台風12号

台風12号による豪雨は断続的にまだ続いている。鋭角に交わる二つの川の合流点に立地している我が家のこと、みな心配して電話をくれる。夜中にこの家に引っ越してからの12年間で一番増水したようだ。普段は流れていない庭側の河原の葦や草が全て水流によって倒され寝ていた。凄いものだ。ただしこの川は急な直線的な川であり、また100m置きくらいに堰堤があるので、大雨でも止んで1時間もすると直ぐに水位は下がる。

数日前には紀伊半島から伊勢湾あたりに上陸後、長野県を直撃かと思われたが、西に逸れたのでこちらは助かったが、姪が嫁いだ和歌山日高川町では増水や山崩れによる被害が甚大な様子で、姪も今朝方には急な増水で避難したとの連絡が姉を通じて入る。昨年末、ダンナともども都会でのサラリーマン生活をやめ、和歌山のダンナの故郷にてカーネーション・梅・蜜柑栽培を始めたばかりである。車で避難途中、増水で動かなくなり窓から脱出したとのこと。午後になって戻った家は無事だったが、畑は水に浸かって駄目とのこと。

全く、今年は何という年なのだろう。

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出張料理人

昨日、ガキの頃からの親友クボタくんが来宅。クボタくんは東大医学部教授というエライ肩書きの人であるが、我が家では皆、出張料理人と思っている。年に一二度来る。彼が来るとなると、先ず前日に一升瓶3本が宅配便で届く。で、来宅当日、彼は朝から山手線は御徒町駅前の『吉池』で大量の新鮮な魚を買い込みキャリーバックをゴロゴロ引きながら「特急あずさ」でやって来る。着いて一服すると直ぐに料理に取り掛かる。魚をどんどん捌く。カミサンは何もしなくてよいのでニコニコしている。

昨夜のメニューはイワシ・アジ・白イカ・赤身・中トロ・ブリ・タコ・カニ身・白エビ・イクラと食べきれるのかと思うほど大量のお造りとメバルのスープ。メバルのスープは彼のオリジナルなのだが、メバルを3枚におろしてから焦げ目が付くくらい焼いて、水に戻しておいた貝柱とともにぐつぐつと煮てスープを作る。次に炒めておいたタマネギと、何と出張先のボストンで買って来たという干しナマコやカニの身などを加えてから牛乳と小麦粉でとろみを付けた身体にやさしいクラムチャウダーなのだ。

何時になく早く帰ってきた子供達も揃い夕食である。先ず、メバルのスープ。アサリやハマグリより優しい味で、身体に染みわたる。旨い。それにしても干しナマコを5日も掛けて戻し、タッパーに入れて持って来るのだからエライ人なのである。
さてお造り。食べきれるのかと思うほどであったが、前日届いた愛知の銘酒、蓬莱泉の『可』べしと共に食す。旨い。青魚が特に旨い。あっと言う間に食べ尽くし、お造りの追加をする始末。
また『可』もいつもの事ながら旨い。冷やでスッキリしてお造りに合う。どんどん飲む。
家族全員、至福の時である。

でもって、勿論クボタくんに足を向けて寝てはいない。

 

そして今日26日。どうも天気が落ち着かない。日が差したと思うと急に降り出したりする。 午後からクボタくんと近くの日帰り温泉「鹿の湯」へ。ゆっくり浸かって今夜の宴会への鋭気を養う。帰ってクボタくんがなにやらごそごそと台所でやっている。明日の夕食用の『鳥肉の赤ワイン煮』を作っている由。明日の午前中には帰京すると言っていた筈である。どうも置き土産のようである。

夜7時から9月1日実施予定の小学校学校登山に同行して下さるボランティア保護者とガイド、教職員の打ち合わせ。今年も20名近くのボランティアが集まってくれた。早くに会議が終わったので8時前に帰宅。

今夜も魚で宴会だ。

ブリ・タコ・ 白イカ・白エビ・中トロにブリの皮の照り焼き、昨夜作っておいたシメサバの炙り、そして鯨の尾の身。 う〜ん、旨い。

家庭教育が良すぎたのか子供達は無類の魚好き。息子などは小学生の頃から魚市場で食べてみたい魚を小遣いで買おうとした。あっと言う間に皿の空白地帯が広がる。こうなるとこちらももうノンビリ飲みながら、などとはいっていられない。負けじとガンガン飲みどんどん喰らう。また一升瓶が空になった。

デザートにはカミサンがコーラスでお世話になっているサイトウさん手作りの『カボチャのアイスクリーム』。これまたカボチャのほんのりとした甘みが何とも優しい。

 

酔っぱらった頭に息子とカミサンのサックスとピアノ共演が鳴り響く。今宵も楽しい宴会であった。

 

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高妻山

8月14日夜、山岳部OBのカワダさん来宅。翌15日に戸隠連山の高妻山に行くことにする。二人とも『日本百名山』ハンターではないが、北信の山は以前やはりカワダさんと春に行った火打岳しか知らないし、我が家から結構遠いのでこういう機会にしか登れない。朝、4時に起きることにして寝るが、ここのところ睡眠不足が続いていたのでガッチリ寝ようと睡眠薬を飲んで寝る。

15日。ハッと目覚めると4時半。どうも睡眠薬が効きすぎたようだ。慌てて飛び起きるとカワダさんは既に一人で朝食を摂っていた。5時過ぎにカワダさんの車で出発。140km近く走って7時過ぎに登山口のある戸隠キャンプ場に到着。もの凄い数のテントやキャンピングカーにびっくり。原発事故のせいか、今年は海より山らしい。登山者用駐車場をえらく遠い所に指定されたりで時間を喰い、登山口発8時と予定より1時間遅れて大洞沢コースを登り出すが天気は曇りで蒸し暑い。大洞沢を何度か徒渉して鎖場を超えて尾根に上がるがもう汗びっしょり。五地蔵山まで登ってやっと高妻山が見える。登山口からの標高差は1200m弱の山だが、五地蔵からはきついアップダウンの繰り返しでなかなか標高を稼げないし、稜線でも風が吹かずにとにかく暑い。いい加減イヤになった頃、バテバテになってほぼコースタイムで頂上到着。


頂上直下にてコーヒーを淹れて昼食。13時半、下り出すが、膝はガクガク、足首は固くきつい。下りより登りの方が楽な位。ようやく中間点の五地蔵山に15時到着。ここから登りに使った大洞沢コースと分かれ戸隠のペンションの親爺さんが拓いたという弥勒尾根新道を下る。大洞沢コースと違ってこちらは尾根を一直線に下るが、足下が土でクッションは良い。但しこちらも樹林帯の中の結構急な下り。カワダさんはスタスタ下るが、こちらは足首が痛くてヨチヨチ下る。1ピッチ下った頃から雨が降り出すが樹林帯の中なので濡れないが相変わらず蒸し暑い。下りの早いカワダさんは先行して、登山口近くまで車を取って来てもらうこととして分かれる。2週間前に八ヶ岳の西岳に登っているのでここまで足に来るとは思っていなかった。そう言えば子供達が夏休みになり、ダリ散歩も子供達に任せて家から一歩も出ずに仕事する『土踏まず』の生活が続いていたと反省。漸く尾根を下り切り、戸隠牧場の一角に到着。急に強くなった雨脚に傘をさして、牛の群れに睨まれながら待ち合わせの駐車場に17時少し前に到着。ヤレヤレ真夏の行動時間9時間、それも8時からではきつかった。自販機でペットボトルの冷たいお茶を求めて一気飲みする。帰りは戸隠中社の日帰り温泉で汗を流してから再び信濃町ICまで戻って高速に入るが、諏訪湖の花火大会のせいか岡谷ICから諏訪湖SAまで渋滞していて通過に1時間以上かかる。21時過ぎにやっと帰り着き夕食。この山は真夏ではなく、春先か秋に登る山である。

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憂鬱な季節

住んでいる富士見町は『富士見高原』を控えて、一応『観光地』の端っくれである。今年はやけに暑いが、標高が1000m以上であるからして観光客や別荘族も多い。となると5月のGWと8月のお盆シーズンは結構な数の県外者が来る。それも殆どが車で来る。で、どうなるかというと先ず運転マナーが悪くなる。JAスーパーや西友スーパーの駐車場では枠線を跨いで平気で駐める。駅前では出入り口の真ん前に止めて家族だか知り合いの送迎をするものだから渋滞する。農道でも町道でも県道でも景色が良ければノロノロ走ったり、いきなりウィンカーも出さずに停まって写真を撮り出す。かと思うと車が少ない道路に驚喜したかの如くメチャクチャなスピードで飛ばす。迷惑である。危なくて仕方ない。
最近少しは良くなったけれど、河原でのバーベキューの後、食べ残しやゴミが散乱している。果ては川でシャンプーで犬を洗っている。日釣り券を売りに行くと「じゃあ止める」とその場では止めても直ぐにまた釣り始める。農家の無人販売所ではお金を入れずに持ち去る人が後を絶たないという。それどころか道端の畑のトウモロコシやレタス、キャベツ、キュウリまで持っていかれると嘆く。目に余る。いい加減にせい『観光客』『別荘族』と言いたくなる。

時々穏やかに注意する。と、子供や奥方の前で注意されたことが気にくわないのか、親父が怒り出すこともしばしばである。最近、そういう時にはこちらも遠慮せずに子供や奥方の前で 『徹底的』に『教育』することにしている。

これから一週間、憂鬱な季節が続く。

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懐かしい照明器具

先日『樹木希林の骨董珍道中』という番組をBSでやっていた。京都東寺の骨董市を見て回ったり骨董収集家のお宅を見せてもらったりの番組だったが、最後に樹木希林氏のお宅が映った。リフォームされてはいたがコンクリート打ちっ放しの部屋で、そこにもう30数年前に作った私の照明器具が今でも使われていた。

30年数年ほど前、独学でステンドグラスを覚えて色々作っていたけれどまだ売れず、月に10日ほど私のゼミ教授カトウさんの小学校時代からの無二の親友、松本のペンキ屋のモモセさんの所に泊めてもらっては松本平でペンキ塗りのアルバイトをしていた。そんな折り、高校時代の同級生のジュン君から電話があり「仕事ある?」と聞かれ「まるで無し」と答えると「じゃあ今度上京したら仕事くれそうな僕の知り合いをあちこち紹介するよ」と言ってくれた。その当時ジュン君は東大法学部のドクター3年生だったけれど、歌を作ったり小説を書いたり何かわけの分からないことを色々やっていて、その交際範囲は政財界から芸能界までとにかく広かった。で、上京すると2週間朝から夜中まで彼の車で都内中を走り回り、何十人もの人を紹介してくれた。その中に女優の風吹ジュンさんがいて、持っていた卓上ランプを見て気に入ってくれた。翌日彼女が所属していた事務所に連れて行ってくれたのだが、その事務所の社長が樹木希林さんだった。事務所の2階が住居となっていて、コンクリート打ちっ放し、床は黒御影石、窓枠は赤というモダンな住居だったが、どういうわけか照明器具が全てロココ調で希林さんの言うようにイマイチちぐはぐだった。「貴方だったらこの部屋の照明はどんなのが似合うと思う?」と聞かれ「コンクリート打ちっ放しで寒々しい感じがするので、海のなかから太陽を見上げたような感じに光りと影で演出する」と答えたら「家中の照明器具をぜぇ〜んぶ作って」と、ものの5分も話さないうちに初めての大きな注文をいただいた。

それがきっかけで希林さんや彼女のマネージャーのイトウさんには随分とお世話になった。ある時には「御馳走してあげるから遊びに来ない」とのお誘いにノコノコ伺ったらお見合いさせられたこともあった。故あってお断りしたのだが・・・京都での初個展時には案内状に私の作品の紹介を書いて下さったり、京都まで来て下さってオープニングにはスピーチもして下さった。30数年経っても使って下さっているのを見て嬉しかった。随分とご無沙汰してしまったが、当然希林さんの方向にも足を向けて寝てはいない。

その後も風吹ジュンさんが女優仲間を紹介してくれ、幾人かの女優さんから仕事をいただいた。向田邦子氏も台湾へ出発する少し前に紹介してくれた。帰ったら照明器具やステンドグラスを作って欲しいと頼まれていたのだが残念であった。風吹ジュンさんとは歳も一緒で気安かったのか、女優さん一人ではなかなか行きにくかった小劇団や、もう死語となったアングラ劇団などを観に一緒に行った。彼女の結婚パーティーでは「女優さんと一緒の席にして」との頼みに、いしだあゆみ氏・加賀まりこ氏・加藤治子氏・八千草薫氏などと同じテーブルにしてくれ、帰りにはそっと封筒を手渡してくれた。「わざわざ遠くからごめんね」との手紙と私の懐を気遣っての交通費が入っていた。やはりご無沙汰しているが勿論足を向けて寝てはいない。

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