雪かき

昨夕からの雪は夜になって大雪注意報も出たが、大したことはなく12〜3cmであった。それでもここ暫く降っていなかったので、白さがリセットされた。DSCF6976(変換後)朝食後、まだ暗い6時過ぎに構造改善センターに資源ゴミを出しに行った後、カミサンにムスメを駅まで送るよう頼み、雪が重くならないうちに除雪機を掛ける。重い雪であるが何とか飛ばせる。我が家のアプローチから町道までかき、さて県道までと思ったら綺麗に掻いてある。アレッと見ると向こうから大男が小さく赤いトラクター?だかホイール・ローダーだかに乗ってやって来る。近づいて見ると川向こうのデイビスさんである。「サンキュー」と言うとニコニコしながら「コレ、オモシロイネ」とご機嫌である。ホンダの小さく真っ赤なローダーに乗った身長190cm近くのディビスさんはまるで『サーカスの熊さん』である。感謝!家の周りを掻くが、7時半には薪山も駐車場も掻き終わる。

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登山ブーム

昨日朝は−15℃位まで下がったようだが、一転、今朝は−2℃位までしか下がらず、午後から降り出したのは雪というよりみぞれ。夕方になって雪に変わるも重い雪である。

さて、世の中登山ブームである。長野県内で発生した昨年1年間の山岳遭難数は300件となり、統計を取り始めた1954年以降、最多。死亡者数は過去2番目に多い65人で、行方不明者は9人という発表があった。困ったことである。

昨夜は今夏の『立沢区民登山』の打ち合わせがあった。公民館館長・主事・体育委員長と山好きなシゲさんとイオリさんとワタクシで、今年の計画を練るが、なかなか決まらない。小学1年から75才くらいまでの20数名で登れる山、期日は7月の3連休中の日帰りという条件を満たす山はなかなか難しい。元々「立沢に住んで毎日見る八ヶ岳にも 登らずに死んじまうなんて可哀相」という故ミツル氏が20数年前に始めた『立沢区民登山』であるから、山の初心者というより初めて山に登る人も対称としなければならない。そうなると出来るだけ、細い稜線や狭いトラバース・ルートで登り下りの人の交差を避けなければならない。また今年は予算が少ないとのことからマイクロバスを借りることが難しいとすると、最低でも5〜6台駐められる駐車場が確保出来る登山口からとなる。昨今の登山ブームから、休日は朝5時には登山口の駐車場が満杯なんてことはザラである。権現岳や阿弥陀岳も候補に登るが、連休中の混雑や駐車場を考えると全員を登らせるのは難しい。

色々考えるが適当な山が思いつかない。で、「それじゃあ景色を見に登るというのはどうかな。例えば阿弥陀の南陵の無名峰辺りまで」と提案したら皆乗って来た。『あそこなら車は林道に駐めておけるし、青ナギも景色としては面白いし、無名峰まで行けばそこそこ登った気もするし、お花畑もあるし、何と言っても冬のバリエーション・ルートであるから夏に入る人も少ないので混雑しないし』ということで今年は阿弥陀南陵の無名峰までと決まる。ヤレヤレである。

世の中『山の日制定』とか騒いでいるが、小学1年から75才までの初心者を休日に連れてとなると、いくら八ヶ岳の麓に住むと行ってもなかなかに大変なのである。来年はどうしようかと今から頭が痛い。

 

 

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のんびり

この正月は天気にも恵まれてのんびり過ごした。気温も上がり、八ヶ岳も随分と茶色くなった。DSCF6970(変換後)ムスコは1日に帰ってきて、3日には戻るはずであったが、バイト先の諸々事情が重なり本日6日午前中に帰った。

2日。ムスメが南側の川向こうを指して「あっ、鹿だ」という。5〜6頭の群れがのんびり下って行った。昨日同様、「正月早々、午年に鹿だから馬鹿だよな」などと言っていたら北側の川向こうにも立派な角を生やしたやはり5〜6頭の群れがいる。今年はどうも本当に『馬鹿』な年になりそうである。
ムスコは浪人時代に毎日通った町の図書館に頼まれた2月のロビー・コンサートの練習に、高校時代の同級生のリナさんの家に行く。リナさんがピアノの伴奏をしてくれるとのこと。

4日夜、チヨヘイさんとタカシさんがムスコに会いたいと酒をぶら下げて来て下さる。チヨヘイさんは年末に、テナー・サックス:チヨヘイさん、ピアノ:深澤芳美さん、ドラム:一麿さん(チヨヘイさんの息子)、ベース:一麿奥様で『Good By』を自分の通夜にかけて欲しいと録音、CD化したのである。いかにもチヨヘイさんらしいサックスの音色である。
残り物のおせちで楽しく飲み、酔っぱらったムスコは「俺、吐きそう」と言いながら吹いていた。

5日。買い物がてら、諏訪の街に下りる。どの店も空いている。帰りに茅野のBook Offに寄るが、20%引きだとかでここだけは混雑していた。
夜、若い頃に画家を目指していたタカシさんが使っていたというデッサン用の石膏像やイーゼルなどを奥様と共にムスメに届けて下さる。アリガトウゴザイマス。

でもって、ムスコがいた他の時間に何をしていたかというと、我が家の正月は博打に明け暮れることとなったのである。と言っても『麻雀』でも『花札』でもなく『7ブリッジ』のインフレ・ルールである。で結果はと言えば、相変わらずのアホ・ムスコの一人負けである。1位は一回もなく、良くて極々たまの2位。時々リーチを掛けて成功するも、直ぐに大きく振り込んでは毎回ほぼ最下位となる。思考回路にでも構造上の欠陥があるとしか思えないのだが、製造責任はワタクシにもあるから余り言えない。ムスメは終始ポーカー・フェースである。表情も変えずに淡々としているので皆油断していると、いきなり「それロンかなぁ」と自信なさそうに呟く。ひょっとすると博才が一番あるのはムスメかもしれぬ。

かくして『馬鹿』な年が始まったのである。

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2014年も『馬鹿』で始まり・・・

2014年賀状決定(変換後)ムスコは昼過ぎに帰って来るというので、今朝は3人でお屠蘇とおせち料理と雑煮で新年を祝う。ダリにも数の子や伊達巻き、かまぼこや田作を分けてやったら、全てを一瞬で飲み込んでしまう。幾つになっても味わうことを知らぬ奴である。

屠蘇気分で雪の舞う中、散歩に出る。ダリが身構えるので前方を見ると5〜6頭の立派な角を生やした鹿の群れがこちらを見ていた。今年はうま年。元旦から『馬鹿』で始まりである。今年が、より『馬鹿な国』にならぬよう願う。

昼過ぎのバスにてムスコがサックス2本と共に帰ってくる。何でも昨夜は『PIT INN』のカウント・ダウン・コンサートに行ったのだが、114番の入場券で立ち見。昨夜7時から今朝5時半まで立って聴いていたとのこと。終わって帰りの電車でさっきまで吹いていたサックスの峰厚介氏とばったり会い、同じ高円寺に住んでいるとのことで駅前の居酒屋で御馳走になった後、2時間程の仮眠の後、帰ってきた由。ムスコに会えて一番喜んだのは案の定ダリである。目を真ん丸にして喜んでいる。

 

 

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2013年

ついこの前『ミレニアム』とか騒いでいたのに、早いものである。

急激な右傾化という暗い年であったと思う。ともあれ一年が終わりやれやれである。仕事は低調であったが、再発もなく、五十肩は相変わらずであるが何とか一年過ぎた。カミサンはコーラス指導にピアノ教室、今年からはオカリナ指導も加わってゴクロウサンな年であった。ムスコは上京して一年。バイトで自活しながらのジャズ修行、随分と上手くなったようだし、都でのそうそう誰でも経験しないような『恐ろしい体験』(=今はまだ書けないのだが)も経て少し成長したようである。ムスメは将来の方向を自分なりにきっちり考え、決めた様子だ。ダリは春先から晩夏まで、それこそいつご臨終かと思われたが、『柵越しの逢瀬』か、はたまた『神の手』による指圧が効いたのか、今は雪の中を子犬のように走り回っている。

さて来年はどんな年となるやらである。

 

散歩の途中、阿弥陀岳が輝いていた。DSCF6917(変換後)

 

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