浅草寺周辺を散歩した後、アリゾナ・キッチンという古くからの洋食屋に連れて行ってもらう。荷風が愛した『チキンレバークレオール』をいただくがこれが美味かった。

15時頃に高円寺に戻り、本日はバイトが休みだったムスコと銭湯に。熱い湯と水風呂に何回か入りサッパリした後、餃子屋で生ビール。美味い!都のこれだけは羨ましいと何時も思う。5時に今日も阿佐ヶ谷へ。バイトの終わったムスメと合流して飲み屋へ行き、様々な魚を食べ、飲み、〆には見つけた『阿佐ヶ谷ホープ軒』に入る。学生の頃には飲んだ帰りには必ず『吉祥寺ホープ軒』だったので何とも懐かしく、ここの処のダイエットも忘れる。

20時過ぎには高円寺に帰り、疲れて直ぐに寝る。

本日は起きたら雨。ムスコを送り出してから新宿へ。雨というのに暑い。ドトールで時間を潰して9時過ぎのバスに乗り、昼頃に帰宅。都にいる間に国会前で一声吠えてこようと考えていたが、都の蒸し暑さに負けて果たせずに反省。
帰ったこちらは肌寒く、どっと疲れが出たのか怠くて仕方ない。

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10日程前にカミサンとウオーキングした帰りに、熊らしき動物が30〜40m先で道路を横切るのがヘッド・ライトに浮かび上がった。カミサンは目撃しなかったのだが、小走りに舗装路を横切り林へと消えた動物は真っ黒であり、鹿やカモシカとは明らかに違っていた。多分熊だと思うのだが、イマイチ確証がない。そんな折り、たまたまつけたTVで熊が写っていたのであるが、やはり歩き方がそっくりで間違いないと思う。この場所では昨年秋だかに明らかに鹿やイノシシとは違う2頭の子連れ親熊と覚しき光る目を見ている。

ネットで拾った写真です

ネットで拾った写真です

そこでgoogleの地図写真を調べたのであるが、ワタクシの住む家は八ヶ岳から続く伐採されずに続く2本のグリーンベルト状の森の間にあることが分かる。そして見掛けた場所は八ヶ岳から続く僅かに尾根状となって続くグリーンベルトの片方であり、このグリーンベルトを横切る舗装道路は少なく、熊にとっては安心して八ヶ岳から下って来られる森が続いていることになる。おまけに昨年・今年と遭遇した場所には栗の木が何本かある。少なくともワタクシが熊であったら、もう1本のワタクシの家の直ぐ近くのグリーンベルトよりこちらを選ぶだろうと思う。

ここの処カミサンは都に行っているのでウオーキングは一人で続けているが、ちょっと怖い。かと言って熊鈴を付けて歩くのもアレだし、ホイッスルを吹けば近くの家の人が驚くだろうし・・・そこで件の場所を通過する際には大きな音で拍手というか、手を打合せている。

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