憂鬱な季節

今年もいよいよ憂鬱な季節がやってきた。。朝は明るくなるのが遅くなり、夕方は5時といえば暗くなる。おまけに今日は霧も出ている。残り少ない葉っぱがちょっとの風に舞っていく。

 

21才の秋、谷川岳幽ノ沢で岩登りをしていて15〜20m墜ちた。パートナーのザイル確保で止まったが、頭を打ち、両手指に裂傷を負った。岩を掴むことは出来ず、髪の毛を触っただけで激痛が走る状態だったが、幸い足は大丈夫だった。現場の垂壁の2人がやっと座れる小さなテラスまで引き上げてもらい、ビバークすることになった。痛みで口を開けることも出来ず、パートナーのニシダさんに時々煙草を咥えさせてもらう。それまでたまにしか煙草は吸わなかったが、一口吸うと痛みが少しだけ去るような気がして、一晩でニコチン中毒となった。夜中になって意識が時々混濁して『ちいちいぱっぱ』と歌ったとニシダさんは言うが、それは嘘だと思っている。いや、思いたい。雷雨が来たりで東京からの山岳部OB会の自力救助では間に合わないとの判断で、地元の3つの山岳会14人が救助にあったてくれた。事故から24時間後に稜線からザイルを張り巡らせて最初に下りてきてくれたのが、後に『史上最強の登山家』と呼ばれ、8000m峰14座のうち9座を手中にしながら1989年に冬のマッキンリーで逝った山田昇氏であった。
足は大丈夫だったので、両手をユマールに縛り付け、滑車を使ってハング気味の壁を引き上げてもらい、稜線を挟んで反対側への下山は4本のザイルで確保してもらいながらの下山であったが、不思議と痛みのことは覚えていない。現地の小さな病院で1泊後、東京の大きな総合病院に入院した。怪我は第二頸椎の亀裂骨折と指の筋の断裂であった。頸椎の亀裂骨折はちょっとしたはずみで半身不随になる可能性もあるが、手術を行った場合でも手術による後遺症が出る可能性があるとのことで、ベッドに寝たまま首の牽引を続けて様子を見ることとなった。ただ暫くはベッドの足元に看護婦さんのスカートが触っただけで激痛が走るような状態で、首を牽引されて身動き出来ないまま、ただ天井を見つめているだけだった。主治医のクマクラ先生はいい先生?で、煙草を吸うと痛みが少し和らぐと言うと、特別に病室での喫煙を許可してくれ、天井を見つめたままでも煙草を吸えるように色々工夫してくれたのは後々良かったのか悪かったのか・・・
少しづつ薄皮を剥ぐように痛みもとれ始め、時々は首の牽引をはずして起き上がることも出来るようになったのは秋も終わる頃だった。病室の3階だか4階から見る中庭の木々は紅葉も終わり、段々に散り始めていた。大学帰りに毎日寄ってくれるガールフレンドを窓から待ちながら、日没がどんどん早くなり、景色が殺風景になっていくのが、まだ、いつ半身不随になるかとの恐怖や学業の遅れ等々と相まって何とも憂鬱だった。それ以来、どうもこの時期は駄目である。憂鬱になる。早く雪が降って白くなれと毎年願う。

それにしても主治医のクマクラ先生には大変お世話になった。繊細かつ豪快な先生で、精神的なケアまで本当によくしてくれた。外出許可が出るようになると「酒を飲んだ時どうなるか調べよう」という名目を作り、「看護婦にだけは見つからないように注意してな」と言って、入院中何回か飲み屋に連れて行ってくれた。それは鬱屈した長い入院生活で随分と気分解放となったものである。病院へ戻ると、酒臭さがバレないように廊下の端からナースステーションに大声で「帰りました」と言っては病室に逃げ込んでいた。40年近く前の話とはいえ、病院で煙草も酒も飲ませてくれる医者など今から思うと信じられないような話しである。3ヶ月ほどで退院したが、直ぐに右手の痺れや目眩・ひどい耳鳴りなどの後遺症による再入院、そして卒業して仕事中の車の追突事故で再び首を痛めた時にも大変お世話になった。その後クマクラ先生は神奈川県で整形外科を開業されたが、勿論足は向けて寝ていない。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

山椒

相変わらずデザインが完成せずに苦しんでいる。大体のイメージはあるのだが、あと一歩がなかなか描けない。
朝、ダリ散歩中に山椒の実の様子を見たらそろそろ採り頃となっていたので昼休みに 採る。

採ってきた山椒の黒い実と枝を取り除く作業は結構面倒くさい。これだけ乾いていても油分が凄く、指先は真っ黒になる。暇な時にテレビでも見ながらやる作業だ。

ちょっと枝が混じっているがどうせミルで挽くのでこの位は大丈夫。後はこのままジップ・ロックに入れて冷凍しておき、使う分だけミルで挽いている。売っている山椒とは比べものにならない。山ほど使って作る麻婆豆腐は実に美味い。果たしてセシウムは・・・

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

チーズ

チーズが好きである。昔、ヨーロッパに行った時には背中のザックにパンとサラミと安ワインとチーズを常に入れてあちこち歩いていた。どの国でもチーズとパンとサラミが安くて美味かった。旨いチーズを食べたいと思うが、田舎ではそうそう手に入らないし、毎晩飲むわけであるから経済がもたぬ。

一時店頭から消えたプロセス・チーズが最近は時々安売りされている。そこでカミサンにねだってまとめて数本買ってはシノブクンから回ってきた燻製機で燻製にしておく。チーズの燻製はソミュール液に浸けたりなんだりしないで済むし2〜3時間で出来るので、ストックが無くなったらすぐに3〜4本作っておく。ミルで挽いた黒胡椒をまぶしてから燻製にすると更に美味い。

 

燻製チーズの横にあるのはチーズ煎餅。これはプロセスチーズを5mm位の厚さに切り、それをまた半分の大きさに切り、チリパウダーやバジルでも振りかけてからクッキング・シートに並べてチンしたもの。枚数にもよるが1分前後で5〜6枚出来る。すぐに出来るので不意の客の時、取り敢えずの肴となる。これで一杯やるのが至福の時である。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

ヤノナミガタチビタマムシ

この辺の欅が秋口から焦げ茶色のままで紅葉しないので不思議に思っていたら、今日の新聞に欅の木の異変について載っていた。何でも『ヤノナミガタチビタマムシ』とかいう虫の食害だという。ただし『ナラ枯れ』のように木が枯れる心配はないとのことで、2〜3年で元に戻るらしい。
それにしても『ヤノナミガタチビタマムシ』なんて名前を誰がつけたのかと思う。『矢野さんが見つけた波形小型玉虫』なのであろうか。息子の愛読書「へんないきもの」の「命名者出てこい」というページを開くと、『トゲアリトゲナシトゲトゲ』やら『イレズミコンニャクアジ』やら『ウルトラマンボヤ』、はては『ヨーロッパタヌキブンブク』なんてのもいるらしい。いや、キーボードを打つのも面倒臭い名前のがいる。それに較べればまだマシではあるが。「学問的厳格さをあくまで遂行しようとする几帳面さと、社会的センスの欠如を合わせもつ、いわゆる『学者バカ』の特性をよく象徴しているようにも思える」と著者も書いている。

もう40年近く前に知人宅で居候していた時、奥さんが、子供が発熱したので病院に連れて行ったところ『手足口病』と言われて絶句したといって帰ってきた。確かに手足口に発疹があったがいくら何でも手抜きの病名だ。きっと医者が集まって何て病名にしますかねと喧々ガクガクの議論の末、面倒臭くなってそのものズバリにしたに違いないとその晩皆で笑った覚えがある。センスなさ過ぎである。

そろそろ見納めだ。

昨日までの雨でキノコが出ていないか裏庭を見たが、今朝6時過ぎのダリ散歩時には確かに出ていなかったヒラタケが午後2時にはワッと出ていた。それも傘の大きさが7〜8cmもある。そんなバカなと思うが本当なのである。キノコはエライのである。

 

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

錦秋

日本間とギャラリーの丸窓のステンドのデザインを描いているが、なかなか思うような線が画けない。ついアトリエの窓の外に眼がいってしまう。一刻一刻色が変わる。

外ではダリが「そろそろ午後の散歩に行きやしょうぜ」と吠えている。いつもの散歩道を歩く。毎日一二度歩くが景色が毎日変わる。紅葉が始まってから気温が高く、風が吹かないせいか例年より長く続いているような気がする。明日からは天気が崩れるらしいが。

葉っぱが落ちて日暮れが早くなると毎年ウツになるので、落ちる前に雪が積もってくれないかと毎年思う。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個