六衛さん

昨日の雨も上がり、暖かく穏やかである。広葉樹の葉っぱも落ち、残っているのは僅かなカラマツの茶色くなった針葉だけである。DSCF6787(変換後)写真を撮っていたらダリがいじけてアザラシになった。DSCF6786(変換後)

ロクエイさんの喪中葉書が届く。96才の大往生だった。ロクエイさんは前の家の隣に住んでいた鋸職人だった。眩しくないように薄暗くした仕事場でコークス炉で真っ赤に焼いた鋼をトンテンカンと叩いては鋸を作っていた。お年の割には大柄で、いつももんぺ姿でニコニコしていた。好奇心旺盛で話し好きで、酒は飲まず、甘い物が大好きで可愛がってくれた。暇な時にはロクエイさんの仕事場に行き、鋸を作るのを見ていたし、ロクエさんが暇な時にはワタクシの仕事場でガラスを切るのを飽かずに眺めていた。機械が好きで、いつもピカピカに磨き立てた250ccのホンダの黒い商用オートバイに乗っていた。当時ワタクシも真っ赤なオフ・ロード・バイクに乗っていたのだが、ある晴れた日に「オクズミさん、ちょっとオートバイで霧ヶ峰に遊びに行こう」と誘いに来た。今考えれば当時のロクエイさんはとっくにカンレキを過ぎていたわけで、いつものもんぺ姿でほっかむりした上にヘルメット姿だった。大門街道を駆け上がり、白樺湖からビーナスラインに入ったのだが、料金所では停止することなくどんどん行ってしまう。仕方ないから2台分払い追いかけた。「う〜ん、道を通るだけで金とるんかい」と大層不思議がっていた。強清水でグライダーが飛ぶのを、後ろの荷台に縛り付けたカゴから出した饅頭を貰って食べながら見た後、諏訪湖のほとりでカツ丼を食べたのだが、この時「オクズミさんは随分沢山の人を知っているんだなぁ」と言う。「何で?」と聞いたら「すれ違うオートバイの人がみんな2本指立てて挨拶する」と言う。「いや、あれはオートバイ乗りの挨拶で、知っている人じゃないよ」と教えたら、帰りの国道で早速ピース・サインをやっていた。
またある日、県道を走っていたら物々しい白バイやパトカーの行列に追いついた。何かと思ったらそれまで40Kmの時速制限のなかった県道がこの日から40Kmとなったらしい。仕方なく後ろについてノロノロ走っていたら、ロクエイさんのバイクが後ろから来て、先導のパトカーや白バイをごぼう抜きにしていった。「ウー・ウー」とあっと言う間に数台の白バイに追いかけられているが、一向に止まらない。数キロ先で止められているロクエイさんのところに行ったら、オマワリに向かって「ワシの知らんうちに勝手に40Kmに決めておいてスピード違反とは何事だ」と穏やかに怒っている。駐在や諏訪署のオマワリが「分かった、分かった、今日から40Kmになったで、今日はもういいから。でもお願いだからこれからは頼みますよ。」と低姿勢であった。

前に住んでいた家の周りのあまりの変わりように、何となく見たくない、行きたくないという気持ちがあり、ついついご無沙汰しているうちに、味のある人達がどんどん亡くなっていく。淋しいことである。

 

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薪割

本日も秋晴れで暖かい。昨日運んだ軽トラ3杯分のクルミを朝から割る。クルミは水分が多いのでちょっと短めにチェーンソーで輪切りにしてから老体人力斧で割る。素直な木であるからスッコーンと割れる。午後からはカミサンにも手伝って貰って薪山を作る。頑張って夕方までに昨日運んだ木を全て割り終え、今冬分は確保する。さすがに体中がギクシャクする。

 

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伐採

午前中、隣のフミアキクンの家の裏のクルミの木5本の伐採を頼まれ、二人で倒すことにする。どの木も一抱えほどの太さで、おまけに家側に傾いてなかなか厄介である。チリ・ホールでガンガン引っ張って倒す。最初の2本は狙ったところに倒すことができたが、最後の1本はかなり傾いている。チリ・ホールでは引ききれず、狙った場所より1mほどずれてしまい、家庭菜園用のビニール・ハウスのパイプ2本に枝が直撃、曲がってしまった。ま、フミアキクンも一緒の作業、清く諦めてもらう。DSCF6755(変換後)午後からはフミアキクンは用があるとのことで、残る2本はまた次回となる。土地の所有者であるタカシクンと奥さんのヒデコさんも来て、土地の灌木整理。一方我が家はカミサンも加わって薪用に貰ったクルミの木の運搬。クルミの木はまだ水を吸っていて重い。都帰りの疲れもあって力が入らない。それでも軽トラ3杯分1.2〜1.5tほどを運ぶ。DSCF6761(変換後)これを割れば足りなそうな4月以降の分が何とかなりそうである。まだ半年近くあるので乾くと思うのだが・・・明日はまた薪割。整形外科の医者がまた怒るだろう・・・

 

夜のNEWSで真砂岳で大規模表層雪崩で7人が亡くなったことを知る。今日はこちらでもポカポカ陽気、かなり気温も上がっていたのだろう。

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たまたま・・・たまたま・・・お玉ばあさんのことなど

軽トラで郵便局に行こうとキーを回すが、ウンともスンともいわぬ。1週間前には快調に走っていたし、ヘッドライトもバッチリ点く。バッテリーではなさそうである。ジムニーで行き、帰りに郵便局の前の車修理屋のちょっと頼りなげに見えるムスコに事情を話すと「じゃあ一緒に行ってちょっと見てあげる」と言って5Km離れた我が家までついて来てくれて、来るなり車の下に潜り込みこちょこちょとセルモーターのコネクターをいじる。でキーを回すと勢いよくエンジンがかかる。「キャリー・トラックはここの接触不良でよく動かなくなるの」と教えてくれる。ものの1分である。さすが修理屋と感心し、ムスコを見直す。

夜のNEWSで忍者ハットリ君みたいな顔をしたどこぞの都知事が「徳州会」から5000万円を借りていた件について相変わらず尊大な顔をして釈明していた。そこで笑ってしまったのが「たまたま徳田虎雄理事長に合って・・・」「たまたま5000万円の話しがあって・・・」「たまたま返すのが強制捜査後となってしまって・・・」だとか何とか釈明し、「たまたま・・・」の10回の羅列であった。ワタクシにも「たまたま」5000万円を無利子で貸して欲しいものである。

隣の家の猫「たま」に借りに行こうかなと思うが、ダリの宿敵だからアッカンベーされそうであるし、前に住んでいた開拓村の『お玉ばあさん』はもう亡くなった。「たまたま」書いていたらフッと思い出したのだ。この『お玉ばあさん』はもうしわくちゃであったが、昔はきっと美人だったと思われる働き者であった。夫を早く亡くして一人暮らしであったが、いつも畑仕事や我が家の前の広い広い草地(大きい遺跡が入っているので町所有となっていた)の草刈を小さな体に草刈機を背負ってやっていた。「オラ、東京大学は出とらんが、開拓大学は首席で出た」が口癖で、頭の回転が速くて、物知りで冗談や皮肉が上手かった。ワタクシが町会議員選挙をサボって旅行だかして帰ってきたら村出身の候補が落選だか最下位当選の翌日で、村八分になりそうになったことがある。村でも有名な意地悪婆さんが音頭取りであったが、この時に助けてくれた一人がお玉ばあさんであった。意地悪婆さんに向かって「ミンシュシュギちゅうもんは・・・」と大演説をまくしたてて救ってくれた。草刈をやっているお玉ばあさんに「もう昼だから一緒にメシを食おう」と呼んだら、「んじゃ、ちょっと座敷をこさえるで」と言って、広い草地の真ん中を土俵のように刈って二人で青空の下で食った昼飯は美味かった。
昔は皆、水田仕事の時には赤ちゃんを温んだ水田の端っこに下半身を埋めて動けないようにして仕事していたそうだが、何かのはずみでお玉ばあさんの赤ちゃんは窒息死してしまったとのことで、我が家の長男が生まれた時には村では久しぶりの子供でもあり、真っ先に抱かせて欲しいと山程の野菜を背負ってやって来て、涙を流しながらいつまでも抱いていた。もっと昔の話しを聞いておけばよかったと今更ながらに思う。

 

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東の都へ

17日。昼前のバスにて東の都に上る。日曜日とあって新宿は人だらけ。ムスコのマンションで一休みしていたら、バイトで遅くなると言っていたムスコが早く終わったと帰ってくる。例の如くモツ焼き屋で一杯飲んでから銭湯へ。部屋に戻ってから宅急便にて送っておいた照明器具が届いているかをクライアントに確かめると、届いていないとのこと。20時〜21時指定で送っておいたのだが、ネットで調べても「富士見営業所にてお預かり」しか出てこない。クロネコに電話すると21時以降は翌朝08時以降まで繋がらないとの音声案内が流れるのみ。二人とも疲れていて21時半には寝る。

18日、08時にクロネコに電話するも荷物は行方不明。「調べるのに1時間ほどかかる」との回答に、「直ぐせい!」とハッパをかける。それでも何とか見つけたようで、配達したとの報告が来て、バイトが休みなムスコと王子へ向かう。無事取り付けも済む。DSCF6701(変換後)ブルー系のシンプルな物ということで作ったが、クライアントであるクボタクンも満足してくれた様子。秋葉に出て昼食後、買い物がてらぶらつくが、メイドの格好のオネーサンというか少女とオタクのオニーサンがそこいらじゅうにいて異様である。
地下鉄を乗り継いで、深川の雲光院に向かう。『雲光院』は20年前の建て替え時にワタクシのステンドグラスを本堂天井に使って下さったお寺であり、本堂の月光殿にて今年は第10回目の『お月見コンサート』として深澤芳美とキャロライナシャウトによる「Moonlight Jazzコンサート」である。ピアニストの深澤さんをご住職に紹介して、昨年、今年と雲光院を中心として周辺のいくつかの会場で『ジャズミー横町』が開催され、また今年は雲光院恒例のお月見コンサートも深澤さんのバンドでということでワタクシも招待されたのである。会場のセッティングのお手伝いをと思ったのだが、ワタクシもムスコも風邪気味で身体が動かず、衿に龍徳山 雲光院と染め抜かれた法被をお借りして切符もぎりを手伝う。何人いらっしゃったか、広い本堂が一杯の中、コンサートが始まるが、コンサートに先立ち、ご住職から「ステンドグラス作家のオクズミさんも来て下さって・・・」と紹介され大いに照れる。阿茶の局の菩提寺という由緒あるお寺にJAZZが流れ、ゲストの景山ミキさんのヴォーカルも流れる。DSCF6727(変換後)休憩時間にはお寺の正面に満月も昇る。二部も終わり、機材片付けの後、打ち上げが始まる。『ジャズミー横町』時に会場を提供して下さった深川の熱い方々や『お月見コンサート』を運営して下さった近所の方々と歓談する。0時半頃にムスコの部屋に戻り、マンションの狭い風呂では入った気がしないので本日も銭湯へと急ぐ。何と01時45分まで銭湯はやっている。都会とは便利なものである。

19日。朝10時に新宿のインテリア館OZONEの館長と店長にお会い出来るように『日本のてしごと』の横山さんがアポイントを取って下さっている。どのようにワタクシのステンドをプレゼンしたら良いのかアドバイスして下さる。頑張らねば。 近くで待たせておいたムスコと合流して3階から8階までのOZONE館を見て回るが、その広さにいささかバテる。

その後、山岳部OBのカワダさんの会社を久しぶり訪ね、最近行った山の話しなどをしながらお昼を御馳走になる。
何だか二人とも疲れが抜けない。夕方、東の都も寒くなった。家に電話すると雪が舞っているとのこと。部屋に戻って少し寝た後、またまた銭湯で温まり、魚屋がやっている飲み屋で飲んだ後、うどんを食して帰り爆睡。

20日。バイトに行くムスコを送り出し、8時20分発のバスにて昼前に帰宅する。疲れた。どうもイマイチ調子悪いが、ダリがご主人様の帰りを喜んでくれる。

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