大雪・通行止め・渋滞

14日は起きたら結構な雨である。携帯の気象情報を見たら富士見に大雪警報が出ている。NETで高速の状況を調べたら中央道にはまだ何の規制もない。早く帰らねば雪掻きの出払いに間に合わぬ。二人で駅の近くの『すき屋』に入り朝定食なるものを食す。丼飯に納豆、生卵、味噌汁にひじきの煮物が付いて280円。安い!都会はなるほど便利なものである。駅でムスコと別れ、吉祥寺の大学に駐めさせてもらっていた車をピックアップ、多磨墓地の両親の墓参りををするが大雨で線香も焚けぬ。9時過ぎに調布ICを入るが「大月〜勝沼」が雪の為に通行止めと表示されている。途中のSAにて渋滞を考えてサンドイッチと飲み物を購入。高尾山あたりから雪交じりとなり、上野原あたりからは大粒の雪が降りしきる。路面はシャーベット状となり走りにくいが、スタッドレスに4駆であるから追い越し車線をどんどん行く。ところが大月IC出口手前1Kmあたりから渋滞で全く動かなくなり、ICを出るまでに2時間近くかかる。やっと出た国道20号も渋滞である。10分走ると30分とか1時間止まる。何かと思えば国道上で大型がチェーンを巻いていたり、チェーンの切れたタンクローリーが斜めに止まって動かなくなっている。はてはフェンダーやボンネットがグシャグシャに壊れた乗用車がノロノロ前方からやってきたりする。どうにか国道の笹子トンネルを越えたら路上の雪も段々減ってくる。甲府バイパスを飛ばして昭和町あたりでは路上の雪も殆どなくなる。腹が減りラーメン屋に飛び込みラーメンと餃子を食し、大分車も減った国道を富士見へと飛ばすが、富士見が近付くにつれ路上の雪も増えて渋滞が始まる。ままよ、とまだ除雪の済んでいない県道を強引に登り、8時間かかって17時に我が家に帰り着く。出払いの雪掻きは既に終わり、家まですんなり入れる。出払いの通学路の除雪を終えた後、隣のフミアキさんがトラクターで我が家のアプローチを除雪をしてくれたとのこと。アリガトサン。とは言え除雪しないとUターンしずらい。直ぐに着替えて真っ暗な中、除雪機を掛ける。45〜50cm積もっている。

夜は先日作った『どんど焼き』である。ムスメは明日から試験とのことで行かぬという。今年の『どんど焼き』の世話役はフミアキさんである。カミサンと『繭玉』を付けた柳の枝を持って参加。『どんど焼き』にこんなに雪が積もるのも珍しい。酒を飲みながら『繭玉』を火にかざす。最後は『厄投げ』である。トラックの荷台から『厄年』の人達がスナック菓子やカップ・ラーメン、みかんを投げる。昔は500円玉の『おひねり』なども飛んだがさすがに不況である。幾つかのスナック菓子やらカップラーメンをキャッチして帰って来る。疲れた!

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二日酔い

昨日の加藤先生の最終講義の後、慣れぬネクタイで3軒ハシゴしたのが効いたのか久しぶりの二日酔いである。ムスコと昼食がてら新宿に出て、ムスコにセーターを買う。一度帰るが狭い部屋で顔付き合わせているのもナニだし、狭い風呂に入る気にもなれず、二人で銭湯に行く。ゆっくり浸かってアルコールを抜く。やっと正気に戻り、高円寺商店街をブラブラする。まあ様々な店がある。住むには本当に便利な町である。夕食はムスコのリクエストで焼き肉屋に入るが、肉屋直営とかで美味いし量もある。生ビールをグビグビやる。部屋に帰ったのはまだ20時であるが、ベッドを占領して寝る。ムスコは床に寝袋である。

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加藤教授最終講義

12日、ワタクシのゼミ教授であった加藤節先生が定年でお辞めになるにあったての最終講義があるので上京する。加藤先生はワタクシが4年の時に大学にいらした。であるから我々がゼミの一期生であった。ゼミでは南原繁先生の著作を読んだがとにかく難解であった。それよりも先生がまだ30歳で新婚ホヤホヤであったので、まるで兄や姉が出来たように嬉しかった。調布のお宅や、松本のご実家にはオカザキクンなどとそれこそ居候のように泊まり込んでいた。先生の留学中にもよく泊めて頂き、お母上の御馳走にあずかった。またムスコが初めて歩いたのも松本のご実家でお母上に向かってであった。

ついでにムスコが引っ越先にまだ持っていっていない衣類や本、プリンターなども積んで行く。朝7時頃に出て、9時過ぎには高円寺のムスコのマンションに着き、荷物を運び込む。昼食後、衣装ケースや細々した雑貨を買う。ムスコも加藤先生にはお世話になっているので最終講義を聴かせて頂くことにしたが、サックスのレッスンと重なってしまったので途中までまでしか聴けぬというので、早めに大学に行き、加藤先生やカメジマ学長、リー教授などにご挨拶する。
最終講義は「スピノザをめぐって」であった。100名程も集まったか盛大である。学生時代に岩波文庫の『エチカ』を買ってはみたものの、難解で数ページも読めなかった覚えがある。久しぶりに加藤先生の講義を聴きながらレジュメにメモを取る。1時間半程の講義が終わって、ナルシマ夫人やゼミの同期生の面々、一期下のチャタニ君、イチハシ君など本当に懐かしい人達に会う。その後一次会・二次会・三次会と続き、ムスコのマンションに帰ったのは02時半であった。

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お猿さん

先日、来週14日に火を付ける『どんど焼き』を作り終え、懇親会を兼ねた『お飾り』(ワタクシもこの『お飾り』という言葉の意味はよく分からぬが、集落の最小単位である常会が幾つか集まった『組』という単位でのどんど焼き作りを終えた後の年1回の集会=飲み会?)の席上、立沢集落に既に猿が居着いているという報告があった。ダリ散歩道で年中2匹の猿が遊んでいるとのこと。また隣のムネヒコさんも7匹の群れを見たと言う。我が家ではまだ誰も見ていないが、いよいよお猿さんまで住み着いたようだ。猿・鹿・狐・狸・熊・猪・リス・アナグマ・ハクビシン・イタチ・フクロウ・タカ・カモシカと我が集落もミニ動物園化である。作物を荒らし家の中まで進入するお猿さんと、やはり作物を荒らす鹿や猪、「話せば分かる」と言っても聞いてくれない熊さんは困るのだが・・・

午後、ダリと様々な動物の足跡を見て回った帰り道、凍った道を急に何を思ったか走って渡ったドジなダリが4駆なのにこけて滑って行った。その後のしょげ様には笑ってしまった。 
上京したムスコから電話。NTTのフレッツ光と契約したけれどNetが通じないとSOS。どうも話しがおかしい。プロバイダーとは契約していないのではとすったもんだの末、やっとプロバイダーのMac担当者と話しが通じて設定完了。夕方には開通。今時はバイトの応募もNetからせねばならない様子で、ヤレヤレであった。

夕方、駅にムスメを迎えに行ったら大きなスーパーの袋を下げている。学校が早く終わり、安売りCDを買った帰り道のスーパーを覗いたら、野菜がえらく安いので買って来たと宣う。白菜・長芋・人参・カブ・里芋。野菜高騰のおり、なかなか出来たムスメであるとカミサンと大笑い。きっと父子家庭で幼い兄弟が家でオネーサンの帰りを待っているのだろう・・・?

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学生時代は如何にして酒を飲んでいたか Vol.2

馬鹿馬鹿しい話しの続きである。
大学には71年に入った。先ずこの当時の物価だが、ラーメンが70円、コーヒーが50円、トリス1本340円、ホワイト850円、池袋のションベン臭い映画館『文芸地下』2本立てが50円、学食の素ソバが30円(これは安かった。毎日食った。カレーは50円、定食70円、AだかB定食は150円で皿が化学製品ではなくステンレスであったが卒業前に記念に1回食べたきりだ。)だった。

酒はもっぱら吉祥寺で飲んだ。ハモニカ横町の数軒、近鉄裏の『三平』、井の頭通りの『いせや』、井の頭線ガード下の『豊後』、吉祥寺北口の『竹寿司』、家庭教師のバイト先の阿佐ヶ谷ガード下の『金時』あたりが多かった。二級酒一合が70〜100円くらいだったと思うが、店によってお銚子のサイズが違う。ある時ミズイくんと飲み屋に向かう途中で計量カップを拾った。トイレで洗って何軒かの飲み屋に入っては一本づつ頼んで量ったりと、涙ぐましい努力をしていた。この当時、飲むにあたって一番苦労したのが「酒の肴」である。胃腸・肝臓とも元気・元気であるからして飲む量も半端ではなかったが、食う量はもっと多かった。下手に酒の肴なんぞを頼んでしまったら飲み代がなくなる。色々考える。「マグロの山かけ」は食いたいが、あれは一口・二口でなくなる。そこで一緒に「ご飯」を頼んで「山かけご飯」にする。オニオン・スライスもよく食った。品書きに「オニオン・スライス」がある店は半玉50円だか100円だか取られるが、品書きにない店では「どうしても食べたくなった」と言うと丸々1個を刻んで50円くらいで出してくれた。『豊後』ではお店の看板の太ったおばちゃんに可愛がってもらったし、たいてい高校や大学の先生に出会うので、よくたかった。L字型のカウンターに6〜7人、小上がりに詰めれば15〜20人の店であったが、カウンターの一番奥かその隣が定席だった。この店で一番美味しかったのは冬の味「あん肝」であった。幾らであったか忘れてしまったが、そこそこしたように思う。これを頼んでしまうと他に頼む余裕がなくなる。が、食いたい。しかし、腹には貯まらぬ。おばちゃんに「直ぐ帰ってくるから」とカウンター席を取っておいてもらって2軒隣の『立ち蕎麦屋』で素ソバを食べて戻るなんてことは年中であったが、あの立ち蕎麦の強烈な匂いにおばちゃんが「焼おにぎり」をよく御馳走してくれた。学生の分際で寿司屋に行くようになったのは4年の頃だった。オカザキくんやウエダくんとよく飲んだのだが、二人とも下宿生活でやはり「安く飲むと食う」を求めていた。飲み屋で腹一杯食って飲め、且つコストパフォーマンスに勝る方法を色々試行錯誤した結果、「最初から安い寿司屋がよいのではないか」との結論に達したのである。で、『竹寿司』が選ばれた。74年当時でもこの店では二級酒90円、並寿司340円であったのだ。大発見である。まず各人並寿司を頼んでちびちび食べながら、がぶがぶ飲む。それでも足りなければ「太巻き一本。6等分してね」と注文した。確かに飲み屋で飲むより腹もそこそこ満たされ、コストパフォーマンスは高かった。進化するまで3年と何ヶ月かかったのである。  続くかもしれぬ?

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