『GUN友』が退院してきた。詳しくは書かないがちょっと大きな手術であったのに、手術して2週間で退院である。早い!
顔をちょっと見てくるが、思ったより元気そうでホッとする。良かった・良かった!
夜になって台風26号による雨が激しくなってくる。
『GUN友』が退院してきた。詳しくは書かないがちょっと大きな手術であったのに、手術して2週間で退院である。早い!
顔をちょっと見てくるが、思ったより元気そうでホッとする。良かった・良かった!
夜になって台風26号による雨が激しくなってくる。
都での大手術が終わった『GUN友』の退院が明後日と決まった。メデタイことである。外科は勝負も早いが退院も早い。当日はワタクシも生憎病院の予約が入っており、車で迎えに東の都まで上れないので原村のPチャンに行ってもらうこととなり、退院に必要な酸素ボンベなど託す。帰り道、紅葉し始めた八ヶ岳の麓ではソバの刈り入れが始まっていた。
帰ったら西の都の老舗JAZZ SPOT『YAMATOYA』のクマシロさんからムスメ宛てに宅急便が届いていた。
いよいよ花脊の陶芸工房を片付け始めたのであろう、「アール・ヌーボーとアール・デコ装飾文様図鑑」「ヨーロッパ花の装飾文様図鑑」や「世界の更紗」「江口渙 かみなりの子」「佐藤春夫 蝗の大旅行」、それに深緑色の素敵な皮のバッグに、段ボール箱の詰め物としてオレンジ色のクッションが詰まっていた。ムスメ驚喜する。工芸家を目指すというムスメには何とも有り難いプレゼントである。いつもいつも気遣って下さりありがとうございます。
午後、ゼミで一緒だったタキザワクンから突然メールが来る。どうも今は幾つもの会社の取締役として世界情勢を睨みながら仕事しているらしいが、生憎ワタクシはこういう世界には全く疎いので「スゴイナァ〜」としか分からず、ただただ感心する。田舎で一人でこんな仕事をしていると「シャチョー」や「トリシマリヤク」や「コウチョウ」という肩書きの人は皆ワタクシよりずっと年上の人がやっていることとついつい思ってしまうのだが、考えてみればワタクシもカンレキ過ぎなのだから友人がエライ人になっていても当たり前か、と妙に納得する。それにしてもこのバカバカしいブログを読んで旧い友人が連絡をくれることはやはり嬉しいものである。
昨日はムスメの高校の強歩大会であった。男子は岡谷から山梨との県境の駅までの47Km、女子は諏訪の町からやはり県境の駅までの35Kmであるが、コースの2/3は上り坂。この辺の高校は何処も似たような強歩やマラソンをやっていて結構勇ましい。嫌いな生徒にはゴクロウなことであるが、良いことだと思う。
外は秋晴れである。外に行きたいのを我慢して、ここのところ『いい子』で『土踏まず』の生活、つまり仕事していた。カットしたガラスに銅テープを巻いて・巻いての生活でいささか嫌になっていたが、やっとどうやら巻き終わった。

で、早速草刈である。五十肩は相変わらずで、捻ると激痛が走る。先日は病院でヒアルロン酸注射なぞというものを打たれたが、いっこうに良くはならぬ。かといってそろそろ薪割を始めねばならないし、それには庭の草が邪魔だ。それに刈っておかないと雪が降れば除雪機にからまる。こうなったらもう逆療法である。2時間で当面邪魔になる草を刈り終わる。腕に鈍痛。
さて当面、午前中仕事、午後薪割の日々としよう。
昔から非定住民としてのサンカに憧れている。だいたい「オクズミ」なんて「山奥に住む」である。ご先祖様は岐阜出身である。市内で薬問屋をやっていたということであるが、郡上八幡のもっと上流に『奥住』という鄙びたいい村がある。30年ほど前、もう「オクズミ」を名乗る人は住んでいなかったが、遠い遠いご先祖様はこの山奥でサンカのように薬草なんぞを採っていたのではないかと睨んでいる。だからではないが、『サンカ』に憧れをもっている。ただ三角寛が戦後「サンカ研究者」を名乗り、おどろおどろしいサンカ小説なんぞで誤ったサンカ知識を広めたせいであろう、オヤジやオフクロはワタクシが「我が先祖はサンカであった」なぞと言うと、まことに嫌な顔をした。
ふっと何処かに行きたくなる。昔、オフロード・バイクに乗っていた頃はちょっと金が出来るとフラリとあてなく旅に行けたが、同居人が増えればそうも行かなくなる。稼がねばならなくなる。学校にも行かさねばならなくなる。まことに面倒臭いことが様々起こる。サンカまでとはいわずとも、長い人生、時々は別の土地に住みたくなる。引っ越せば良いのだが、悪いことに生業がガラス相手である。それなりの仕事場も必要になるし、重いし割れるガラス板を移動させることを考えるとそうそう引っ越しも簡単にできぬ。
しまったと思う。
そもそも工芸なんぞという材料や工具や仕事場が必要な仕事には引っ越しは向かない。考える。色々考える。ではと工芸以外を考える。物書きか。あれも資料がいるし、その前に文才が必要である。俳人にはもっとなれぬ。
『フーテンの寅』も現代ではなかなか難しい。
現代の放浪はキャンピング・カーに乗ってのようである。ちょっと引かれるが、そもそも車が好きになれないワタクシには無理か。
テキトーにカットした山程のガラスにルーターを掛けながらあてのないことを様々考える。
でもその前に、「本棚に入りきらずにそこいらじゅうに積み上げてある本を先ずBOOK OFFで早く始末して」とのカミサンの声が聞こえる。困ったことである。
キノコが豊作である。ここ3日間、ダリ散歩の後で庭先で10分か15分で腰びく一杯分くらいのジコウボウが採れる。ジコウボウが出る場所はカラマツが10本ほど生えている広さにしたら50坪にも満たない場所であるが、昨日は絶対に無かった場所に今朝はまた忽然と直径5cmほどのが生えている。不思議な奴だ。
この時期、色々な噂が飛び交う。「どこそこの林はまだちょっと早い」「うんにゃ、ワシは腰びく一杯採った。もうない!」等々、春の山菜シーズンと同じくシャミセンで相手を牽制している。
で、ワタクシであるが、特段キノコに深い思い入れはなく、キノコを採りにわざわざ山に入ろうとは思わない。キノコ採りには「キノコも採らんのに山なんかに何だって登るんかい」と言われるが・・・
マツタケは留山(止め山)と言って、勝手に入って採ることは出来ない2000mから上くらいの所に大体ある。採るにはマツタケ組合に会費を払って入会し、留山の草刈等の作業もせねばならない。棟梁のシノブクンは何年もマツタケ組合に入っていたが、ただの一本も採れなかったという。まあ、山登りに行ってちょっと「キジ撃ち」に登山道を外れて・・・マツタが・・・ということはあるが、わざわざ管理組合に入る気もない。
ジコウボウやシメジのような雑キノコはもっと低いそこら辺中の林や森の中にある。が、当然毒キノコも沢山ある。フグの肝を食って死ぬならまだしも、キノコ程度で死にたくはないので(おまけにフグと違って苦しむらしい)、庭先で『絶対に中毒しないキノコだけ数種類』にしている。