暑っ!

梅雨明けと同時に異常に暑い。とても高原とは思えぬ暑さである。昨夜は窓を少し開けて寝た。7月にこんなことは初めてである。つい10日かそこいら前にはストーブを焚いたのにである。野辺山(日本一標高の高い駅1300mなんぼがある)でさえ30℃を超えたようだ。全く最近の世の中あれこれ「急激」でメイワクである。

こうなると半田付け作業のコテの熱さに嫌になるが、何とか1枚作り終える。

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東の都のヤスコさんに先日戴いた素麺のお礼の電話をすると変な声である。「どしたの?」と聞くと「暑くて死んでる!」とのこと。暫く死人と話す。戴いた素麺にケチを付けるわけではないが、素麺たらいうものは『金魚の餌』と公言してきた。ご幼少の頃、金魚に素麺をやるとおちょぼ口でツツ、ツツッと飲み込むのが愉快だった記憶や、やたら細いので食っても食っても満足感がない感じがして、それ以来どうも素麺は苦手で、カミサンやムスメが素麺を食べる横で「そんな金魚の餌がよく食えるもんだ!」とインスタント・ラーメンか何かを食べながら悪態をついてきた。
何故素麺はやたら細いのか。ワタクシ、うどんでも蕎麦でもラーメンでもパスタでも大好物で昼飯は大抵麺類なのだが、その中でもそれぞれ太麺の方が好きである。ひやむぎならそこそこ、まあ最近はメデタイことに素麺も納豆をつけ汁に入れて食べられるようになったのではあるが。

で、ヤスコさんであるが、高校の1年先輩で舞台衣装家である。従って忙しかったり暇だったりとワタクシ同様正しい自由業であるから、暇な時に時々電話で長話をする。同窓会には殆ど行ったことがないのだが、ヤスコさんは豆に同窓会などに行っているらしく、皆の消息をよく知っているので教えてくれる。最後に会ったのは何時であったか、飲もう飲もうと言いながら最近は仕事で都に行っても1泊か2泊もすると酸欠になってしまうのでなかなか会えないでいる。

そういえば昔、ムスメが小さい時にお猿さんの尻尾とお尻と耳を作って送ってくれた。DSCN1176(変換後)ムスメはそれを付けては木に登ってアケビなんぞを採っていた。

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エッ、もう夏!

一昨日だかに梅雨明けの発表があったが、雨もろくろく降らぬうちに終わり、どうも本当に夏になったようだ。昨日は午後から長袖を脱ぎ、アトリエの窓を開け、半袖・半ズボンで過ごした。

初めての東の都の夏を経験するムスコは、バイト先での労働に加えてこの暑さで12Kgも体重が減ったと電話してきた。ガンバレ、都の夏は地獄だぞ!

いつの間にか甲斐駒の谷筋の雪も消え、岩肌も緑になっていた。八ヶ岳の上には夏の雲が掛かっている。DSCF5868(変換後)DSCF5871(変換後)
そう言えば今週末には村民登山のガイドで登らねばならない。今年は村民30数名の人気である。
例年頼まれる学校登山ガイドだが、今年は小学校2校、中学2校のガイドを断り、地元小学校のガイドと村民登山のガイドだけを引き受けた。丁度日程変更が難しい上に検査後数日はおとなしくしてねばならぬ内視鏡検査の日にぶつかったりの諸々の事情もあるのだが、学校の年間スケジュールが春には決まっているのに直前になって依頼してくることが気に掛かる。学校登山を「行事」として毎年行っている学校ではマニュアル化していて、引率教師に危機管理意識が年を追うごとに低下しているように感じる。小学校で50〜60名、中学では120名近くを連れて八ヶ岳に登るにはガイドが付いていたとしても、教師それぞれが「危機管理意識」を持たねば恐ろしい。ある中学で配られた「登山計画書」は前年の丸写しで、恐れ入ったことに年度も日付も前年のまま、生徒の名簿だけを変更したものであった。また、ある小学校登山では急に雷雨に襲われて急いで下山中に生徒同士が喧嘩を始めた。それを見た若い教師が「はい、誰々君の言い分は、はい誰々さんの言い分は」と隊列を止めて言い出した。既に近くに落雷音がしているのにである。教師が忙しすぎること、公立だと教師の移動が多いことからどうしてもマニュアル化してしまうようだが、それ以前に、何と言っても学校や教師の「危機管理意識」の低さが由々しき問題だと思う。

昨年急死されたミツルさんと共に10年近く前に学校登山の立ち上げに関わった地元小学校では必ず下見登山に引率教諭全員とガイドが同行して、歩き方、歩行スピード、休憩の仕方、トイレとする場所の確認、地図上の現在地の確認等を教え、1ヶ月前には親を集め、装備や服装、食料・水分の量、等の説明会を行い、山好きな親をボランティアとして募集、実施1週間前にはボランティアの親とガイド、教師で隊列の編成、点呼の方法、危急時対応の説明等を行うようにしている。この他、障害を持った子供がいる場合は頂上まで行けなくとも、充分安全と判断される所まで教師・ボランティア、時によってはガイドを1名手配し、本隊には最低でも先頭と最後尾にはガイドを置くようにしている。自然相手にどれだけやっても完全なんてことはないが、少なくとも何十名もの子供を引率する上での「意識」を持ってもらうには必要な事だと思っている。

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数学者は変人

ムスメと高校の教師の話をしていて思い出した。ワタクシが高校で習った数学の先生でサイトウ先生という人がいた。この先生は「教師」というより「数学者」であった。黒板に数式を書いて生徒に解かせるのだが、途中で何やら数学的閃きでもあったのだろう、その世界に嵌ってしまうと黒板に向かい我々には分からない数式が延々と並ぶこととなる。これが終業のベルまで続く。全く自分の数学の世界に入ってしまう。この先生、オツムの装飾物は現在のワタクシ同様進化していたので欠如していた。ある時、授業開始のベルと共に入って来たサイトウ先生を見て、クラス中の目が点となり、次に「ぎゃーっ」と笑い出した。何とオツムにまるでビートルズのような『カツラ』を被っていたのである。ところが先生、笑い転げる生徒を気にするでもなく黒板に向かっていつものように淡々と数式を書いていく。ところがこの日も数学的閃きを覚えたのであろう。カツラを振り乱しながら一人黒板と対峙、段々オツムも熱を帯びたのであろうか、突然カツラを脱ぎ捨てると教卓にポンと放り、数式と格闘していた。どっと笑い転げる生徒の声などまるで耳に入らない。で、終了のベルが鳴ると、そそくさとカツラを引っ掴んで教室を出ていった。それ以後「カツラは暑い」と悟られたのであろう、このオツム装飾物を二度と見ることはなかった。こういう旧制高校の名物先生みたいな先生に出会えたことはサイワイであった。まだご存命なのであろうか。

ところでワタクシのオヤジも数学教師であった。故になかなかに変であったが、彼の戦後直ぐの大学時代の数学科の仲間はもっと変な人が多かった。ワタクシが学生の頃、正月によく家に5〜6人の変人が集まっては飲んでいた。ある人は九州の高校だか大学の先生を辞めて、右の方で有名だった○○舘大学の数学の先生になった初日に入学式か何かでの総長講話を聞いて直ぐ「○○舘大学民主化案」という模造紙大の要望書を貼り出して即日クビ、裁判をやっていた。当時は大学闘争の華やかしき頃である。オヤジが「君、○○舘大学という大学を知らなかったの?」と聞いたら「うむ、ちょっと東京で住んでみたくなったから来たけど、世の中には凄ェ大学もあるもんだ。」とのこと。さすがにこれには集まっていた変人達も呆れた。が、もっと呆れたのは酒席の途中で彼の奥様からの電話に、「そうですか、死にましたか。では帰ります。」とか何とか応えながらまた飲んでいる。再び電話。またまた電話。「帰る、帰る」と応えながらもまだ飲んでいる。オフクロが心配して「何かおありですか?」と聞くと、「何ね、猫みたいにそこはかとなく居着いたお袋がいま家で死んだらしいよ。」とのこと。これにも一同びっくりだが、本人は平然として「何ね、俺はお経が読めるから坊主も必要ないし、何、急ぐことはないです。」と相変わらず飲み続けていた。とにかくメチャクチャな連中で、誰も聞いていなくとも一斉に勝手なことを口から泡を吹きながら喋っている。一人だけ数学ではなく化学か何かでノーベル賞候補になった人がワタクシに向かって「ほらね、数学者って嫌だね。変でしょ。ドモリにチンバに変人だらけでしょ。」と言うのだが、そのご本人すら歩く姿は右手と右足が同時にみたいな歩き方で、おまけに左右別々のとんでもなく派手な色をした靴下を履いていた。ワタクシもカミサンも数学は特別出来も出来なくもなく、ムスコとムスメは全く出来ずに変人にはならずに済んでいることは誠にメデタイことである。
(表現に一部、世で言うところの『差別用語』と言われる表現があることを承知しておりますが、肉体的特徴=差別とする意図はありません。ならばチビ・デブ・ハゲ=『オツムの装飾物の欠如した人』なんぞも・・・)

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連帯のエールを送る!

ぼーっと窓の外を見ていたら、電線にツバメが3羽やってきた。2羽はこちら向きに止まり、ちょっと離れてもう1羽はお尻を向けている。暫く霧雨に濡れていたが急に飛んで行ったと思うとまた止まりに来る。それを3回繰り返したのだが、いつも1羽はちょっと離れて反対向きに止まる。さてさてカップルに横恋慕しているのか・・・はたまた深い政治哲学的思索に・・・ま、ワタクシは皆が同じ方向を向く社会なんぞはろくな社会じゃないと思っているからして、参院選を前にこのツバメに強い連帯のエールを送っておいたのは勿論である。DSCF5853(変換後)

ダリはますますヨロヨロして、この13年間、それこそ毎日朝晩歩いた森への散歩もままならなくなり、一昨日から庭だけとなった。ラブラドール♂とコーギー♀というちょっといわくつきのカップルを親とするダリ、ラブの足が弱いというこの犬種独特の欠点と、コーギーの短足・胴長というミックスであるから胴や足への負担も大きいのかもしれない。
庭にもある桑の木の下に呼んでボールに熟した桑の実を採ってやる。嬉しそうに食べた後は、ちょっと庭を散歩して出す物を出したらさっさとデッキに上がってアザラシ寝をしてしまう。マッサージをしてやるとすぐに眠ってしまう。この梅雨は老犬にとっても辛い梅雨である。

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老犬介護?

昨日、久しぶりに東京深川の雲光院服部住職が「ちょっと嬉しいお知らせ」と言って立ち寄って下さる。昨年行った深川「ジャズ・ミー横町」を今年も10月27日に開催することが決まったとのこと。ワタクシは中心メンバーのジャズ・ピアニスト深澤芳美さんと服部住職を繋いだだけであるが、継続することとなり嬉しいニュースである。また11月18日には雲光院主催の「お月見コンサート」を深澤さんにお願いしたとのことで、これも嬉しいニュースである。出来るだけ両方聴きに行きたいものである。

さて、老犬ダリであるが、食欲以外段々と下降している。段々と言っても3月からであるから急激である。散歩の往復700〜800mも今や危うい。小走りに出掛けるので「今日は調子がいいのかな」と思うと突然前足がよろけて顔から倒れ込む。見なかったことにしてダリの後を歩くが、また転ぶ。彼も決してこちらの顔を見ない。散歩道にある桑の木の下で立ち止まり、熟した実を無心に食べる。DSCF5815(変換後)DSCF5822(変換後)
川に掛かる橋の向こう側の段差でよくコケルのでブロックを置いてやるが、脇をヨロヨロと上り下りする。気付かないのか、はたまた自尊心が許さないのか。このままではいずれ森までの散歩も難しくなるだろう。かと言って庭の散歩だけでは彼のプライドが許さないだろう。老人介護、いや老犬介護とはなかなか難しいものである。

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