夕食

昨日の土曜の夕食は珍しいことにムスメが作ってくれた。日頃ろくに勉強もしないくせに、先日の定期試験の結果が良かったせいであろうか・・・
鰺のソテーにトマトやタマネギやセロリで作ったソースをかけたものだったが、鰺は綺麗な三枚下ろしとなっていて、セロリが効いて大層美味であった。もう少しおだててやろう!DSCF5700(変換後)

食べることが好きである。おおよそ何でも食べる。残すことには罪悪感を持つ世代であるが、2005年に中国内モンゴルで友人のトウヤ君がやっている木工工場にステンド・グラスを教えに行った時には参った。
内モンゴルのサソサイという小さな町に工場があったのであるが、そこではトウヤ君の政治力のおかげ、内モンゴル州のVIP待遇であった。泊まったホテルは政府の招待所のスウィートで、それこそ2週間というもの毎晩知事や副知事と一緒にレストランでの夕食であった。内モンゴルの料理といえば羊が主である。元々羊肉は好きであったから「羊肉大好き!」なんぞと言ってしまったから毎晩当然のごとく羊肉がメインである。「ドンッ」と丸テーブルの上には毎晩のように羊の頭の丸茹でが載る。塩で茹でてあるのだがこれが旨い。この日は魚がメインだが、写真右側が羊の頭の下半分であるが、マオタイ酒や白酒と共にムシャムシャ喰らう。IMGP1020(変換後)これが毎晩続く。昼食は工場で水餃子などを作ってくれるが、これも羊肉である。で、10日目であったか、急に肉が食べられなくなった。何としても箸が進まない。臭いが気になるのではなく、『肉』が食べられないのだ。仕方ない、ちょっと青菜炒めなんぞをつまみながら、酒ばかり飲んでいた。つくづく恥ずかしく申し訳なかった。心配したトウヤ君の姉上が、もう冬で市場でもなかなか入手出来ないプチ・トマトとキュウリを探してきてくれたのには申し訳なかったが、救われた。そして「吾は農耕民族」と知った。
北京に戻ってから、トウヤ君が北京で一番美味い北京ダック店に連れて行ってくれたのだが(一階では十数人のコックが北京ダックを作っている。二階がレストランで、まるで体育館のような広さである。日本のようにペラペラ皮が数枚ではなく、一人何羽と注文し、丸ごとの鶏がこんがり焼けて出て来る)、もうこの時には鶏肉さえあまり食べられなかった。食べられない、否、残すというのは末代の恥であると深く反省した。

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