仕事・仕事と・・・

山行きたい病をグッと堪えて仕事仕事。
今までは抽象的なデザインしか殆ど作ってこなかったが、具象を作りたくなってミジンコや巨大なイカを作っている。ミジンコは形そのものがユーモラスなのだが、拡大したらどうも漫画になってしまう。DSCF5503(変換後)ま、仕方ないか。次の写真はコパーホイルを巻き付けたところ。(ステンド・グラスを組むには鉛で出来たH鋼を使う方法とコパーホイルをガラスのコバに貼り付けて作る方法がある。通常細かいデザインにはコパーホイルを使用する)DSCF5504(変換後)このコパーホイルは、銅箔の細いテープの裏に接着テープが貼ってあるのだが、ガラスのコバをテープの中心に貼っていかないとみっともないことになる。若い頃は終日テープ貼りをやっても何ともなかったが、最近は直ぐに眼が疲れる。続かない。ついつい禁断の煙に手がいく。外を見る。山が見える。う〜んと唸りながら、ダリ用に買ったDHCのブルー・ベリーのサプリなんぞを飲んでみる。

夜、4ヶ月ぶりにムスコが帰って来る。一番喜んだのはダリである。目を真ん丸くしてじゃれている。

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やっぱり行きたい!

朝のダリ散歩。今朝はダリの調子も良いので、いつもとは違う下の森に行く。甲斐駒は白く輝き、小川は如何にも春の流れである。ダリは相変わらずスギナのサラダをモリモリ食べている。DSCF5489(変換後)DSCF5487(変換後)残雪の甲斐駒を見ると、あぁ山に行きたいと思うがGWの混雑を考えるとどうも行く気にならない。あれはもう5年ほど前だったか。先輩のカワダさんと中学1年だったムスメとGWに常念岳に行ったことがあった。2日とも快晴に恵まれた山行だった。常念小屋は100〜150名の宿泊客だったが、ムスメは最年少としても、どう考えてもワタクシより年上ばかりに驚いた。ムスメは小屋で会う人会う人毎に「お嬢ちゃん、いくつ?」と聞かれていささかうんざりしていた。
翌朝、ノンビリとした時間に常念岳に向かったが、小屋から常念岳へはまだ行列が続いていた。シンガリを登ったが、上から爺さん婆さん(失礼!)が次々とスリップして落ちてくる。これには肝を冷やした。おいおい、軽アイゼンの短い刃じゃ無理だぜ!何の為のピッケルだよ!恐ろしいのでルートを外れて人がいなくなるまで数十分待った。ジャケットもいらぬ快晴の頂上は穂高や槍をバックに人であふれていた。IMGP3743(変換後)翌年のGWはやはりカワダさんと火打岳に行ったが、この時も快晴に恵まれやはり人だらけであった。世の中が休みなのだから仕方ないが、田舎人にとっては1ヶ月で見る人の数をいっぺんに、山の、それも雪の山で見るのだからちょっと疲れる。で、GWは家でおとなしく仕事となるが、やはり行きたい!

下の森にはコゴミが出る。2〜3日前に見た時には無かったコゴミがもう随分と伸びていて、片手に持てるだけ摘む。DSCF5492(変換後)

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キジの昇天

今朝もマイナスであったが、快晴で少しは暖かくなりそう。朝のダリ散歩で『蘭ちゃん』に会う。蘭ちゃんはヨシジくんの所に新しく来た黒柴の子犬である。なかなか凛々しい顔付きである。IMGP5740(変換後)今朝は比較的元気なダリであるが、嬉しそうにじゃれる蘭ちゃんにダリはどちらかというと迷惑そうである。

もう1ヶ月ほど前に切られた隣の庭の『青木』と、ここいらの人が呼ぶ木が、真っ赤な樹液を垂らしている。隣のオッサンは木を切る時、いつも根元から切らずに変な高さで切る。毎朝この赤い樹液を見ては痛ましい気分となる。IMGP5742(変換後)

帰ってアトリエに入って直ぐ、2階で「ドン!」という大きな音と共に家が揺れた。2階にいたムスメに「どうした?」と聞くが分からぬと言う。慌てて外に出てみたら大きな鳥が地面で暴れていたが、1~2分で動かなくなる。可哀相に雌のキジが家に衝突して首の骨を折ったらしい。IMGP5744(変換後)一瞬今夜のメニューが頭をよぎるが、目を閉じたキジの顔があまりにも神々しいというか美しく、自分で食べる気が失せる。かといって庭に墓を掘ろうにも我が家の庭は石が多くてとても掘れぬ。浅く掘れば狐にやられるし、やはりここはきちんと成仏してもらうには人様に、それもきちんと道理をわきまえた人様に食べて頂くこととして、ナカムラさんに差し上げることにする。
ナカムラさんだが、我が家の庭先の川を3kmほど遡った所にもう20数年前から住んでいるお洒落なご夫婦である。多分そろそろ80に手が届くお歳だと思うが、とにかく若々しく田舎での生活を楽しまれている。広い庭先にはセギが流れて、岩魚が泳いでいる。ツリーハウスがあり、ベンチがあり、ピザやパン用の薪窯、燻製窯、趣味の陶芸小屋まである。全て手作りである。この他ラジコン飛行機、釣り、鉄砲と多趣味でもある。こう書くと「何だ、金持ちの優雅な田舎生活か」と思われるかもしれないが、3kmも遡れば我が家と気温も雪の量も違うのである。山奥の一軒家で冬を越すにはそれだけの精神力と肉体が必要なのである。いつも凄いなと思う。
さすがに最近は足腰が弱ったと鉄砲は置いたのだが、彼なら成仏させて下さるとお届けすると、自家製岩魚の燻製と物々交換して下さる。

「ムスコさんはどうされましたか?」と聞かれ昨年からの経緯をお話すると大喜びして下さる。そうそうナカムラさんはJAZZも大好きなのである。5〜6年前だったか突然カミサンに「ピアノを弾いたことはないが、JAZZピアノを弾きたい。しいてはどんなピアノを買ったら良いでしょうか?」と言って来られ、カミサンと松本の楽器屋を回っていた。『枯葉』一曲だけでも弾けるようになりたいと猛練習された様子で、ある時「聴いてもらえますか」といらっしゃった。寒い時期で、黒皮のロング・コートで颯爽と現れて弾いた『枯葉』は正にJAZZだった。テクニックなんぞは関係ない、これぞJAZZなのである。カッコイイのである。あんな風に歳をとれたらと思う。

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一人静か

昨日からカミサンが所属していた合唱団の先輩で、今は倉敷の大学の先生が遊びに来ているので、山菜の天ぷらでもしようと昨夕はダリと林の中を歩き回った。何時になくダリは元気で走り回っていた。
で、山菜はといえば全く駄目。コゴミはいじけたひょろひょろのがやっと3本。タラの芽も蕾。ウドも一旦出たのが雪や霜にやられて茶色く変色している。あるのはセリとワサビとシイタケだけで、後はカミサンが農協で仕入れたタラの芽やエビやサツマイモの天ぷらとなった。季節外れの雪や霜で県内の農作物被害は10数億と出ていたが、本当に酷いものである。

今朝は少し暖かい。ダリと朝散歩に出るが、またヨロヨロ。全く駄目である。サプリの効果も限界のようである。それでもスギナは食べたいのかヨロヨロ歩きながら食べている。のんびりした散歩となったが、おかげで『ヒトリシズカ』を見つける。今年は4月20日に咲き出したのだが、翌21日の雪で全てしおれてしまって、もう見られないと思っていたら、今頃になってやっと2本咲き出した。ワタクシはこの花が好きである。特に葉が完全に開かないこの写真の時期のヒトリシズカは正に『一人静か』である。
今朝の新聞にこれから1週間程度は霜に注意と出ている。今年はウドもタラの芽もコゴミもどうなるのであろう。ダリの為にも早く暖かくなって欲しいものである。

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GWかぁ

世の中ゴールデン・ウィークとなったようだが、こちらに住んでいると今が一番美しい時期とあって出掛ける気にはならない。朝散歩にダリと森を歩く。スミレやニリンソウ、唐松やカワラヤナギの新緑が綺麗である。スミレの写真を撮ってから、ふと足元を見てギョッとする。どうも此奴はいけない。マムシ草である。この辺にはマムシはいないのだが、形状からしてヘビに見えるし、色も模様も正にヘビである。此奴は成長すると鎌首まで開くし、秋には毒々しい赤い実までつける。マムシ草とはよく言ったものである。森を抜けて甲斐駒を仰ぐ。北面は雪がべっとりである。GWが終わったら何処か登りたいと思う。

散歩から帰って新聞を開いたら、白馬大雪渓の雪崩で一人が行方不明。他のパーティーの数人も埋められた可能性があるとデカデカと出ていた。昨日の天候下、どのような判断で大雪渓を登ったか分からぬが、やはりかなりのリスクがあったと思う。

72年、今は北海道で酪農をやっている山岳部の1年先輩のヒラオさんとGW直前に杓子、白馬、雪倉、朝日から小川温泉までスキー縦走したことがあった。猿倉から入山初日の夜中、小日向のコル近くだったと思うが大きな岩の下でツェルトを張って寝ていたら上から新雪雪崩が来た。幸い何も失わずに済んだが肝を冷やした。あの当時はアタック・ザックと呼ばれた現在の標準的縦長ザックは既にあったが、アイゼンは8本歯、スキーのビンディングはカンダハに革製の山靴であった。杓子から白馬鑓を往復後、白馬を超え、雪倉の避難小屋でヒラオさんの雪盲(前日、サングラスの片方のレンズを割った)や吹雪での2日だか3日間の停滞後、朝日岳でビバーク、北又谷に掛かったワイヤーを渡って猟師小屋に1泊、小川温泉まで長い林道を歩いた。食料は朝は自家製パウンド・ケーキ1切れ、昼は飴玉、夜はインスタント・ラーメン1人1個かアルファー米1袋を2人で分け、おかかを掛けて食べた。まだ大学2年でさすがに腹が減り、小川温泉に着いた時にはカツ丼と親子丼とラーメンをいっぺんに食べた。
雪倉の避難小屋では某大学山岳部と一緒になったが、朝日に向かう朝、まだ暗いうちから朝飯作りにうるさい。我々より2時間以上も早く出て行った。我々はと言えば紅茶を湧かしてパウド・ケーキ(これはワタクシが自宅で、砂糖やバターや卵、ナッツやドライ・フルーツを山ほど入れて作った特製である)を食べたらおしまい。10分もあれば済んだ。小屋の外に出てみたら某大学山岳部が馬鹿でかいキスリングにスキーでまだ数百m下にいて新雪にコテコテ転んでいる。数分で追いつき彼等の真横を滑ったら、某大学山岳部のリーダーが「馬鹿やろー、追いつかれてしまっただろうが!さっさと立て!」とストックを振り上げて部員を怒鳴っていた。あの頃の一部の大学山岳部は完全な縦社会。恐ろしかった。
あんな楽しい山行をもう一度やってみたいものである。

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