『サンカ』への憧れ

昔から非定住民としてのサンカに憧れている。だいたい「オクズミ」なんて「山奥に住む」である。ご先祖様は岐阜出身である。市内で薬問屋をやっていたということであるが、郡上八幡のもっと上流に『奥住』という鄙びたいい村がある。30年ほど前、もう「オクズミ」を名乗る人は住んでいなかったが、遠い遠いご先祖様はこの山奥でサンカのように薬草なんぞを採っていたのではないかと睨んでいる。だからではないが、『サンカ』に憧れをもっている。ただ三角寛が戦後「サンカ研究者」を名乗り、おどろおどろしいサンカ小説なんぞで誤ったサンカ知識を広めたせいであろう、オヤジやオフクロはワタクシが「我が先祖はサンカであった」なぞと言うと、まことに嫌な顔をした。

ふっと何処かに行きたくなる。昔、オフロード・バイクに乗っていた頃はちょっと金が出来るとフラリとあてなく旅に行けたが、同居人が増えればそうも行かなくなる。稼がねばならなくなる。学校にも行かさねばならなくなる。まことに面倒臭いことが様々起こる。サンカまでとはいわずとも、長い人生、時々は別の土地に住みたくなる。引っ越せば良いのだが、悪いことに生業がガラス相手である。それなりの仕事場も必要になるし、重いし割れるガラス板を移動させることを考えるとそうそう引っ越しも簡単にできぬ。
しまったと思う。
そもそも工芸なんぞという材料や工具や仕事場が必要な仕事には引っ越しは向かない。考える。色々考える。ではと工芸以外を考える。物書きか。あれも資料がいるし、その前に文才が必要である。俳人にはもっとなれぬ。

『フーテンの寅』も現代ではなかなか難しい。

現代の放浪はキャンピング・カーに乗ってのようである。ちょっと引かれるが、そもそも車が好きになれないワタクシには無理か。

テキトーにカットした山程のガラスにルーターを掛けながらあてのないことを様々考える。
でもその前に、「本棚に入りきらずにそこいらじゅうに積み上げてある本を先ずBOOK OFFで早く始末して」とのカミサンの声が聞こえる。困ったことである。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

キノコ

キノコが豊作である。ここ3日間、ダリ散歩の後で庭先で10分か15分で腰びく一杯分くらいのジコウボウが採れる。ジコウボウが出る場所はカラマツが10本ほど生えている広さにしたら50坪にも満たない場所であるが、昨日は絶対に無かった場所に今朝はまた忽然と直径5cmほどのが生えている。不思議な奴だ。DSCF6233(変換後) この時期、色々な噂が飛び交う。「どこそこの林はまだちょっと早い」「うんにゃ、ワシは腰びく一杯採った。もうない!」等々、春の山菜シーズンと同じくシャミセンで相手を牽制している。

で、ワタクシであるが、特段キノコに深い思い入れはなく、キノコを採りにわざわざ山に入ろうとは思わない。キノコ採りには「キノコも採らんのに山なんかに何だって登るんかい」と言われるが・・・
マツタケは留山(止め山)と言って、勝手に入って採ることは出来ない2000mから上くらいの所に大体ある。採るにはマツタケ組合に会費を払って入会し、留山の草刈等の作業もせねばならない。棟梁のシノブクンは何年もマツタケ組合に入っていたが、ただの一本も採れなかったという。まあ、山登りに行ってちょっと「キジ撃ち」に登山道を外れて・・・マツタが・・・ということはあるが、わざわざ管理組合に入る気もない。
ジコウボウやシメジのような雑キノコはもっと低いそこら辺中の林や森の中にある。が、当然毒キノコも沢山ある。フグの肝を食って死ぬならまだしも、キノコ程度で死にたくはないので(おまけにフグと違って苦しむらしい)、庭先で『絶対に中毒しないキノコだけ数種類』にしている。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

本当の勇気、本当の優しさとは?

台風18号で増水した淀川に流された子供を中国からの20代の留学生が二度飛び込んで救助。一度目は掴んだ小学生が離れてしまい流されていく。フラフラになりながらも岸にたどり着いた留学生は、下流に流された小学生を追い、集まって来た人達の持つ細いロープを体に結びつけて再度飛び込みあわやのところで救助したという。また先日は40才の女性が踏切内で倒れている老人を助けようと、父親の運転する車から飛び出して老人を助けたが、自らは亡くなられたという。ご両親は「見て見ぬふりを出来ない優しい子だった。老人を救えたことがせめても慰めである」というようなことを気丈におっしゃっていた。

咄嗟の『勇気』と『本当の優しさ』で救われた二つの命がある。涙する。

こんな咄嗟の『勇気』が必要な状況に誰でも出会うことはそうそうないであろうが、『勇気』や『優しさ』というのは人間生活の中で常に試されているように思う。子供に対してでも、親に対してでも、友人、いや社会に対しても常に試されているように思う。単に言葉だけの『優しさ』だけではなく、『本当の優しさ』も試されているように思う。自分のしていることが『優しさ』と、本当のところは全く違うのに勘違いしていたりもする。『優しさ』というのは兎角難しいものでもある。

ワタクシはオヤジから「電車では立っていろ」と言われて育った。いつもGパン姿でも、もうカンレキだからとも思うが、自分より年上が乗ってきたらとキョロキョロしているのも疲れるし、譲られても当たり前という顔をする老人や、連れている孫を座らせる馬鹿もいる。イチイチ面倒臭い。
で、よっぽど空いていない限り立っているし、子供もそう育てた。

先日、東の都の地下鉄で立っていたら、お婆さんが乗って来た。彼女はさも座りたそうに辺りを食いつきそうな目で見回すが、ずらっと座った若者達は皆スマートフォンに夢中なのか、或いは無視しているのか誰も譲らない。どうなるかと暫く見ていたら黒人の若者が身振りで席を譲った。お婆さんは一目散にスタスタと席に座ったが、お礼も言わない。譲った若い黒人は怪訝な顔でチラチラとお婆さんを見るがお婆さんは決して目を合わさない。

ワタクシは他国言語には不自由なもので咄嗟に何も言えなかったが、後で「It’s reality Japan」(英訳に自信なし!)くらい言えば良かったかなと深く反省した。

 

 

 

 

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

『もうひとつの色』

カミサンと諏訪の町に買い物に出た帰りに、茅野市郊外でやっている草木染めの展覧会、『もうひとつの色』を見に行く。

霧ヶ峰の草木染め作家の葉っぱチャンこと長谷川葉子さんと、那須高原でやはり草木染めをやっている佐藤順子さんの二人展で、葉っぱチャンが編み物、佐藤さんが織物を出している。築240年という茅葺きの古民家『五明荘』に優しい色彩の草木染めが似合う。DSCF6225(変換後)DSCF6227(変換後)抹茶と羊羹を御馳走になり、暫し歓談。

帰ったら『GUN友』の奥様からメール。急な重症患者があり、ICUで一番具合の良い彼は既に術後管理室に移動していた由。それだけ経過が良いということだろう。酸素も取れて、沢山話しもしたとのことで安心する。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

手術成功

昨日入院した『GUN友』は今朝から手術であったが、癒着も少なく無事成功。自立呼吸しているとの奥様からの知らせにほっとする。今夜は祝杯である。

 

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個