学生時代は如何にして酒を飲んでいたか Vol.2

馬鹿馬鹿しい話しの続きである。
大学には71年に入った。先ずこの当時の物価だが、ラーメンが70円、コーヒーが50円、トリス1本340円、ホワイト850円、池袋のションベン臭い映画館『文芸地下』2本立てが50円、学食の素ソバが30円(これは安かった。毎日食った。カレーは50円、定食70円、AだかB定食は150円で皿が化学製品ではなくステンレスであったが卒業前に記念に1回食べたきりだ。)だった。

酒はもっぱら吉祥寺で飲んだ。ハモニカ横町の数軒、近鉄裏の『三平』、井の頭通りの『いせや』、井の頭線ガード下の『豊後』、吉祥寺北口の『竹寿司』、家庭教師のバイト先の阿佐ヶ谷ガード下の『金時』あたりが多かった。二級酒一合が70〜100円くらいだったと思うが、店によってお銚子のサイズが違う。ある時ミズイくんと飲み屋に向かう途中で計量カップを拾った。トイレで洗って何軒かの飲み屋に入っては一本づつ頼んで量ったりと、涙ぐましい努力をしていた。この当時、飲むにあたって一番苦労したのが「酒の肴」である。胃腸・肝臓とも元気・元気であるからして飲む量も半端ではなかったが、食う量はもっと多かった。下手に酒の肴なんぞを頼んでしまったら飲み代がなくなる。色々考える。「マグロの山かけ」は食いたいが、あれは一口・二口でなくなる。そこで一緒に「ご飯」を頼んで「山かけご飯」にする。オニオン・スライスもよく食った。品書きに「オニオン・スライス」がある店は半玉50円だか100円だか取られるが、品書きにない店では「どうしても食べたくなった」と言うと丸々1個を刻んで50円くらいで出してくれた。『豊後』ではお店の看板の太ったおばちゃんに可愛がってもらったし、たいてい高校や大学の先生に出会うので、よくたかった。L字型のカウンターに6〜7人、小上がりに詰めれば15〜20人の店であったが、カウンターの一番奥かその隣が定席だった。この店で一番美味しかったのは冬の味「あん肝」であった。幾らであったか忘れてしまったが、そこそこしたように思う。これを頼んでしまうと他に頼む余裕がなくなる。が、食いたい。しかし、腹には貯まらぬ。おばちゃんに「直ぐ帰ってくるから」とカウンター席を取っておいてもらって2軒隣の『立ち蕎麦屋』で素ソバを食べて戻るなんてことは年中であったが、あの立ち蕎麦の強烈な匂いにおばちゃんが「焼おにぎり」をよく御馳走してくれた。学生の分際で寿司屋に行くようになったのは4年の頃だった。オカザキくんやウエダくんとよく飲んだのだが、二人とも下宿生活でやはり「安く飲むと食う」を求めていた。飲み屋で腹一杯食って飲め、且つコストパフォーマンスに勝る方法を色々試行錯誤した結果、「最初から安い寿司屋がよいのではないか」との結論に達したのである。で、『竹寿司』が選ばれた。74年当時でもこの店では二級酒90円、並寿司340円であったのだ。大発見である。まず各人並寿司を頼んでちびちび食べながら、がぶがぶ飲む。それでも足りなければ「太巻き一本。6等分してね」と注文した。確かに飲み屋で飲むより腹もそこそこ満たされ、コストパフォーマンスは高かった。進化するまで3年と何ヶ月かかったのである。  続くかもしれぬ?

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