『日本のてしごと』

家を空けている間に先日取材を受けた『日本のてしごと』にワタクシの仕事が紹介されていた。『日本のてしごと』はよこやまゆうこさんが主催されている『手仕事』・『工芸』を紹介しているサイトであるが、載っている方々の仕事はみな凄いし、何たってみな一生懸命な方々である。こんなところにワタクシが載っても良いものだろうかとちょっと遠慮したのだが、「そういう人の方が面白い」と載せて下さったのである。大変名誉である。

よこやまさんのこれまで仕事や『日本のてしごと』のテーマははサイトのabout usに載っているが、テーマは大きく言えば「old but new」のようである。

「old but new」、日本の家や風景に似合うステンド・グラスを作りたくて始めた仕事、頑張らねば。

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アケビの季節

ご主人様がちょっと留守にしていたので、朝からお犬様が「散歩、散歩」とせがむ。そういえばアケビが丁度良いが高くて届かぬとカミサンが言っていた。『高枝ばさみ』は重いので一間半の細い角材にU字型に曲げた金属平板をネジ止めして「アケビ採り機」を朝6時から作る。カミサンとはどだい『愛』が違うのだ。賢いダリは「アケビ採り機」を見て頭の中に「アケビ」が浮かんだのであろう、さっさと散歩道を逸れてアケビの生っている木の方へ。あるある。アケビの実の根元に「アケビ採り機」を差し込んで捻ると次々アケビが落ちてくる。ダリ驚喜。だが野バラの茂みに落ちたアケビは、年取ってお腹の毛が薄くなったダリには取れぬ様子。飼い主様があっちこっち引っ掻き傷だらけになって取ってやる。『愛』である。DSCF6185(変換後)20個もたいらげたであろうか。かくして我が家の分はこだけになってしまった。DSCF6191(変換後)

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東の都へ

久しぶりに東の都に行ってきた。相変わらず暑く、混んでいる。

25日、ステンド2枚を北千住に納めた後、高円寺でムスコと会う。ここのところ高熱を出しでダウン、点滴を受けたりしていたがもう快復している様子。田舎では食べられずに夢にまで見たモツ焼きを食べに行き、生ビールで乾杯。旨い。何で諏訪平ではモツ焼きが食えないんだ!生ビールの次はホッピー。いい気持ち。回転寿司に寄って腹を満たした後、銭湯へ。ムスコのベッドを占領して爆睡。

26日、午前中、隅田川沿いの高層老人ホームに入っている大叔母を見舞いに行く。94才になる大叔母は身体はまだまだ達者のようだが、2分前に話した家族のことなどはもう忘れて「ところで息子や娘は幾つになったの?」と何度も聞かれる。たしか今年の春に訪ねた時は5分位すると忘れていたから、ちっと進んだかな。帰りは駅まで歩いても大したことなさそうなので、プラプラとかつての山谷を歩く。『泪橋』までに行く間に缶酎ハイを飲みながら歩いているオッチャンや昼宴会のオッチャンに声をかけられる。「一緒に飲んでけ。」って、まだ昼前だからと遠慮する。「あんた幾つや」と聞かれて「カンレキ過ぎた」と答えたら「ほな、年上か。失敬しました」と敬礼される。敬礼されるほどエラクないのであるが、ピンク色のシャツにジーンズでプラプラしていたから同類と見ていただいたようだ。背広族に声をかけられるよりは勲章と思っている。
地下鉄で秋葉原へ。久しぶりの秋葉原を散歩。小学生の頃はラジオ少年だったのでボストンバッグを提げて部品街をよく歩いたものだが、今はオタクと外国人ばかりである。
次は中野に行き、中野ブロードウェーを散歩。ここも変わった。フィギアを売る店とコミック本を売る店がやたら多い。やはりオタクと外国人オタクの聖地と化していた。バイト帰りのムスコと銭湯に行った後、またしても昨日とは別の直ぐ近くのモツ焼き屋へ。いい加減気持ち良くなり、一旦部屋で1時間半ほど爆睡。その後何となく腹が減り?「何が食べたい?」と聞くと「焼き肉!」とのこと。モツ焼き食べた後に焼き肉とはカンレキオヤジにはちょっとキツイが、快復後の身体が欲するようで付き合う。こうなったら昔の癖、ラーメンまで食して帰るが、変な時間に爆睡したのでよく眠れず。

今日は結構涼しい。ムスコの眼鏡のレンズが傷だらけというので吉祥寺の眼鏡屋へ。あれこれ散々掛けて見せるが、どれも似合わない。結局、ちっとは賢そうに見えるかも、という一点で選ぶが彼奴には帽子も眼鏡も似合わぬ。きっとカミサンのせいだ。

13時20分発の高速バスで帰るが、何でも明日から始まる国体で使う調布のサッカースタジアムが高速道路に近いからと、警察の道路点検で渋滞。全く迷惑なことである。東の都でオリンピックなんぞやったら都中が大渋滞必死である。おかげで35分も遅れて富士見到着。迎えを頼んだカミサンはピアノ教室のレッスン時間となり、仕方ない、家に帰るには登りだが、軽トラの車検が終わったとの連絡があった車屋は下りだからと30分下って軽トラを回収して帰宅。よく歩き、疲れた3日間であった。

夜、西の都のJAZZ 喫茶『YAMATOYA』のご主人の熊代さんから電話をいただく。72才になられたばかり。お元気そう。「段々体もきつくなってきたので花脊の陶芸工房を閉めることにした」とのこと。夜遅くまで京都市内でJAZZ喫茶をやった後、花脊まで1時間半もかけて帰り、昼間陶芸をやり、また夕方から市内に戻る生活を「二つの生活がそれぞれ丁度良い刺激や息抜きになって」とおっしゃっていたが、その情熱は凄いものといつも感心していた。いつもムスコやムスメを可愛がって下さり、奥様の東洋子さんは昨冬の我が家への旅が楽しかったとおっしゃって下さる。また遊びに来て下さい。

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カット・カット

ガラスを不定形にカット・カット・カット。DSCF6182(変換後)まだまだ足りないかな。何ができるのやら?

急遽、明日、 納入のため東の都に上ることとなる。ムスコに緊急指令。「明日行く。泊まれるよう部屋を掃除しておけ!」

 

 

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秋・キノコ・熊・・・

今年も秋である。気温も丁度良い。清々しい。まあ、そう言っていられるのも後1ヶ月くらいで、これからはどんどん日も短くなり、毎年の憂鬱な季節が来るということでもある。
集落組合の来年度組合長や理事、公民館館長等の期日前投票に改善センター行く。現組合長のシンロウさが「寄っていくじゃん」と禁断の煙を差し出しながら招く。ではと上がり込んで話し込む。「キノコの季節となったら頻々と熊の目撃情報さ。昨日も2匹が鹿の罠に掛かったていうに、発信器付けて逃がしちまうだから」「ドンといってくれなきゃ困るで」「誰か人身御供にならな、ドンとはいってくれやしない」と、ご機嫌斜めである。八ヶ岳のこちら側は数年前までは熊がいなかったのだが、最近は目撃情報に続き、今年は襲われた人も出た。ワタクシも八ヶ岳でいくつか熊棚を見た。山に登る時に熊鈴をチリンチリンと鳴らして登るのはどうも嫌なのだが、これからは持たざるを得ないのかもしれない。

ダリ散歩中に庭先でジコウボウを見つける。DSCF6177 2(変換後)ということは、そろそろ薪割を始めねばならない時期でもある。相変わらずの五十肩で困ったことである。

東の都でJAZZ修行中のムスコから電話が掛かってくる。なんでも今週は仕事中に8度3分の熱を2回出して倒れ、その度に点滴を受けたとのことである。慣れぬ都での生活からくるストレスや、ちょっと普通ではそうそうないようなバイト先での恐ろしい経験、その上に異常な猛暑などの疲れが秋の訪れで噴き出したのだろう。気分も落ち込んでいる様子。田舎人の都での宿命である。まあ、頑張れ。

昔、手作りの家を建て始めた最初の冬、まだ床も内壁も完全に張り終えていないまま冬となってしまった。家の中にテントを張り、寝袋で寝ていたのだが、疲れが溜まって高熱を出したことがあった。家の中も外も大して変わらない温度でビール瓶も割れるほどであった。まだ電話も引いておらず、吹雪の中、運転する気力もなく2日ほど寝袋の中でガタガタ震えていた。あの時は侘びしかった。3日目だか4日目、熱も下がり、漸く晴れたので駅前の『やまびこ食堂』に行ったら、げっそりした顔を見て『おじや』を作ってくれた。あれは美味かった。『やまびこ食堂』は信濃境駅の真ん前にあって、人の良いご夫婦がやっていた。近くに住む井伏鱒二氏がよく通っていて、モツ煮が気に入って「古備前の味がする」と何かに書いていた。家を造っている間は年中通ったので、夏はサラダをそっと出してくれたり、寒い日には熱燗をサービスしてくれた。最近はご無沙汰しているが、元気であろうか。

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