台風18号

今朝は05時頃から台風18号による風雨が強まった。風は普段あまりあたらない場所であるが、さすがに今朝は結構吹くし、もの凄い降りである。気象庁は「今までに経験したことのない大雨情報」を京都や滋賀に出した。我が家は2本の川の合流点にある中州という、まことに恐ろしい所に建っているので、大雨時はちょっと怖い。が、そのリスクを敢えて引き受けて尚、得られるものもあり選んだ土地である。普段は心地よい川音が、増水するとゴーゴーと凄まじい。急勾配で直線的な川であるから流れも速い。こんな時、アマゴやイワナはどうしているのだろうと余計な心配をする。

午前7時21分

午前7時21分

増水した川を2階から見下ろしていると「血湧き肉躍る」になる。ピンク・フロイドの「吹けよ風 呼べよ嵐  One of These Days」が頭の中を駆け巡る。

12時前には台風は既に長野県内を通過したようである。雨も小降りとなったが、こんな増水はここに越してきて10数年なかった増水である。水面は庭からまだ2mほど下であるから特段怖くはないが、この水が急に減ったら上流の土砂崩れでダム湖が出来た合図である。そうなったら決壊する前に逃げ出さねばならぬので注意はしておかねばならない。

12時40分、雨が小降りになって約1時間、既に水が引き始めていた。DSCF6125(変換後)

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取材

昨日は「日本のてしごと」の、よこやまゆうこさんの取材を受けた。2ヶ月前にオファーを頂いたのだが、ちょっと忙しかったし、あまりに仕事場が汚かったので延ばしてもらっていたものの、やはりというか、やっぱり夏は暑かったし、五十肩という何と言っても立派な言い訳が立ったので相変わらずの汚い仕事場のままである。

今まで取材は随分と受けた。地方紙は書くこともないのか一頁丸ごとなんてこともあったし、地方TV局やNHKの取材もあった。新聞やTVに出ると電話が掛かってきて「あのぉー、会社が面白くないんで、これから工芸家になりたいんですがぁ〜、どうしたら工芸家になれるんですかぁ〜」なんてバカな人生相談電話がある割りには仕事は来ないのであるが、ま、これはモデルが悪いし、仕方ない。
『家庭画報』は椿山荘の離れだかをわざわざ借りて照明器具の写真を撮ってくれた。馬子にも衣装であった。gallery_03また随分と丁寧な取材をしてくれたある編集者に、遅くなったので夕食でもとカレーを出したら「お話しでは随分とビンボーされているのに凄い量の牛肉ですね」と言うので、「それ貰った馬肉の切り落とし」と告げたら、青くなって「僕、馬は駄目なんです・・・」と慌てて本当に家を飛び出した。きっと馬との辛い想い出でもあったのだろう。またちょっと事情があって断れない雑誌取材では、女性ライターがこちらの話すことをどうもきちんと聞いていない様子。挙げ句の果てに「何か今まで受けた取材記事があったらコピーして下さい」と宣う。いい加減アホらしくなり「もういいいよ。適当に」と言ったら本当にテキトーに有ること無いこと書かれた。

で、よこやまさんの取材であるが、『日本のてしごと』という工芸専門のサイトを主催されていて、よこやまさん自身が機織りや草木染めをなさっている方なので話しも理解も早いし、予めワタクシのブログを読んでくれていたようで、大体のことは知っている様子である。
「昔、マイルス・デービスと一週間一緒にCMの仕事をしたことがある。その時マイルスがシャッシャッと絵を描いてプレゼントしてくれた」とのこと。マイルスの絵ってそれりゃ『お宝鑑定団もの』じゃなかったっけ、である。またロン・カーターとも仕事をしたことがあるとおっしゃる。どうも色々と面白い人のようである。今度はこちらが取材させてもらおうかしら・・・ついついお引き留めしてしまう。

 

今日は2ヶ月に一度の内科である。血を採られるので朝食抜きである。血圧はコントロールされているが、HbA1Cが2ヶ月前より0.1上昇。「ま、こう暑い夏に運動なんかすりゃ、余計身体に悪いよな。秋になったからそろそろ歩いてよね」と叱られずに放免される。病院の展望レストランに10時前に行き、今日こそは2ヶ月前の腰の曲がった婆ちゃんみたいに「カツ丼!」と思ったが、やっぱりちょっと日和って「親子丼」にする。

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ワタクシの病気自慢・・・

五十肩が治らない。腰痛は治ったのだが、もう3ヶ月以上左肩が痛い。普通に腕を動かす分にはそれほど痛まないが、何かの弾みでちょっとでも腕が捻れると猛烈な痛みが襲う。大きなガラスをガラス棚から出す時、ズボンを履き、シャツの後ろをズボンの中に入れる時など暫く激痛に耐えねばならぬ。習慣でついつい後ろ左側ポケットに入れた財布を出そうとしてレジ前で激痛に襲われる。ならば財布を右側ポケットに入れておけばよいのだが、癖や習慣というものは恐ろしいもので、ジーンズの左側ポケットには財布、右側ポケットには携帯を長年入れていたので、これを逆にすると運転席に座った時にどうもしっくりこない。1ヶ月前に整形外科で左肩に注射を打ってもらい、消炎鎮痛剤だの筋肉緩和剤だのの飲み薬や湿布を大量にもらったのだが一向に効かぬ。
でもって、本日は1ヶ月後の整形外科の予約日。予約時間より30分位遅く来てくれというので10時に行ったらサイワイ直ぐに診てもらえた。「一向に治らぬ」と伝えると腕を色々な角度に動かして「これはかなり酷い五十肩ですね」とのことで、前回より強い鎮痛剤注射を肩に打たれる。と、同時に痛みは消える。但しこれは直ぐに効果も無くなるとのことで、また消炎鎮痛剤と湿布が1ヶ月分出て、「1ヶ月後にまだ治っていなければヒアルロン酸注射を始めましょう」とのことであった。会計と薬で待たされる。

今までにも五十肩になったことはあるが、大抵は2〜3週間で自然に治っていた。『本物の五十肩』がこんなに辛いものだとは考えてもいなかった。東の都に行かねばならぬのだが、長時間の車の運転にも支障があるは、左手では電車のつり革には掴まっていられそうもなく、ステンドの取り付けにも支障があり、困ったことである。おまけに今朝は12℃まで下がった。薪割のシーズンも来てしまった。全く困ったことである。

そういえば、昨日は3ヶ月に一度の辛いガン検査(痛くも痒くもないのであるが、アラレモナイ格好をさせられ、ムスコの先っぽから内視鏡を膀胱まで入れられる・・・)があったが、幸いなことに表在性膀胱ガン(膀胱移行上皮に出来る腫瘍。10日程入院して膀胱鏡にて切除すれば何らの機能的支障は残らない。但し再発率は7〜8割と高い)の再発は見つからず、これで一回目の手術から5年近く、再発手術と抗ガン剤治療から3年7ヶ月となった。まことにメデタイことである・・・
と、また思い出した。明後日はこちらは2ヶ月に一度の内科検診日である。こちらは血圧や、毎回の血液検査から総体的に体をチェックしてもらっている。数値がちょっと上がっては叱られ、ちょっと下がってはお褒めの言葉を戴きが続いている。

何せガンのデパートのようだったオヤジ(頭と肺以外それこそ内臓全てが何年おきかにガンとなり、その都度あちこちの臓器摘出手術を受け、『お腹の中は空っぽ』なのに、84才で亡くなる直前まで三度の食事と酒とタバコを欠かさなかった)の、こちらでの同居以来の主治医が「アンタはガン家系」と診ていてくれ、時々上や下からカメラを突っ込まれるのである。

また69才で亡くなったオフクロは、見つかった時には「悪性リンパ腫で余命2〜3ヶ月」であった。当時は悪性リンパ腫は絶対の不治の病であり、手さぐりでの抗ガン剤の組み合わせ治療が開始されたばかりの頃だったが、これがオフクロのガンとの相性が良かったのか、当時としては最長不倒記録11年というギネスばりの大記録を達成した。3〜6ヶ月入院して強い抗ガン剤で徹底してガンを叩き、治ると1年とか1年半は自由に旅行も出来、再発すればまた叩いてであった。その後悪性リンパ腫は抗ガン剤で完治するガンの代表となっていくのであるが・・・

ま、そんな両親の血を色濃く引き継いだワタクシであるからガンの一つや二つはきちんと引き受けているのだ、が、今週は3回の病院通いというのは結構ハードである。周りは病気の『気』が充ち満ちている場所で、予約診療でも結構な時間を待つというのはそれだけで病気になりそうなのである。

ついでにもっと思い出し、ちょっと残念なのは京都のタザワさん達『京都のさるバーに集まる面々』が作った『GUN倶楽部』の会員徽章のピストル型バッチをもらっておく前に、タザワさんがワタクシと同じガンからの転移で逝ってしまったことである。 「オクズミくんも仲間になりはりましたなぁ〜。ワシと一緒のガンやし、『さるバー』に時々一緒に行ってくれはったさかい、『GUN倶楽部』に入れてあげまひょか。」と言って下さっていたのだが、生憎ピストルが手元に無かったのでまだ貰っていなかったのである。つくづくも残念である。今、『がん友』であるヨシユキさんと「どう見たって俺たちガンには見えないよな」と『GUN倶楽部 信州支部』を考えている・・・

 

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『棄民』

明日未明に2020年のオリンピック開催地が決まるという。日本は福島第一原発からの汚染水漏れを各国から指摘されて、慌てて450億円だかの税金を汚水漏れに充て、「政府主導であたるから心配ない」と言い出した。だが政府主導だからと言っても技術的に可能かはまだ未知数である。また「忍者ハットリくん」みたいな顔をしたどこぞの知事は「汚染水漏れに関してアフリカ諸国は何も言っていない。これはヨーロッパ諸国が東京に仕掛けたネガティブ・キャンペーンだ」と言い放ち、オリンピック招致委員会の某理事長は「東京は福島からは250Kmも離れているから安全だ」と言う。

もし東京で開催されることが決まれば東京では一斉に工事・工事となるであろうが、遅々として進まない復興に、福島の人達にそれはどう映るのであろうか。TBSの報道番組に出て来た元酪農家は「東京で開催されたとしたら、それは福島の人間から見れば『東京という別の国』で開催されるようなものだ」と言っていたが、それが今なお、いや生きている内には自らの土地に戻れない福島の人々の率直な気持ち、漁に出られない漁民の率直な気持ちではないのか。それでは正に『棄民』ではないのか。『ネガティブキャンペーン』だの『福島から250Kmも離れているから安全だ』なぞと平気で言いながら汚染水を海に出し続けている『日本』という国は唯一の被爆国ではなかったのか。広島も長崎もビキニ環礁も水俣も忘れたのであろうか。
たとえ東京開催と決まったとしても福島の人々の気持ちを逆なでするような発言が相次ぐのでは、原発事故の被害に遭った人々の『棄民』意識は拭えないと思う。

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JAZZ宴会

チヨヘイさんと「飲もう、飲もう」と言いながらなかなかお呼び出来ずにいたのだが、昨日はムスコも居ることだしと我が家で宴会を開くことにする。チヨヘイさんは現在74才の建具屋さんだが、昔から富士見のJAZZシーンを引っ張ってきた人である。初めてお会いしたのは我が家の玄関ドアを作ってもらいに行った時であるから13〜4年前であろうか。ちょっと傾いた作業場2階でJAZZをガンガンかけながら仕事していたのにはビックリした。それ以来何度かチヨヘイさんが作ったドアにステンドを嵌め込んでいる。ムスコも随分と世話になってもいるし、時々野菜を届けてくれてもいる。

Jackie MacleanのTシャツ姿のチヨヘイさん

Jackie MacleanのTシャツ姿のチヨヘイさん

またチヨヘイさんは凄い曲を作ったエライ人でもある。ケシカランことに皆忘れているが、諏訪6市町村の誰もが知っていて、この曲を聞くと誰もが思わず両手を差し上げて「エイッサ、エイッサ」と叫び出すあの『御柱』の「パンパカァパンァ〜ン・パパパパパァ〜ン」のラッパ曲の作曲者でもあるのだ。何でも昭和50年頃にそれまでのラッパ隊が吹いていたのが「突撃ラッパ」と「行軍ラッパ」であったのだが、神社のお祭りにそれではおかしいと作ったのがあの名曲なのだそうである。ワタクシは『神』ともそれほど親しくしていないので『御柱』が近付いても多くの諏訪人のように『神が頭に下りてくる』ようなことはないのだが、この「パンパカァパン・パカパカパァ〜ン」を聞くと思わず両手を差し上げて前後に動かしながらグーとパーを出してしまうのだ。
ワタクシなど下賎の者はすぐに「著作権登録をしておいたら今頃は・・・」なんぞと思うのだが、チヨヘイさんは「イヤァ〜、本当は木遣り歌で動く御柱なんだけど・・・あんまり広まっちまって、ちょっと申し訳なく・・・」なんてあくまで謙虚なのである。

ここで、声を大きくして言いたいのは何十年も愛され、これからも『御柱』が続く限り吹かれ続けていく「パンパカァパァ〜ン・パカパカパァ〜ン」の作曲者であるチヨヘイさんの名前を諏訪大社はきちんと記録として残し、また諏訪大社氏子ウン万人がきちんと記憶し、せめて富士見町、否、諏訪6市町村の名誉市民として顕彰すべきであると。

で、宴会の方はといえば、ほどよく酔っぱらってからチヨヘイさんやムスコがサックスを吹き、カミサンもピアノ伴奏を始めるというJAZZ・演歌・映画音楽なんでもあり宴会となっていったのであるが、チヨヘイさんのサックスは何とも味わいのある音色なのである。ワタクシはといえば、無芸大食、一昨日の山の疲れが出たのかグラスを握ってウトウトしながらいい気持ちに、であったのである。

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