歯医者 続き

歯医者で歯石を削られながら思い出したことを書こうと思っていて、タバスコからシノブ君の話しに逸れてしまった。

もう7〜8年前まで、駅前の大丸屋という3階だか4階建ての洋品屋のビルの一角に小さな煙草屋があった。幅1間ほどでウナギの寝床のような細長いスペースの両側に煙草棚があり、その片側の煙草棚の下に設えた机に向かっていつもピッとアイロンの当たったもんぺと甚平風の丈の短い着物(恥ずかしながら本当の名称は知らぬ)を着たお爺さんが何時も何か書き物をしながら店番をしていた。一見井伏鱒二風の容貌で(故井伏鱒二氏の別荘が前の家の近くにあり、ヤマメやイワナを釣ってはよく届けた。朝の10時頃に届けに行くと、朝食からステーキで、何回かご相伴にあずかったものである)お歳にしては随分と背が高く、立派な体格の人であった。いつも何を書いているのかと聞いたところ、「井上清の『日本の歴史』を書き写しているのさ。どうも儂が習った歴史とは違ってな」と言う。「この歳だと書かないと覚えられなくてな」とも言う。それにしても朝から夕方まで毎日である。それ以来友達のように可愛がってくれて、煙草を吸いながら富士見の昔話をしてくれた。夕方になると隣の隣の飲み屋の小上がりに正座して、懐から出した文庫本を読みながら一品と二合徳利を前に一人飲む姿が格好良かった。

ある時、富士見の名士?が集まって昔の町長の米寿だかのお祝いの宴会があった。私は 当時地元の漁業協同組合の専務理事をやっていて呼ばれたように思う。長々と続いた祝辞が終わって乾杯が始まろうという頃にこの大丸屋のお爺さんが入って来て隣に座るなり「君もまだ若いなあ。お祝いはなぁ、下らん祝辞が長いに決まっているだろう。だから乾杯に合わせてくりゃあいいのさ ウフフ」と笑う。宴会が始まり隣の席にいた婦人町議が気を利かせてお爺さんに豆腐や煮物を取り皿に取って渡したら「馬鹿もの。ジジイと思いやがって。宴会じゃ肉や魚を食うもんだ」と一喝する。「今、幾つ」と聞いたら「儂は90じゃ。それでも儂の歯は入れ歯じゃないぞ。全部自前だ」と言う。毎日きちんと磨いているんだと言ったら「人間そんなことするからヤワになるんじゃ。儂は毎日煙草でコーチング(コーティングではない)して、酒で消毒してるから強いんじゃ。尤もおなごにキッスしようとすると嫌がられるがのう ウフフ」と笑う。鶏の唐揚げだのエビチリだの刺身だの寿司だの片っ端から食べて日本酒を旨そうに飲んで1時間もしないうちにサッと帰って行った。とにかく格好良かった。
それから数年して93歳で亡くなったが、フッと思い出す。田舎は侮れない。ああいう爺さんになりたいと思うが、毎日歯を磨いていたからヤワになってしまって、もう自前の歯ではなくなりそうだ。

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