ガラスを不定形にカット・カット・カット。まだまだ足りないかな。何ができるのやら?
急遽、明日、 納入のため東の都に上ることとなる。ムスコに緊急指令。「明日行く。泊まれるよう部屋を掃除しておけ!」
今年も秋である。気温も丁度良い。清々しい。まあ、そう言っていられるのも後1ヶ月くらいで、これからはどんどん日も短くなり、毎年の憂鬱な季節が来るということでもある。
集落組合の来年度組合長や理事、公民館館長等の期日前投票に改善センター行く。現組合長のシンロウさが「寄っていくじゃん」と禁断の煙を差し出しながら招く。ではと上がり込んで話し込む。「キノコの季節となったら頻々と熊の目撃情報さ。昨日も2匹が鹿の罠に掛かったていうに、発信器付けて逃がしちまうだから」「ドンといってくれなきゃ困るで」「誰か人身御供にならな、ドンとはいってくれやしない」と、ご機嫌斜めである。八ヶ岳のこちら側は数年前までは熊がいなかったのだが、最近は目撃情報に続き、今年は襲われた人も出た。ワタクシも八ヶ岳でいくつか熊棚を見た。山に登る時に熊鈴をチリンチリンと鳴らして登るのはどうも嫌なのだが、これからは持たざるを得ないのかもしれない。
ダリ散歩中に庭先でジコウボウを見つける。ということは、そろそろ薪割を始めねばならない時期でもある。相変わらずの五十肩で困ったことである。
東の都でJAZZ修行中のムスコから電話が掛かってくる。なんでも今週は仕事中に8度3分の熱を2回出して倒れ、その度に点滴を受けたとのことである。慣れぬ都での生活からくるストレスや、ちょっと普通ではそうそうないようなバイト先での恐ろしい経験、その上に異常な猛暑などの疲れが秋の訪れで噴き出したのだろう。気分も落ち込んでいる様子。田舎人の都での宿命である。まあ、頑張れ。
昔、手作りの家を建て始めた最初の冬、まだ床も内壁も完全に張り終えていないまま冬となってしまった。家の中にテントを張り、寝袋で寝ていたのだが、疲れが溜まって高熱を出したことがあった。家の中も外も大して変わらない温度でビール瓶も割れるほどであった。まだ電話も引いておらず、吹雪の中、運転する気力もなく2日ほど寝袋の中でガタガタ震えていた。あの時は侘びしかった。3日目だか4日目、熱も下がり、漸く晴れたので駅前の『やまびこ食堂』に行ったら、げっそりした顔を見て『おじや』を作ってくれた。あれは美味かった。『やまびこ食堂』は信濃境駅の真ん前にあって、人の良いご夫婦がやっていた。近くに住む井伏鱒二氏がよく通っていて、モツ煮が気に入って「古備前の味がする」と何かに書いていた。家を造っている間は年中通ったので、夏はサラダをそっと出してくれたり、寒い日には熱燗をサービスしてくれた。最近はご無沙汰しているが、元気であろうか。
ちょっとウィキペディアで調べ物をしていたら、あちこちに飛んで『日本アート・シアター・ギルド』まで行ってしまった。懐かしさについついATGの作品名などを追う。あの頃はよく映画を見た。『アート・シアター新宿文化』では、今は霧ヶ峰で草木染めをやっている葉っぱチャンが切符もぎりのバイトをやっていて、そっと入れてくれた。大島渚・吉田喜重・篠田正浩・松本俊夫・寺山修司などの映画を見た。大島渚が例の銅鑼声を張り上げて、ロビーでケンカしていたりした。
ATGのDVDなんぞは田舎のDVD屋には置いていない。都にはあるのかしら。
池袋の『文芸地下』はションベン臭かったが、2本立で150円、コーヒー2杯分くらいで2本見られた。オールナイトで見る時には座布団を持った若者が集まってきて、健さんが暴れ出すと「ヨッ!待ってました、ケンさん!」と声が飛んだ。
あの頃の映画は確かに面白かった。全てに『叛』があった。60年・70年という時代もあっただろうが、どうも今の映画に金を払って見に行く気にはなれない。
時々ヨシユキさんとも話すのだが、「キタノタケシ」の映画は全く面白くない。TVでしか見たことはないのだが、何で彼の映画が国際的評価を受けるのか全然理解出来ない。我々の感性はずれているのかしらん、と、ヨシユキさんと首をヒネル。
芸に関しても、昔からタケシよりタモリの方が面白いと思った。たしか『インテリほどFOCUSを読んで、笑っていいともを見ている』とか言われていて笑った覚えもあるが。
タモリの「ハナモゲラ語」や「四ヶ国語一人マージャン」、「三上寛との寺山修司まね」、「イグアナ」などはもう一度見たいものである。『笑っていいとも』はそろそろ終わりにして、『タモリ倶楽部』よりもっと趣味的な番組を、出来ればもう少し早い時間に(夜11過ぎなんぞは正しい自由業は寝ている?)やってくれればと願う。
で、調べ物が何であったのかすっかり忘れてしまった。
笑った。先日、茅野の郊外のコンビで煙の出る禁断のブツを買おうと車を降りたら、お隣のフミアキ君の奥さんのリエさんが駆け込むのが見えた。「あっ、リエさん」と声を掛けるが聞こえなかったのか店に駆け込んだ。リエさんは確かコンビニ近くの会社に勤めているので買い物にでも来たのだろうと店内を見回すが消えている。禁断のブツがあるレジに行ったらレジに立っていた。マスクをしているがリエさんである。背格好も髪型も同じくせに無視している。こちらと目が合っても知らんぷりである。おかしい。転職したとは聞いていないし・・・横目でチラチラ見ながらブツを買い、家に帰ってからカミサンと笑いながらリエさんに「会社の近くのコンビニにそっくりさんがいる」とメールしたら、仕事中のはずなのに「そーらしいです。会社の人にも言われました」と返ってきた。
何でこんな話しを書いたかというと、今、リエさんからたまたま電話があったので思い出したのだ。「まだ会いに行ってはいないけれど、会社の何人かに言われてる。何だかドキドキしちゃう」とのこと。「家族全員で会いに行ったら」と言うと「ギャハハ」と笑っていた。
で、このリエさんだが、引っ越してきた頃、道に迷ったオヤジの旧い教え子達がリエさんに教えて貰って訪ねて来たことがあった。オヤジが「ひょっとしてその人、夢二の美人画に似ていなかったか」と聞いたら、一同が「似てた。そういゃあ、そっくりだった」と頷いた。そう、リエさんは夢二の画く「黒船屋」にそっくりなのである。カミサンなんぞは、夢二の美人画絵葉書を見つけると買い込んでプレゼントしている。ま、性格は『絵』とは正反対?、明るくハキハキした三人姉妹のオカーサンで、余所者には分からぬこの辺の「シキタリ」を教えてくれる我が家のセンセッなのである。
それにしても「世の中には三人の似ている人がいる」というが、ワタクシにもあんなに似ている人がいるのだろうか。ちょっと会ってみたい。
中秋の名月である。4〜5日前から夏の間サボっていた夜散歩を再開した。八ヶ岳に向かって真っ直ぐ延びる農道を行き当たりまで登り、下りは平行した農道を下る30分のコースである。相変わらず「俺も行く!」と鳴きわめくダリを置いて、カミサンや時にはムスメと歩く。3分早足、3分ゆっくりのインターバル・ウォーキングであるが、一杯飲んで夕食を食べてからであるから結構キツイ。今夜は中秋の名月とあってまん丸なお月さんが照らしてくれるので普段は真っ暗な道もヘッドランプも必要ないくらいである。途中の菊畑でヘッドランプがチラチラ動く。「今晩は〜、オクズミです」と言うとヘッドランプが近付いて来て「アレェ、オクズミさんかや」とシゲタネさんの奥さんのタカコさんであった。もう7時半過ぎである。「稼ぐね」と言うと「なんね、摘んでるとついつい時間を忘れてね」「あたしも早くオクズミさんのようになりたいよ」と、ワタクシの何倍も稼いでいるくせにとんでもないことをおっしゃる。シゲタネさん夫婦は70をとっくに超えた菊作り農家である。夏の間は朝早くから夜までいつも菊畑にいる。いつも凄いなと思う。「台風大丈夫だった?」と聞くと「婿が助っ人に来てくれて、倒れそうな菊を助けてくれた」と嬉しそうであった。
満月を横目に3分早足、3分ゆっくりを繰り返して着いた家ではダリがもう鳴き疲れている。出してやるとグルグル走り回って「俺だって一緒に歩けるもん!」と猛烈にアピールするが、いくら少し元気になったとはいえ、きっと半分も歩けやしない。