お疲れモードで頭の中はモツ焼き!

雨が降らぬ。梅雨もカラ梅雨の上、全く降らぬ。川にはチョロチョロしか流れていない。 DSCF5947(変換後)体が干からびたのか元気が出ない。どうもお疲れモードである。東大のセンセのクボタ君も電話で「どうも踏ん張りが効かない。一日で出来ると思っていた仕事が出来ない」と嘆いていた。まあ、要するに我が家のお犬様同様に歳なのであろう。老人と老犬、トボトボ・ヨチヨチ森を散歩していたら『ウバユリ』が咲いていた。DSCF5948(変換後)この花もあまり好きになれない。八方美人が如くあちこち向いて咲くが直ぐにしぼむ。名前にしても人様が勝手に付けたのだが、何だって『姥』なんてと調べてみたら「花が満開になる頃には葉が枯れてくる事が多いため、歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられた。」とのこと。まだ歯は抜けていないが、よりにもよって人が歳を感じて落ち込んでいるというのに・・・

発作的に1枚完成する。DSCF5943(変換後)

こういう時には『うなぎ』なんぞより『モツ焼き』でも喰らいながらキューッと生ビールでも飲めば元気になると思うが、どういうわけか長野県ではモツ焼き屋がない。そもそも『焼き鳥屋』さえ少ない。えーぃ、ここまで書いたら日頃の鬱憤晴らしである。長野県、否、諏訪平には何で美味い食いもの屋がないんだ。蕎麦屋とうなぎ屋はマーマーであるがワタクシの嗜好からして強いて食いに行こうとも思わぬ食い物である。ヨシユキさんやシノブ君と会う度に「何か美味い食いもの屋はないかい」との話題になるが、結局は「ないねぇー」となる。こちらに移住してきた35年前、地元の人から「諏訪平は資産家が多いけれど、金は使わない。食べ物なんかに絶対に使わない」と聞いたことがあるが、昔から食い物文化は育たなかったようである。かつて回転寿司が諏訪平になかった頃、寿司屋に入って驚いたのは「酢飯」が酸っぱ過ぎたこと。酢がきつすぎてどうにも美味くなかった。20数年前、茅野に『かっぱ寿司』が出来た時には、100円の回転寿司がとても美味く思えた。
で、思い出した、オヤジの通夜にわざわざ東京から駆け付けて下さった方々もいらしたので地元の寿司屋にわけを話して出前を頼んだのだが、「東京からのお客さんもいるということなので、奮発して蜂の子を入れておいた!」とのこと。イクラやウニの軍艦ではなく、蜂の子の軍艦がエイヤッーと入っていた。これには遠来の弔問客も腰が引けたのか誰も箸をつけなかった。ま、ザザムシ(川虫)じゃなくて良かった。
ついでに書くと、この辺では何にでも砂糖を入れる。赤飯だって野沢菜だって沢庵だって煮物だって、みーんな甘いのである。隠し味としてほのかにではなく、甘い!のである。どうだ、参ったか!である。

いえね、これ決して悪口ではないので・・・ただワタクシの口に合わないだけでして・・・何せその口にしたっていま食いたい物の一番がモツ焼き程度の味覚でして・・・そんな食文化を云々なんて・・・

うーむ、頭の中がモツ焼きで支配されながら書いていたら、酔っぱらったムスコから電話がきた。「今日は疲れたので飲んで来た」と大して飲めないくせに生意気なことをホザく。「何処で?」と聞いたら「前にトーサンと行ったモツ焼き屋」。
クソーッ!もう頭の中はモツ焼きと、霜で白くなったジョッキの生ビールが巨大化して爆発しそうである。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

高原の夏

3日程前は寒かった。ヨシユキさんの家に寄ったらもう午前10時だというのにストーブをつけていた。先週は外に出たら目眩を起こしそうだったのにである。やっと昨日あたりから高原の夏である。夜は窓を開けては寝られぬ。今は午前11時過ぎである。DSCF5931(変換後)窓に貼り付けた外気温用温度計は21℃。やっと爽やかな高原の夏である。半袖・長ズボンで丁度良い。ダリもこういう朝は機嫌が良いのか、時々スッテンコロリンしながらも森の途中までの散歩も小走りであった。
そう言えば選挙戦も本日が最終日だが、田舎のこと、選挙カーからのあの「お願い・・・」の絶叫も選挙期間中にヤマビコとなって2度聞こえてきただけであった。都ではこの暑さのなか、あの絶叫を聞くだけで余計暑さを感じると友人が電話でぼやいていた。

昨日は2ヶ月に一度の方の内科予約が朝イチであった。ま、カンレキであるから血圧も幾分高く、降圧剤なんぞを処方してもらっている。ついでに血糖値を調べる為に(これもカンレキであるから徐々に上がってきているのだが、まあ運動を続けていれば良い程度とのこと)朝飯ヌキである。毎日5時には起きて5時半には朝食を食べている身には朝飯ヌキというのは何とも頼りないのである。9時過ぎには会計も済ませ、処方箋を院外薬局宛FAXした後、9時からやっている病院のレストランに寄る。ここは八ヶ岳や北アルプスの展望がよく、この時間だとたいてい他の客もおらずに展望を独り占め出来る。このレストランのカツ丼は分厚い豚カツがジュージューと音を立てていておまけに安いのだが、さすがに朝9時過ぎにカツ丼はきつい。朝定食にするかサンドイッチにするか、はたまたピラフか蕎麦かパスタかと、たまの外食に迷ったが、健康の為に来ている病院、玉子丼なんぞを頼む。なかなか旨い。ワタクシが食べ終わってお茶を飲んでいる頃に入って来た腰の曲がったお婆さんは食券を出しながら大きな声で「カツ丼!」と注文なさった。むぅー、まだ9時半過ぎである。さすが長寿県である。病院前の薬局で薬をもらい、BOOK OFFに寄る。作家の先生方には申し訳ないが105円コーナーへ。田舎のBOOK OFF、年中寄るが本棚の変化はあまりない。が、向田邦子、山本一力、奥田英朗、小林信彦、今野敏のまだ読んでいない本を奇跡的に8冊ほど見つけて購入。向田邦子の著作はどれを読んでも上手い。人々が生き生きと昭和を生きている。山本一力や奥田英朗は割と最近嵌った作家だが、どちらも上手い。これで当分楽しめる。

10時半過ぎに帰ったら、不義理をしている海外の友人からメールが届いていた。慌てて国内の友人に助力をお願いして当面の事態解決を図る。両者に申し訳なく反省する。

夜は地元小学校の5・6年生のPTAを集めての学校登山の説明会。装備一式や行動食の見本を持って行って説明会。成長期の子供にわざわざ新品の登山装備を買わないように注意する。

帰って直ぐにムスコから電話。何でも彼のバイト先に店長候補が研修に来るにあたって一人移動せねばならぬが、どうも自分になりそうだとのこと。せっかく職住接近だったのだが、また頭の痛いことである。人の良いムスコであるから、直ぐにOKせぬよう知恵を授ける。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

ムスコの帰省

昨夜はムスコが久しぶりに帰省した。東の都での猛暑と労働とジャズ修行で12Kgも痩せたと大分スリムになっている。老犬ダリは5月以来のムスコに甘えることしきりである。散歩に行き、なぜてもらって顔がだらしなくとろけている。ダリも目下の部下か一人欠けて淋しかったのだろう。DSCF5910(変換後)

ところでムスコが入手したビンテージ・サックスだが、セルマーだと思っていたら、100年も前の1913年製のブッシャーだとのこと。デューク・エリントン楽団のブラス・セクションはブッシャーで揃えていたことは有名であるが、入手した銀色のアルト・サックスはムスコの大好きなソニー・クリスが実際に使っていた物だという。ソニー・クリスは70年代に自殺してしまうのだが、その後幾人かの手に渡ってから、有名な日本人サックス奏者に渡って後、ムスコの元へと来たようだ。そしてオリジナルのサックス・ケースにはそっとジョーカーのカードが仕舞われていたとのこと。
100年も前のサックスと聞いて「そりゃ、ビンテージというより古金物じゃないのか」と、ちょっと心配していたが、100年前の物にしては実に綺麗であり、鈍く輝く銀色は何とも美しい。で、肝心の音色だが、これがまた何とも深く甘く野太く、ムスコもだがワタクシの好きな音色である。ビンテージ物のサックスというのは、現在の物は純度の高い金属で作られるが、古い物は金属に不純物が多く混じっていてそれが独特の音色を出す秘密らしい。サカタ・アキラ氏やハヤシ・エイイチ氏も「こりゃあ凄い音色だ」と言ってくれたとのこと。DSCF5930(変換後)

久しぶりに田舎の我が家で気兼ねなく大きな音を出せるとムスコは吹きまくっている。さすがにジャズ修行で吹いて・吹いての毎日、都に上る前より格段に上手くなっていた。

夜、正月以来のインフレ9ブリッジのご開帳となる。相変わらず博才のないくせに強気のムスコはリーチを連発するが、やはりというか当然というか結果最下位であった。ケケケ、ムスコよ、君は地道に歩みなさい!

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

立沢登山

昨日はワタクシの住んでいる集落の公民館活動である『立沢登山』であった。以前にも書いたと思うが、昨年急死された故小池満氏が「立沢に生まれ育って八ヶ岳に一度も登らずに死んじまうなんて可哀相だ」と20年前から始めた行事であり、生前から「そろそろオマエが引き継げ」と言われていた。で、昨年から引き継いだのだが、昨年は残念ながら雨で中止。今年も先ずは八ヶ岳の一番南端の編笠山(2523m)からとなった。続いていた猛暑も落ち着き、高曇りであったが涼しく、『立沢登山』としては最多の32名の参加があった。富士見側からの登りは標高差1200m近く、下は小学1年生から上は74才までと幅広い年代にペースをどの程度にするか難しい。幸い涼しかったので汗もかかずに小学校の集団登山程度のペースで登る。頂上直下200mの岩塊地帯では台風の影響かバランスを崩しそうになるほどの強い風が吹く。北に続く八ヶ岳の展望はガスの中であったが、富士山から南アルプス・諏訪湖まで見渡せる。昼食後、幸いにして風が弱まり、岩塊地帯も全員無事に下り、続く岩小屋までの急坂もアブに追われながら全員よく歩いてくれ、15時過ぎに登山口に戻る。DSCF5882(変換後)DSCF5892(変換後)戻ってから「集落改善センター」にて『反省会』という名前の飲み会。ビールが旨い。やれやれ終わった。

夜、明日で20才となるムスコが期日前投票のために帰省する。ダリ、大喜び。ムスメ特製ケーキで1日早いが20才を祝う。手に入れた100年ほど前のブッシャーのサックスを持って来ていたが、野太く甘い音色にびっくりする。楽器は人を選ぶというが、本当に良い楽器を手に入れたようだ。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

灼熱地獄からのお客様

足が弱ったダリの為にしばらくは庭だけの散歩にしていたが、ここ2〜3日、ダリは揺るがない決意を顔に表して10数年歩いた森の方へと小走りに向かう。そうかそうか、たまにはテリトリーの巡回もせねば落ち着かないのであろう。時々足をもつれさせてドテッと倒れるが、決意は固い。橋の手前で「帰ろうか?」と問うが、フンという顔をして森に向かう。ヨロヨロしながらあちこちのテリトリーの臭いを嗅ぎ、オシッコをかける。森の中のT字路まで行って「頑張ったな!」と頭をなぜてやると急に表情を和らげて帰路に着く。きっと彼も帰る切っ掛けを待っていたのだろう?帰路も時々転ぶものの比較的元気であるが、帰って朝食を食べたらすぐに居眠りを始める。連日30℃の猛暑が続いたなか、ゴクロウなことにダリは黒い毛皮も纏っている。ワタクシだったら発狂していたであろう。いっそ夏は白か金色に染めてやろうかと毎夏思うのだが、特に今年は本気で考える。

一昨日は東の都から 指揮者のミドさん母娘が来る。せっかく来たのに異常な高温に申し訳なく思うが、灼熱地獄の都に較べれば涼しい・涼しいと喜んでいる。お嬢さんのサミーさんは5月にLAの大学を卒業したばかり。今時の若者には珍しくきちんとした日本語を話すことに感心する。女性好きなダリはいつになくご機嫌。DSCF5877(変換後)
こちらに土地を探していて、一昨日午後・昨日午前とあちこち土地を一緒に見て回る。ワタクシは富士見に住んで36年になるが、久しぶりに走り回って、永住にしろ別荘にしろ、その数の多さに驚く。いつの間にこんな奥までと思うような所に家が建っている。

今日13日は久しぶりに朝から曇っていて時々雨がぱらつく。涼しくてホッとするが、急に体に疲れも感じる。イヤハヤお犬様同様、歳である。明日は村民登山、編笠山にガイドで登らねばならない。降らずに涼しいことを期待する。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個