スピノザ

ワタクシのゼミ教授であった加藤節先生から、定年にあたって1月に開かれた「最終講義」の『スピノザにおける「哲学」と「政治」』が印刷されて届いた。DSCF5955(変換後)1月の最終講義に参加させてもらったが、卒業して以来40年近く「講義」という場とは縁のない生活を送っていた上に難解で知られるスピノザであるからチンプンカンプンであったが、今回印刷されたものをいただき、これでほんの少しは理解できるかなとムボウにも少し思った。

で、昨夜加藤先生にお礼のメールを書きながら思い出したが、30数年前、乗鞍で奇妙な老人と出会った。どういう経緯で会ったのかは覚えていないのだが、多分ザイル・パートナーだった自称京大10年生だった故ナカムラタッチャンあたりに連れられて行ったのだと思う。旅館だか民宿の離れのようなところに住んでいて、格好は仙人のようだった覚えがある。彼の小屋でお茶を御馳走になりながら、スピノザについての話しを伺った覚えがあり、その折りスピノザに倣ってレンズを磨いていると言って磨きかけのレンズを見せてもらったようにも思う。まるで南方熊楠のような人であり、文学・哲学・自然や音楽についての話しが面白かったのだろう、翌年だか翌々年に乗鞍での山スキーの帰りに再訪した覚えもあるが、この時は留守でお会い出来なかったように思う。

で、余りにも記憶があいまいなので先程Wikipediaで調べてみたら東京商科大学教授を辞して乗鞍高原の番所に隠棲したイギリス文学者故中村為治氏と分かった。またnetの『東京商科大学教授中村為治の生涯とロバート・バーンズ』という照山顕人氏の記述で中村為治氏のことが詳しく書かれていることを見つけ、初めてどのような人であったのかを知ったのはメデタイことであった。

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『耕せど耕せど』

うかつにも伊藤礼さんの近著、『耕せど耕せど』が出版されたことを知らなかった。2週間ほど前に何かで知り、Amazonで買おうと思ったら新品は売り切れで中古本が2470円となっていた。6月4日初版発行で1ヶ月少々で1000円もプレミアムがつくとは、レイセンセイもたいしたものである。で、レイセンセイに「もしもし、センセイの本、Amazonで売り切れとなっていますよ。おまけに既に古本で1000円もプレミアムが付いていますよ。凄いですね。今度いらっしゃった時に御馳走しますから、サイン本を一冊送ってくれませんか。」とでも電話しようかしらんと思っていたら、数日後にAmazonに再入荷した様子で『定価』で出ていたので注文する。これできちんと印税を払ったことになるので、御馳走は抜きである。初版第一刷が届く。DSCF5953(変換後)帯に「ニッポン初の”家庭菜園ブンガク”ここに誕生!!」とある。表紙裏には「自転車で、東京を、日本を巡察していた伊藤礼翁は、実は農場運営者だった。」ともある。昨年の秋だったかにいらして、その後、今年の冬に謎の失踪・行方不明事件(ナイショ、ナイショ。でもホントはね、ただ旅の途中に携帯の電池が切れて連絡せずに諏訪の温泉に浸かっていただけでした)が解決?した折りに電話をいただいたのだが、「農場運営者」とはちっとも知らなかった。
読みかけの山本一力氏に待ってもらって読み出すが、相変わらずの軽妙・洒脱さについつい「ははは」「ふふふ」と笑ってしまう。58年間使い続けているガラス製シビンに関する考察に至っては・・・

 

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お疲れモードで頭の中はモツ焼き!

雨が降らぬ。梅雨もカラ梅雨の上、全く降らぬ。川にはチョロチョロしか流れていない。 DSCF5947(変換後)体が干からびたのか元気が出ない。どうもお疲れモードである。東大のセンセのクボタ君も電話で「どうも踏ん張りが効かない。一日で出来ると思っていた仕事が出来ない」と嘆いていた。まあ、要するに我が家のお犬様同様に歳なのであろう。老人と老犬、トボトボ・ヨチヨチ森を散歩していたら『ウバユリ』が咲いていた。DSCF5948(変換後)この花もあまり好きになれない。八方美人が如くあちこち向いて咲くが直ぐにしぼむ。名前にしても人様が勝手に付けたのだが、何だって『姥』なんてと調べてみたら「花が満開になる頃には葉が枯れてくる事が多いため、歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられた。」とのこと。まだ歯は抜けていないが、よりにもよって人が歳を感じて落ち込んでいるというのに・・・

発作的に1枚完成する。DSCF5943(変換後)

こういう時には『うなぎ』なんぞより『モツ焼き』でも喰らいながらキューッと生ビールでも飲めば元気になると思うが、どういうわけか長野県ではモツ焼き屋がない。そもそも『焼き鳥屋』さえ少ない。えーぃ、ここまで書いたら日頃の鬱憤晴らしである。長野県、否、諏訪平には何で美味い食いもの屋がないんだ。蕎麦屋とうなぎ屋はマーマーであるがワタクシの嗜好からして強いて食いに行こうとも思わぬ食い物である。ヨシユキさんやシノブ君と会う度に「何か美味い食いもの屋はないかい」との話題になるが、結局は「ないねぇー」となる。こちらに移住してきた35年前、地元の人から「諏訪平は資産家が多いけれど、金は使わない。食べ物なんかに絶対に使わない」と聞いたことがあるが、昔から食い物文化は育たなかったようである。かつて回転寿司が諏訪平になかった頃、寿司屋に入って驚いたのは「酢飯」が酸っぱ過ぎたこと。酢がきつすぎてどうにも美味くなかった。20数年前、茅野に『かっぱ寿司』が出来た時には、100円の回転寿司がとても美味く思えた。
で、思い出した、オヤジの通夜にわざわざ東京から駆け付けて下さった方々もいらしたので地元の寿司屋にわけを話して出前を頼んだのだが、「東京からのお客さんもいるということなので、奮発して蜂の子を入れておいた!」とのこと。イクラやウニの軍艦ではなく、蜂の子の軍艦がエイヤッーと入っていた。これには遠来の弔問客も腰が引けたのか誰も箸をつけなかった。ま、ザザムシ(川虫)じゃなくて良かった。
ついでに書くと、この辺では何にでも砂糖を入れる。赤飯だって野沢菜だって沢庵だって煮物だって、みーんな甘いのである。隠し味としてほのかにではなく、甘い!のである。どうだ、参ったか!である。

いえね、これ決して悪口ではないので・・・ただワタクシの口に合わないだけでして・・・何せその口にしたっていま食いたい物の一番がモツ焼き程度の味覚でして・・・そんな食文化を云々なんて・・・

うーむ、頭の中がモツ焼きで支配されながら書いていたら、酔っぱらったムスコから電話がきた。「今日は疲れたので飲んで来た」と大して飲めないくせに生意気なことをホザく。「何処で?」と聞いたら「前にトーサンと行ったモツ焼き屋」。
クソーッ!もう頭の中はモツ焼きと、霜で白くなったジョッキの生ビールが巨大化して爆発しそうである。

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高原の夏

3日程前は寒かった。ヨシユキさんの家に寄ったらもう午前10時だというのにストーブをつけていた。先週は外に出たら目眩を起こしそうだったのにである。やっと昨日あたりから高原の夏である。夜は窓を開けては寝られぬ。今は午前11時過ぎである。DSCF5931(変換後)窓に貼り付けた外気温用温度計は21℃。やっと爽やかな高原の夏である。半袖・長ズボンで丁度良い。ダリもこういう朝は機嫌が良いのか、時々スッテンコロリンしながらも森の途中までの散歩も小走りであった。
そう言えば選挙戦も本日が最終日だが、田舎のこと、選挙カーからのあの「お願い・・・」の絶叫も選挙期間中にヤマビコとなって2度聞こえてきただけであった。都ではこの暑さのなか、あの絶叫を聞くだけで余計暑さを感じると友人が電話でぼやいていた。

昨日は2ヶ月に一度の方の内科予約が朝イチであった。ま、カンレキであるから血圧も幾分高く、降圧剤なんぞを処方してもらっている。ついでに血糖値を調べる為に(これもカンレキであるから徐々に上がってきているのだが、まあ運動を続けていれば良い程度とのこと)朝飯ヌキである。毎日5時には起きて5時半には朝食を食べている身には朝飯ヌキというのは何とも頼りないのである。9時過ぎには会計も済ませ、処方箋を院外薬局宛FAXした後、9時からやっている病院のレストランに寄る。ここは八ヶ岳や北アルプスの展望がよく、この時間だとたいてい他の客もおらずに展望を独り占め出来る。このレストランのカツ丼は分厚い豚カツがジュージューと音を立てていておまけに安いのだが、さすがに朝9時過ぎにカツ丼はきつい。朝定食にするかサンドイッチにするか、はたまたピラフか蕎麦かパスタかと、たまの外食に迷ったが、健康の為に来ている病院、玉子丼なんぞを頼む。なかなか旨い。ワタクシが食べ終わってお茶を飲んでいる頃に入って来た腰の曲がったお婆さんは食券を出しながら大きな声で「カツ丼!」と注文なさった。むぅー、まだ9時半過ぎである。さすが長寿県である。病院前の薬局で薬をもらい、BOOK OFFに寄る。作家の先生方には申し訳ないが105円コーナーへ。田舎のBOOK OFF、年中寄るが本棚の変化はあまりない。が、向田邦子、山本一力、奥田英朗、小林信彦、今野敏のまだ読んでいない本を奇跡的に8冊ほど見つけて購入。向田邦子の著作はどれを読んでも上手い。人々が生き生きと昭和を生きている。山本一力や奥田英朗は割と最近嵌った作家だが、どちらも上手い。これで当分楽しめる。

10時半過ぎに帰ったら、不義理をしている海外の友人からメールが届いていた。慌てて国内の友人に助力をお願いして当面の事態解決を図る。両者に申し訳なく反省する。

夜は地元小学校の5・6年生のPTAを集めての学校登山の説明会。装備一式や行動食の見本を持って行って説明会。成長期の子供にわざわざ新品の登山装備を買わないように注意する。

帰って直ぐにムスコから電話。何でも彼のバイト先に店長候補が研修に来るにあたって一人移動せねばならぬが、どうも自分になりそうだとのこと。せっかく職住接近だったのだが、また頭の痛いことである。人の良いムスコであるから、直ぐにOKせぬよう知恵を授ける。

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ムスコの帰省

昨夜はムスコが久しぶりに帰省した。東の都での猛暑と労働とジャズ修行で12Kgも痩せたと大分スリムになっている。老犬ダリは5月以来のムスコに甘えることしきりである。散歩に行き、なぜてもらって顔がだらしなくとろけている。ダリも目下の部下か一人欠けて淋しかったのだろう。DSCF5910(変換後)

ところでムスコが入手したビンテージ・サックスだが、セルマーだと思っていたら、100年も前の1913年製のブッシャーだとのこと。デューク・エリントン楽団のブラス・セクションはブッシャーで揃えていたことは有名であるが、入手した銀色のアルト・サックスはムスコの大好きなソニー・クリスが実際に使っていた物だという。ソニー・クリスは70年代に自殺してしまうのだが、その後幾人かの手に渡ってから、有名な日本人サックス奏者に渡って後、ムスコの元へと来たようだ。そしてオリジナルのサックス・ケースにはそっとジョーカーのカードが仕舞われていたとのこと。
100年も前のサックスと聞いて「そりゃ、ビンテージというより古金物じゃないのか」と、ちょっと心配していたが、100年前の物にしては実に綺麗であり、鈍く輝く銀色は何とも美しい。で、肝心の音色だが、これがまた何とも深く甘く野太く、ムスコもだがワタクシの好きな音色である。ビンテージ物のサックスというのは、現在の物は純度の高い金属で作られるが、古い物は金属に不純物が多く混じっていてそれが独特の音色を出す秘密らしい。サカタ・アキラ氏やハヤシ・エイイチ氏も「こりゃあ凄い音色だ」と言ってくれたとのこと。DSCF5930(変換後)

久しぶりに田舎の我が家で気兼ねなく大きな音を出せるとムスコは吹きまくっている。さすがにジャズ修行で吹いて・吹いての毎日、都に上る前より格段に上手くなっていた。

夜、正月以来のインフレ9ブリッジのご開帳となる。相変わらず博才のないくせに強気のムスコはリーチを連発するが、やはりというか当然というか結果最下位であった。ケケケ、ムスコよ、君は地道に歩みなさい!

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