学生時代は如何にして酒を飲んでいたか Vol.1

同年配と思われる方から「馬鹿話や与太話を時々書いてほしい」とのリクエストが続いて2通きた。よほど馬鹿と思われているのかもしれない・・・で、仕方ないから。

酒は毎晩欠かさず飲む。仕事場から20歩も歩けば酒や肴にたどり着く。職住接近、職飲接近である。飲むのは殆どウィスキーであるが、ビールやワイン、日本酒、焼酎の時もある。要するに何でもよい。今はウィスキーがバカに安い。国産よりスコッチやバーボンが安い。学生時代に初めてジャック・ダニエルを飲んだ時、こんなに旨いウィスキー(バーボンでとは知らなかった)は初めてだと思った。高校時代のトリス一瓶340円から始まってレッドやホワイトが当時の学生の主たるウィスキーだったように思う。いずれにしろ1000円以下の酒であった時代にジャック・ダニエルは忘れもしない8400円だった。とてもじゃないが買えない。ところが10年ほど前からジャックは1480円程度となった。一時は敵を討つようにジャックばかり飲んだ。ワイルド・ターキーも美味いがジャックのようにガツンと来ない。バーボンなんて酒はガツンと来なければいけない。但し最近ジャックの瓶が変わってからどうもイマイチ不味くなった気がする。今はホワイト・ホースがとにかく安い。酒飲みにはまことにメデタイことである。

でもって学生時代は酒を如何にして飲んでいたかである。
4年生の時のゼミは結構遅くまでやっていた。暮れも近くなり、一杯飲みたいのだが皆懐が淋しかった。タキザワクンというノッポで飄々とした男がいて「付いて来い」というので10名程もいただろうか、ゼミ教授もろとも大きな飲み屋の2階の畳に上がった。タキザワクンが「一人銚子一本だけ!」と注文し「ゆっくり粘って飲め」と言う。丁度忘年会シーズンで、隣の席ではサラリーマンが酔って歌を歌ったり騒いでいた。タキザワクンがいきなりサラリーマンに向かって「下手な歌だなぁ」と言い放つ。サラリーマンが「なにお!」といきり立つと「僕が歌います」と言って、演歌あり、オペラあり、東海林太郎あり、はては「貫一お宮」を振り付け付きでと数曲立て続けに歌った。これには一同ひっくり返って笑ったが、サラリーマンはもっと喜んで「食べろ食べろ、飲め、飲め」といって彼らの前の御馳走が我々のテーブルに移ってきた。タキザワクンは時々立ち上がり歌う。サラリーマンはどんどん酒や肴を注文してくれ、我々の出費は一人百数十円程度で済んだ。これに味を占め、翌週のゼミ帰りもタキザワクンが活躍することとなった。その後、件のタキザワクンだが○○生命に就職した。彼にその後聞いた話しによると、新入社員歓迎会が帝国ホテルであったそうだが、乾杯の後はお葬式のように皆緊張して面白くない。そこでタキザワクンがビール瓶を持って「チンチンチン・・・」と春歌を歌ったところ大受けし、社長に握手を求められるは、帝国ホテルの支配人には「長く当ホテルの支配人を務めさせていただいておりますが、貴方のような方は初めてでした」とこれも握手を求められた由。で、配属先は庶務課で「宴会担当」となったと本人が供述していた。

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懐の寂しい時に壊れる機械の法則

昨夜は疲れていたのでぐっすり眠って今朝は4時半頃に目覚める。デジタル式腕時計のランプスイッチを押しても点灯しない。故障のようだ。明るい所で見たら、openという表示が出ていてモード変更ボタンはどれを押しても駄目である。使っているのは登山用で高度計や気圧計、コンパスが付いたトリプルセンサー電波時計であり、少々懐が豊かだったのかチタン・ベルトの物である。もう10年位は使っているから寿命かもしれぬが、こ奴等、機械というのは人の懐の寂しい時に限って壊れるうよに出来ている。マーフィーの法則であったか?ストッカーにしろ、テレビにしろ、ステレオ・コンポにしろそうである。ま、最近は懐の豊かな時というのもないのだが・・・幸い分解して色々いじくり廻している内に直っているのだが。

で仕方ない、朝食後分解することにする。予めnetで調べてみたらどうも腕時計の裏蓋とムーブの接触不良が原因ではないかと思われる。バンドを外し、精密ドライバーで裏蓋を外す。直径1mmもない3本のスプリングと裏蓋が接触するようになっている。スプリングと裏蓋側のスプリングが接触する部分をアルコールで拭く。その後AC端子をショートさせてリセットさせてから裏蓋を閉めるとまたopen表示となってしまう。目も疲れたので一旦止め、2時間ほど薪運び をする。いよいよ冬の準備である。

昼食後は上京の疲れが出たのか1時間半ほど昼寝した後に再度裏蓋を開ける。何回もリセットさせてから蓋を閉めてみるが直らぬが、ここは落ち着いてよくよく観察すると金色の細いスプリングと接する裏蓋に貼り付けてある同色の金属板がほんの僅かにずれているように見える。接着剤で止まっているのだが、ピンセットで動かしたら少し動いた。リセットしてから裏蓋を閉めたら反応があり、電波受信表示となった。やれやれ直った。まことにメデタイことであった。

 

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東の都へ

8・9・10日と東の都へ行って来た。
8日は朝早いバスで上京し、大叔母の見舞いに行く。大叔母は御年93才。一昨年から一人暮らしが辛くなったと老人ホームに入っている。5〜6年前には我が家が見たいと一人で遊びに来るくらい元気であったが、さすがに大分惚けが出てきた様子である。ワタシや18年前に亡くなったお袋のことはよく覚えているのだが、さっき話したムスコやムスメのことは一瞬で忘れてしまうようだ。目の前には隅田川、その向こうに高速道路やスカイ・ツリー・タワーという田舎ではお目にかかれない景色を眺めながら2時間ほど一緒にいるが、子供達のことを20回は聞かれた。まあ歳だから仕方ないのだが、暗い気持ちになる。
その後、ドクトル・イタバシのクリニックに寄り、彼の診察室が空いていたのでウトウト。3時過ぎに診療を終えたドクトルと例の『酒飲みの天国こと京成立石』に行く。生憎旗日でモツ焼き屋も立ち食い寿司も閉まっていたが、『鳥房』という鶏の丸揚げで有名な店が開いていた。まだ3時半だというのに12畳ほどの座敷もカウンターもぎゅうぎゅう積めであるが、何とか2人分の席を店のオネーサン(ま、70は超していらっしゃると思われる恐ろしく威勢の良い方々が4〜5名が注文を取ってくれる。まごまごしていると怒られる)が作ってくれる。「鶏の丸揚げ」「鶏のポン酢」「鶏サラダ」「お新香」とビールを頼む。「鶏ポン酢」は半生の鶏肉にネギとニンニクを刻んだのとポン酢が和えてある。旨い!ビールが進む。付き出しの「鶏皮煮」や「お新香」、「鶏サラダ」をつまみながら待つこと20分ほど、「鶏の丸揚げ」が来る。鶏半羽を丸揚げしてあるのだが、でかい!オネーサンが手際よく食べやすいように分解してくれる。夢中でかぶりつく。旨い!2人で3本のビールなのに腹が苦しくなる。

鶏丸揚げ

鶏ポン酢

それにしても凄い人気の店だ。客層は常連風、若いオカーサン同士の子連れ、観光客風と雑多で、ワタシの隣に肩を接して鶏にむしゃぶりついていたのはどう見てもまだ20才そこそこのキャバクラ嬢風(キャバクラには行ったことがないので本当は知らないのだがはではでオネーサン)と厳つい顔をしたキャバクラ常連?親爺風であった。腹と痺れた足をさすりながら外に出ると行列が10人ほども出来ていた。

次は北千住に新しく開店した『イタリアン・ダイニング・バー』に移動。ドクトル・イタバシの友人ドクトルと合流する。何でもサラリーマンを辞めてから医学部に入り直し50才で精神科の医者となった御目出度い人とのこと。店舗改装のデザイン・プレぜーションを頼まれる。元々が純喫茶の店であったのを『イタリアン・ダイニング・バー』、それもJAZZの生演奏が入る店へと改装するのだからなかなか難しい。ウィスキーの強炭酸割やバーボンを飲む。24時頃に湯島のホテルに帰る。

9日はさすがに頭が重い。昨夜ホテルにチェックインしたところまでは覚えているのだが・・・シャワーを浴びてから、コーヒー・ジュース・スープを飲んだら元気になる。10時に先月ステンドを納めた懐石料理屋さんを覗く。大将は留守だったが、大将の妹さんが「お客さんに好評ですよ」と言ってくれる。お店の近くで知人と会い、コーヒーを飲みながら1時間半ほど話し、その後新宿に出てホテルの41階という異空間のラウンジにて久しぶりに会うKさんと1時間半ほど話す。今、地震が来たらと何となく落ち着かぬ。おまけに携帯が入らぬ。一旦荷物を吉祥寺のホテルに置いてから古くからの友人2人と会い会食。Rさんとは4〜5年ぶりで楽しい一時を過ごす。Rさんと別れた後、Yさんの家と今夜のホテルが歩いて直ぐの所だったのでもう一杯ずつ飲んで、24時頃ホテルに戻る。

10日は新宿で買い物後、山岳部の先輩カワダさんに会いに彼の会社へ。オフィスでは禁煙となったとのことで近くの喫茶店へ。お嬢さんの結婚が決まったとのことで嬉しそう。山の話しなどをする。相変わらず毎週のように登っている様子。タフな人である。昼食を御馳走になった後、14時過ぎの高速バスに乗り、17時頃帰宅。さすがにこちらは寒い。ストーブを焚く。

今回はお見舞いと仕事の打ち合わせでの上京だったのだが、この3日間、まあ色々な人に会った。久しぶりに話し過ぎて喉が痛くなる。

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アケビ

昨夕の散歩時に、ダリがアケビの木の下に座って動かなかったとムスコがいう。忘れていたがアケビの季節である。もう一年とは早いものだ。ダリは肉食系飼い主とは違って草食系ジジイである。今朝は長い枝を持って散歩に出る。先行したダリは、毎年生る木の下で舌なめずりしながらアケビとワタシの顔を交互に見上げている。可哀相に、奴は今年もまだ木に登るほどには進化していない。長い枝を使って落としてやると果皮の割れ目に鼻先を突っ込んで一瞬で果肉だけ食べる。なるほど、アケビを食う為に鼻面が長く進化したのだと納得する。5〜6個を与え、食べ頃のアケビを帽子に入れて持ち帰る。

アケビの写真を撮ろうと食卓の上に置いたら、デッキのガラス戸に顔を押しつけて、何とも切なげな顔をしてアケビを見つめている。草食系ジジイにとっては年に一度の森からの甘い贈り物なのだろう。

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阿部 薫を聞きながら

ここ数日、デザインを描かねばならず、うんうん言っている。外は秋晴れ、家の中でうんうん言いながら机に向かっているなんぞ以ての外だが、仕事であるから仕方ない。ほぼデザインは出来ているのだが、イマイチ、線が面白くない。気分を変えようとiPadをスピーカーで鳴らす。曲をシャッフルして流すように設定してあるので山口百恵の次にフリージャズが流れたりする。突然もの凄いサックスの音が流れ出す。29才で逝った伝説のサックス奏者、阿部薫である。ライブを聴いたのは70〜71年頃だったと思う。山岳部の先輩であったピース缶爆弾男・マキタヨシアキが渋谷に作った『ステーション70’』でだったと思う。ただただ強烈であった。まだワタシが紅顔の美少年であった頃はフリージャズなんてものは知らなかったからアブナイ人だと思った。

阿部薫

凄い音色である。が、酒を飲まずに聴く音ではない。ましてデザインをやりながら聴く音ではない。ますます描けなくなるが、一度聴き出したら止まらない。iPadをいじってついつい何曲も聴いてしまう。今、生で聴けたらと思う。漸く興奮も収まり、再びトラディショナルを聴きながら描いていたら今度はいきなり田中角栄みたいなだみ声が叫んでいる。あぁ、坂田明である。どうも今日のiPadは仕事の邪魔ばかりする。坂田明を初めて聴いたのは71〜72年頃か、山下洋輔トリオでだった。この時も強烈ではあったが、こちらも既に学生運動の波の中でだいぶ擦れてきていたので興奮した。多分デモの帰りだったと思う。一緒に聴いていたのはスズキコウイチクンだったと思うのだが、帰りにゴールデン街で朝を迎えたのだけは覚えている。スズキコウイチクンは酒田の出身だったが、納豆ばかり食べながら、仕送りは全てジャズのレコード代に充て、大学にはめったに顔を出さずに昼間も下宿のカーテンを閉じてレコードを聴いていた。今はどうしているのだろう。

で、デザインは夕方になってやっと描きあげる。

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