JAZZ宴会

昨日の話。朝、カミサンの所属しているトラッド・ジャズ・ファミリーの事務局長のタカシさんから電話。「午後2時からチヨヘイさんの趣味の部屋にて宴会。各自酒とつまみを持って集まられたし!」

チヨヘイさんは70才位?建具屋さんで、我が家のもみじの板を使った玄関ドアに変わった形のステンドを入れるための面倒くさい溝を掘って、分厚いドアを作ってくれた。

仕事場でジャズをガンガンかけながら障子や建具を作っている。昔、ジャズがやりたくて独学でサックスを吹き始め、今60前後の富士見のジャズ好きの連中を育てた人。宴会はチヨヘイさんがその連中が集まれる場として作った小屋?にて。結構なオーディオに、棚には大層な枚数のクラシック・JAZZ、演歌のLPやCD、各種ラッパ類に電子ピアノやボンゴまである。なんでもカミサンのピアノとのセッションをやりたいとのこと。カミサンで良ければどうぞどうぞお貸し致します。

タカシさんとハガさんは息子の同級生の親。タカシさんは演奏はしないが事務局長として裏方を支えている。キノコ採り名人で、今はサラリーマンをやっているが絵描きを目指したこともあり、いい絵を描く。ハガさんはベース担当。精密工場をやっている。最近ウッドベースを手に入れ、何よりも乗れる演奏・いい音を出す。タッチャン。鉄工場の親父さん。私と同い年で息子の憧れのサックス・マン。富士見町のジャズ・バンドや吹奏楽団を長い間引っ張ってきた人。とにかくいい音色を出す。彼の『ひまわり』のソロを始めて聞いた時、涙が出そうになった。そして私。楽器はもとより、歌なんぞ歌おうものなら自分の頭も痛くなる。体系的にジャズなど聞こうとも思わぬが、仕事中や運転中は無いと淋しい。70年代に『山下洋輔トリオ』を聴いてショックを受ける。強いて言えばフリー・ジャズとサックスの音色が好きである。で、今日はカミサンの『ジャズ夜遊び』を許す寛大なダンナとしてお呼ばれしたわけだ。

ジャズを聴きながら持ち寄った各種の酒を飲む。余所者として富士見に住み着いて30数年になるが、息子やカミサンのお陰で数年前に知り合った楽しい連中だ。ジャズ談義に始まり、オーディオ自慢が始まる。実は私は富士見に住み着く前、2年10ヶ月、知る人ぞ知るさるオーディオ・メーカーにいたことがある。たまたまその会社が実家から歩いても通える距離にあったから入社試験を受けた。尤も優良社員だか不良社員だか、出社したのは通算10ヶ月少々。色々あって2年10ヶ月、給料はもとよりボーナスまでも貰っていたのだ。でもって、オーディオには全く興味なし。アルテックとかタンノイのスピーカーがうんたら、やれシュアーがなんたら聞こえてくる。そう言えば昔聞いたような気もする・・・

隣に座ったタッチャン相手に「富士見のこんなベスト・メンバーで こんな曲やってよ」、「タッチャンが作る本格カレー屋兼JAZZ BARをやろうよ」、果ては「譜面通りのジャズなんてちっとも楽しくないよ。やっぱ音色だよ」と言いたい放題の楽しい宴会は続くのだった。

 

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秋色秋味

秋晴れが続いている。家の周りの景色が全て黄色く染まっている。カメラを向けるがどうしても本当の色にはならない。

先日、シュウジさんが岐阜の実家でもいで来た次郎柿を届けてくれる。高校生の頃、生徒会のビラ作りでクボタくんの家に泊まった。当然、ぼく会長、かれ副会長だ。夜、彼の兄貴が酒を飲ませてくれた。兄貴は大学の哲学研究会に入っていて、何やら小難しい議論をふっかけてくる。夜遅くまで飲んでいい調子で寝た。翌朝早くクボタくんに起こされた。「散歩に行こう」という。何でも彼は徹夜で勉強していたとぬかす。だから可哀相に今は東大医学部教授とかいう全くもって肩の凝りそうな肩書きなのである。散歩していたら近所の家に柿がたわわに実っている。「見張ってろ」と言って電柱に登って一個を投げ下ろし、もう一個を口に咥えた瞬間、口中に渋が回った。夕方まで口がしびれていた。それ以来次郎柿しか食わない。

また先日には和歌山の姪ッ子が嫁いだ農園(蔵光農園)から由良早生という品種の温州みかんが届く。

子供の頃は手が黄色くなる程食べたものだが、最近は甘さだけでぼやけた味や、酸っぱすぎる蜜柑が多くあまり食べなくなっていた。これは甘さと酸味のバランスが絶妙である。姪ッ子の義父が大切に大切に育ててきた樹になった蜜柑だが、台風12号の被害で(本当はダム管理による人災のようだが)今年の収穫は例年より随分と少なかったようだ。低農薬だしワックスもかかっていないから見た目はつやつやしていないが蜜柑本来の味だ。

 

Blogに政治的なことは書かないようにしているつもりだが、今TPP参加問題で混迷している。当然農家は反対しているが、この農家の中でも安全で美味しい米や野菜や果物を作っているプライドを持った農家とそうでない農家があることは今では消費者誰もが知っている事実だ。こちらに移住してきた30数年前、近所の農家に野菜をもらいに行くと「そっちの畑のは出荷用だからそんなもん食い続けたらガンになっちまう。こっちのは消毒してないから大丈夫。」と自家消費用の野菜と完全に分離して作っていることを始めて目の当たりにした時の驚きは今でも忘れない。或いは米を作っている兼業農家の田植えを手伝った時にも驚いた。バイト代に秋になったら米一俵くれと言ったら「こんなもの不味くて食えないぞ」と言ってお金をくれた。自分で作った米は全て出荷して、自分ではお金を出してもっと美味い米を買っているというのだ。「会社忙しくて米なんかに手を掛けられない」とこの兼業農家の主は言った。こんな経済構造に誰がしたのだろうか。

ブランド米に走り、真っ直ぐなキュウリや見た目の綺麗な野菜や果物を求め、臭いからと切り身の魚を買い、今になってから自然農法野菜だエコだと騒いでいる消費者、畑や山を切り崩して作ったゴルフ場経営者、廃液を垂れ流し漁場を殺した企業、巨大化し過ぎた農協、放射能をばらまく原子力発電所、農家を票田としてしか見なかった政治屋共。自らを含めて農業や漁業を駄目にした責任は誰も負わない。そんな中で聞く今のTPPの議論は空疎に聞こえる。どちらにしても『覚悟』をもって選択するべき問題だと思う。

ついでに言えば、いくら防衛費を増やそうが食料も自給出来ない国が「美しい国、日本」になぞならぬことは自明の理である。

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与太話  夜泣き・疳の虫に宇津救命丸

槍・穂高

今日は白くなった槍・穂高が綺麗に見えた。ぐずぐずしている間に冬山となった。それにしても八ヶ岳を撮っても北アを撮っても電柱や電線が入らない場所は少ない。それらを避ける為に走り廻る根性はないし・・・

 

先日、家族で話していて笑った。愚息がまだハイハイしていた頃だが、夜泣きがひどかった。毎晩うるさい。そこで宇津救命丸を飲ませていたのだがちっとも効果がなかった。ある日、昼寝していたはずの愚息が顔を赤くしてやけにハイになっている。ひょっと見るとカミサンが育児用具を入れていたマザーズバッグの近くに『宇津救命丸』が入っていた小さな容器がころがり出ている。しかもまだそれほど使っていないはずの中身の小さな丸薬が全てなくなっていた。1回に数粒を飲ませるのだが、愚息はこれが大好物で毎回嬉しそうに飲んでいたのだ。どうも親の眼を盗んで豪快一気飲みをしたらしい。手を叩いたりご機嫌な愚息の前で慌てて宇津救命丸のお客様相談室に電話すると「宇津救命丸は安全性が確かめられているので、多量に誤飲しても大丈夫です。多めに水でも飲ませて下さい」とのこと。これって??? それで本当に効き目があるの?

取り敢えず多めに水を飲ませて様子を見たのだが、数時間後には赤い顔も 元に戻り、ハイ状態も落ち着いてホッとした。ところがこれが効果てきめんだったのである。その夜から嘘のように夜泣きがピタッと止まった。凄いものである。
それ以降小さな子供の夜泣きに悩まされる若いお母さん方に「宇津救命丸の大量投与」「一気飲み」を勧めたのだが、幸いというかまだ実験したとは聞かない。ついでに言えば3才下の娘は良くしたもので夜泣きも疳の虫もなかったので実験には至らなかった。

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西の都へ

先週の東の都に続いて、昨日から1泊で京都に行ってきた。日曜日だというのに学校の自習室の方が勉強がはかどるからと言う息子を駅に送り、そのまま生憎の曇り空の中を大人走りの90Km以下で京都を目指す。途中音楽を聞こうとiPodに繋げたラジオをつけたらいきなり『なのに貴方は京都へ行くの、京都の街はそれほどいいの〜』と渚ゆう子の懐かしい歌が流れ思わず笑ってしまった。そう言えば一緒によく岩登りをやった京大10年生の今は亡き中村のタッチャンがこの歌が好きで、雨の涸沢のテントの中で『〜なのに貴方は穂高に行くの、穂高の岩はそれほどいいの〜この私の愛よりも〜』とよく歌っていたのを思い出す。

何とか降られずに京都に着き、ホテルに車を置いてから、四条烏丸のジュンク堂で本を探すが欲しい本が見あたらず。ぶらぶらと歩いていたら寺町通りの一度閉店した煙草屋「錦玉堂」が小さくなってまた開いていた。田舎では手に入らない禁断の洋物を購入。隣のフミアキさんが行き始めた禁煙外来に私もそろそろと思い始めているので、その前に美味い・・・

今回の京都行きは大変お世話になった方が入院され、丁度一時退院されているのでそのお見舞いであったが、 残念ながら急に疲れが出てしまったとのことでお会い出来ず。お大事に。奥様から様子を伺った後、「折角いらして下さったのだから夕食をご一緒に」と言って下さる。何度も遠慮したのだが大丈夫だからと藍染め作家のシオコさんと共に美味しいおばんざいのお店に連れて行って下さる。京北の京野菜を使った美味しい料理の数々をいただく。

お二人と別れた後、やはりここに寄る。

京都に来たらクマシロさんの笑顔を見なければ。11月8日からの、もう20年も続けている毎年の個展に向けて今は追い込み時期。今日も窯に火を入れて来たとのこと。昼間は花脊で一人無言で作陶に励み、夜は街に下りてきてお客さんと会話を楽しむというスタンスがとても自分に合っていると言う。羨ましい生き方。それにしてもクマシロさんは若い。6月に来た時にもここで会った美女も交えて会話を楽しむ。
「はい、これ息子さんへのプレゼント」と言って『Live&Let Live-Love For Japan』とLee Konitzの『Live at Birdland』のCDを下さる。いつもありがとうございます。

一度家に戻った奥様も再びいらして、彼女が最近描きだしたというパステル画のスケッチブックを見せてくれる。なかなか素敵な絵。

バーボンを飲んでいたのだが「ちょっと強いの飲んでみない」と注いでくれたブッカーズ(63度以上)が美味しく、つい2杯飲んで立ち上がったらクラッと来た。忙しい時に遅くまですみませんでした。個展の盛会を祈っています。

雨が結構降っていたが酔い覚ましにとぶらぶらと歩く。雨の都は人通りもなく路地から路地を拾って歩き、気が付いたら三条京阪駅だった。靴も浸みてきたのでタクシーでホテルに戻る。

 

今朝はさすがに疲れが出たのか7時過ぎまでぐっすり眠る。せっかくの京都で何処か寄ろうかとも思うが、まだ紅葉には早いし、今夜はカミサン達のJAZZグループの演奏会があるとかで、子供の迎えをせねばならぬ。9時にホテルを出てのんびり走る。米原あたりから急に晴れてきて暑い。独身の頃は京都の帰りはいつも北陸まわりだった。山中温泉や金沢の友人宅に転がり込んで家に帰り着くには4〜5日かかったものだが、家庭を持つ身となってはそうもいかない。信州に住んでいると何時も山が見えるのだが、広い広い濃尾平野を走り中央道へ。景色は段々と紅葉に変わる。伊北ICを過ぎたあたりから高速道に落ち葉が舞うようになる。前の車が巻き上げる色とりどりの落ち葉が眼前に迫り何とも楽しい。2時過ぎに帰り着いた家の周りの紅葉も一段と進んでいた。

 

 

 

 

 

 

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初霜

今朝は05時半で−1℃、初霜が降りた。

ダリ散歩道も紅葉真っ盛りで、カエデも赤く染まった。

もうすぐ冬だが、その前に一番嫌いな晩秋がある。

午前中に、設計士さんから青山のバーの看板の無事セッティング完了のメールが入る。ホッ!

ベースの反対側は正面看板とは違ったピアノのデザイン。正面の青・緑・黄色・オレンジはこのバーのイメージ・カラーだ。

 

 

 

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