また雪かき

朝、何時ものように5時に起きて新聞を取りに玄関に行くと凄い勢いで細かい雪が降っている。こりゃ雪かきの出払いがあるかもと着替えてコーヒーを飲みながら有線放送を待つ。05時半ぴったりに「早朝よりご苦労様ですが各常会の帳場の雪かきをお願い致します」との放送。真っ暗な中、雪かきスコップを持って歩き始める。隣のフミアキさんの家の電気が点いていない。さては放送を聞き逃してまだ寝ているなと玄関チャイムを鳴らして起こす。(お節介かもしれないけれど雪かきに出ないと出不足料を取られるからね)慌てて着替えて来たフミアキさんと帳場まで登る。昨夜は降っていなかったので皆安心していたのか出足が遅い。トラクターを期待するがヨネサクさんが本日は現れない。06時30分頃に帳場の雪かきが終わり出欠を取って解散。急いで帰って朝食を摂ってから下の子を中学まで送り、先週土曜日の卒業式の代休の上の子が耳が痛いと言うので茅野の総合病院の耳鼻咽喉科までまだ除雪の終わっていない道をノロノロ走って連れて行く。8時には着いて耳鼻咽喉科の診察順番は一番だったが「この天気ですから先生が来るのが遅れています」と受付が平然と言う。「この天気なら早く出てくりゃいいだろう」とつい言いたくなるのを我慢する。後で息子に聞いたら、30分以上遅れて診察を始めた若い女医は謝りもせずに診察を開始した由。医者も客(患者)あっての商売、遅れたらやはり一言謝るのが礼儀ではと思う。最近は特に若い医者に横柄なのが多いように思うのだが・・・。「風邪から来る喉の痛みが耳にも出た」との診断で本当にこれ全部飲むの?というほどの薬が出る。う〜ん。

ちょっと買い物をして昼前に帰り着き、急いで昼食を摂ってから、気温が上がって大粒になった雪がガンガン降るなか、除雪機を掛ける。県道に繋がる町道をヨシアキさんが除雪しておいてくれたので今日は2時間ほどで終わる。30〜40cmの積雪だが、気温が上がって重い雪となっていて除雪機が時々スタックして疲れる。ここ3〜4日は肉体労働続きに病院まで行ったのでさすがに疲れる。病院に行くというのは自分が診察を受けなくても本当に疲れる。病院には病気の『気』が充満しているからかしら。とすると医者というのは随分とタフな存在だなとつくづく思う。

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三峰山

朝から快晴。07時過ぎに中央道原PAにて東京組のカワダさんとカワダさんの高校山岳部時代からの友人のヤスダさんと待ち合わせ、諏訪のコンビニで買い物後、一路R142をビーナスラインとの合流点へ。08時半頃、カワダさんと私はスキーシールで、ヤスダさんはスノーシューで出発。雲一つ無い天気。気温は高め。途中浅間山が綺麗に見える。

浅間山                                      

冬期通行止めのビーナスラインを話しながら登る。締まった雪の上に新雪が7〜8cm程度でラッセルの必要はなく、きわめて快適。昨日の薪運びの疲れもこの天気に吹き飛ぶ。閉鎖中のドライブインまでビーナスラインを行くつもりだったが最後のヘアピンカーブの手前から景色見たさに稜線に上がる。稜線に上がって思わず歓声。北アルプス・南アルプス・中央アルプス・御嶽・富士山・八ヶ岳とそれこそ県内の主立った全ての山が見える。途中2回の休憩を取りながら11時半に三峰山に到着。頂上はさすがに少し強い風が吹いていたが360度の景色に見とれる。

鹿島槍と五龍岳

 

槍ヶ岳と常念岳

穂高

ヤスダさんと

頂上からの景色を存分に楽しんだ後、シールを剥がして少し下って小さい雪庇の下で風を避けて昼食。コンロでお湯を沸かしてカップ味噌汁やカップヌードルとコンビニのおにぎりを食べた後、ドリップ・コーヒーをいれる。この景色の中でのんびり味わうコーヒーは格別。それにしてもカワダさんやヤスダさんと共に行く山は何時も快晴に恵まれる。

ヤスダさんとカワダさん。雪庇の下で美味いコーヒー!

ゆっくりの昼食後はお楽しみのスキー。12時半に滑り始める。雪は締まった雪の上に20〜30cmのパウダー。気持ちよくスキーが回る。思い思いにシュプールを刻む。

あっと思う間にビーナスラインまで滑り降りてしまう。さて展望ドライブインまではシールを貼らずに少し登って、そこからは一気に滑り降りられるかと思ったが、あにはからんや雪が腐ってきて板が滑らない。半分はストックで漕いでの下りとなる。それでも13時半過ぎには車を駐めたビーナスライン入り口まで帰って来る。

帰りは上諏訪温泉の片倉館へ。片倉館は製糸業が全盛の昭和3年に建てられた女工さん達の福利厚生施設で胸までの深さがある千人風呂で有名です。20数年前、この建物が諏訪市指定文化財に指定されたのを機に、洗い場に設置してあったステンドグラスの修理・復元を依頼されました。男湯・女湯の洗い場に一対のステンドグラスと二つの浴槽を隔てる壁の上のステンドグラスの3枚です。男湯のステンドグラスは破損して無くなっており、女湯のステンドグラスは鉛レールが腐食し、湾曲して所々色ガラスが無くなっていました。昭和3年施工のステンドグラスですから湯垢で真っ白になっているガラス片を磨き、無くなっている部分のガラスは海外のメーカーまでガラス片を送ってやっと見付け、半年掛けて新しく組み直した思い出の作品です。

久しぶりに入った片倉館の千人風呂でしたが、懐かしいステンドグラスもちゃんとありました。

ゆっくりお湯につかって山行の疲れを癒して、15時半頃、東京に帰るカワダさん達と諏訪ICで別れて帰途に付きました。半日の登山でしたが、出会ったのは頂上からの下りで単独女性と、もうすぐ駐車地という所で会った3人組のみという静かな山で、本当に久しぶりにノンビリとした楽しい山行でした。

(詳しい山行タイムや写真はヤスダさんのブログ http://hino-terrace.asablo.jp/blog/ を見て下さい。)

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楢の薪

朝7時過ぎ、子供達を駅まで送って帰ってきたら、先日庭の木を伐採してくれたハヤミさんから電話。「近くで楢の木を何本も切ったから枝で良かったら取りに来い」とのこと。早速軽トラにチェーンソーを積んで5分ほどの現場へ。大きな楢の木を10数本倒し、幹はチップ工場に運んだ後で、腕から太もも、はては胴体ほどの楢の木の枝が山積みとなっていました。「好きなだけ持って行っていいよ」との有り難いお言葉に、ボロ軽トラに積めるだけ積む。軽トラの積載量は350Kgですが新車の軽トラなら1tは積めます。(勿論違反ですが・・・)私の軽トラはというと昭和63年製。とても1tは積めませんがそれでも500〜600kgなら何とか走ります。朝7時半から11時半まで掛かって、めぼしい太さの楢を4回運びました。

楢は火力も強く火持ちもいいし、灰もあまり出ないので最高の薪です。昔は楢などいくらでも手に入ったのですが、昨今の薪ストーブ・ブームやキノコ栽培、チップにと引っ張りだこで、そうそうタダでは入手出来なくなっています。これだけあれば他の薪に混ぜて焚けるので大助かりです。来年の冬は暖かく過ごせそうです。ハヤミさんありがとう。

ただ重い楢を4時間休みなく、積んではヨロヨロ走って下ろしと働き続けたものですから、午後になってから体中が悲鳴を上げています。明日は山岳部OBのカワダさん等と山スキーに行く予定ですが(日帰りの東京組に合わせてビーナスライン近くの三峰山)、この体でどうなるやらです。

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伐採

26日は山岳部OBのKさん等の東京組と山スキーに行く予定だったのですが、ここ何日か異常に気温が上がっていたので雪質は悪いだろうし、雪崩の不安もあり中止となる。今シーズンはどうも仕事や天候,メンバーの都合との相性が悪い。山行中止とと決まって仕事していたら近所でチェーンソーの音がする。何を切っているのかと出てみたら、同じ集落の土建屋のハヤミさんが雑木林の持ち主に頼まれたとかで近所で伐採をやっていて重機も来ている。我が家にもそろそろ寿命で時々太い枝が雪の重みや風で折れるようになった河原柳が一本あり、倒したいと思っているのだが自分で倒すことは出来ても川に面しているので倒した後に引き上げるには重機がどうしても必要となる。そこで交渉して倒してもらうこととなる。対岸の大きな岩に滑車を取り付けて、倒す木に掛けたワイヤーを重機で引っ張っておいて倒す。今までにも家の南側にあった河原柳やニセアカシアを何本か倒しているが、この河原柳はその中でもひときわ太く、根本から2本に別れていて、それぞれの直径は70〜80cm程、高さ20m程もある。

首尾良く午前中に2本とも倒し、午後からは倒した木を重機で川から引き上げてチップ工場に運んでもらう。河原柳はいかにも薪になりそうな木だが、割って乾かすとまるでバルサ材のようにフカフカになってしまい、薪には適さないのです。

夕方、作業が終わって家に入ると「木が無くなって寂しい」と長女が涙ぐんでいる。木にも寿命があること、枝が折れて車や屋根を壊す恐れが出て来たことなどを話し、後先になってしまったが切り株に御神酒を注ぎ、ハナミズキでも植えることを約束する。

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鹿肉

知人から鹿肉が届いた。例年ですと鹿一頭を猟師のマサルさんから買って、友人等と分けます。今年は冷凍ストッカーが壊れてしまったので、豪勢一頭買いが出来ませんでしたが、時々知人が鹿肉や猪肉を届けてくれます。八ヶ岳周辺では鹿が増え過ぎて、農作物被害や山林の樹皮を剥かれての立ち枯れが年々酷くなっています。冬、西岳や編笠山に登ろうとすると、登山口から少し入っただけで、まるで鹿牧場の中を歩いているのかと思うほど幾つもの鹿の群れに遭遇することがあります。また家の周りでも時々鹿の群れに遭遇します。そんな訳でここ数年は通常の猟期が終わった後でも害獣駆除が続けられています。料理ですがヒレ肉はやはり刺身が美味いです。生肉ですから寄生虫の不安がないわけではないのですが、そこは下さった猟師を信用してショウガやワサビ醤油で食します。またモモ肉はステーキや蜂蜜を塗ってローストしたり、豚カツならぬ鹿カツ、焼き肉、カレーに入れて食します。山の味です。

そう言えばまだ狂牛病(最近は狂鹿病もあるとか)が流行る前、ある猟師の家に遊びに行った時に鹿の脳みその刺身を食べさせてくれました。撃ったばかりの鹿の脳みそに醤油をたらして食べるのですが、濃厚なチーズのような味で凄く美味しかったので、翌年マサルさんに一頭お願いした時に「脳みそもお願い」と、つい言ったことがあります。そうしたら捌いた一頭分の鹿肉(一頭にしてはやけに多いのですが。ある年の正月など「皮は剥いでおいたから自分で捌け」と言って持ってきてくれたことがありますが、軽トラの荷台のビニール袋から蹄の付いた足が6本も7本も出ていて「正月の鹿は足が多いダ」には笑ってしまいました。お陰でダリは骨を咥えて大喜びでした。)の他にビニールの袋に鹿の頭がごろんと2個入って届いたことがありました。日頃「鹿の脳みそは美味いぞ」と棟梁に言っていたものですから「鹿肉が届いたから取りに来て。それから脳みそも食べたかったらナタも持って来て」と言ったところ、棟梁は気味悪がって来ずに美人奥さんがハンドバッグにナタを入れてやって来ました。そして・・・。後はご想像にお任せ致します。

猟師のマサルさんは70歳位。営林署に勤めていましたが、今は営林署を辞めて猟師や山菜採りをしています。昔は北海道や秋田や群馬、静岡でも熊や鹿猟をやっていたそうで、私が群馬県沼田の熊撃ち猟師ダンゾウ(ダンゾウは谷川岳の成蹊山岳部の山小屋の近くにある国鉄の送電線見張り小屋に住んでいて、春先、送電線の見張りと言っては一人で鉄砲を担いで熊を追っていた。無類の酒好き話し好きで、高校生の頃から可愛がってもらった)を知っていたことから、時々飲み屋で猟や山の面白い話しを聞かせてもらっていますが、所謂ハンターではなくて「猟師」。それこそ毎日山に入っていて、この辺りの山のことは何でも知っています。マサルさんのことを書き出したら長くなってしまうので、またいずれ。

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