悲しい出来事

ミツルさんが逝ってしまった。岳友の別荘で酔って転んで受けたダメージが元で、入院した病院で急に腎不全を起こして亡くなってしまった。

元茅野山岳会長でヒマラヤの未踏峰を登り、遭対協の隊員として多くの遭難者の救助にあたった。「この村に生まれ、一度も八ヶ岳に登らずに死んじまうなんて可哀相」と村民登山を組織し、山の良さを知って欲しいと小学校や中学校の学校登山のガイドを精力的に行っていた。諏訪湖マラソンや西伊豆マラソン、50Km健歩大会にも毎年参加していて山では決してバテず、とても70歳とは思えなかった。

10年程前、釣友のあまり公にしたくない 遭難捜索の際に手を借りたのを機に、「おい貸しが出来たぞ。村民登山や学校登山を手伝え」といわれ、それ以来何度も一緒に登った。家族ぐるみで可愛がってくれ、子供達も「ミツルさん、ミツルさん」と慕い、山好きの長女はバレンタインデーにはプレゼントをし、ホワイトデーには必ずお返しがあるほど可愛がってくれた。年末に寄った時、「飲んでいくじゃん」と言ってくれたのだが子供の迎えもあるしでコーヒーを淹れてもらった。昨年は3.11大震災に続き、岳友二人を八ヶ岳で亡くし、「年賀状に何て書いたらいいんだ」と言っていたミツルさん。来年の村民登山の話しや、小・中学校登山の話し、久しぶりに南陵にでも行こうかなどと話し、「年が明けたら飲むじゃん」と別れたのが最後となってしまった。

昨夏、中学ガイド登山で登った硫黄岳の頂上でガスの横岳をバックにミツルさんの写真を撮ったのだが「もしもの時にはこの写真を使ってくれ」と言われ、ちょっと気に掛かりその写真は生前お渡ししていなかった。結局数年前にやはりガイド登山時に西岳頂上で撮った写真で、お嬢様がプレゼントした『岳』の文字が入ったTシャツを着ている写真を使うことになった。遺影なんて、いくら何でも悲しいよ。

あまりに突然すぎる別れにご遺族にかける言葉もない。
長女も泣いてばかりいる。

大きな葬儀場での告別式には弔問の長い長い列が続き、ミツルさんの人柄が偲ばれる。

何だかつまらなくなってしまった。

 

 

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