秋晴れが続いていて気持ち良い。 今年は薪の用意が全くない。そこら中の家が薪ストーブを使い出したおかげで薪の入手が難しくなっている。今までは「オラの林の木、勝手に切っていいよ」という家があったが、そこのムスコが家を建てたりすれば必ず煙突が突き出した家となっている。「これ使え!」とダンプ一杯の原木を持ってきてくれた土建屋は今じゃ自分の所で薪にして売っているご時世である。従って今年は薪が集まっていない。ムスコやムスメも居なくなったし、灯油も随分値下がりしたので、今冬は灯油ファンヒーター、ちょっと寒い時には床暖、もっと寒い時にはそこいらの枯れ木か売っている薪で過ごそうと考えていた。先日軽トラの車検を頼んだ自動車修理工場の気のいいオバチャンに「薪集まった?」と聞かれて「全然」と答えたら「そんじゃちょっと心当たりに聞いておくでね」と言って数日後の一昨日、「切ってもいい林があるから持ち主にと会って林を教えて貰って」との連絡。早速林を案内して貰ったのだが、赤松中心の林で我が家から3Km程の所にあり、軽トラで入れる林であった。地主のアメミヤさんは「適当におろぬいて結構」とのこと。「仕事の合間にボチボチしか切れぬが」と言うと「構わない。倒して隣の木に引っ掛かったら、倒した木の切れる処だけ切りゃいい」とのこと。有り難くボチボチ切らしてもらうことにする。 夕方というか15時過ぎにカミサンとウォーキングに出る。暖かいというより暑いほどである。今日はいつも先ずは八ヶ岳に向かって登るのであるが、たまにはと知らない道を下ることにする。小学校の下から新田に向かって農道をドンドン下る。稲刈りの終わった八ヶ岳の裾野が広々している。
木々の紅葉も随分と進んでいる。
新田集落の手前の急な坂道に『富士見町指定有形文化財 松本自謙の墓』の標識。江戸時代の心学者とのことであるがなかなか趣のある墓である。
帰りは八ヶ岳に向かって、来た道とは別の草をよく刈り込んだ農道を登る。なかなかよいコースである。
秋晴れ
『美術館に行って人間の汚さを見た』
八ヶ岳の紅葉もだいぶんと下りてきた。
緑々しているのは堆肥用の麦で、この後トラクターで鋤きこむのである。
昨夜ムスメから電話がある。平日でバイトが休みだったムスメが東京都美術館でやっている『モネ展』に行って素晴らしかったが、ただ混雑していて「美術館に行って人間の汚さを見た」とのこと。入場までの40分待ちの間に横入りするオバサンや、入場してからも前が動かないので立ち止まっていると後ろからグイグイ押してくるので、「まだ前が動かないのだから」とたしなめると舌打ちするオバサン等々で疲れたという。
日本人というのは美術展や展覧会が大好きなようである。特に中高年のオバサンが大好きなようでる。マッコト教養が高くていらっしゃる。そのくせゆっくり観る、楽しもうとは思っていらっしゃらないように見受ける。「ガヤガヤ」「ぎゃーぎゃー」、果ては「これ幾らくらい?」・・・立ち止まってゆっくり見ようものなら、後ろから蹴飛ばされされそうである。説明文なんてとてもじゃないけれど読んでいられない。エスカレーターである。
全てのオバサンがそうだとは思わないが、言っちゃ悪いが決して作品を観に来たとは思えない。ありゃ『行った』という満足感或いは優越感、否、暇潰しの為だけに集まっているとしか・・・。入場料も65歳以上は大抵割引があり、一般成人の2/3かそれ以下の値段で入れるのであるから敵わない。ま、そういう教養の高くていらっしゃるオバサン達によって美術館が維持されているのかもしれないのであるが、ワタクシのような混雑に慣れない田舎者はなかなか近づけないのである。
けだし『美術館に行って人間の汚さを見た』はなかなかの名言である。
アラレモナイ検査日
今日は3ヶ月に一度の表在性膀胱ガンの検査日。この表在性膀胱ガンというのは膀胱内に腫瘍が出来るもので、膀胱壁に浸潤していないガンである。であるから膀胱鏡という内視鏡手術で切除でき、10日程の入院で済む比較的軽いガンである。但し再発率が非常に高く、6〜8割の人が再発するという。ワタクシは7年程前にこのガンに罹り手術、その1年2ヶ月後に再発してまた手術し、その後抗癌剤治療を受けてから既に5年半経つが、3ヶ月に一度の検査は一生続くようである。
もう20数回は経験した検査であるが、ムスコの先っぽから内視鏡を入れるというトンデモナイ検査であるから、マヌケでアラレモナイ格好をさせられることにはやはり男として抵抗はあるが、そこはとうにカンレキを超えた図々しさで乗り切っているのである。
で、アラレモナイ姿での検査後、ムーミンをちょっとコワモテにしたようなドクトル・フルヤから「はい、綺麗でした。再発はありませんでした」を聞くとやはりホッとするのである。
会計を済ませてから喫茶ラウンジに寄ると、顔なじみのおばさんが「エスプレッソですね」とさっさと淹れてくれる。特に美味いエスプレッソでもないが、「再発はありません」を聞いた後のコーヒーはしみじみ美味いのである。
PS:最近はこの『表在性膀胱ガン』が増えているとのこと。最初の兆候は血尿のことが多いらしく(ワタクシの場合は血尿の覚えは無く、ただ急に頻尿となったので前立腺肥大かと思って検査を受けたら、既に3cmを超える大きさで最初の手術はちょっと大変であった)、ドクトル・フルヤからは知り合いにそういう人がいたら早めに検査を受けるよう知らしめて欲しいと言われている。因みにこの表在性膀胱ガンは早めに切除すれば全く普通の生活が送れるのであるが、放っておいて、もし膀胱壁に浸潤すると転移や人口膀胱となることも多いので、とにかく早目に恥ずかしがらずに検査を受けて欲しいとのことである。
スーパー婆ちゃん
一昨日の夕方、いつもの八ヶ岳に向かって真っ直ぐ上る道をウォーキングしていた時、セロリに水を掛けている婆ちゃんから話しかけられた。
「オメェ様の家はどこだ?」「ムネヒコさんちの下」「そうかい。そりゃまあ遠くからゴクロウサマ」「セロリ持って行くかい。うん?まだ歩くかい。帰りにまた寄りな」と言ってくれる。一番上の横道まで行ってからお墓経由で下りて来たら、丁度水掛けが終わったところで、セロリを採ってくれる。「婆ちゃんは誰んち?」と聞くと「クメイチロウちだけど、クメイチロウはもう死んだ」とのこと。「じゃあ、ひょっとしてクメオさんのオカーサン?」と聞くと「クメオを知ってるだかい?」「よく知ってるよ」「そうかい、そりゃ悪いことできんなぁ」と笑っている。「オメェ様は何の仕事してるだかい?」「ガラス工芸してる」「そうかい、そりゃタイヘンダ」等々しばらく話し込む。帰ってシチューに入れたり、サラダにして食べたが採りたてのセロリは水々しくて美味い。
昨日も夕方歩いていたら今度はクメオさんが畑脇に座り込んでタバコを吸っていた。ムスコが『西郷さん』と呼んでいたが、何となく西郷さんの風貌である。「ヤァ、昨日はお母さんにセロリを貰ったところだ」と言ったら「そうかい、そうかい、オクズミさんに出会ったらセロリをやろうと思っていたところだ」とのこと。ワタクシも座り込んで暫く話し込む。クメオさんと知り合ったのはムスコがまだ小さい頃の小学校の運動会で隣に座っていた時である。元々田舎の運動会というのは村のお祭りみたいなもので、昼食にはご馳走を用意して、勿論ビールや焼酎を飲んでというのが当たり前であった。酔っ払った爺様が徒競走に紛れ込んで孫と走ったり、孫の応援にムシロ旗を持って走り回っていたり・・・ところがこの頃から小学校のお達しで『飲酒禁止!』となったのである。ところが隣に座ったクメオさんは「酒もない運動会なんて冗談じゃない!」とクーラー・ボックスにビールや焼酎を詰め込んできていて、初対面のワタクシに「やぁ、飲むじゃん」とどんどん酒をくれた時に知り合った。
クメオさんは57才。この村の生まれで、東京の大学を出て農協の支所長をやりながら夏はセロリ専門に作ってもいる。聞くと朝は2時に出荷の為に畑に来るという。6時過ぎまで出荷をやり、それから農協に出勤。夜は8時に寝るという生活が10月中旬まで続くという。
今日の散歩でカミサンと歩いていたらまたクメオさんの婆ちゃんと言うかお母上に会う。「セロリ水々しくて美味しかった」と言うと「そうかそうか。セロリの太いところは天ぷらにすると美味いぞ。酢豚に入れても美味いぞ」と教えてくれる。「10月15日が最期の出荷。今年はもうセロリの出荷よりオラの出棺になるかと思ったけれど何とか保った」と言いながらひょいとセロリの収穫用の機械から飛び降りる。「クメオさんは朝2時から来ているんだって?」と言ったら「ワシは1時半には来ている。もっとも夕方6時には寝る」とのこと。背の小さい婆ちゃんで、クメオさんの年から考えればとおに80才は超えているだろうに元気・元気である。「じゃあ、また」と言って軽トラに乗って颯爽と帰って行った。
カミサンは「うちの母もクメオさんのお母さんの爪の垢でも煎じて飲むといいんだけれど・・・」と溜息をついている。
それにしてもスーパー婆ちゃんである。
曼珠沙華
ここ数日朝は6℃とか7℃まで気温が下がり、木々の葉っぱが少しづつ色づいている。
散歩に出るとここら辺ではコスモスがあちこちに咲いている。庭先や路傍に一株程度咲いているのなら『秋らしい』と思うのだが、
いつか見た『コスモス街道』ともなると何となく鬱陶しいというか・・・賑やか過ぎるというか・・・
ワタクシにとって秋といったら『彼岸花』、もとい『曼珠沙華』であると思うのだが、ここら辺では冬に葉を伸ばす曼珠沙華は寒さに弱いのであろう、全く見ない。ま、この花も一面真っ赤ではと思ったら、埼玉県の巾着田という処では一面の曼珠沙華で『曼珠沙華まつり』とかいうのをやっているとのこと。
『山口百恵の世界』のようにはなかなかならないものである。


