アラレモナイ検査日

今日は3ヶ月に一度の表在性膀胱ガンの検査日。この表在性膀胱ガンというのは膀胱内に腫瘍が出来るもので、膀胱壁に浸潤していないガンである。であるから膀胱鏡という内視鏡手術で切除でき、10日程の入院で済む比較的軽いガンである。但し再発率が非常に高く、6〜8割の人が再発するという。ワタクシは7年程前にこのガンに罹り手術、その1年2ヶ月後に再発してまた手術し、その後抗癌剤治療を受けてから既に5年半経つが、3ヶ月に一度の検査は一生続くようである。
もう20数回は経験した検査であるが、ムスコの先っぽから内視鏡を入れるというトンデモナイ検査であるから、マヌケでアラレモナイ格好をさせられることにはやはり男として抵抗はあるが、そこはとうにカンレキを超えた図々しさで乗り切っているのである。

で、アラレモナイ姿での検査後、ムーミンをちょっとコワモテにしたようなドクトル・フルヤから「はい、綺麗でした。再発はありませんでした」を聞くとやはりホッとするのである。
会計を済ませてから喫茶ラウンジに寄ると、顔なじみのおばさんが「エスプレッソですね」とさっさと淹れてくれる。特に美味いエスプレッソでもないが、「再発はありません」を聞いた後のコーヒーはしみじみ美味いのである。

PS:最近はこの『表在性膀胱ガン』が増えているとのこと。最初の兆候は血尿のことが多いらしく(ワタクシの場合は血尿の覚えは無く、ただ急に頻尿となったので前立腺肥大かと思って検査を受けたら、既に3cmを超える大きさで最初の手術はちょっと大変であった)、ドクトル・フルヤからは知り合いにそういう人がいたら早めに検査を受けるよう知らしめて欲しいと言われている。因みにこの表在性膀胱ガンは早めに切除すれば全く普通の生活が送れるのであるが、放っておいて、もし膀胱壁に浸潤すると転移や人口膀胱となることも多いので、とにかく早目に恥ずかしがらずに検査を受けて欲しいとのことである。

帰り道、桜の葉っぱの紅葉にしばし見とれる。IMG_4219(変換後)

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

スーパー婆ちゃん

一昨日の夕方、いつもの八ヶ岳に向かって真っ直ぐ上る道をウォーキングしていた時、セロリに水を掛けている婆ちゃんから話しかけられた。IMG_4193(変換後)「オメェ様の家はどこだ?」「ムネヒコさんちの下」「そうかい。そりゃまあ遠くからゴクロウサマ」「セロリ持って行くかい。うん?まだ歩くかい。帰りにまた寄りな」と言ってくれる。一番上の横道まで行ってからお墓経由で下りて来たら、丁度水掛けが終わったところで、セロリを採ってくれる。「婆ちゃんは誰んち?」と聞くと「クメイチロウちだけど、クメイチロウはもう死んだ」とのこと。「じゃあ、ひょっとしてクメオさんのオカーサン?」と聞くと「クメオを知ってるだかい?」「よく知ってるよ」「そうかい、そりゃ悪いことできんなぁ」と笑っている。「オメェ様は何の仕事してるだかい?」「ガラス工芸してる」「そうかい、そりゃタイヘンダ」等々しばらく話し込む。帰ってシチューに入れたり、サラダにして食べたが採りたてのセロリは水々しくて美味い。

昨日も夕方歩いていたら今度はクメオさんが畑脇に座り込んでタバコを吸っていた。ムスコが『西郷さん』と呼んでいたが、何となく西郷さんの風貌である。「ヤァ、昨日はお母さんにセロリを貰ったところだ」と言ったら「そうかい、そうかい、オクズミさんに出会ったらセロリをやろうと思っていたところだ」とのこと。ワタクシも座り込んで暫く話し込む。クメオさんと知り合ったのはムスコがまだ小さい頃の小学校の運動会で隣に座っていた時である。元々田舎の運動会というのは村のお祭りみたいなもので、昼食にはご馳走を用意して、勿論ビールや焼酎を飲んでというのが当たり前であった。酔っ払った爺様が徒競走に紛れ込んで孫と走ったり、孫の応援にムシロ旗を持って走り回っていたり・・・ところがこの頃から小学校のお達しで『飲酒禁止!』となったのである。ところが隣に座ったクメオさんは「酒もない運動会なんて冗談じゃない!」とクーラー・ボックスにビールや焼酎を詰め込んできていて、初対面のワタクシに「やぁ、飲むじゃん」とどんどん酒をくれた時に知り合った。
クメオさんは57才。この村の生まれで、東京の大学を出て農協の支所長をやりながら夏はセロリ専門に作ってもいる。聞くと朝は2時に出荷の為に畑に来るという。6時過ぎまで出荷をやり、それから農協に出勤。夜は8時に寝るという生活が10月中旬まで続くという。

今日の散歩でカミサンと歩いていたらまたクメオさんの婆ちゃんと言うかお母上に会う。「セロリ水々しくて美味しかった」と言うと「そうかそうか。セロリの太いところは天ぷらにすると美味いぞ。酢豚に入れても美味いぞ」と教えてくれる。「10月15日が最期の出荷。今年はもうセロリの出荷よりオラの出棺になるかと思ったけれど何とか保った」と言いながらひょいとセロリの収穫用の機械から飛び降りる。「クメオさんは朝2時から来ているんだって?」と言ったら「ワシは1時半には来ている。もっとも夕方6時には寝る」とのこと。背の小さい婆ちゃんで、クメオさんの年から考えればとおに80才は超えているだろうに元気・元気である。「じゃあ、また」と言って軽トラに乗って颯爽と帰って行った。

カミサンは「うちの母もクメオさんのお母さんの爪の垢でも煎じて飲むといいんだけれど・・・」と溜息をついている。
それにしてもスーパー婆ちゃんである。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

曼珠沙華

ここ数日朝は6℃とか7℃まで気温が下がり、木々の葉っぱが少しづつ色づいている。

散歩に出るとここら辺ではコスモスがあちこちに咲いている。庭先や路傍に一株程度咲いているのなら『秋らしい』と思うのだが、IMG_4170(変換後)いつか見た『コスモス街道』ともなると何となく鬱陶しいというか・・・賑やか過ぎるというか・・・

IMG_1987(変換後)

京都鴨川べり

ワタクシにとって秋といったら『彼岸花』、もとい『曼珠沙華』であると思うのだが、ここら辺では冬に葉を伸ばす曼珠沙華は寒さに弱いのであろう、全く見ない。ま、この花も一面真っ赤ではと思ったら、埼玉県の巾着田という処では一面の曼珠沙華で『曼珠沙華まつり』とかいうのをやっているとのこと。

『山口百恵の世界』のようにはなかなかならないものである。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

都から帰ってから集落の理事選挙管理委員、出払い作業やその後の懇親会(当番だったので懇親会用の28名分の食材や酒の買い出し、汁物作り、片付け等々)、漁協理事会などなど慌ただしい日々であった。おまけに18年使った冷蔵庫が急に動かなくなって買い換えたり、カミサンが義母の世話で都に行っていたりとなかなか忙しい日々である。

昨日は爆弾低気圧通過後の爽やかな秋晴れ。冷蔵庫も届いたので食料品を買い込む。カミサンはまだ都なので一人分の食料を買うが野菜の高いことにビックリ。
夕方ウォーキング。IMG_4172(変換後)IMG_4158(変換後)IMG_4186(変換後)秋である。
一杯やりながら夕食作り。コメを炊くのが面倒くさいのでステーキと大量に揚げたフライドポテトとサラダとウィスキーで済ます。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

都へ、国会前へ

18日、高速バスにて都に上る。夜は仕事打ち合わせがあるのでワタクシとしては珍しくジャケットや折り目の付いたパンツに革靴、ショルダーバックのまま国会前へ。
学生の頃の70’安保時には名前や身分証明が可能な物は絶対持たず、頭にはヘルメット、常に逮捕されることを覚悟での激しいものであったが、多くの年代の人が自由に、逮捕の恐れもなく参加できる今回の戦争法案反対の運動は今後長く続けていかねばならない運動形態として大変よいものだと感じる。通りに出させまいとバスを並べて警備する機動隊員にもかつてほどの緊張感はなく、仕事の資料や着替えの入ったショルダーバッグの留め金が外れているのを教えてくれたりする。ラップ調のシュプレヒコールなどにも自然に声を合わせて法案反対の意思表示を行う。

数時間後、宿泊先の御徒町のホテルにてシャワーを浴びてから20時に北千住のドクトル・イタバシのクリニックへ。新小岩の新しくオープンするクリニックのステンドの打ち合わせ。なかなか難しいデザインとなりそう。その後、クリニックのヤスさんと3人で中華料理屋にて紹興酒で乾杯。2軒目は御徒町のワイン・バーにてモヒートやウィスキー、ワインを飲み、3軒目は何だかよく分からぬバーにてウィスキーを飲んでドクトルと別れる。ホテルに帰ったのは02時半頃であったか03時半であったか、テレビで戦争法案が可決されたことを報じていた。

19日、さすがに飲み過ぎで体が怠い。ホテルの朝食後、10時に出てムスメの住んでいる阿佐ヶ谷へ。元気そう。部屋は綺麗に片付いていてムスコの部屋とは雲泥である。ムスメの2段ベッドの小改造を頼まれ、それに使う電動ドリルや寝袋なども宅急便で送っておいたのが届いている。昼食を摂りに駅前まで行き、ビールで迎え酒としてやっと体がシャンとなる。その他改造に必要な材料を買い込んでから戻るが当初考えていた改造方法では上手くないことが分かり、応急処置的に直す。夕方、バイトの終わったムスコから電話。高円寺で待ち合わせることにしてムスメと買い物がてらブラブラと高円寺まで歩く。いつもの、中国人がやっている中華料理屋でテーブル一杯に様々なものを頼み飲みかつ食らう。お腹一杯になり、ムスコの部屋にてちょっと休憩後、新しく見つけたという銭湯へ。ムスコは都に上ってから10数Kg痩せたとのことであるが相変わらずガリガリである。ムスメは都に上って初銭湯とのこと。ムスメのアパートに戻り爆睡。

20日。都での用事も終わったが一日都でノンビリすることにする。6時半頃から、工具と共に送っておいたスニーカーを履いてムスメと荻窪まで散歩。荻窪駅前にて朝食後、阿佐ヶ谷までプラプラと歩く。昼過ぎにムスコと阿佐ヶ谷で待ち合わせて回転寿司にて昼食。まあよく食べる。その後サックスの修理に行くムスコと別れ、ムスメとプラプラと買い物。ムスメにスニーカーと秋用のカジュアルなジャケットを買う。喫茶店にてムスコを待つがなかなか修理が終わらないとのことで、ワタクシが小学生の頃によく行った駅から3分の釣り堀へ。金魚釣りをやるがさすがに連休中で人も多く、その上暑くて食いが浅く全く釣れず。IMG_4133(変換後)夕方、修理の終わったムスコと合流して串焼き屋にて飲むが、店の選択を誤った。不味い!
ムスメの部屋にて手作りの蒸しパンとやはり手作りのあんみつをご馳走になり、ムスコは帰る。どうもマンションの風呂に入る気になれず、ネットで探してムスメと銭湯へ。電気風呂にて感電死するかと思ったが何とか心臓も持ちこたえる。爆睡。

21日。連休とあって高速は渋滞。特急の指定も一杯。面倒くさくなり高尾から鈍行で帰ることにして8時半頃の高尾行きに乗るが結構混んでいる。高尾からの松本行き鈍行に座れるが大月までは結構な人であった。富士五湖にでも行くのであろうか。久しぶりの鈍行はノンビリしていてそれはそれでいいのだが、やはり座席は固く、腰にくる。IMG_4156(変換後)高尾から丁度3時間で富士見に着き、カミサンの迎えの車に乗る。やれやれ疲れた都であった。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個