都へ

2泊で東の都に仕事打ち合わせで行って来た。相変わらずの人・人・人にただただ疲れる。

1日(土)。新宿でムスコと落ち合い、湯島へ。日本料理屋さんの改装にともなうステンドグラスの打ち合わせ。モチーフが『四君子』と決まる。その後、キヨシくん夫婦がムスコ共々御馳走してくれる。良い気持ちに酔う。
帰り、東中野のライブハウス『THELONIOUS』で山田譲氏のライブを聴く。山田譲氏はかつて人気投票で初めてナベサダを破った人とのこと。そのアルト・サックスのテクニックもさることながら、野太い音色に圧倒される。ただただ凄い。酔いしれる。ムスコの部屋の小さな風呂に入る気にならずに銭湯へ。布団に入ってもサックスの音が頭の中を駆け回る。

2日(日)。11時に中学・高校のバスケット部の先輩であるゴウダさんのお宅へ。今夏、新築されるお宅にステンドを使って下さるとのことで、昼食を御馳走になりながら打ち合わせ。
帰りにムスコと吉祥寺で待ち合わせて『DISK UNION』へ。『JAZZ PERSPECTIVE』のVol.7に『YAMATOYA』のクマシロさんのインタビューが出ているのを見つける。ジャズ・スポットの音漏れに関して、ステンドグラスを入れたら随分と止まったと書かれていて思わず購入。自分の青春の大半を過ごした街ではあるが、余りの人の多さに疲れて早々に高円寺に戻り、銭湯に直行。考えてみると、都に出た時の銭湯が楽しみになっている。薬湯・ミルク風呂・水風呂と交互に何回もゆっくり浸かる。夕方から飲みに出るがムスコが酔っぱらって気分が悪いと言い出し、早めに切り上げる。酒に関しては全く飲めないカミサンの血を受け継いだようで、だらしのない奴である。

3日(月)。早く寝たので夜中に目覚めてしまい、『四君子』のデザインの問題点を考える。午前中のバイトが休みとなったムスコとゆっくり朝食後、11時過ぎのバスにて帰宅。車中、60代後半だか70代のオバサマ方10名ほどのグループがキャーキャーと女子高生の如くうるさく眠れず。この世代にも全く困ったものである。
ダリがご主人様を熱烈歓迎といった顔で迎えてくれる。

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婆ちゃん、どうした?

今日は3ヶ月ぶりの内科。昨日『座布団』のような雪が降った後、あまり気温が下がらなかったとはいえ一応マイナスの世界。病院まで所々ツルツルである。DSCF7188(変換後)採血後、9時過ぎにはドクトル・タニグチにこの3ヶ月の血圧表を見てもらう。「この時期、運動が必要な患者さんにとっては散歩せよとも言えず、皆さん大体数値が悪くなるんですが、どれどれ」「血圧はまあこんなものでしょう。血糖値もまあ良しと、尿酸値は良いですね」とクリアーする。この間、正月を挟んで暴飲暴食の上、ダリ散歩程度しか運動していなかったので、ちょっと血糖値が心配であったが、ヤレヤレである。
会計も済ませて5階のレストランへ。さてと食券機の前で考える。『朝定、トースト、玉子丼、親子丼、カツ丼、ピラフ、カレー、蕎麦、ラーメン・・・』まだ09時半であるから毎度のことだが悩む。う〜ん、前回は『因縁のカツ丼婆ちゃん』に倣って若輩者にも拘わらずカツ丼なんぞを食してしまい深く反省したのであるから、「朝定にするか、玉子丼あたりにするか・・・蕎麦もいいなぁ」と悩みつつ、ついついコストパフォーマンスなんぞまで考えてしまい、エィ!と『親子丼』を押す。食券をカウンターに出して、ふと見ると『因縁のカツ丼婆ちゃん』が他には誰もいないレストランの真ん中辺りに座ってお食事中である。やはり丼を食していらっしゃる。八ヶ岳を一望出来る席に回り道をして、脇を通りながら丼を覗き込む。アレッ、『カツ丼』ではない。『親子丼』を食していらっしゃる。「どこか身体を悪くしたのか?」と心配になるが、まあここは病院である。「血糖値が高いですね。カツ丼なんぞを朝から食べては駄目ですよ」とでもドクトルから禁止令が出たのか、いやいや案外飽きたのかもしれない・・・ちょっと肩すかしをくったというか、ちょっと淋しい気分。どういうわけかこの婆ちゃんとレストランで会うのはこれで4回目である。過去3回は『カツ丼』を食していらしたのだが・・・かくして淋しい気分で食べた『親子丼』も美味かった。

夕方、アトリエの窓から樹間に阿弥陀岳が光り、30分後にはアーベントーロートで赤く染まった。明日から東の都であるが、帰ってきたら久しぶりにアイゼン、ピッケルの山か、山スキーにでも行こう。PICT0016(変換後)PICT0020(変換後)

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サメの脳みそ

『newsポストセブン』というwebニュースからの引用である。ちょっと長いが、嗤った。 

「東京都知事選挙で、大メディアが展開する細川護煕―小泉純一郎元首相陣営へのネガティブキャンペーンの「柱」となっているのが公約の筆頭に掲げられた「原発ゼロ」に対する批判である。
もちろん原発再稼働への賛否は国民的議論で、「再稼働すべき」と論陣を張ること自体に何の問題もない。読売新聞と日本経済新聞が報じたのが、東京五輪の大会組織委員会会長への就任が決まった“ミスター東京五輪”こと森喜朗・元首相の発言だ。
「五輪のためにはもっと電気が必要だ。今から(原発)ゼロなら、五輪を返上するしかなくなる」
脱原発派の細川氏が当選すれば、“電力不足で五輪開催ができなくなるぞ”という有権者への露骨な恫喝だが、あまりに見え透いた嘘だった。
それというのも、五輪招致委員会は昨年1月にIOC(国際オリンピック委員会)に提出した『立候補ファイル』の中で、原発停止中の2012年7~8月の電力ピーク時にも東京電力には708万kWの予備電力があったことを詳しく説明し、〈2020年東京大会で発生する追加需要に対して、既に十分に対応可能な状況にある〉と、原発なしでも電力は十分足りることを報告したからだ。そうして各国の委員たちを安心させ、東京は開催都市として高い評価を受けた。
そもそも、五輪の電力需要などたかが知れている。招致委が昨年1月の段階で、五輪開催に伴う追加の電力需要を「東京電力の供給能力の約0.1%にすぎない」と見積もっていたことは産経新聞や東京新聞が報じている。東電の供給能力は原発なしでもざっと5800万kWある。その0.1%なら5万8000kW、ごく小規模な火力発電所1基分にも満たない。
その程度の五輪電力のために、1基100万kW規模の原発を何基も再稼働させなければならないという森氏の主張がいかに荒唐無稽なこじつけか、読売や日経の一流記者がわからないはずがない。
森氏も、五輪開催で電力不足が起きるほど日本の電力インフラが貧しいと本気で考えているはずがない。そもそも、脱原発派への批判のためとはいえ、東京五輪準備の総責任者である組織委会長が、今になって「原発がなければ五輪返上」と言い出せば、各国から“日本は招致活動でウソをついた”と批判されかねない。そんなまともな判断ができないとは……この人が永田町で“サメの脳みそ”と呼ばれる所以だろう。
そして森氏の発言を反証抜きで報じた読売、日経の姿勢は日本の信用失墜を招いたという面でより責任が重い。」
と出ていた。img_420222_3211295_0

で、思い出したが、昔、携帯電話がまだ無い頃の話しで、オフクロが入院していた都の建て替えたばかりの大病院でのことである。8階だか10階だか忘れたけれど、そのフロアーは血液科などの重い病気の患者が多く入っているフロアーで、非常に綺麗で静かだった。そのはずれに特別室があり、丁度宮沢喜一が入院していた。
ある日の夕方、見舞いの帰りにナース・ステーション前を通りがかったら、この『サメの脳みそ』を持った男が「電話を貸せ!」と喚いていた。看護婦や医者が「エレベーター前の公衆電話をお使い下さい」と断っているのだが「こっちは天下国家の一大事なんだぞ!」と喚いている。きっと宮沢喜一が案外元気だったのが『サメの脳みそ』にとっては天下国家の一大事だったのだろう。さすがに呆れ顔をして周りを取り囲んだ3人のSPだかが『サメの脳みそ』を持つ男をなだめているのだが聞かない。「うるさい!静かにしなさい!」とご注意申し上げたら凄い顔で睨まれた。エレベーターを待っていると『サメの脳みそ』を持つ男が相変わらず「この病院はどうなっているんだ!」と大声で喚きながらやって来た。再度ご注意申し上げたら「うるさいとは何だ!お前なんかに天下国家の何が分かる!」とか何とかまた大声で喚く。どうも赤い顔をして昼間から一杯入っているみたいだ。挙げ句に、来たエレベターに、ワタクシやもう一人待っていた入院患者を押しのけて先に乗り込もうとしたので「無礼者!」と言って押しのけて患者さんを先に乗せたら無言のSPに囲まれエレベーター内の壁に向かって取り囲まれた。そこに丁度オフクロの主治医だった医師が駆け込んで来て「無礼にも程がある。ここが病院だということも分からないのか。それでも政治家か!」と一喝したら、ますます狂ってしまい、「この病院は何だ!院長に会わせろ!貴様なんぞ辞めさせてやる!」と動き出したエレベーターの中で喚きだし、もう完全にヤクザである。結局3階だかで、こちらも本気で怒り出した主治医に「付いて来い!」と言われて、本当に院長に会いに行く気なのか一緒に降りて行った。
後日オフクロの見舞に行った時「貴方、森喜朗と喧嘩したんだって」と言われた。「何で知っているの?」と聞いたら、主治医が「今度息子さんに会ったら、しっかりオトシマエは付けたと伝えておいて下さい」と言っていたとのこと。どんなオトシマエを付けたのかはその後聞き忘れたが、この主治医ならオフクロを任せて大丈夫だと思ったし、事実、後数ヶ月という当時では不治の病を抗ガン剤の組み合わせで11年も切り抜けてくれたのであった。

尤もその何年後かに、この『サメの脳みそ男』が首相になったのだから、自民党も推して知るべしだし、『天下国家』も大したことはないと思ったものである。

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食品偽装

食品偽装問題から、公正取引委員会だか厚生労働省だかのオッサンが真剣な顔をして議論しているのをTVニュースで見る。これからは『サケ弁』を『サーモン・トラウト弁』とするというような話しである。う〜ん!ちょっと嗤う。確かにあまりに酷い食品偽装は問題であるが、ちょっとなぁ〜と思う。昔、本当の話しだったのか、或いは漫才だったのかもしれない。「オヤジ!このたこ焼き、タコが入っていないぞ!」と客が怒ったら、タコ焼き屋のオヤジがすかさず「鯛焼きに鯛が入っているか!」と言い返すのであったが、それを思い出した。『サケ弁』は『サケ弁』で裏の原材料に『サーモン・トラウト』と表記すれば済むと思うのだが・・・

鯛は入っていないが「たい焼き」

鯛は入っていないが「たい焼き」

 
そんなことより、原発汚染水を垂れ流しながら「完全にコントロールされている」と世界に向かって発言する方が大嘘であろうと思うのだが。一体状況が良くなっているのか、より悪くなっているのか、本当の処はどっちなのだろうか。

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もう後一歩なのだけれど・・・

何枚も描いたデザイン、まだ「コレッ!」と言えない。描いたり、消したり・・・

松本の山道具屋『ブンリン』に夏山用山靴の底の張り替えを出していたのだが、修理出来たとの連絡が来ていたので思い切って気分転換にカミサンと行くことにする。高速で松本に行く途中、後立山の山並みが綺麗に見える。’99年の正月に山岳部の後輩2名が鹿島槍にて遭難、6月末に遺体収容するまで何度も通い、辛い思いで見上げた山々であるが、あれからもう16年である。DSCF7175(変換後)

『ブンリン』にて山靴を引き取る。きちんと直っていた。どうも最近のビブラム底、確かに岩への食いつきは良いのだが、減り方はやけに早いように思う。それにウレタン部分だかの加水分解だかはイタダケナイ。DSCF7181(変換後)
ちょっと歩いて『本郷食堂』に行く。ここは学生時代、カトウセンセイの実家でブラブラしていた頃だか、八ヶ岳に住み着いてからペンキ屋のモモセさんのところに1ヶ月に7日程バイトに行っていた頃だかによく行った昔ながらの街の食堂である。4〜5年前だかに家族で偶然通りがかり、まだやっていることを知った時には何とも懐かしく、揃って『焼そば』を食べた。ガラッと開けたら昼過ぎだったせいか客は誰もいない。愛想のいいオヤジさんが「いらっしゃい!初めてかな?初めてだったら評判のいい焼そばがいいよ。」という。「いや、昔はよく来たんだけれど・・・」「そりゃ、失礼!」「今日は富士見からなんだ」「そりゃ遠くからありがとう」ということで、やはり『焼そば』を頼む。「焼そば、評判になってね。TVにも出たし、こないだはラジオにも出たんだ。だけどうちは後継者がいないんで、もう後2〜3年かな」と淋しいことを言う。本当は『焼き蕎麦』を肴にビールをと思うのだが、カミサンの運転で心中するのもナニだから、おとなしくお茶と共に食す。DSCF7177(変換後)『焼そば』に箸を付けてからの慌てての写真となったが、昔から全く変わらない味と量である。いわゆる『かた焼きそば』や『バリそば』ではなく、中華麺をフライパンで焦げるくらいしっかり焼いた上にちょっと硬めの餡掛けと卵焼きが乗っているのだが、この写真で見るよりずっとボリュームがあるというか、食べごたえがある。大盛りもあるのだが、大食いのワタクシでも普通で充分の量である。カミサンは2回目だが、美味しい、美味しいと食べている。考えてみるとここでは昔から『焼そば』しか食べたことがないかもしれない。こういう街の食堂が段々なくなってしまうのは淋しいことである。

帰りはノンビリと下道で帰って来る。

明日は頑張るぞ!

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