続・五十肩

今日は快晴。ムスメが昨日から修学旅行で沖縄に行き、いつもだったら5時には起きるのだが、ついつい二度寝してしまい8時に起きる。よって何時になっても散歩に行けない、ということは、日に一度の餌がなかなか食べられないダリにとっては非常に迷惑な状態となり「ウ〜ッ、ワンワン」と鳴き叫ぶ。やっと散歩となっても快晴とあって飼い主様はカメラなんぞで紅葉を撮ったりしていて、はなはだ迷惑そうである。「お前には鑑賞する心も感傷もないんだろう」とダリに説教するも、奴は一刻も早く餌にありつこうと「うるせえな!メシ、メシ。何が鑑賞じゃ。とっとと歩けよ!」と吠えている。まったくもういい歳をして、自然美も芸術も文学も文化も理解しない奴である。IMGP5774(変換後)IMGP5787(変換後)

散歩後、五十肩の治療に整形外科に行く。「如何ですか?」「ちっとも変化はありません。先週は1週間薪割をやったけれど、良くも悪くもならなかった。」と言ったら、いつもは穏やかな医者の口調が変わり「格好いいカントリー・ライフなんか止めなさい。大体80才になったら薪割なんか出来なくなる。石油が一番。」「いや、別に格好いいとかでなく、我が家には薪ストーブしか無いんで。それに80才になってもそういう生活するつもりですが・・・」「そういうことはお止めなさいという意味でカンレキという言葉はあるんです。ファンヒーターを買いなさい。それで解決するでしょ!石油が一番!」と石油業者の回し者みたいなことを言う。カチンと来る。どうも医療に関しての考え方が根本から違うようだ。こちらは「痛い五十肩をを治してくれ。治して私の思う生活を続けたい。」と医者に罹っているのであって、「何々を止めれば良い」との意見を聞きに行ったのではないのである、と天の邪鬼なワタクシは居直りたくなる。「まあ、カンレキなんだからそろそろ身体の負担も考えて暖房機器も考えた方が良いかもしれませんねぇ。」程度なら分からないでもないのだが・・・

そう言えば遙か昔、大学生の頃にもあった。中学時代に傷めた足首を診てもらおうと行った病院で、「山でアイゼンを履くと足首が痛い」と訴えたら「山に行かなきゃいいじゃないか」と言われ、医者と大喧嘩になったことがあった。それで別の病院に罹ることになったのだが、こちらの病院には山好きな医者がいて「ここの関節が昔の怪我で広がりすぎているので、こちら側の筋肉を強くする為に普段からこう歩くよう心がけて・・・アイゼンは前後別々のベルトで締めるタイプを使って・・・」と一生懸命治療やリハビリにあたってくれた。

患者それぞれにやりたいことがあり、その時に出る身体的支障を治してもらいたいから医者に行くのであって、ワタクシなんぞは「やりたいことを止めれば良い」というのでは本来の医者に行く意味がないと思っているのだが・・・ま、医者が忙しすぎるし、「一生懸命治そうとしているのに薪割なんぞしやがって」と思うのも分からないわけでもないのだが・・・

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アリの社会

焚き火の火というものは凄いものである。薪割の終わった裏庭に散らかっている樹皮やチェーンソーの切り屑などを焚き火用の大穴に一輪車5〜6杯分放り込んで、昨日の朝、火を付けておいたのだが、午後からの結構な雨にもめげずに今朝もまだ煙を出しながらジワジワと燃えている。こういうのを見ると「凄いなぁー」「えらいなぁー」と感動する。別に火に意思があるわけでもないのだが、「雨にも負けず・・・コツコツ・ジワジワとエライなぁ〜」と思うのである。ワタクシには無理だなぁ〜と思ってしまうのである。IMGP5755(変換後)

さて、今朝の新聞に『生物多様性研究所あーすわーむ』の福江祐子氏が『アリの社会 人間の社会』というのを書いていた。要すに「アリやハチの多くは繁殖を行う個体と労働を担う個体の分業制の社会を作っているのだが、シワクシケアリというアリのコロニーには働かない個体が一定の割合で存在し、それを取り除いてもなお、働かない個体が出現する。働くアリばかりだと効率的だが、全員が疲れ果ててしまえばそのコロニーは消滅するしかない。一方働かないアリがいる場合は、非効率的ではあるが、働くアリが疲れて動けなくなった時には、働いていなかったアリが働きはじめる・・・アリはフェロモンで餌までのルートに匂いをつけ、後の個体はそのルートを辿るが、たまにそのルートを外れてしまう個体がいて、それが餌までの近道や新たな餌の発見に結びつくことがあり、このような個体の存在が分業をスムーズにし、コロニーの存続を可能にする・・・人間の社会もまた、さまざまな個性が存在することによって成り立っている。だが、グローバル化が進むなかで社会が画一化し、「役に立たない」と見なされた人を切り捨てるような風潮が強まっているように思える。果たしてそれは、持続的な社会を築いていくことにつながるのだろうか・・・多様な個性を許容する社会であってほしいと思わずにはいられない。」

君もたまには休んでね!

君もたまには休んでね!

全くその通りであると思う。ワタクシが社会の役にも立たないステンド・グラスなんぞを作っているから、おまけに性格がアリではなくキリギリスだから言うのではないが、みんなが同じ方向を向いて、みんなが経済至上主義みたいな顔をしている社会って歪だよな、と思う。

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やっと終わって

昨日で一週間続いた老体むち打ち薪割苦行も一応終わった。一応というのはちょっと足りないからである。どこぞで原木を調達してくるか、最悪、製材所の木っ端を貰って来なければ来年4月か5月頃にちょっと足りない可能性がある。まあ今年は暖かい日が続いているから薪の消費も随分と助かっているのだが・・・DSCF6339(変換後)

それにしてもバテた。こんなに調子悪い年は初めてである。五十肩なのに逆療法とばかり薪割り機ではなく老体人力斧で全てを割ったせいもあるかもしれないが、一週間経っても身体が慣れない。紅葉した葉っぱを眺めては一休み。採り残した原種トマトを見つけては一口である。おまけに五十肩は酷くはならないものの、逆療法にもならなかったのである。全く困ったことである。DSCF6338(変換後)DSCF6335(変換後)

でも本当は寒くなってから慌ててキリギリスのように一週間で半年分の薪を割ろうなんて考えるからイケナイのである。キリギリスではなくアリになれば良いのである。金貸し会社もテレビCMで言っているように計画性をもって、春でも夏でも少しづつ割っておけばヘイワなのである。でも、きっと来年もキリギリスなのである・・・多分・・・。

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トホホ

薪割5日目。一昨日は午前中まで薪割。午後は雨。サイワイである。休養とする。夕方アライジュン君と奥さんのリンさん来宅。20年近く会っていなかった。運転主役のジュン君には悪いが、リンさんはいける口、コップ酒飲みながら『日本の政治』を語り合う。ジュン君は3.11のずっとずっと前から反核運動を書くことや歌で続けてきている。23時頃ジュン君夫婦帰京。

昨30日は終日薪割。紅葉が日に日に美しくなる。

ステンドグラスを通して見た紅葉

ステンド用ガラスを通して見た紅葉

夕方、あと30分も割れば玉切り(ストーブに入る長さに切った丸太)した分を割り終え一段落つくのに、ヘトヘトで割る『気力』が何とも出ない。トホホである。

本日午前中、昨日割った分を積み上げる。これで裏庭に一山と玄関前の一山が終わった。(我が家の一山=幅120cm×高さ170cm×長さ5m程に積んだ薪山)
後、裏庭に最低でも半山分割れば冬を越せそうなのだが・・・積み終えてからムスメが出品している『諏訪高校美術展』を買い物がてら見に行く。これは諏訪地区の高校8校の美術系クラブの合同作品展だが、こまっしゃくれた絵かコミック調の絵、或いは日本画家・松井冬子の真似みたいなものばかりで、素直な絵というか、のびのびした絵がない。ちょっとがっかりである。

夕方、雲光院の服部住職が京都のお土産を沢山持って寄って下さり、先日ワタクシの行けなかった『ジャズ・ミー横町』の様子を聴かせて下さる。

しかし、体力が落ちてきている。今までも薪割を集中的にやると3日目くらいで一度バテて来るが、その後はさして辛くなくなるのであったが、今年は5日目でもまだ辛い。毎晩寝汗がひどい。あと一山かと、ため息が出る。
まあ、そうは言ってもカンレキ過ぎの爺さんで、60kg超の丸太を担いだり、薪割やらせたらワタクシより強いのはそうそういないさと居直ることとする・・・?

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初霜

今朝は初霜であった。DSCF6295(変換後)いよいよである。昨日の薪割労働初日のおかげで体中が痛むがキリギリスは休むわけにはいかない。今日も終日薪割。

台風18号で渓相が一変した庭先の川だが、毎年禁漁時期も過ぎた頃になると川の水も澄み、釣れそうな気配がする。写真には写せなかったが岩魚の結構大きいのが見えた。DSCF6305(変換後)山椒の実も赤から茶色に変わり収穫間近である。DSCF6310(変換後)

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